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第3話 ひまわり

 あの青白く膨れ上がった顔は、忘れることができない。


 あの後、湯船に沈んだ私をお母さんが助けて、ずいぶん心配をかけた。なにがあったか理由を聞かれたが、答えることができずにいた。それに、答えても信じてもらえないと思った。あの水の流れる音が聞こえるから。

 けれど彼女にだけはすべて話した。彼女は長い睫毛を伏せて、少し考えてから呟いた。

「水死体、かな」

「水死体?」

「膨れ上がった体に水の音。あなたは多分水辺で死んだ人に取り憑かれているのよ」

「幽霊……そんなものが……」

 いない、とは言えなかった。突然聞こえるようになった、誰にも聞こえない水の音。家で起こった私にだけ起きる怪奇現象の数々。

「なんで……。私、川や池に近づいたことなんてないけれど」

「お風呂で誰か死んだとかかしら」

「いろんな人が住むマンションなんかと違って、おじいちゃんの代から住んでる持ち家だよ。誰もどこでも死んでないよ」

 溜め息をつく。彼女も目頭を揉みながら少し考え込んでいる。

「その水死体……。見覚えないの?」

「人の顔なんて覚えてないし、覚えててもあんなんじゃわからないよ」

「そう、そうよね。あなたそういう人だもの」

「……ごめん」

「なぜ謝るのよ」

 彼女はぱっと顔を上げ、驚いたふうに私を見つめる。

「だって見覚えがあればあれが誰だか分かったし、そうすればなにか対処できることがあったかもしれない」

 黒曜石の瞳がぱちりと瞬いた。そしてふっと笑みを浮かべる。

「あなたはいいのよ、それで。そんなあなたが嫌いじゃないし」

「本当に?」

「あなたがそうじゃなかったら、きっと友達がたくさんできて私なんか埋もれちゃったかもしれないわね」

「そんなことないよ。私たち、ずっと友達だもん。これからもそうだよ」

「そうかしら」

「そうだよ」

「そうだったら嬉しいわ」

 そう言って笑う彼女はやっぱり白百合のようだった。本当に綺麗で、純粋で、こんな友達を持てて幸せだと思った。

「お祓いに行ってみるのもいいかもしれないわ」

「このあたりにそんなことできるお寺とか神社とかあるかな」

「これも夏休みに考えましょうね」

 お祓い、か。彼女の言う通り、考えてみるのも一つの手だろう。


 夏休みが始まった。相変わらずあの水の流れる音は聞こえてくる。さわさわさわ、と。

 家での怪奇現象は、主に水辺で起きているので、お風呂には入らず、シャワーだけで済ませることにした。それでも、髪の毛がごっそりシャワーから溢れてくることがあったけれど。水や食べ物はお母さんがいるときにしか摂らないようにした。お母さんがおかしな反応をしない限りは安全だと思ったから。もしかしたら、お母さんもおかしいことになっているかもしれないけれど。

 この夏に入ってから、随分と痩せたと思う。おもに、心労の面で。彼女も私のことをずいぶん気にかけてくれている。

 そして肝心のお祓いの件だが、個人で受けてもらえる場所を探して、もう予約も済ませた。

「バス代も結構かかるわね」

「お祓いの料金は一万円くらいだっていうけれど。まあなんとか払えるかな」

「私もお金払うわよ」

「いいよ、ついて来てもらうだけでもありがたいのに、そんなことまでさせられないよ」

 それでも心配げな顔を見せる彼女に笑って見せる。

「大丈夫だって、お小遣い貯めてるし。けれど本当になんとかなるかな」

「なるわよ、きっと」

 なるだろうか。ならないと困るのだけれど。いまは信じてみよう。

「じゃあ今日はひまわり畑に行ってみようか」

「そうね、気分も晴れるかもしれないわ。ひまわり畑でアルバイトをすると言っていた行方不明の彼は、まだ見つかっていないらしいけれど」

「そうなんだ」

「なんでクラスメイトのあなたが知らないのよ」

「興味ないから」

「ふふっ、そうなの」

 こうして夏休みの計画を立てるのも、楽しいものだ。それに、彼女がそばにいればあの水の音は聞こえなくなる。彼女も私といるのが楽しいと言ってくれている。嬉しいものだ。


 ひまわり畑はこのあたりでは観光名所になるだけあって多くの人でにぎわっていた。ひまわりで作られた迷路が一面に広がり、周囲ではお祭りのようにかき氷などの屋台が建ち並んでいる。

「毎年ここに来ると夏って感じがするよね」

「そうね。あなたとここに来ることができるのが幸せだわ」

「おおげさ」

 迷路の中を二人でぐるぐる回る。視界一面のひまわりに囲まれて、ここがどこなのか、もう自分たちでもわからない。のんびりと歩く。歩いていたはず、だったのだが。

 いつの間にか、彼女とはぐれてしまっていた。

(あ、まずい)

 暑さのせいか、彼女がいなくなってすぐに聞こえてくるあの水の音のせいか視界がぐらりと揺れる。さわさわさわ、あの水の流れる音が。いつも彼女がいなくなる時と違って、前触れなく訪れたそれに寒気が走る。思わずしゃがみ込む。ひまわりたちが私を見下す。さわさわさわ。耳を塞ぐ。ガリガリと引っ掻く。さわさわ、ガリ、さわさわ、ガリガリ、さわガリガリガリさわさわ。

 音が止まらない。

「大丈夫、大丈夫よ」

 そっと、肩に触れるものがあった。彼女の手だ。音が聞こえなくなる。

「大丈夫、私がいるわ。ごめんなさい、はぐれて。もう大丈夫よ」

 なんども肩を撫でる手に、徐々に体温が戻るのを感じる。コトコトと、自分の心臓が落ち着いて来る。

「私がそばにいるから大丈夫」

「……ありがとう。ごめんね、私こそ、迷惑かけてるね」

「そんなことないわ。私は好きでそばにいるんだもの」

 膝に力を入れて立ち上がり、正面から彼女の顔を見つめる。つばの広い帽子をかぶった彼女は笑っている。私を安心させるように。

「あなたは私がいれば大丈夫」

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