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第4話 お祓い

 水の音は止まないけれど、彼女がいるから大丈夫。


 お祓いの予約をした日、バスに揺られて神社へと向かう。

「音、鳴り止むといいわね」

「うん」

 水の音は大きくなることはないが、彼女がいない間ずっと私の心にやすりをかけるように傷をつけていく。

「全部終わったら、山に来ましょう。昔みたいに、川で泳いで」

「うん」

 隣で彼女が私の手を握る。握り返せばもっと強い力で。それが心に安寧をいきわたらせる。涙が出そうだった。心が弱って、彼女の支え無しで立てなくなっているのがわかる。

「ごめんね」

「どうしたの?」

「ごめん」

「……私、あなたが好きよ」

 彼女がそっと頭をこちらに寄せてくる。

「あなたのためなら、なんだってできるわ。私、それで幸せよ」

 やっぱり、涙が出てしまった。


 その神社は、閑散としているわけではないが、そこまでにぎわっているとは言えない場所だった。夏休みだと言うのに、観光に訪れる人もそこまで居ないようで、それが逆に雰囲気があると言ってしまえば、そのようなところだ。

 受付を済ませ、御手水で手と口を清める。ここで彼女とは別れて、社殿の中に通される。さっそく水の音が聞こえてくる。こんな所でもこの音はついて回るのか。

 社殿の中では神主が待っていた。顔に大きな皺の目立つ男だが、私には人の年齢というものを推し量ることが出来ない。神主は私の顔を見ると、ちょっと眉をあげた。

「本物、ですね」

 早々、この言葉である。何となく自分が不機嫌になっていくのを感じる。

「偽物が来るんですか」

「多くはそうですね。どのような場合でもきちんとお祓いは致しますが」

「私は、本物ですか」

「はい。水に関係するものでしょう」

 驚いた。なにも言っていないのにこんなことまでわかるのか。

 神主の前に正座する。

「祓えますか」

「あなたに関係するものではありますがあなたに起因するものではないようです。もとを断たないとどうなるか……。できることはしましょう」

「できることしかしないんですね」

 神主は苦笑しながらも「頭を下げてください」と言った。

 私には意味不明な言葉が降り注ぐ。白い紙がいくつもついた棒(大麻おおぬさというらしい)が頭上でばさばさと振られる。

 途端、バシッと音がする。このような音がする物はここには無いはずなのだが。

「頭をあげないで」

 神主の声が聞こえた。その間もバシッバシッと音が響く。心なしか室内が暗くなったように感じる。

 隣で、何かを踏みしめるような、地団太を踏むような音が大気を揺らす。いる。あれがいるのだ。ぶよぶよと膨らんだ体で、床板を踏みしめている。

 バシッバシッ だんだんだんっ バシッ だんだんっ バシッ

 神主の声の調子が変わった、さっきまでとは違う言葉を話しているようだ。しかし音もどんどん激しくなる。何もかもが嫌だった。早く終われ、終われ、終われ!

 突然、静かになった。神主が息をつく音が聞こえる。

「この後は祝詞奏上、玉串拝礼と続きます。頭を下げたままでいてください」

 神主はまた何やら呪文のようなものを唱え始めた。祝詞の意味は分からないが、声がはっきりと芯を持っているのがわかる。

 ……なんだろう、静かだ。少し疑問に思い、そしてぱっと気がついた。あの水の音が聞こえない! 思わず顔をあげようとするのをぐっとこらえる。この神主は本物だった!

 まだ信じられないようなふわふわとした頭で玉串を受け取り、捧げる。心の中で念入りに、神様に向けて感謝を込めた。

 最後に、お守りを渡された。一年の間、肌身離さぬように強く言い含められた。

「もう一度言います。あれはあなたに関係するものですがあなたに起因するものではありません。原因がなにかまではわかりませんでしたが、この一年は十分に気を付けてください。そうすれば向こうの意識が逸れるはずです」

「ありがとうございます」

 最後に二三言い含められて、別れる。笑うと大きな皺がさらに目立つ。会ったばかりの頃の私だったら、そんなことにも気がつかなかっただろう。自分を救ってくれた相手だからか、顔が良く見える気がした。自分も大概単純な生き物だと思う。


 社殿を出ると、彼女が駆け寄ってきた。

「どうだった? 少し時間がかかったみたいだけど、大丈夫だった?」

「大丈夫だったよ。凄いなあの神主、本物だった」

「……祓えたの?」

「うん。このお守り持って一年注意して過ごせば大丈夫だろうって」

「そう、よかったわ」

 彼女は私の手をとって、透きとおるような笑みを浮かべる。私も自然と笑顔になるのを感じた。

「来るときアイスが売ってたのを見たわ。行きましょう」

「うん」

 神社から外れた通りまで行き、アイスを買って帰りのバスを待つ。私は柚子の、彼女はバニラのアイスを。

「私、幸せだな」

「どうしたの?」

「私にはすごく素敵な友達がいてくれて、こんな所までついて来てくれて、一緒にアイス食べて」

「私も、すごく幸せよ」

 顔を見合わせて笑い合う。黒曜石の瞳は相変わらず綺麗だった。


 夏休みも半ば。蝉の声がうるさい。

「無いっ無いっ無いっ!」

 鞄をひっくり返し、服を放り投げ、ベッドの周囲をあさる。部屋中が嵐に見舞われたようだった。けれど無い、無い、どうして。

「どうして見つからないの……っ!!」

 あのお守りが、見つからない。

 ざわざわざわ。水の音が聞こえる。ざわざわざわ。以前より力を増して。

 水の音が頭の中に入り込む。皮膚の上を這いまわる。立っていられずに床に転がり、体中を掻き毟る。ガリガリガリ、ガリガリガリガリ。

「落ち着いて」

 清水のような、彼女の声が響いた。私は涙にまみれた顔をあげる。まっ白で綺麗な彼女と目が合う。

「たすけて」

「助けるわ」

「そばにいて」

「そばにいるわ」

「こわい」

「大丈夫、大丈夫。私がいるから大丈夫」

 彼女は私の体を起こし。そのまま抱きしめる。

「み、みず。みずのおと、が」

「私がいるわ。何の心配もいらないの」

 くったりと身を預ける私の耳元で、彼女は囁く。

「あなたには私がいればいいんだから」

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