打ち明け話
カーリンから『あなた』なんて言われたのは初めてだった。
ブロックドロフ村で会う初対面の子どもに、「あなたのお名前なーに?」と聞くときくらいしか使わないその呼び方は、いつもよりちょっと心の距離を感じさせた。
いつもより激しい心拍が俺の耳に響き、指先から血の気がなくなっていくのを感じる。真意の読めない青い目に見つめられ、俺はカーリンを見つめ返すことしかできない。
冷えた両手の指と指を組みながら必死に頭を回し、いつもと同じ笑顔になるよう努めて俺はやっと言葉を絞り出した。
「俺がオリバー以外の何に見えるの?」
「……そうだよね。ごめん、変なこと言って」
質問に直球で返すことはせず、明るく冗談混じりのトーンで返事をすると、眉をへの字にしたカーリンからの視線が外れた。
俺が久しぶりに息を吸い込むと、カーリンはため息を吐き、落ち込んだ様子で話し始める。
「わたしだけお仕事の見習い先が決まらないのに、オリバーばっかり声をかけられるのを見て、なんか最近もやもやしてたの。オリバーは声をかけられてるのに……わたしは、声をかけて、もらえないのが……なんか……」
徐々に声が震え始め、嗚咽がまじり始めた最後の方は言葉が聞き取りにくくなっていたが、聞き取れずとも、隣で涙を拭うカーリンの様子を見て俺の胸はズキリと痛んだ。
……俺と比べて、劣等感持っちゃったのかなあ。
カーリンの気持ちを完璧に言い当てることはできないけど、多分、劣等感という言葉が1番近いんじゃないかと、このとき思った。
ツァールトの宿屋からも、オドール商会からも、ここで働かないかと俺が声をかけられた場面に、カーリンは居合わせていたのだ。「自分が声をかけてもらえないのは何かが足りていないからだ」「オリバーにはその何かがあるのに、わたしにはない。きっと劣っているのだ」と、感じていてもおかしくないと思う。
「それにお仕事が見つからなかったら、オリバーと、冒険者になったらいいっていうのはわかってるんだよ……! でもオリバーがなんでも1人でできるようになったら、わたしなんかいらなくなっちゃう。わたし、1人で冒険者できないもん……!」
大粒の涙を流しながら言葉をつまらせるカーリンの背中を擦りながらうなずいてる最中、カーリンの声を聞いて心配そうにこちらを見ている女性に目が行った。俺たちから少し離れたところにいたが、声はかけてこないまま立ち去って行く。今日は人が少なくてよかったな、と余計な思考が一瞬よぎるも、嗚咽混じりの思いを俺は聞き取った。
どうやら冒険者になって、俺と別行動をする未来を想像しているらしい。1人で冒険者としてやっていけるか心配をしているようで、再び俺の胸が痛む。
……俺が原因だ。「仕事を探そう」なんて提案をしなければ、カーリンをこんなに悩ませることなんかなかったのに……
「もし俺たち2人が冒険者になっても、俺は自分が上手に解体をできる未来が全く見えないよ。きっとカーリンに頼ることになると思うよ?」
「うぅ……でも……でも……オリバーならすぐできちゃうもん……!」
カーリンが服で鼻水を拭おうとしているのを慌てて制止し、石けんを包んでいた布をカーリンに渡す。真っ赤になった目からは堰を切ったように涙が出て、布を口元に押し当て泣き声を殺しているカーリンの姿を見て、自己保身を考えている自分がとてもばからしく思えてきた。
なんとなく、なんとなくだけど、カーリンは俺を勝手に『なんでもできるすごい人』認定している気がする。あんなにへっぴり腰になってしまった解体を、俺がすぐにできるはずがない。自己保身なんかせずに俺が別の世界で得た知識を使って色んなものを作ったことを話せば、カーリンの中で膨れ上がった『すごいオリバー像』を壊せるんじゃないだろうか。
……気味悪がられたら石けんをたくさん売って、街で一人暮らししよう。
カーリンがいなければ石けんを作ることもできなかったし、シュティローおじさんの家でエイミーと仲良くできていたかもわからない。たとえ異世界の記憶を持ってることで気味悪がられたとしても、それは甘んじて受けるべき俺の罰だ。
……カーリンには、笑っていてほしい。
俺の指先には体温が戻っていた。心臓の音も正常だ。今なら言える。
「カーリン、聞いてほしいことがあるんだ。信じてもらえるかわからないけど」
カーリンは涙の溜まった目をこちらに向け、こくんとうなずく。口元に押し当てた布越しにいまだに泣き声が聞こえるが、激しさは少し落ち着いている。
「ケバルトに押し倒されて頭を打ったときあったでしょ? あのときからオリバーじゃない誰かの記憶を思い出したんだ」
俺が後頭部を指差しながらそう言うと、カーリンの目は大きく見開かれ、泣き声が弱まりだした。
「この世界じゃない、どこか別の世界で育った人の記憶なんだけど、俺が石けんを作れたのはその記憶のおかげなんだ」
カーリンは何度も目を瞬かせ、目元の涙をこぼし切った。腕が徐々に下がり、ぽかんと開いた口が見えてきた。
「さっきの契約のとき、難しい言葉がわかったのはその記憶のおかげなんだ。気味悪がられるんじゃないかと思って、言い出せなかった。今まで黙っててごめん」
こんな荒唐無稽な話を信じてもらえるかわからない。俺はカーリンの目を見ながら謝り、どんな反応が返ってくるかドキドキしながら待った。カーリンが次に話し出すまで、きっと数秒だったと思う。でも俺には、その待ち時間がとても長く感じた。
