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鱗粉

作者: 鬼斬らず

虫が苦手な方は即座にブラウザを閉じるかバックで逃げてください。

三年ぶりに再会したイ=モムシは、見違えるほど美しくなっていた。事前の連絡もなく突然家にやって来た彼女を、しかし太郎は歓待した。


「どうしたんだよイモ。久しぶりだなぁ」


玄関の入り口に佇むイ=モムシの元へ、太郎は尾を振る犬のように駆け寄った。丸々と肥えた長い胴体に規則正しく並ぶいくつもの愛らしく短い手をモジモジと蠢かせ、彼女は「う、うん……久しぶりだね、太郎くん……」と恥ずかしげに呟いた。三年経っても変わらない彼女の様子に、太郎は懐かしさを覚えると同時に嬉しくも思った。


アメリカが異星人の存在を公表したのは五十年前のこと。その後の混乱期を乗り越え、今や異星人達は地球人にとって身近な存在となった。丁度太郎の生まれ育った市が異星人を積極的に受け入れていたのもあって、現在二十一歳である彼の友人の多くは異星人が占めている。

個性豊かな友人達の一人であるイ=モムシは、ワーム型異星人であるキャタピラ人だ。彼女と太郎は同じ病院で産まれ、高校卒業までずっと共に育ってきた所謂幼なじみ。長いときをかけて人種を超えた友情を育んできた。高校卒業後、スペースキャロット農家である父親のあとを継いだ太郎と、大学へ通うために上京したイ=モムシの道は別れたものの、今日彼女がたずねてきたことで、太郎は絆を再確認した。


「せっかくだし上がっていけよ。先週マイクからもらった、ブラックマーダーのチップがあるんだ。カルシウムたっぷりだぜ」


家の奥へ半身を向けながら太郎はそう言った。

マイクはネコ型異星人のミケ人で、太郎とイ=モムシの共通の友人だ。宇宙漁師であり銀河生物学者でもある彼は、増えすぎた外来宇宙魚ブラックマーダーを駆除するため、愛船に乗って太陽系を駆けずり回っている。また、魚好きのマイクは捕獲したブラックマーダーを用いた食品を自ら開発・販売しており、最近ではそちらの事業も軌道に乗ってきているようだ。とはいえ苦労も相応にあるようで、愚痴を言うために太郎のところへやって来ては、手土産のブラックマーダー食品を置いていくのである。ブラックマーダーのチップは、今度発売予定の新商品だそうだ。


「マイクくんとは、まだ仲良くしてるんだね……」


うつむいたイ=モムシの頭から山吹色の角が生えてくる。彼女は一対の牙にも見える小さな口を憎々しげに噛み合わせ、ガチンガチンと不安を誘う音を発した。彼女を包む仄暗い空気と触角の放つ独特の臭気にあてられた太郎は、自分の犯した過ちを瞬時に悟った。可愛らしい容姿と控え目な性格に反して、イ=モムシは嫉妬深いタチなのだ。

太郎はすぐさまフォローに入る。


「マイクはイモのことも気にしてたぜ」

「そうなんだ。マイクくんは優しいもんね……。話もおもしろいし、見た目もかわいいし……」

「なに言ってんだよ。イモだって可愛いよ。それに、俺の女友達はお前だけなんだぞ」


太郎の対応は的確だった。イ=モムシは角を納め「そ、そうなんだ……私だけなんだ……そっかぁ……」と、ずんぐりした体を照れくさそうにくねらせる。幼なじみ故の経験から導き出された言葉は、抜群の効果を発揮したようだ。

ホッと胸を撫で下ろした太郎は奥を指さしながら、


「積もる話もあるだろうし、とにかく上がってけよ。もう春とはいえ、玄関先じゃあ冷えるだろ」


と、再びイ=モムシへ中へ入るように促した。



ブラックマーダーのチップを肴に緑茶をすすりつつ、太郎とイ=モムシは昔話に花を咲かせた。幼稚園に通っていた頃、モノクロな体色をバカにしてイ=モムシを泣かせてしまったことや、小学校の卒業を間近に控えた春、桜の木の下で鳥に襲われたイ=モムシを体を張って守ったことなど、二人の口から飛び出す思い出の数々は今となっては笑い話ばかりだ。

