第36話 甘い香りとローズマリー
――異世界、首都ラフレシア、ビジネスホテル。
そんなこんなでビヴァリーさんからの誘いを受けて、外出する事が決定した。
例えこの道が修羅道を歩む様な険しい物だとしても、譲れないものがある。
妖精さんの可愛い写真は、ボクの人生を彩る上で必要不可欠な物なのだ。
ライセンス越しにビヴァリーさんは、ボクに待合場所を指定する。
『ベリーっていう喫茶店で待ってるから、そこ来てよ』
「分かりました」
『場所は分かる?』
「はい。ボクのお気に入りのお店の一つなので」
『ガチで? そんな偶然もあるんだなー。じゃ、待ってるから』
「なるべく直ぐに行きますねー」
という訳で通話を終えて、道連れを増やすべくもふちゃんに声を掛ける。
旅は道連れ世は情け……羞恥心を和らげるべく、相棒の存在が必要なのだ。
「ねぇ、もふちゃん? 一緒にお出かけしない?」
「ふぬっ? ちょっと待ってねっ」
そう言ってもふちゃんは頭上にローディングアイコンのようなホログラムを表示させた。これは妖精さんが仲間から送信されたデータを受信した時に見せるアイコンだ。時折こうして妖精さん達はお互いにコミュニケーションを図っている。
見守る事数分、受信を終えたもふちゃんは突然ボクの提案を断った。
「マスターごめんねっ! 妖精さんにお呼ばれしたので、われは一度、われらの聖域に戻るのだっ」
「えっ!? もふちゃん帰っちゃうのっ!?」
「お夕飯までには戻ってくるので、心配しないでねっ」
「そっか……分かった。待ってるからね? ちゃんと帰って来てね?」
「うむー。われとマスターとの、お約束なのだっ」
そう言って『バイバイっ!』と可愛い両手を振るもふちゃんを見送る。
ボクも両手を振り返すと、もふちゃんの周りから転移魔法陣が出現した。
魔法陣から光が溢れ、光が晴れた頃にはもふちゃんの姿は消えていた。
(これが初めてじゃないし、何度もある事だけど……やっぱりもふちゃんが部屋から居なくなるのは寂しいな……)
三カ月と少しの間とは言え、オリジンという異世界に飛ばされてからずっともふちゃんと一緒だったのだ。心で繋がった一心同体のような存在だからこそ、離れてしまうと何だか心が落ち着かない。
(慣れて行かないと……)
いつまでも、もふちゃんに頼り切る訳には行かない。
ずっと一緒に居るつもりだが、それでも覚悟くらいはしておこう。
そんな風に少し複雑な気持ちを整理しながら、外に出かけるのだった――
▼ ▼ ▼
――異世界、首都ラフレシア、喫茶店ベリー。
羞恥心に耐えながら、瀕死の思いで目的地に辿り着く。
自意識過剰になった覚えは無いのだが、何故か周囲からの視線が気になる。
(おかしい……今のボクは女の子にしか見えないはず。なのに不思議と視線を感じる気がする……いつも以上に見知らぬ誰か、特に男の人と良く目が合う。なるべく人を見ない様にしているのに、この謎の現象は一体……)
自分では違和感が無いと思っているし、制服姿なので変な恰好ではないはず。
胸で男性だとバレているのかと考えたものの、ケープのお陰で胸は隠れている。
自然に隠れているのでバレているという可能性は低いはず……
だというのに今日はやたらと人と目が合い、慌てて視線を逸らす回数が多い。
(もふちゃんを抱えていると女の人から良く見られるけど、今日は男の人から良く見られている気がする……もしかして、何か付いてる?)
お店に入る前に、その場をくるくると回って自分の服に変な物が付いていないか確認する。風でふわりと浮かぶスカートを慌てて抑え、下着が見えないようにしつつ確認したが、特に変な物は付いていなかった。
(……変なの。まぁいいか。早くお店に入ろう……)
とにかく女装している今は人目を避けたい。
少しでも自分に向く視線を減らす為に喫茶店の中へと入店した。
――扉を開けて店内を見回し、最近よく見るいつもの光景に心が落ち着く。
清潔で手入れの行き届いた店内に広がるのは穏やかな雰囲気。
人気は余り無く、裏通りにあるこのお店は知る人ぞ知る隠れた名店。
このお店の内装を見ていると、何となくローマの休日を連想する。
何て思いながら視線を移動させていると、直ぐに見知った顔を見つけた。
「お、もしかしてイズルー? かわいいじゃーん。似合ってるよー?」
片手を挙げてボクに声を掛けて来たのはポニーテール姿のビヴァリーさんだった。今日は黒い獅子みたいな戦闘服では無く、カジュアルな私服姿。ダメージの入ったデニムパンツ姿が彼女のアウトローな印象に良く似合う。
――そして彼女の隣には、お嬢様みたいな美しい女性が座っていた。
「あら! かわいい!」
そんな淑女然とした女性はボクを見て瞳を輝かせ、歓喜に湧いている。
気品溢れる雰囲気を醸し出す清楚な姿の大人の女性。
銀髪の長い髪に藍色の瞳。プリンセスカットの髪形が良く似合う。
ビヴァリーさんとは親し気な印象で、歳は20代後半くらいだろうか。
片手を挙げて彼女達に近付ながら、ボクは二人に声を掛けた。
「お二人共、お待たせしました。……それとビヴァリーさん。目立つような事しないで下さい。この姿だと恥ずかしいので……」
「イズルの恥ずかしがってる姿が見たいんよ。だから許して?」
「そうやって人の純情を弄んで……! そんなに楽しいんですか!」
「うん! 楽しい!」
「こやつ……」
テーブルに肘を立てて頬を片手の掌に乗せ、ボクを見て悪戯っぽい笑顔を浮かべる彼女の姿。その屈託の無い笑顔はとても魅力に溢れている。彼女の愛嬌ある姿を目にすると、どうしても憎めなくて許してしまう。
(これが美人局……やっぱり美女は罪だね! ボクは騙されないぞ!)