「……だから、そんなに色んなことに詳しいの?」
「うん」
「難しい計算ができるのも、そのせい?」
「そうだよ」
「大人の人の話し方ができるのも?」
「そう。嘘ついててごめんね」
「なーんだ……そうだったんだ……」
カーリンからの質問攻めが終わると、どっちとも取れない返事が返ってきた。これは気味悪がられているのだろうか。
カールンのさっきまでの泣き顔は引っ込み、鼻水をずぴぴとすすりながら空を見上げている。何かを見るかのように宙のどこかに視線を定め、少し時間が立てばまた別のところを見て……ということを繰り返していた。
俺は再び何を言われるのかとドキドキしていると、カーリンがぱっと明るい声色を出す。
「わたしがだめだめなんだと思ってたけど、オリバーは不思議な記憶を持ってるからそんなにすごかったんだね」
カーリンは脚をブラブラとさせながら、いつものようなニコニコとした笑顔で俺を見た。赤く潤んだ目と、鼻水がちょっと垂れてるのが、いつもとちょっと違うけど。
「わたし、どこかでオリバーと自分を比べてたの。わたしの方がお姉ちゃんに見られてたのに、今はオリバーの方がお兄ちゃんみたいなんだもん。わたしもがんばらなきゃって、なんか焦ってたんだ」
そう言うと、カーリンは安心しきった笑顔で自分の胸元を押さえた。
「でも、オリバーがそんな不思議な記憶を持ってるならよかったあ。勝てっこないもん。比べなくてもいいんだって気づいて、今すごくホッとした」
カーリンはへへっと笑いながら鼻水を拭き、俺が異世界で過ごした記憶を持っていることを『よかった』と言ってくれた。
……気味悪がらないの? もしかして、俺に気を遣ってる?
「俺のこと、気味悪くないの?」
「え? なんで? 全然だよ」
カーリンは「何言ってるの?」と言いたげな表情で俺を見た。どうやら本気で気味悪がっていなさそうな表情だ。
「オリバーはわたしを外の世界に連れ出してくれた。お仕事の相談にも乗ってくれた。わたしね、いろんなものに前より色がついて見えるようになった気がするの。それでね、それは全部、その不思議な記憶を持ってるオリバーのおかげなんだよ。 まあ、なんでオリバーはそんなに頭いいの?! ずるい! って思ったことはあったけど……気味悪くはないよ?」
カーリンの言葉が、俺の心に真っ直ぐ入ってきた。
俺が余計なお世話をしたせいでカーリンを悩ませてしまったと思っていたが、カーリンはそれを自分にとってプラスのことと捉えてくれたようだ。それがわかり、俺は安心して肩の力が抜けた。
「……俺の言ったこと、信じてくれるの?」
「オリバー、嘘ついてる顔じゃなかったよ。 それに……」
カーリンは布の乾いた部分で俺の頬を拭った。
「涙流して嘘つく人、わたし見たことないもん」
秘密を打ち明けたこと、そしてカーリンに受け入れてもらったことで安心した俺の目からは、涙が溢れていたようだ。俺はカーリンから顔を背けて慌てて涙を拭う。
「あー、オリバーが泣いてるの久々に見たかも! すぐ布団に入ってたよねー」
「うるさい!」
カーリンは笑いながら無理矢理手を伸ばし、布で俺の涙を拭いていく。カーリンが言ってるオリバーは俺が目覚める前のオリバーのことだろう。確かにそんな記憶がある俺は、少し恥ずかしさを感じてつい反論してしまった。
「ねえオリバー。わたし、本当に気味悪いなんて思ってないからね。それにね、エイミーは明るくなった今のオリバーの方が好きって言って……え?! わたしだけ知らなかったってこと?!」
突然驚き出したカーリンは、何をどう解釈したのかわからないが、俺が異世界の記憶を持っていることを自分だけ知らされていないと思ったようだ。むしろその逆なのに。
カーリンの反応がおもしろくて、涙はすぐに引っ込み笑いながらカーリンに顔を向ける。
「いやいや、カーリン以外には誰にも言ってないよ」
「あ、そうだったんだ……わたしの勘違いだったみたい。みんなには言わないの?」
「混血児で、しかも別の世界の記憶を持ってるなんて気味悪がられるもんだよ、普通。受け入れてくれたカーリンが特殊なんだ。俺は嬉しかったけどね。だから、俺は他の人に言うつもりはないよ」
「エイミーたちが気味悪がるなんてことないと思うけど……まあ、オリバーが言いたいって思ったときに言うのが良いよね。わかった、わたしも誰にも言わないよ! はい、約束!」
カーリンは小指だけを伸ばしたグーを俺の前に出す。約束のポーズをするんだと理解した俺は、小指を絡みつかせようと同じく小指を突き出すと、カーリンは小指を突き合わせてきた。
「これで大丈夫だよ! ちゃんと約束守るからね」
ニコニコしながら「こうするんでしょ?」という顔で俺の小指に小指をくっつけているカーリンに、「本当はこういうポーズじゃないんだ」とは言えない。俺が何も言えず苦笑いのままでいると、カーリンの笑顔が少しだけ曇った。
「ケバルトが約束するときはこうするんだって言ってたんだけど……間違えてる?」
「……これって、もしかして結構広まってるの?」
「うん、村の子ならほとんど知ってると思うよ? エイミーに布を買ってくる約束をしたとき、わたしたちもこうしたもん。なにか違う?」
……村の子ならほとんど知ってる?! そしたらなおさら違いますなんて言えないじゃん!
