零
夜の帳に、寝台に沈む菖子の肢体が、ぼうっと浮かび上がる。
開けた窓からは皓皓たる一条の月の光が差し込んでいた。其れが、物言わぬ菖子の瞳を硝子玉より輝かせ、彼女の身体の輪郭を照らしている。伊織は、無機的な眦を差し出す彼女をじっと見つめていた。
彼は探し当てる素振りすら見せず、菖子の左手の薬指に優しく触れる。菖子は無表情、対して伊織は口元に三日月状の弧を描き、惜し気も無く深い笑みを晒していた。伊織は今、抑えきれない征服心を達成させ、嬉々とした心持を抱いている。此ればかりは幾度経験したとて、飽きる事の無い連続であった。
手中の君、掌握の実現、言い難き幸せ。
だが何れも言葉に表せば不足し、丁度良い表現が思い付かない。
彼は菖子の裸体を見つめ、感嘆の息を漏らす。真下に組み敷いた菖子に、熱い眼差しを向けて思うのだ。
美しい、と。
菖子の、月影に包まれて朧かに光を明眸に宿す様は美しく、吸い込む様に伊織の視線を捕らえていた。
伊織は彼女に触れる度、甘美な刺激に囚われる。彼の感じる痺れと疼きの果てには劣情しかなく、己の欲望を菖子に翳すばかりである。伊織は自身に滾る一途な欲求と示し合わせ、全身を支配する昂りに導かれる儘、菖子に己を埋めた。
すると更なる劣情が催される。悦びに飛び付き食らい尽くす勢いで、彼は恍惚として菖子の名を呼び続けた。己を満たす為に、劣情の在り処を拠り所を、彼女への行為として吐き出していく。
「菖子、菖子、嗚呼……愛しているよ……愛している」
熱に浮かされた様に連呼する伊織は、紛れも無く悦予の淵にあった。彼は行為に没頭する。菖子は痛みを感じない自身の身体が揺れるのを、他人事と放って置いた。
情事の後の互いの一糸挂けぬ姿が、暮夜に浮かぶ白い太陰に因って青磁の色に染まる。
伊織は快楽の残滓にぐったりとした身体を、絡みつく蔦の様に菖子に寄り合わせ、彼女の背中に回した片腕に力を込めた。
「菖子、君は正しく解語の花だ」
己の胸の中で大人しく包まる菖子に微笑んだ。
彼女を手折ったのは、狂おしい程の愛を彼女に捧げる伊織という名の青年だった。