蛍は今を生きていたい。
【入学式】
中学校、入学式。
思い出に残るかどうかはさておき、少なくとも悪くはなかったこの日――事件は起きた。
私以外の新一年生が、死んだ。シンプルに、爆死である。
というのが大まかなあらすじである。どうやら、私はおかしなことに巻き込まれてしまったようだ。仲のよかった同級生は全員死んでしまったし、実は少し気になっていた秋晴くんだって死んでしまった。本当に最悪な気分だ。
しかも、私ひとりだけが生き残ったという点がさらに最悪で、なんと私は疑われている。こんな屈辱は、生まれて初めてかもしれない……。まぁ、これもいつかは過去になるはずだ。つらいのは今だけであって、未来の私はきちんと笑えているはずだ。だから、つい最近までランドセルを背負っていた女の子に対してはあまりにも執拗でキツすぎる事情聴取を耐えて家に帰ってきた私は、速攻で兄に泣き付いた。
「……よしよし、良い子良い子。大丈夫だって。お前が犯人なわけないだろ」
「うん……」
私が犯人でないことは、私が一番よく分かっている。語り部イコール犯人のような、叙述トリックを期待しているかたには申し訳ない。今回は、完全に私も被害者である。被害を受けた者だ。おそらく、一番の。
なにせ、犯罪者にされそうなのだ。殺されるよりもよっぽど最悪だ。それならまだ、アンちゃんたちと一緒に死んだほうがマシだった。エモーショナルな気分になっているわけではないが。
「それにしても、二年前とは随分様変わりしたな。お前がこんなに甘えてくるようになるだなんて、思わなかった」
「……昔のことは、どうでもいいの。今を生きているのよ、私は」
「その生きかたも悪くはないな」
兄は、私を絶対に否定しない。小学六年生ぐらいになって、やっと気付いたことだ。だから私は、兄に甘えるようになった。ただ、肯定されるためだけに。もちろん、大好きな気持ちだってないわけがない。私は、そこまで利己主義ではない。
「……お兄ちゃん」
「ん?」
そういえば、考えたいことがあるんだった。
「本当の犯人って、誰なのかしら」
「うーん……」
それは疑問ではなく、知りたいことだ。語り部としても、ひとりの人間としても、たったひとりの生存者としても。別に、仇を討ちたいだとか、そんなことはないのだけど、気になる。これは、おそらく好奇心だ。
私を嵌めやがった犯人について。
「容疑者とかは、いるのか?」
「……」
それは、分からない。私はまだ新入生であり、在校生や教師について完全に把握することはできなかったから。また、在校生や教師だって、何人かが命を落としているし、その何倍もの生徒が大怪我を負っている。足が千切れていた先輩もいたし、顔がぐちゃぐちゃになった先輩もいた。瓦礫に潰された先生だって、いた。
凄惨な光景だった。あんなの、もう二度と見たくないと思わされるような、酷い有様だった。
「っ……」
「……大丈夫か?」
大丈夫、とは言えなかった。そんな嘘、すぐにバレてしまう。ああ、思い出すだけでもキツい。そのとき偶然お手洗いに行っていたからって、私を犯人扱いしようとする警察と同じぐらいキツい。……いや、それは自意識過剰なだけなのかもしれないけど。警察がそんなバカなわけないか。いや、バカなこともあるか、人間だし。
だけど、思い出さなければならない。覚えていなくちゃならない。
せめて考えろ。
唯一の生き残りとして。
「……生徒会長の、直宮真織。在校生挨拶で、下ネタ言ってた」
「勇気あるな」
小柄な男の子だった。先輩を男の子呼ばわりするのは失礼に当たらないか不安だが、実際男の子なのだから仕方ない。それと、あとは……。
「校長が雲母停紗。副校長が佐喜治放蕩。教頭が襖埼闘。A組の担任になる予定だった人が、八幡宮子。B組の担任になる予定だった人が、幾剌贐。あと、生徒指導の先生が、片破大志だっけ。若かったわ」
この六人と生徒会長は、全員生存者である。
「私の知ってる人は、それぐらいよ」
「ふうん。あまり、役立たなそうな情報だが」
