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夕暮れ。
遠くでどこかの寺の鐘が響く。
秋になり日の暮れが早くなってきて風も冷たくなってきた。
1枚多く着物を羽織ると少し早いが白梅が火鉢に火を入れた。
白百合の家である、葵屋のちょうど裏手に位置する豪邸ともいえる家
二階建ての4部屋もある家である。
縁側の端には大きな井戸があり、その向こう側が葵屋の裏手口となっている。
葵屋の敷地内に無理矢理この屋敷を作ったため、塀などはないが
葵屋の裏手口からこちらの家が見えないように桜、楓、もみじなどの季節の木が
何本か植えてある。隠しているつもりだろうが、冬になれば葉がおちるので
全く隠れてないのだが、気休めだと女将や笑ったのを覚えている。
もみじが赤く染まっていくのを見上げながら白百合は座って
お茶をすすっていた。
自宅にいるときは、素肌だ。
素肌の時は男性のようにも見え、西洋人のようにも見える。
「今日は、お休みですか?」
白梅が静かに声をかけてきた。
この時間は葵屋の準備で忙しく小梅はネズミのように駆け回っている。
「座敷には行くよ」
「客をとるわけでもないのですから、お休みされては?」
「取ったっていいんだけど」
白百合は笑った。
白百合は幻のような存在であってほしいのだと女将がいう。
物語の中の憧れの存在のような、掴めそうでつかめないような。そんな存在
遊女のほとんどは白百合の姿を見たことはないし
白百合の座敷へ許可なく入ることは許されてはいなかった。
「連日、ご依頼をこなしているのだから、体が疲れていないはずが…」
「白梅ー。白梅ー」
葵屋で白梅を呼ぶ女将の声が聞こえた。
白梅は大きくため息をついて、縁側から草履をはいていそいそと
葵屋の裏口へと消えていった。
ーチリン…
縁側につるされていた風鈴が悲しくなった。
いつの間にか、風鈴がさみしく聞こえる季節になってしまった。
秋は嫌いだ。昔を思い出す。
「秋は悲しいな」
また一口、お茶をすすった。
白百合には気になっている事が1つあった。
それは、いつでもどこへいても、自分を見守っている誰かの気配だ。
姿を見せることはないが、確実に自分を見守っている。
ただ、影のようにいる。
自分が危ない目にあったりすると、その影が殺気を放ったり
自分の体調がすぐれない時には、優しい気配がするのだ。
まるで、父が。。。父がどういうものかもわからないのだが
父のような存在のように、暖かく見ている。
それは、白百合の中でも安心感があって姿が見れたらいいのに
と思うことはあっても、それを強要することは決してしなかった。
お互いそういう距離感がいいのだとそう感じている。
おそらく、白梅。小梅の二人はこの存在に気が付いていないと思われる、
「私は、誰だろうか」
自分の見守る影は、自分の幼い時からいる。
影は、自分のことを自分より知っている存在なはずなのに
自分の問いには全く答えてはくれなかった。
今も、こんなことをつぶやいてみても声はなく影の雰囲気だけが変わる。
微妙な空気の変化はほかの人にはわからないのだろう。
「いつか、声が姿を見せてくれるのだろうか…」
自分の過去を知っている唯一の存在で、聞きたい事は沢山あるのに…
葵屋から三味線の音が鳴り始めた。
笑い声、食事の香り、いろんな人が動いている雰囲気が好きだ。
「白百合姉さん?ごはん、どこで食べはる?」
小梅が部屋に入ってきた。
小梅は子犬のようだと白百合は思う。
人並み以上に愛想はあるので客にも人気があるのだと白梅が言っていた。
「あら?今日はお休みされます?」
秋の空気に浸っていて、時の感覚が鈍ってしまったのだろう。
化粧をしていない白百合をみて小梅が驚いたように言った。
「白梅が休めって」
「そう…まぁええですけど…」
「でも、館でいただきます。」
「そのままで?」
「いかん?」
「いや…ええですけど…」