俺とシュティローおじさんがした約束ポーズを、どうやらケバルトが村で広めていたらしい。
村に定着しつつある約束ポーズに「これは違う」なんて言い出さず、この世界で改変されたポーズに俺が合わせた方が速い気がした。
……そもそも正しい形を知っているの、この世界に俺しかいないじゃん。黙っていよう、そうしよう。
「いや、何も違くないよ。これが正しい。うん、とても正しい」
カーリンに自分の秘密を打ち明けたことで俺の心はいつもより軽かった。
秘密を守ると約束してくれたカーリンのために、カーリンの仕事探しがうまくいくよう俺も全力でサポートすると、心に刻んだ。前も仕事探しをサポートすると誓ったが今回は違う。刻み込んだのだ。
約束し終えた俺たちは、そのままベンチでお金を分け合うことにした。
それぞれの財布には銀貨5枚と、それぞれの購入品のお釣りがじゃらじゃらと入っている。
「俺、買い取ってもらったお金の半分は貯めておこうと思ってるんだ。で、この1枚を家に入れて、あとは自由に使うつもり」
俺は手に持っている銀貨1枚をカーリンの前に置き、残りのじゃらじゃらを自由に使う分として見せる。ここでの給料の相場がわからないが、「子供1人で30匹を相手にするのは無理がある」と言われたローセルを倒したときに得たお金が銀貨1枚と大銅貨5枚だった。そのことを考えれば、銀貨1枚という額は、子どもが家に入れるにはそれなりに十分な額じゃないだろうか。
「そのお財布に入ってるお金も全部使って食べ物とか布とか、たくさん買って持ち帰るんじゃないの?」
カーリンは俺の財布を指差しながら、不思議そうに首をかしげた。
カーリンもやはりケバルトと同じく、お金は全部使い切るのが正しいと思っているようで、貯めるという概念がない。俺としてはコパンの従魔契約のためにお金を貯め始めたいし、防具を買うお金もほしい。だから半分は貯金に回したいのだ。
「コパンの従魔契約があるから貯めておきたいんだ。それに、自分の将来のためにお金を取っておくことは悪いことじゃないんだよ。カーリンももし獣人村から出て仕事をするってなったら、お金が必要になるかもしれないよ」
カーリンは自分の近い将来を思い描いたようで一瞬で真剣な表情になり、俺の話に耳を傾ける。
「どういうこと?」
「仕事先から仕事道具は自分で揃えろって言われるかもしれないし、服ももっときれいなものを仕立てろって言われるかもしれない。そういうときに使えるのは魚や野菜じゃなくて、お金なんだ」
「……わかった。でもいくら貯めておくといいのかまではわからないから、わたしもオリバーのマネする。で、わたしもこの1枚は、お家に入れる!」
カーリンはそう言うと自分の自由に使えるお金の確認をし始めた。俺はベンチに出したお金を財布にしまい、バッグの自分側の奥の方に入れ込むとカーリンも財布を差し出してきた。カーリンもたくさんお金が入った財布を持ち歩くのは怖いのかもしれない。
「この可愛い財布、盗まれちゃうかもしれないから……」
なんと財布の中のお金の心配ではなく、財布の心配をしていたようだ。心の中で「そっちの心配かーい!」とツッコミを入れつつ財布を預かると、ちょうど鐘の音が鳴り響く。今度は俺もカーリンもびっくりしない。5の鐘は4の鐘とは違い、1回しか鳴らなかった。
「よし! じゃあ出店と販売店でお土産を買おうか!」
「うん! わたし布を見に行きたい! エイミーとお人形作りする約束したんだー!」
俺とカーリンはぴょいっとベンチから飛び降りると、手をつないで広場から西門までの通りに出た。
カーリンはオリバーの打ち明け話を聞き、「オリバーが朝寝坊をよくするようになったのも、不思議な記憶のせいかな?」と人知れず納得しました。