おっしゃるとおり、全く役立たない。年齢も性別もバラバラで、とくに共通点のある七人ではないのだ。生存者なら、ほかにもいるし。でも、一応メモっておこうと思っただけだ。私の脳内メモに。
かなり信用できないメモ帳だ。明日になれば忘れているだろう。
「そういや、お前ってあんまり勉強できないもんな。覚え悪いし」
「できるわよ」
ただ、やらないだけだ。勉強は私にとって、できないものではない。続けることは難しいけど、続けなくてもできちゃうのである。天才に生まれてしまって、凡人の皆様がたには少し申し訳ない気持ちだ。
「覚えも悪くないわ」
「えぇ? でもお前、僕がせっかく泳ぎを教えてやってるのに、全然できてなかっただろ」
「できるようにはなったわよ!」
確かに、つい最近までは泳げなかった。水中に浮かぶことさえできなかった私だけど、それはつい最近までの私であって、今の私ではない。
今なら、全然余裕だ。
「あと、教えかたも下手だったわ」
「そうか?」
「そうよ。ぱっと動かせばぴゅんってなるみたいな説明で泳げるようになるわけないじゃない」
ただでさえ感覚派なのに、水泳が得意なわけでもない兄が、人に泳ぎを教えるだなんて、今考えるとバカげている。まぁ、兄と過ごしたあの時間は、嫌いじゃなかったけど。
「話を戻すわ」
「おう」
とはいっても、情報が少なすぎる。この情報から考えられることなんて、本当にあるのだろうか? 私が始めたことなのに、私が疑ってしまっている。それも、仕方ないとはいえ。
「……一応、情報を整理するわ」
まぁ、考えていればその内なにか掴めるはずだ。
ではまず、事件発生時の状況について。私はその時お手洗いに行っていたから、爆発が起きた瞬間のことは正直なにも知らない。ただひとつ言えることは、体育館のステージ側の約半分が何者かによって爆発したということだ。新入生はステージ側、そしてその後ろが在校生という並びになっており、保護者席はさらにその後ろだ。ママが来てくれていたけど、破片のせいで腕をかすってしまったそうだ。大怪我ではないので、不幸中の幸いみたいなものか。ママが怪我をしたという時点で、不幸であることは間違いない。
ちなみに、私は体育館のすぐ横にあるトイレを使った。だから、私も十分巻き込まれる危険性があったのだ。無傷だったけど。無傷だったからといって、不幸ではないということにはならない。実際、私は不幸になっている。
戻ると、体育館のほぼ半分が壊滅していて、私と同じ新入生が軒並み爆散していた。その後ろでは、腕や足を失った先輩たちが這っていたり、頭を打って倒れていたり、顔がぐしゃりとめくれていたりしていた。先生も同じようなものだ。さらにその後ろでは、パニックになった保護者たちが騒いでいた。死ななくてよかったね。
「……うーん」
おかしいけど、おかしい要素が見つからない。取っ掛かりとなる情報が全くないのだ。強いて言えば、どうして校長や副校長辺りが生き残っているのかが気になるところだが……。基本的に、そういう偉い人たちはみんなステージ側に座っているだろう。偉そうに。それなのに、どうして校長や副校長、それから教頭は生き残っていたのだろうか。
なにか、ワケがあるのか?
「爆発を事前に知っていたから、とか……?」
「だとしたら、犯人はその偉そうなヤツらってことになるだろ。なんのメリットがあるんだ?」
メリットデメリットの問題ではない気がする。だって、新入生全員だ。私以外の、百人以上いる新入生をぶち殺して、損得を語るような人間は流石にいない気がする。いるとしたら、中学校の過激派アンチとかか? 馬鹿げている。
大体、動機が全く分からない。別に、私が嵌められたってわけじゃなくて、ただ偶然生き延びただけなのかもしれない。というか、絶対にそうだろう。私なんかを狙う意味が分からないし、私を狙っているんだとしても、なら一緒に爆死させてしまえばよかっただけの話だ。どうして爆発したのかは知らないけど。
「……」
多分、爆弾は上から落ちてきたのだろう。特に理由はないが、なんとなくの勘だ。新入生の内の誰かが隠し持っていたみたいなのじゃ説明が付かない範囲なのだ。埋めていたって線もないだろうし。だって、どうやるんだ?
