主前契約
俺は石けんと、シャンプーが入った壷をテーブルの上に出した。今日持ってきたものは、石けんがスタンダードなものとオーランの実で香り付けをしたものを5個ずつの計10個と、シャンプーが2つ。あまり布の汚れていない部分を表面にし、その上に石けんたちを並べてディオに見せた。
「すでにミルテさんとツァールトさんからどんなものか聞いていると思いますが、石けんとシャンプーの説明をしてもいいですか?」
「あぁ、頼む」
石けんとシャンプーの説明をすることになっているカーリンに俺は目で合図すると、カーリンはこくりと頷いた。
「この石けんは、汚れを落とすだけじゃなくて臭いも取れる固い石けんです。布で泡立てれば身体も洗えるし、布につければそのまま布が洗えます。今は固くて使えなそうに見えるんだけど、水につけるとちゃんと使えるんだよ。あ、あとこっちのシャンプーは、髪の毛を洗うとつやつやになって……えーと、嬉しい気持ちになるものです。ツァールトさんの寝癖みたいな髪の毛がね、つやつやになって最近かっこよくなったんだよ! それでね、わたしが作ったオーランの実の香り付き石けんは使うとふんわりいい匂いがするの! あとね……」
なるべく敬語を教えたつもりだが、興奮してカーリンの言葉遣いが崩れてきてしまった。毎回話す内容がちょっとずつ変わるから何をどう話すのか俺も見当がつかなくてハラハラしていたが、石けんとシャンプーの基本的な性能については話してくれた。ディオの反応が気になりちらりと視線を移すと、ニコニコしながら話すカーリンの口調にタメ口が混ざってても気にした素振りはなく、ディオは表情を飼えずうなずいて聞いていた。
「俺たちはこの石けんを、今まであった液状の石けんと区別するために固形石けんと呼んで使っています」
「確かに石けんの状態によって呼び名を変える必要がでてくるな。今までの石けんも呼び方を変える必要があるかもしれない……ふむ」
カーリンの話が終わったタイミングで俺は、石けんの名称を変更する必要があるかもしれませんね、と暗に示すと、ディオはそれを察してくれたようだ。少し考え込んだ様子のあと、一呼吸おいてディオが話し始める。
「実はな、この固い石けんとシャンプーをミルテたちからもらって先日使ってみたんだ。食事の席でミルテもツァールトもこれらを絶賛していたが、俺は子どもの作ったものが俺の店の商品にかなうはずがないと思っていた」
ディオは両手で包み込むようなジェスチャーをして、テーブルの上に並ぶ石けんとシャンプーを指し示す。
俺だって自分の作った石けんが、まさか商会の偉い人の目にとまるなんて思ってもいなかった。
「だが違った。正直言って……悔しかった。石けんで身体を洗うと脂臭くなるもんだと思っていたが、この固形石けん……だったか? これは全くそいういったことがない。どうやったらこんなものを思いつくんだと、嫉妬したよ」
苦笑いと悔しさが混じったような表情でディオはそう言った。「さっきまで鷹のような目で俺たちを見ていたのに」と思ったが、思わずそんな表情が出てしまうくらい悔しかったのかもしれない。
……でも、思いついたのは俺じゃないからね!
