第三話 天照島
いつもの電車に乗って、いつも通り、学校へ向かうはずだった。
でも、乗換の駅で乗り込んだのは、反対方向の路線だった。
車内のアナウンスが「羽田空港第1・第2ターミナル」と告げたとき、私は、自分の足が止まらなかったことに驚いた。
制服のまま、学校をサボって、ひとりで空港に来てしまった。こんなの、「普通」じゃない。昨日までの私には、考えられなかった。
時刻はちょうど9時になりかけていた。私は考えるよりも早く駆け出して、空港の職員に伝えていた。
「北の灯台へ。」
放った言葉が、その重みを受け止めるよりも前に了承の表情で受け止められたとき、私には安堵とともに、もう引き返せないんだという暗黙の事実が流れ込んできた。
数分後、私の名前が呼ばれて、案内されたのは、明らかに別室といった感じの、待合室だった。いくつかの小さな窓の外には、真っ白な小型ジェット機が停められているのが見えた。機体には、見たことがないようなマークがついている。
この、異様な待合室には、私以外にも、私と同い年くらいの女の子がふたり、男の子がひとり。そして、明らかに私より歳下の子どもたちが数人と、その母親たちがいた。
まるで誰にも見られたくない場所のような、それでいて「ようこそ」と語りかけてくるような、そんな不思議な空気に包まれていた。
9時30分くらいになった頃、私たちは空港職員に促されて、無言で飛行機に乗り込んでいった。
飛行機の中は、飛び立った後も、相変わらず静かだった。機内放送も、最初の安全確認以外はなにもない。ただプロペラの音だけが規則正しく響いているだけ。
しばらくしていると、沈黙に耐えられなかったのか、斜め前のシートに座っていた私と同い年くらいの女の子たちが話しかけてきた。
どちらも青い髪を短く切りそろえていて、目にはお揃いの、澄んだグレーのコンタクトをしている。ふたりとも全く同じ顔。双子だろう。片方が髪に水色のピンをつけていたから、かろうじて見分けがつく。
「……ねえ、あんたも『使える』の?」
ピンのない方が、突然そう話しかけてきた。
私は少しだけ戸惑いながら、うなずいた。
「うん……火の、能力。まだうまく制御できないけど。」
すると、ふたりは顔を見合わせて、パッと笑った。
「うちら、水だよ。」
「双子だけど、出方ちょっと違うの。うちの方がおしとやか。」
「は?お姉ドバドバじゃん。」
「なにその言い方!」
異能力者なのに、明るい。私はそれがすごく不思議だった。ふたりは、一緒だから楽しいのだろうか。
「あ、名前まだ言ってなかったね。うちが、姉の海音で……」
「うちが妹の羽音。よろしくね!」
名前まで、似てる。
「私は、灯里。よろしく……。」
「灯里ね!」
「ねえ、ふたりはどうして、島に行くの?」
私の問いに、双子は声を揃える。
「『オトコあさり!』」
私がしばらく呆気にとられていると、ふたりの方も驚いたような顔で、「それ以外ある?」とか、話している。
私たち能力者は、差別の渦中にある。存在そのものが「穢れ」のようなものだからこそ、当然に高潔であるように努めなければならない。だから、私欲のような動機で、何かを求めること、ましてや「普通」の愛を求めることなんて、ありえないことだと、自分に言い聞かせてきた。
だから私にとって、ふたりの姿は、ものすごく異質であるとともに、素直な綺麗さがあるようにも思えた。
しばらくすると、海音さんが、笑いながら言った。
「うちさ、元カレと手つないだとき、手汗すごいって言われて……それがめっちゃショックだったなー。」
羽音さんも続ける。
「これね、うちらあるあるなんよなぁ。うちはちゃんと毎回タオルで拭きまくってたから大丈夫だったけどね。」
「そんなん意味ないでしょ。フラれたんだし。」
「は?フッたんですけど?こんな、水も滴るいいオンナ、あんなやつにはもったいない。」
私は思わず笑ってしまった。
こんなふうに、誰かと「力」の話で笑えるなんて、思ってもみなかった。
「ねぇさ、あんたも似たような話あるんでしょ?やっぱ手繋いだらアッツとか言われたん?」
熱い……か。
「……まあ、そんなところ。」
そう合わせてみたけど、本当は。
もっと、ずっとひどい話だなんて、とても言えなかった。
でも、それでも、心が少しだけ温かくなった。
きっと、これが「仲間」なんだと思った。
