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仕合わせ  作者: おでき
10/10

 暗く冷たい一室は、独特のにおいが立ち込めていた。初めの内は鼻に付くが、何時しか気にも留めなく為る。長い時間が経っていた。

 若干長く伸びた首を補強して成る可く元の長さへと戻す。何よりも体勢を重視せねばならない。濁った目を取り出して、硝子玉の瞳を代わりに埋め込んだ。次いで洗浄の後、臓腑を取り除き、血液も抜き取っていく。放って置いて腐るものは、全て除去しなければならない。そして、がら空きの其の中にアルコールとホルマリンの注入で乾燥と防腐を施す。脱水、殺菌の序でに肌の色も考慮して、赤色の色素も液体に加えてみた。然うする事で温かみのある肌色を取り戻し、見違えたように為るのだ。

 防腐剤を注入し終えると、形を綺麗に保つ為に吸収剤も詰め込んでいった。身体構成を変えていくのだ。水分、血液といった体液は勿論、脂肪も合成樹脂へと成り代わり、変貌を遂げていく。特に吸収剤は弾力に優れた物が選ばれた。心地よい手触りが何よりも重視された結果だ。其れは張りの有る皮膚を作ると同時に、乾燥処理された後の皮膚の収縮を防ぐ役割も担う。

 仕上げにワセリンを唇と頬骨の辺りに塗り、血色の良さと艶を増させ、グリセリンで髪を梳かし、香水を振り掛けた。此処まで来るのに結構な手間が掛かったが、其れも終わりである。完成すれば、残すは後金を受け取るだけだった。

 長期間の施術の末、剥製師は背後に立ち竦む男に尋ねた。

「此れでいいかね?」

 青年は暫し呆然としていた。入室を許可され、やっと相見(あいまみ)える事の出来た此の瞬間。待ち遠しい対面を果たしつつも青年はコクコクと肯き、剥製師に感謝の意を述べた。

 剥製師は淡々と、金さえ呉れりゃ文句は無いと述べ、処置した寝台のある場所から遠ざかり、部屋の出入り口へと向かった。其の間も、青年は剥製師に頭を下げている。感謝してもし切れぬといった姿に、剥製師は思い出した様に扉の前から振り返った。

「そうそう、膣口に太いチューブを入れて置いた。交接は其れで大丈夫な筈だ。また連絡して呉れ」

 言うだけ言うと、剥製師は扉を開けて廊下へと消えて行った。

 青年は、剥製師の去った扉から寝台へと目を向ける。其処には、青年の愛しい人が横たえられていた。

 記憶していた通りの、変わらぬ姿で眠る彼女に、思わず青年は呟く。

「……美しいよ、菖子」

 寝台には紛れも無く菖子の身体があった。彼女の側に寄った青年――伊織は、自身の贈った指輪を嵌める事が出来なくなってしまった彼女の薬指を撫でる。関節に自由が利かなくなった為だ。死後直ぐに発見された菖子の指には、指輪が嵌められていなかった。動転していた伊織には死体修復の出来る人物に連絡をするのが精一杯で、指輪が寝室のチェストに置かれていたのに気付いた時には、嵌め直しは不可能であった。然し其処に指輪は無くとも、伊織は以前に菖子に対して行っていた仕種を少しでも再現したくて、彼女の薬指に触れてみる。もう持ち上げるのも困難な彼女の指。だが触れるだけでも、あの頃の感情は想起される。彼女と出会い、彼女を抱いて、指を持ち上げ愛撫をすれば其れを見返していた頃の彼女の姿が浮かび上がる。

 此れからは、彼女の指を持ち上げるのではなく、其処に伊織が近付かなくてはいけなく為ったが。

「先程は思わず君に見惚れてしまったよ。やっぱり君は美しいね。まるで解語の花と言うべきか」

 ――死した肉塊は生きた人形の様に蘇る。

「言っただろう? 先に逝かせたりはしないって。ずっと側にいると……」

 伊織は其れを実現してみせた。金を使って。

「死んでも離さないよ、菖子……愛している」


                     於零 完

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