嫉妬したとまで言われるとなんだか自分がすごいみたいに感じるが、固形石けんを思いついた人は大和時代の歴史的なすごい人で、俺はそれを学んだだけだ。もちろんそんなことはわざわざ言わず、曖昧に笑っておく。
「それに身体と頭を洗うものを分けていただろう? シャンプーなるものがなぜ必要かわからなかったが、石けんで頭を洗った後に理解した。あれは絶対必要だ」
そう言われてカーリンは激しくうなずいている。カーリンも試しに石けんで髪を洗ったことがあり、髪がぎっしぎしになってかなりうなだれていた。気持ちが痛いほどわかるのだろう。
「そこでだ。俺はこの2つを店で取り扱いたいと思っている。聞けばツァールトと物々交換してたんだろう? 俺とも交換しよう。ツァールトよりも良い干し肉を持ってるぞ」
笑顔で俺とカーリンを交互に見ながら干し肉との交換を迫られたが、俺が今ほしいものは金だ。
「なにかものと交換するよりもお金がほしいです。その石けんとシャンプーをお金と交換してくれませんか?」
眼光に鋭さを戻したディオが、一瞬嫌そうな表情をしたのを俺は見逃さなかった。
物々交換で丸め込もうとしたのかもしれないがそうはさせない。
ディオは間髪入れず俺に向き直る。
「金を使うことがない村に住んでいると聞いたが、なぜ金がほしいんだ? 食料の方が嬉しいだろう?」
「俺は将来、冒険者になるんです。防具を買いたいし、従魔がいるから従魔登録もしないといけないし、とにかくお金がかかる。食料はお金があれば買って帰れるから、お金がいいんです」
あごを指で撫でながら俺の話を聞いているディオは、感心したような表情で質問を重ねる。
「自分なりに考えた理由があるんだな。ではオリバー、きみはこの石けんとシャンプーをいくらで俺に買ってほしいんだ?」
……あ、シャンプーの金額考えるの忘れてた。
石けんを削って作っているから価格をつけようと意識に登らなかった。
……シャンプーにも価値を感じてもらえたみたいだし、石けんと同じ価格でもいいかな?
「石けん1つ銀貨1枚、シャンプー1つ銀貨1枚を希望します」
前から決めていました風を装い、しれっとシャンプーの価格も石けんと同じ価格で伝える。
ディオは沈黙したまま俺をじっと見つめ、まるで俺が本気かどうか見定めるかのように目をそらさない。それもそうだ。今お店に並んでいる石けんよりも高い金額を提示しているのだから、ふっかけてると思われても仕方ない。
俺はごくりと喉を鳴らすもディオから目をそらさず見つめ返す。カーリンも緊張感を感じたようで、ジュースに口をつけることなく座ったままでいた。
「……条件によってはその価格で買い取ろう」
俺は「条件ってなんですか?」の意味を込めて首をかしげる。
「オリバーの言い値で買い取るにはまず、この石けんとシャンプーの製造方法をオドール商会に売るのが条件だ。そして、銀貨1枚で買い取るのは1年間まで。それならいいだろう」
なるほど、製造方法の方が目的か。自分の会社で石けんとシャンプーを作れるようになったら、きっと俺たちの石けんとシャンプーはお払い箱にするつもりだろう。
「よそに持ち込んでもおそらくここまでの買取価格をつける商会はないだろう。きみが冒険者見習いになるまで、小遣い稼ぎにちょうどいい期間じゃないか?」
確かに冒険者見習いになるまでにコパンの従魔契約の費用を集め、見習いになったらすぐ従魔契約ができるようにしておきたい。ローセルを30匹倒して銀貨1枚と大銅貨5枚を得るより、石けんを作って売った方が今の俺にとっては圧倒的に楽だ。
「それに石けんとシャンプーの製造方法にも価格をつけてやろう。いい話だろう?」
「質問です。もし製造方法をディオさんに売ったとして、俺たちが作るのはいいんですよね?」
「俺がきみたちに石けんとシャンプーを作るよう依頼する形にすれば、作ることはできるな」
……製造方法の所有権もまるごとディオさんに売れってことか……
自宅で作るのは今後も続けていきたい俺は、自分で考えたものなのにディオの依頼がないと作れないというところに違和感を感じてしまった。
「製造方法は教えるので、製造方法に価格はつけなくていいです。その代わり、【所有権】……えーと、製造方法を持つ権利を俺たちのものにしてください」
「……なぜその権利を?」
日本で言うところの所有権的なものがこの世界にあるかわからないが、俺は石けんとシャンプーの製造方法に所有権を主張したいのだ。
「俺たち、家でも自由に石けんとシャンプーを作りたいんです。だから、誰の許可もなく自由に作る権利がほしい」
今回はご縁があってオドール商会に石けんとシャンプーを売り込めたが、他の商会ももしかしたら石けんとシャンプーに興味を持ってくれるかもしれない。そうなったら、俺たちが作る権利を持っていた方が売り込みやすいだろう。
俺が他に持ち込めば売れそうだと言うことを思いついたように、ディオも同じことを思いついたようで人差し指を1本立てた。
「……1年だ。1年だけ製造方法を売るのは俺の店のみにしてくれ。その代わり、この1年間なら石けんとシャンプーを作るのに必要な道具を買い揃えてやる」
……道具を買ってくれる?! それは最高なのでは?!