異能力って、いろんな種類があるんだ。
でもその「始まり」には、やっぱり、誰かを想う気持ちがある。この気持ちは、汚れたものなんかじゃないって、思っても、いいんだ。
私ははじめて「同じ」人たちと話して、そう感じ始めていた。
飛行機が着陸した衝撃で、身体がふわりと浮いた。
窓の外には、円形に広がる海と、木造風の巨大なリング。その上を、銀色にも白にも見える、光沢のある細長い車両が音もなく滑っていく。
天照島――。ここが、あの映像の場所。蒼葉が、働いているかもしれない場所――。
私たちは小さなタラップを降りて、整然と並んだガイドの誘導で滑走路の端へと進んだ。
案内されたのは、白い柱が連なるゲート。入り口には、ホログラムで投影された、色とりどりの装飾がなびいていた。
「ようこそ、天照島へ!」
拍手がわっと響いた。
ゲートの向こうで、十数人の男女が笑顔で踊っていた。私はしっかりと目を凝らす。どうやら、この中には蒼葉はいないようだった。
揃いの衣装に、白いマント。円を描いて回りながら、足元を軽やかに蹴って、まるで空気の上を歩いているようだった。きっと、何かの能力を、自分でコントロールして、使いこなしているのだろうと感じた。
だけど、目を引いたのはそこじゃなかった。
みんな、本当にコンタクト……してない!
青と金、赤と灰、緑と黒。
左右で色の違う瞳が、隠されることなく、むしろ誇らしげに輝いていた。
「……え、やば。マジで誰も隠してないじゃん。」
双子の妹の方が、ぽつりと呟いた。
「ねぇねぇ、うちらも外す?」
姉の方が笑いながら、妹の目を見る。
「まじで?」
「せっかく来たんだから、解放感!ってやつでしょ。」
二人はふたりで顔を見合わせ、楽しそうに頷き合うと、まったく同じタイミング、動作で、そっと目からコンタクトを外した。
そして――。
「せーのっ!」
ふたりは手をつないだ。そして、目を瞑り、息を合わせ、指先から水の弾丸を生み出して、ふたりのコンタクトを軽々と海の方へ打ち飛ばしてしまった。
「……なにそれ。プリキュア?」
思わず声が漏れた。
でも、かっこよかった。
自由で、明るくて、躊躇がなくて。
私も、外そうとしてみたけど――、指先が止まった。
周りの人の視線が気になったからだった。
やっぱり……、まだ怖い。
だけど、初めてだった。
誰かが、異能力を「隠さない」姿を、目の前で見たのは。
セレモニーが終わると、青いラインの入った白いスーツに身を包んだ案内役が、私たちの方に近づいてきた。あの映像の蒼葉と、同じ制服だった。
「皆さま、お疲れさまでした。本日はようこそ、天照島へ。これより、島内のご案内をさせていただきます。」
案内役は、整然とした歩調で私たちをシアタールームのような場所に連れていき、立体の映像に合わせて、淡々と島の説明をはじめた。
「天照島の面積は、45平方キロメートル。これは、東京ドーム960個分もの広さを誇ります。また、天照島の登録人口は、現在およそ25000人。これは、自治体として見ればあまり多い方ではないと感じられるかもしれませんが、人工島としては異例の規模になります。また、この島の特徴としては、徹底した区画整理が挙げられます。島の総面積に占める居住エリアの割合は20%程度で、このエリアだけの人口密度は、1キロメートルあたり約2778人。これは東京都世田谷区や福岡市中央区といった、本土の大都市中心部の住宅地とほぼ変わりません。」
ふと横に目をやると、双子の妹の方が、うとうとしている。
「起きときなって。」
「えー、起きてたって。」
案内役は淡々と続ける。
「人口密度はやや高めですが、高層住宅と中層施設が緻密に配置された立体都市構造により、限られた面積でも快適な生活空間が保たれています。残りの島の大部分は、発電設備や研究所、農園などになります。この島のエネルギーは完全自給自足。本土から独立した『離島型オフグリッド』になっています。」
案内人が指で空中をなぞると、映像が切り替わり、端末に天照島の立体マップが投影された。
「全体は、このように綺麗な円形をしていて、港と空港が南側の東西に、それぞれに張り出している形です。もっとも、皆さまには実際に島を見てもらった方が早いかと思いますので、ここでの説明は割愛させていただきますね。」
私たちは、他の便で到着した人たちと合流したあと、数人ずつ、グループに分けられて、観光客用の電動バスに乗るよう促された。