昔を懐かしみつつも話が止まらない太郎だったが、ふと、イ=モムシが湯呑みを覗きこんでいることに気付いた。どこか遠く、ここではないどこかを見つめるように、ぼんやりとした眼差しが緑茶の海を漂っている。


「おい、聞いてるか?」


不安にかられた太郎は、若葉のように艶やかな色をしたイ=モムシの肩に触れた。農作業で硬くなった掌で、柔らかい体を揺する。そうすると、イ=モムシはようやく顔を上げて太郎を見た。


「それで、本当はなにしに来たんだよ。まさか世間話しにきたわけじゃないだろう?」


大きな瞳を見つめ返し、太郎はたずねた。イ=モムシは口を固く閉じて逡巡して見せたが、太郎は忍耐強く答えを待った。


「私、来年、大学を卒業するでしょ?」


ややあって、ようやく口を開いたイ=モムシは、湯呑みをもてあそびながらそう言った。


「そうだな」


太郎は真剣な表情で頷く。しかし、次に放たれた衝撃的な告白を聞いて、目をカッと見開いた。


「その前にキャタピラ星へ帰ろうと思って……」


なんてことだ。信じられないことを聞いた太郎は、まじまじとイ=モムシを凝視した。キャタピラ星の大気は毒に侵され、とうてい人の暮らせる星ではないと、マイクから聞いて知っていた。キャタピル星人である彼女が知らないはずがない。そんなところへ帰るなんて、自ら死ににいくようなものだ。当然、容認できる話ではなかった。

太郎は膝の上に置いた手を固く握りしめた。そうしなければ、全身に震えが伝わり、動揺を悟られてしまうと思ったからだ。


「どうして?」


しかし、どんなに取り繕おうとしても、声の震えまでは誤魔化せなかった。太郎の声を聞いたイ=モムシの口から小さな笑い声をこぼれ落ちる。


「私、もうすぐ蛹になるの」


続く言葉は、まるで流れ星のように空気中に霧散した。

キャタピラ星人は卵生だ。彼らは幼年期をワーム型で過ごし、成長するとやがて蛹になり、そして最後には有翼の人間型異星人へ姿を変える。それはそれは、息を呑むほどに美しい姿をしているというが、成人したキャタピラ星人は地球には存在しない。高校の頃に受けた生物だったか化学だったかの授業で、彼らは地球の大気では生きていけないのだと、太郎は教えられていた。だがそれは実感を伴わぬただの知識の一片にすぎず、イ=モムシがいつしかそうなることを、理解できてはいなかったようだ。


「そうか……それなら、星に帰った方が、いいかもしれないな……」


今度は太郎がうつむく番だった。声の震えはひどくなるばかり。ついには掌の震えを握りつぶせず、全身が震えだした。

そんな太郎に、イ=モムシは慈しむような眼差しを注いだ。けれど、新緑の瞳の奥には、隠しきれない哀愁が、切々と漂っているようにも見える。


「太郎くんはどう思う? さっきのはただの建前じゃないの?」


いやに優しげな声が問いかけてくる。太郎は震える手の甲を睨み、涙混じりにそれに応えた。


「俺は……俺だって、イ=モムシと別れたくないよ」


こんなのはただのワガママだ。しかし、太郎はもう自身の心を偽れなかった。

短い腕を伸ばし、イ=モムシは太郎の眦に浮かぶ雫を拭いとる。透明な塩水に呼応するかのように、


「うれしい」


イ=モムシは微かな声音で囁いた。



それから太郎とイ=モムシは、会えなかった時間を埋めるように親密な時間を過ごした。過去も未来もかえりみることなく、二人はひたすらに共に過ごす時に浸った。きっと満ち足りた時間が永遠に続く――太郎はそう信じていた。

しかし一週間後。太陽の光で目覚めた太郎の隣には、見覚えのない蛹が転がっていた。ついにイ=モムシが変態したのだ。


「イ=モムシ」


名前を呼んでも、イ=モムシはピクリとも反応を示さなかった。まるで極楽袋にしまわれた死体だ。


「イ=モムシ」


恐ろしい想像に突き動かされるまま、太郎は、彼女を包む薄い外殻へ掌をくっつけた。ほんのり温かい体温と、流動する液体の動きが伝わってくる。生きている――太郎は安堵の溜息をこぼしたが、微かに見えた希望の兆しは、直後に撃ちおとされた。