今家にある道具はどれもこれも欠けていたり、数が足りなかったりでなんとか工夫して石けん作りを行っている。だが、道具が揃えばもっと楽に石けん作りができるだろう。
「1年間が終わっても、その道具は俺たちのもの……?」
「あぁ、そうだ。買い与えたものは全部そのままきみたちのものにしていい」
それは素晴らしい。もちろん俺に異論はない。
隣のカーリンはずっと黙ったままだが、この条件で話を進めてもいいだろうか。
「カーリンはどう思う?」
「わたしはよくわかんない。オリバーが決めていいよ」
本当によくわからないようで、眉を八の字に下げて首を左右にふるふると振っている。カーリンもこう言っていることだし、この条件で決めてしまおう。
「その条件で買い取ってください」
「よし、交渉成立だ。そうと決まれば早速契約書を書いてもらおう」
……契約書なんて書くの?
なんと今話していたことは結構大きな契約をするような内容だったようだ。子どもとも契約書を書くのかとちょっぴり驚いた。
むしろディオにとっては口約束の方がいいんじゃないかと思ったが、わざわざ契約書を交わしてくれるらしい。
「口約束の方がディオさんにとっては都合が良いんじゃないんですか?」
「それはそうだが、のらりくらり1年間製造方法を教えられなければ、損をするのは俺だ。確実に製造方法を得るには制約をつけられる契約を交わすのが1番。これは俺のためでもあるんだ」
……なるほど! 俺たちがすっとぼけて製造方法を教えずに石けんとシャンプーを売り続けるって方法もあったのか!
「わかりました。絶対にのらりくらり交わすなんてことしないけど、契約書を書きます」
ディオは「俺も約束を違えることはしないけどな」と言ったが、確かに今日が初対面で信頼関係もなにもない。それなら、契約書を書いてもらった方がいいだろう。
「契約の準備をさせるのに従業員を呼ぶぞ」
俺の目を見てマントのフードをかぶるようジェスチャーをしたディオは、どこからともなく取り出したベルを鳴らした。するとすぐに扉をノックする音が聴こえる。
俺がマントをかぶっているのを確認し、ディオが「入れ」と扉の向こうの従業員に入室許可を出すと、さっきドアマンをしていた男性が顔を出した。
「ガルフォム、主前契約の準備をしてくれ」
「かしこまりました、旦那様」
……シュゼン契約? ってなに?
ガルファムと呼ばれたさっきのドアマンが部屋から出ていくのを見送りながらそんな疑問が湧く。この世界では当たり前の契約名なのだろうか。
「カーリン、シュゼン契約ってなんだかわかる?」
「んーん。わたしもわかんないよ」
ふるふると首を横に振るカーリンの様子から察するに、街でのみ行われている契約なんじゃないだろうか。カーリンと顔を見合わせた俺は、ディオに説明を求めた。
「ディオさん、シュゼン契約ってなんですか? 俺たちあんまり街に来たことがなくて……」
「あぁ、そうだったな。主前契約っていうのは、領主様の前で行う契約なんだ。別に領主様の前でやらずともここでできるんだが、大昔に貴族たちが領主様の前で契約していた様子から、主前という名前がついた。で、貴族間での契約を俺たち庶民も使えるようにしたものが現在の主前契約だ。貴族と庶民だと貴族の方が立場が上だから、契約を守られないことも多くてな。主前契約は領主様の魔力によって、双方が約束事を守るように縛れる契約なのさ」
……そんなものがあるんだ。魔力で縛るっていうのがいかにも異世界っぽい!