間違った認識を盾に気を保ち、両手を胸の前で握り精神的に抵抗する。
すると、銀髪の美女もまたボクの真似をして胸の前で両手を握った。
そんなお茶目で可愛らしい姿を見て、ビヴァリーさんはボクに紹介する。
「こっちはアタシと同期の腐れ縁で、静寂の歌姫のSM、“絢爛舞踏”の異名を持つSランク冒険者、“ローズマリー・シュガー”だよ。ローズの事は前に、ダンジョンに潜った時に話したよな?」
その名前を聞き、ビヴァリーさんが親友の話を語った時の事を思い出す。前代未聞の騒動が起きた所為で忘れていたが、言われて見れば銀髪の彼女の姿はビヴァリーさんが語ってくれた人物の特徴と一致していた。
「……あっ! 前にビヴァリーさんから聞きました! 貴女が絢爛舞踏で有名なローズマリーさんだったんですね!」
彼女もまた、ビヴァリーさんに並ぶ超が付くほどの有名人だ。
驚くボクに対してローズマリーさんは笑顔で対応してくれる。
「はい、その通り! 私が絢爛舞踏のローズマリーです♪ 気兼ね無くローズって呼んで下さいね! 貴方はイズル・オリネさん、ですよね? お話は“ビディ”から良く聞いています」
ビディというビヴァリーさんの愛称を呼び、お淑やかに微笑む彼女の姿。
何と言うかとても物腰が柔らかく、纏う雰囲気も柔和で素敵な人だ。
そんな柔らかい雰囲気のお陰だろうか、不思議と彼女には緊張しない。
「えへへ……何だか照れますね。ボクの事も気軽に名前で呼んで下さい」
ローズさんへそう返答したボクを見て、ビヴァリーさんが揶揄う。
「イズルは美人を見るとすぐデレるよなー?」
「な、何言ってるんですか……聞こえの悪い事言わないで下さい」
「事実じゃん? アタシの時も試合終わりに口説いて来たし」
「あ、あれはっ! ちょっと理性が鈍っていただけで……精神的にはいつも美人さんには抵抗しています……! 勘違いしないで下さい」
焦りからよく分からないツンデレを披露するボクを見て、彼女がニヤける。
そんなビヴァリーさんと何気ないやり取りを交わしつつ、彼女の隣に座った。
すると、ローズさんはボク達二人を交互に見て再び瞳を輝かせた。
「まぁ! あらあら! 二人とも素敵ねー?」
両手を頬に当て、楽しそうにボク達へ揶揄いの言葉を送る淑女の姿。
ボクは動揺と羞恥から言葉を失い、ビヴァリーさんは可笑しそうに笑う。
「あははっ! イズルの卒業式も、もう直ぐかもなー?」
「縁起でも無い事言わないで下さい! 静寂の歌姫にはこれから入る所なんですよ? せっかく念願叶って大手の優良ギルドに入れたんですから、直ぐに卒業なんてする訳ないじゃないですか」
「ぷ……くくくっ……純粋すぎるだろ……夜の方だぞ?」
何故かボクの返答に笑いを堪える彼女。その様子に疑問が芽生える。
夜……? 普通、卒業式は朝から昼にかけて行われる行事のはず。
それともアヴァロンでは夜に卒業式を行うのが普通なのだろうか……?
――そんな風に首を傾げるボクを見て、ローズさんは咳払いを一つ。
「こほん! ビディ? はしたないですわよ?」
「ごめんって。こういうタイプ好きだから止めらんなくてさ」
その二人のやり取りも要領を得ず。ボクの疑問は更に深まる。
疑問符が増えるボクを見て、ローズさんは話題を変えた。
「そんな事より、イズルさんは当社ギルドの名前の由来、知っていますか?」
ボクがこれから入る静寂の歌姫の名前の由来……確かにギルド名の由来は知らない。調べていた時もその情報には行き当たらなかった。という訳で先程の疑問は一旦忘れ、ローズさんから問われた新たな疑問の答えを思案した――