だから犯人は、照明かなんかに括り付けておくか、照明自体が爆弾だったか、そういうトリックを用いたはずだ。そうなると、犯人は限られる。在校生か、教師だ。流石に、一時間で準備は終わらないだろう。
そして、昨日の時点で、誰にもバレずに爆弾をセットしなければならないとなると――犯人は教師か。
まぁ、校長副校長教頭のどれか、あるいは全員って線が一番濃厚だろう。今までの情報から判断する限りは。
「妥当な推理だ。俺もそう思う」
「お兄ちゃんはなにも考えていなかったでしょ?」
「バレたか」
兄は笑った。だから、私も笑った。楽しい時間だった。
その後、真犯人が捕まったことで、私への容疑は晴れた。警察からの謝罪はなかったし、そもそも私のことなんて疑っていなかったようなので、この件はなんとなく消化不良で終わってしまった。まぁでも、これはハッピーエンドだろう。
あの日から、私は怖がっているフリをして、毎日兄と一緒に寝ている。やらしい意味ではなく、ただ単に睡眠の意だ。そろそろ、ブラコンも卒業したほうがいいのかもしれない。まぁ、幸せだから、いっか。
「……」
兄を抱きしめながら、私はなんとなくで考える。すでにおやすみモードに入っているので、ぼんやりとしか物事を考えられないのだ。もしも今この瞬間に強盗が入ってきても、私は兄と心中するしかない。それは、とても悪くない。
……ちなみに犯人は、在校生だった。というか、在校生全員だった。二年生、三年生全員。動機は、ただの悪戯のつもりだったらしい。サプライズというか、ドッキリ的な。まさか、あんなに火力が強かっただなんて、思わなかった――そう供述している、全員が。そして、校長はそのことを知っていた。というより、そのドッキリを許可したのが校長なのである。なんて、素敵な中学校なのだろう。絶対に行きたくないと思わされる。
もちろん、私を狙った犯行というわけでもなかった。犯行っていうか、蛮行である。わざとじゃなかろうが、ドッキリだろうが、ただのゴミだ。この学校の頭の悪さが露呈したとも言える。ただ、わざとじゃない上に、中学生だからか、刑事罰は免れたそうだ。そして、全ての責任は学校が負うこととなった。ざまあみろ。
そして、私は違う中学校に入学した。兄と同じ朔歯中学校だ。クラスメイトは、男子が六人、女子が三人。私を含めると四人か。合計で十人しかいない。どんどん過疎化が進んでいて、ちょっと笑えない。後輩ができるかどうか不安になる。
一週間ぐらい遅れて入学してきた私にも、クラスメイトの人たちは優しかった。どうか、このクラスで殺人事件が起きませんように、とただただ願うばかりである。
それでは最後に、わたくし常盤ほたるから、死んでしまった皆さんへ黙祷を捧げましょう。といっても、死んだ全員を知っているわけではないので、知っている人だけに向けて行う。
扇不アン、戴着倣以、伊盛東麓、金七奈波、菊池胃腸炎、小野寺しゅんのすけ、佐藤誉、赤森東陶、高和九拝、問合瀬納、塔冴昴、涙辞典、成田洋二、廿木帆美、樋口友愛、普門寺秋晴、儘侭眞繼、道連将也、夜耐楓花、来ラミ、楼戸鴎芽、稚内なみだ。
さようなら。もう二度と思い出すことはないでしょう。
今までありがとうございました。もしかしたら、あなたたちの分まで、生きるかもしれません。
……。
はい、黙祷終わり。
「……やっぱり、黙祷なんてしたって意味ないわね」
結局のところ、死者は生き返ってはくれない。私の気持ちだって、どうせ伝わらない。
私には兄がいて、優しいクラスメイトができた――なのに、少しだけ寂しいと思ってしまう。これは、感傷なんかでは絶対にないのだけど、それでも――いや、なんでもない。
こんな、言語化できない感情も、どうせ過去になる。未来では、あの子たちを思い出すこともなくなっているのだろう。寂しいことだけど、これも成長だ。もしくは、大人になるとは、こういうことなのかもしれない。
心を切り替えよう。小学生から、中学生に。
過去なんて切り捨てよう。
私は今を生きている。
過去を見ずに、未来から目をそらす。
私は今だけを生きている。
【卒業式】
中学三年生に進級したのを機に、私はブラコンを卒業した。もう、兄とは一緒に寝ない。
兄ももう高校三年生だ。進学はしないそうだが、就活がある。これ以上、私の我儘に付き合わせるのはいけないことだ。私は悪い子ではないので、いけないことはしないのだ。
もう甘えない。兄は少し寂しがっているようだけど、もう気にしない。私ももう、中学三年生だ。それに、趣味で続けていた水泳で全国一位を獲ってしまったせいか、名もちょっとだけ知られるようになったのだ。そんな有名人が、兄とラブラブだなんて発覚したら、きっと燃えてしまう。SNSの炎上が怖い。
だからもう、私は兄を卒業しよう。さっき、そう決めた。もう、抱きしめない。くっつかない。キスだってしないし、頭を撫でられたりもしない。性行為なんてもっての外だ。もう、彼には甘えない。この決意は固い。
……でも、もし兄が私に甘えてきてくれるのなら、私は甘やかしてしまうかもしれない。それはもう、目いっぱい。
「相変わらず、異常な関係なんだね」
同じクラスの綱茶千夏は、私の隣を歩きながら――隣を歩いておきながら、何ひとつ遠慮することなく、躊躇することなくそう言った。なに、異常な関係だって?