私はあの双子と同じグループだった。どうやら同世代の異能力者同士で、まとめられているらしい。
「皆さん、ここからのエリアでは、電波を使用する機器や、カメラなどの持ち込みが制限されています。規則ですので、ご理解ご協力のほど、よろしくお願いいたします。」
「えー、写真撮れないのー?」
「絶対に預けなきゃダメ?」
声を揃えた双子の抵抗も虚しく、私たちはスマホを係員に預けることになった。どうやら、セキュリティと、自由に能力を使える環境構築のため、というのが理由らしい。画面には何件かの通知が来ていたが、それを確認するような時間はなかった。
「まずは、島の外周にございます『大屋根リング』をご紹介します。こちらは、交通モビリティと遮光・防風機能を兼ね備えた島独自のインフラです。」
飛行機の窓からも見えた木造のリングは、近くで見るとびっくりするくらい大きい。見上げれば、リングの上には小さな車みたいな乗り物が、滑るように動いている。
「気になりますか?本土の、電車の代わりのようなものです。リングの円周は24キロ。山手線の4分の3くらい、大阪の地下鉄御堂筋線の総延長とほぼ同じ長さになります。リングの下は、歩道となっていますよ。島の直径は7キロ余りなので、島内での移動手段はほぼ公共交通に限られます。外周ならリング、真っ直ぐならバス、と言ったところでしょうか。」
島の中央に開かれた、ほとんど車通りのない道を、バスはかなりゆっくり進む。
「続いては、島の南側中央に広がる居住区です。飲食店、病院、学校、デパート一体型の公共施設、すべてが整備されておりますので、生活に不便はございません。そうそう、言い忘れていましたが、人口のおよそ七割は異能力者の方々とそのご家族です。」
案内役の話しぶりはとても丁寧だけど、どこか「案内」というより「プレゼン」のようだった。
「うわ、なんかおしゃれそうなカフェあった!ジェラート屋とかもある……あれラブホじゃない?」
「えっ、まぢじゃん!」
「思ったより、『街』しててウケるんだけど。」
「それな。」
「あー、コスメと服とか安かったりしないかなー、ここ。あとプチ整形。アゴ削りてぇ。」
「韓国旅行かよ。水圧で削れ。」
窓の外を眺めて時おり大きな歓声を上げる双子は、終始楽しそうだった。
「その奥、西側には風力発電と、太陽光を活用するメガソーラー。東側には地熱と水素を利用した発電設備と無人化大規模農園がございます。そして、それらの中央部、ちょうどあのタワーの地下にあるのは、全固体電池の実用研究場兼蓄電所になります。先刻申し上げた通り、天照島は、外部からの電力供給に頼らず、完全自給型で運営されております。」
「へぇ……これがさっき言ってた『オフグリッド』ってやつ?」
双子の妹が姉に向かって言う。ちゃんと話は聞いていたんだぞとでも言いたげである。
「その通りです。全て地下化されている電力系統は、本土の送配電事業者の技術の結晶ですよ。エネルギーマネジメントシステムだって、旧一電のものを凌ぐ性能です。それもこれも、全ては社長の手腕と人望の賜物です。」
案内役は嬉しそうに答えた。
「最後にご紹介するのは、島の北端にそびえる『管理塔』です。先ほどタワーと申し上げたものですね。人工知能利用型の直接民主制行政機能、エネルギー制御の中枢施設などが集約されている、この島のブレーンです。皆さまにはこのあと、あちらの中で、能力を使っていただくアクティビティを予定しております。」
管理塔。それは、白く細長い塔だった。雲に突き刺さるようにそびえ、光を反射して真っ白に輝いていた。
「ここから先は、担当の者が個別にご案内いたします。少々お待ちください。」
私たちは白いベンチのある広場へ誘導され、しばしの休憩を言い渡された。
笑っている子、緊張している子、そわそわと落ち着かない様子の子――。いろんな「初めて」が、そこに混ざっていた。
そんな中で私は、ある種の予想通りといった感覚で、管理塔の入口を眺めていた。
管理塔には、あの制服の職員たちが、出入りしている。蒼葉がいるなら、きっとあの中だ――。
私の胸には、小さな高揚の火種が、くっきりと灯っていた。
2025/05/10 内容と構成を一部修正。内容の一部を第一話に移動。
2025/05/17 内容を一部修正し、第二話→第三話へ。