「対象を確保しろ!」


鋭い一声が古民家に響き渡ると同時に、勢いよく開け放たれた障子から、軍服を着た一団がなだれ込んできた。状況に対応できなかった太郎は、その内の一人に容易に拘束される。


「あんた達なんなんだよ!」


畳に押さえつけられながら、太郎は怒鳴り声をあげた。しかし、集団の誰一人として彼に一瞥をくれることはない。


「決して傷をつけるな。宇宙協定違反でムショにぶち込まれるぞ」

「ラジャー」

「話を聞けよ! そいつは俺の友達だぞ!」


視線の端に、イ=モムシへ伸ばされる無数の腕を認めた太郎は、頭上を飛び交う言葉の隙間に自身の声をねじ込んだ。すると指示を飛ばしていたリーダーらしきスーツの男が、ようやく太郎に視線を向けた。彼は厳しい面持ちで、


「田中太郎だな」


と、尋問するかのようにたずねてきた。心なしか拘束がゆるめられ、首をひねった太郎は横目で男を睨んだ。


「そうだけど……おっさんは誰だよ?」

「おじさんは佐藤一郎。宇宙大使館の職員だよ」

「宇宙大使館……」


名前だけは聞いたことがある。だが、自分には関わりのない機関だと思っていた。太郎は疑いの視線を向けるが、佐藤は鼻を鳴らしてそれを一蹴する。悪し様にされて頭に血の登った太郎は、怒りのままに声を荒げた。


「イ=モムシをどうするつもりなんだっ!」

「彼女には故郷のキャタピラ星へ帰ってもらう」

「どうして!?」

「それがキャタピラ星人と地球人との間に結ばれた協定の内容だからだ」

「協定……?」


またもや飛び出した馴染みの薄い単語に、太郎は眉間に皺を寄せた。佐藤は怪訝な顔をする太郎を見下ろし、キャタピラ星とキャタピラ星人について話をした。それは聞き分けのない子どもに言い聞かせる大人の態度だった。


成人のキャタピラ星人は星屑のように煌めく巨大な翅を持ち、物語に出てくる妖精に似た美しい姿をしていること。

しかし、彼らの翅には毒素を含んだ鱗粉が付着しており、羽ばたくたびに鱗粉が大気中に飛散すること。

キャタピラ星の大気は彼らの鱗粉で満たされていて、成人したキャタピラ星人以外には命に関わる状態であるということ。

そのためキャタピラ星人の夫婦は卵を産むと、それを異星人に託し、蛹になるまで生育してもらうこと。

異星で蛹になるまで育ったキャタピラ星人は、成人になる前にキャタピラ星へ帰されること。

そうしなければ、異星人に害を及ぼすこと。

これは本人やその周囲の人間が望もうと望むまいと、決して変えられない事実であること。

これまでに話した内容は一般には伏せられており、事実と異なる情報が伝えられていること。


「そんなこと知らなかった……」


一通り話を聞いた太郎はその場でうなだれた。だからイ=モムシは自分の元へやって来たのだ。拘束は解かれていたにも関わらず、彼からは最早、反抗する意思を感じらなかった。


「こんなこと……」


湿った呟きを落とし、両手で顔を覆う太郎。その頭を佐藤はぽんぽんと軽く叩く。そしてそれ以上は何も言わず、部下を連れて家から出ていった。拘束されたイ=モムシの蛹と共に。

一人、家に残された太郎は、冷え切った空気の中、さめざめと涙を流し続ける。次から次にこぼれ落ちる涙は硬い皮膚にはじかれ、伝い落ちていった雫は枯れた畳に吸い込まれた。



その後、絶望から立ち直った太郎は、マイクと共同で特注の宇宙服を開発した。人体に有害なあらゆる毒素を浄化する機構を備えた新型宇宙服だ。その一着を携えた太郎は、マイクに送り出され、キャタピラ星へと旅立っていった。それは、イ=モムシが地球をあとにしてから、十年後の出来事だった。

太郎とマイクの造り出した宇宙服は飛ぶように売れ、銀河系すらも飛び越えて、現在、爆発的に普及しているそうだ。

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