「お兄ちゃんをバカにしているのかしら」
「いや、バカにはしてないよ、ふたりとも。でも、異常であることは間違いないじゃない?」
……自覚がないわけではない。だけど、なんとなく、他人に言われると腹が立ってしまう。それは、あんまり褒められたことではない。そんなの、自分の罪を理解しておきながら、裁きを拒む人間とおんなじだ。
「そこまで重い話ではないんだけど……、いや、でも、重い話ではあるか。兄妹でそういう関係なのって、わりと大変な問題だもん」
「そうね……」
口ではそう言ったが、納得はしていない。大変な問題だなんて、あなたに言われる筋合いはないだろうって。そんな風に考えている時点で、図星を突かれているのかもしれないが。実際、図星だし。
そうだ。私は――私たちは、きちんと理解していたのだ。アレが近親相姦に当たる行為だって、認識していた。認識した上で、私たちは一線を越えたのだ。分かっていたからいいだろう、みたいなことを言うつもりはないし、それをあなたに責められる謂れはないとすら思っている私だけど、この関係が異常であることを、認めないわけにはいかない。納得しないわけにはいかないのに。
「人間の感情って、難しいわよね」
「どうしていきなりそんな話になったの?」
一時の感情に身を任せたせいで、取り返しの付かない結果になってしまった。そしてそのことを、そこまで後悔していないのが私だ。そもそも、後悔なんて私にできっこないのだけど。どうせ、全ては過去になる。Fにはならないが、終わったことなのだ。
生きるって、やっぱり難しい。
「……そういえば、千夏って将来の夢とかあるのかしら?」
「本当にどうしていきなりそんな話になったの。……うん。ずっと前からの夢があるよ」
「へぇ。聞かせてくれる?」
「えへへ、恥ずかしいけどね」
恥ずかしそうに笑いながら、千夏は小さい声で話してくれた。
「私、学校の先生になりたいの」
次の日、殺人事件が起こった。
殺されたのは――私の兄だった。
「一体、私のお兄ちゃんがあなたに何をしたんですか?」
「……」
そして、私は犯人を捕まえた。以上があらすじだ。
犯人の名前は不束刻夜。生前の兄のクラスメイトであり、なんだか芋っぽい男だ。髪の手入れも怠っているようだし、無精髭まで生えている。全体的に、不潔な男だ。
お兄ちゃんは、こんな男に殺されたのか?