白百合が立ち上がると
「表、出ようなんて言わんといてくださいね」
小梅が釘を刺した。
「白百合さん?小五郎さん、来ましたえ?」
白梅が葵屋の勝手口から出てきて声をかけてきた。
小梅の顔がぱっと明るくなるのが見て取れる。
「もちろん!お通しにならはるでしょ?」
小梅が小五郎を好いていることを知っていた白百合は
ため息をついてうなずいた。
「では、2刻後に座敷へ」
「何度も言うが、この仕事から…」
甘い香りが立ち込める部屋で白百合は鮮やかな赤い着物に身を包み
桂小五郎にお酌していた。
「はぁ。。。すまん。それは俺が撒いた種だったな」
困った時、頭を2,3回掻くのが彼の癖だった。
「いっそ、身請けでもしてやりたいくらいだが、俺には嫁がいるしな」
白百合は無表情で自分の「仕事」をこなしていった。
三味線を奏で、火鉢で温めた酒を杯に満たしてやったり。
時折、煙草に火をつけたり。
「相変わらず、無口だな」
と苦笑した。
「幻の花魁が無口・無表情で仕事だけをこなす人間だと知ったら
男は泣くぞ?」
とカラカラと笑った。子供みたいに笑った、
小梅はこの笑い方が可愛いとよく白百合の前で言っていた。
桂小五郎、頭が切れる倒幕側の人間。世間一般から見る彼は
真面目そのものだが、やはりここに来ると素に戻るようで
想像から大分かけ離れていた。
「ここは平和な遊郭だな。吉原なんかひどいもんさ。
この間なんか、足抜けしょうとした連中が結託し
吉原に火を放って、混乱に乗じて一斉に足抜けしたんだとか」
そういって、一気に酒を煽った
「まぁ、わからんでもないがね。人間には自分でもよくわからない感情が
沢山あるもんだし。小さな感情はやがて大きくなり、爆発する。
今の世の中みたいじゃないか」
白百合は何も言わず、酒をついだ
「君に感情はないのかい?」
あまりにも何も言わない白百合に皮肉を言ったつもりだった
「男は女の体を欲します、
自分の好きな体の女が他の男と関係を持ったとき、
男は自分のおもちゃを取られたと思って激怒します、
それを、誰がどう綺麗に言ったのか「嫉妬」と呼びます。
女は好きな男の心が欲しいので
その「嫉妬心」を過って捉え「自分を好いていくれている」と
勘違いします。そして恋が始まるのです。
私から言わせれば疑似恋愛ですけれど」
火鉢で酒を温めながらボソボソと語った
「君は、人の心を理論的に話すのが好きだね」
「私にとっては感情は邪魔なものでしかないのです」
「なぜ?」
「さぁ?」
そして白百合は薄く笑った。
「私は、人の死を沢山見てきた」
暗闇のなか、小五郎は白百合に添い寝をさせていた。
白百合は客と情事をしたがらないので
添い寝止まりだが、それが最高級のもてなしだという事を知っていた
「苦しみ、もがく者、安らぎ安堵する者
死は絶対的条件で人に襲ってくるものなのに
なぜ、こんなにも去り際が違うのかと考えてしまう」
小五郎は一点を見つめながら話した。
ー白百合はどんな死に方を望む?
そう聞こうとしたが、白百合はきっとなんでもいいから早く死を迎えたいと
言うに決まっている。答えが分かっているのに
なぜ聞こうとしたのか自分でも笑えてきた。
「さぁ。帰るとしょうかな、まだ連中に顔をだしていないんだ」
そういうと布団から抜け出た。深夜の空気が冷えて少し身震いした、
「こんな時間に?」
と白百合が上半身を持ち上げた。
「へぇ、君が心配してくれるの?」
着物に着替えながら小五郎は言う
「君が、護衛してくれるなら心強いがね」
そして白百合の枕元に置いてある短剣を一瞥し白百合を強く抱きしめた。
首筋から甘い香りが漂って、理性を失うすんでのところで
「昨日、君が殺ったのは幕府側の人間だ。
君が思っている以上に君はこの渦に深く身を置いてしまっている
私がいうものどうかと思うが
もう、この仕事から足を洗うんだ、いいね?」
小五郎は白百合の首筋に唇を軽く落とし
白百合の体から離れ、部屋を出て行った。