「……おまえ、は……」
「私の名前は常盤ほたる。常盤もみじの妹です。血は繋がっていませんでしたけど」
「……」
こんなヤツに、『おまえ』呼ばわりされるのが屈辱的だ。確かに私は年下だけど、そんなの関係ない。
それに今は、私のほうが立場は上だ。
「お、俺をどうするつもりなんだ……」
「……質問に答えてください」
私が敬語でいる理由は、そのほうが距離を感じられるからだ。徹底的によそよそしくする。コイツと仲良くしたいわけではないのだ。
「早くしないと、手が滑ってしまうかもしれません」
「っひ……!」
手に持っていた細い針をその濁った眼球に向けると、男は身震いをして、情けない顔をさらした。兄を殺した凶器であるナイフよりかは役に立ちそうだ。
男は手足を拘束されている。かなり力を入れたので、抜け出すことはないだろう。恐怖も、植え付けておいたし。そして、瞬きができないよう、瞼も固定してある。
……本当、どうしてこんなヤツが兄を殺せたんだ? 少なくとも、私よりは喧嘩が強かった兄が、こんなヒョロガリ男に殺せるのか? 疑問だ。気になる。
「……」
でも、まずは質問に答えてもらいたい。
「ねぇ、不束刻夜さん。私は質問をしているのよ。どうしてあなたは私の大事なお兄ちゃんの首を無惨にもナイフで掻っ切ったの? お兄ちゃんが、あなたになにをしたの? どうして私の質問に答えてくれないの?」
「……っ」
妙だ。どうして彼は、私の質問に答えようとしない? 片方の眼球を潰されようとしているのに。たとえどんなに話しづらいことだったとしても、眼球と引き換えならば問答無用で話してしまうだろう。少なくとも、普通は。
もちろん、目の前の汚い陰キャ男子高校生を、普通だと思っているわけではない。兄を殺せるという時点で、十分に非凡だし。
だけどコイツは、簡単に私に捕まった。抵抗はされたけど、一度も当たらなかったし、威力も弱かった。一般的な男子高校生よりかなり弱い気がする。一般的な男子高校生を知らないけど。多分、千夏とトントンぐらいだ。千夏が女子中学生の平均より少し弱いぐらいなので、この男はめちゃくちゃ弱いということになる。
「……」
答えてはくれない、と。
なら、自分で考えるしかない。自力で答えを見つけ出せば、きっとお兄ちゃんはあの世で褒めてくれるだろう。兄が地獄にいるとは思えないけど、もしかしたら会えるかもしれない。私は地獄行きが確定しているので、もし兄が天国に行っていたら、少し困る。そういえば、自殺だと天国にはいけないんだっけ?
……一度、話を戻そう。まず、無差別殺人なら黙る必要はないだろう。だから除外。だったら、動機はなんなんだ? 兄が、人に殺されるようなことをしたとはとても思えないのだけど……。もしかしたら、なにかしたのかもしれない。でも、それならどうして言わないんだろう。少なくともこの状況では、言ったほうがいいに決まっているのに。
兄が、なにをした? ……いや、違う。
逆恨みだった場合――そして、犯人である男がそれに自覚的であった場合。だったら、私の質問に答えない理由もはっきりと分かる。そうか、逆恨みなのか。
……でも、逆恨まれるようなことを、兄がしたとすら思えない。
彼女を寝取られたとか? いや、それはない。兄には私がいたし、この男に彼女ができるとは到底思えない。だとしたら、BSSパターンか。僕が先に好きだったのに――ってヤツ。不束刻夜が密かに恋心を抱いていた女がいて、だけどその女は私の兄のことを好きになってしまった――みたいな。もしそうだとしたら、私はその女のことを憎んでしまうかもしれない。なにも悪くないのに。
まぁ、憎いなんて感情も、いずれ消えてなくなるんだろうけど。
……でも、そうか? 兄は、誰かに好かれるようなタイプではなかった。いや、嫌なヤツだって意味ではなく、恋愛的な目で見れないみたいな、そんな感じ。私はそうじゃなかったけど、基本的にみんなそうだった。兄は、徹底的に『やさしい人』だった。
そう振舞っていた――と、言っていた。でも、本当のところはどうなんだろう。
分からない。
だって、なにも知らないから。
そういえば私、お兄ちゃんのこと、全然知らないや。
不束刻夜が犯人であると見破ったのは、単純に状況からの推論だった。動機なんて、考えてもいない。大事なのは、男が兄を殺したという事実だけだったから。
……褒めては、くれないかもしれない。
兄のことを知ろうとしなかったのは、私だ。ここで躓くのも、自業自得なのだ。仕方ない。
「……もういいです」
「え……」
「帰っていいですよ。それと、警察にも通報して大丈夫です。もし私が捕まっても、あなたのことは言いません」
そんな資格、私にはなかった。兄を一番殺していたのは、ほかでもない私だったのだから。
「……」
男はなぜか、微動だにしない。一体、どうしてだろうか? せっかく、帰ってもいいよと言ってあげているのに。兄を殺した人間に、わざわざ情けをかけてあげているのに。動かずに、じっと私のほうを見ている。
「……」
やり返そうとでもしているのだろうか。正直、一発ぐらいなら、殴られてやってもいい。不束に対する償いではなく、兄に対する償いとして。にしては、とてもショボいだろうけど。でも、なにもされないよりはマシかもしれない。
なんて偉そうに考えている時点で、私は甘かったのだろう。
そんなことを知るぐらいなら、まだここで殺されるほうがマシだったかもしれない。
「……質問に、答える」
え? と私は呆けた声を上げた。どうして、今さら。もう、聞きたくなんかないのに……、そう思った。
「常盤、くんは……、もみじくんを、殺したのは、それは……、俺が、そう、頼まれたからで……」
「……」
誰に頼まれたんだ、と訊こうとした。でも、口が動かなかった。兄を一番殺した私が、知るべきことではないと思ったからだ。しかし、不束にそんな事情は関係ない。男は暴露した。
墓場まで持っていこうとしていた、真実を。
「おまえの、兄に――もみじくんに、頼まれたんだよ」
「……は?」
「おまえの……じゃなくて、きみの、兄は、失恋をしたんだ。……大切な人に、拒まれたって、言ってた。もう抱きしめないし、くっつかないし、キスだってしないし、頭を撫でられたりもしないし、えっちもしない――もう、甘えない。そう言われたらしい。……多分、彼女と別れたんだろう……、それで、ショックだから、殺してくれって、おれに……、言った。お、おれは、最初、断ったけど、どうしてもって頼まれたん、だ。おれは、もみじくんに、いっぱい救われたから、せめて、その、恩返しを……、したくて。だから、おれ、あいつの……もみじくんの、言うとおりに、殺した。ナイフで、首を、掻っ捌いた。せめて、楽に、死なせてやりたかった、けど、手が、震えてたから、確実に、した。おま、きみの、大切な、兄を、殺して……、しまって、ごめんなさい。なにをされても、文句は言えない、し、おれ、元々は、自首するつもりで……、だけど、きみが、望むなら、どうか、頼む……」
おれを、殺してくれ――と、実行犯である不束刻夜はそう言った。
誰が殺すか、と私は答えた。
私のせいで兄が自殺したらしい。そりゃ、そうだ。私は兄の気持ちを一切考えていなかった。
どうして兄は、私を受け入れた? 兄だって、私のことを好いていたんじゃないか? 兄妹でなく、恋愛的な意味で。だとしたら、これから大変になる時期に、私は、兄を捨てたってことになる。完全に、私のせいだ。
私は、自分のことしか考えていなかった。あの関係を、真剣に捉えていなかった。常識に囚われて、現実を見失っていた。私たちは異常で、おかしかったはずなのに、私は。
私は、取り返しのつかない過ちを犯してしまった。もう二度と、兄は帰ってこない。
私なんて、あの関係自体を、取り返しのつかない過ちだと認識していた。だから、私だけが本気じゃなかった。兄は、本気でいてくれたのに。……ずっと、私にとって、常盤もみじは、都合のいい兄だった。
私にとって、あの人は――もしかしたら、大事な人ですらなかったのかもしれない。大切になんか、していなかった。だって、私は彼を捨てたし、彼を見ていなかったし、彼を道具扱いしていた。
私は、本当に、最低だ。
私なんかが、生きていていいのだろうか。でも、生きていなきゃ、ダメだ。兄に――もみじに、合わせる顔がない。もし、少しでも、あの世で兄と会ってしまう可能性があるのなら――私は、死ねない。だけど、生きていちゃ、いけない。
私はどうすればいい。
私は。
私は。私は。私は。
そうやって、私はずっと、私のことしか考えない。
これからもずっと、そうなのだろう。
分かっている。もう、諦める。私は一生最低なヤツだ。大丈夫、この出来事だって、いつかは過去になる。
未来の私は、楽しく笑えているはずだ。
……でも、このことを、過去にするには、しばらく時間を要するかもしれない。
私は今を生きている。
だから、大丈夫なんだ。たとえ時間がかかったとしても、私はこの気持ちを忘れられる。だって、
私は今だけを生きている。