それと領主が治める土地に住んでいることを俺は初めて知った。なんとなく、国王とか天皇とか、そういった階級の人が統治しているのかと思っていた。もちろん領主も偉い人であることに変わらないけど。
「領主の力が及ぶ範囲に効力があるから、この領地内で有効な契約になる。大きな権利が絡んだり、利益が見込めそうなときにこの契約を使うんだ」
「もし契約を守らなかったら、どうなるんですか?」
「契約を破った場合は罰金で済む場合もあれば、最悪死ぬこともあるな」
……死〜〜〜〜〜〜?!
まさかの死ぬかもしれない契約書を書くことになり思わず顔がひきつったが、おもしろがって笑っているディオは顔の横で手をパタパタと振った。
「大丈夫だ。今回はそんな重い制約をつけたりはしない。そうだな、きみたちには担保になるものがないから、石けんとシャンプーの権利を放棄する程度でいいだろう」
……そのくらいならまだいいや! 製法の権利放棄はよくないけど死ぬよりはまし!
契約を破ったとしても死ぬことはないと安心した俺は、なんにせよ契約を破らず1年間いっぱい石けんたちを作って売ればいいやと思いながら、メーラの実のジュースにやっと口をつける。ずっと喋りっぱなしだったから飲めていなかった。緊張して乾いた喉に甘い果汁の味が口いっぱいに広がった。
「お待たせいたしました。こちらが契約書でございます」
思った以上に早く戻ってきたガルファムの腕には木の板が載っており、その上には羊皮紙、インクが入った壷、羽ペンと果物ナイフのような短剣が整列していた。
丁寧な動作でテーブルにそれらが並べられていくとディオは羽ペンを手に取り、さらさらと羊皮紙に文字を書いていく。インクと羽ペンを初めて見た俺とカーリンは、少し前傾姿勢でその様子を見つめていた。
「お2人はご自分の名前を書くことができますか?」
微笑んだガルファムは、ディオの手元を見つめる俺とカーリンにそう問いかけた。
「俺は書けます」
「わたしも書ける!」
「ツァールトから文字を習っているのはオリバー様だけだと聞きましたが、カーリン様も書けるのですね……驚きました」
「オリバーにわたしの名前、教えてもらったの。ツァールトさんには今度文字を教えてもらうんだ」
カーリンはどうやら、俺が見ていないところで自分の名前を書く練習をしていたらしい。ちゃんと覚えようと努力しているようで、心の中で「偉い!」と拍手をした。ぜひそのまま素直にすくすくと育ってもらいたい。
「契約書を書いたぞ。この内容で間違いないか……ってさすがに読めないか?」
そう言われ、俺はディオから契約書の羊皮紙を受け取る。久々に触る紙の手触りが懐かしい。大和時代以来かもしれない。
さわさわと指で紙をこすりながら、契約書に目を通す。確かにわからない単語はあったが、契約書は自分の目で確認しておきたい。
「わからない単語があるけど、教えてもらえれば読めます。これはなんて読むんですか?」
ガルファムは俺のそばに立ち、まるでマンツーマン家庭教師のようにわからない単語を教えてくれた。
頑張って読んだ契約書を要約すると、
『オドール商会は固形石けんとシャンプーの1年間の買取価格維持をオリバーとカーリンに約束すること。
オドール商会は1年間、固形石けんとシャンプーを作成するのに必要な道具を買い揃え与えること。
オリバーとカーリンは、オドール商会に固形石けんとシャンプーの製造方法を教えること。ただし、1年間は他の者に製造方法を教えないこと。
オリバーとカーリンが固形石けんとシャンプーの製造方法を持つ権利を持つこと。
もしオドール商会が契約を破った際には金貨1枚をオリバーとカーリンに払い、オリバーとカーリンが破った場合は上記権利を放棄すること。』
という内容だ。俺たちがさっき話した契約内容と変わりない。オドール商会が契約を破った場合の罰金も、特に不満はなかった。むしろ多いと思ったくらいだ。
「確認しました。この内容で問題ありません」
俺が契約書をディオに返すと、ディオは契約書の右下の方に自分の名前を書いた後、短剣で自分の親指をすぱっと切り、ぷっくりと溢れ出る血液を名前の上に押し付けた。
……血液を使う契約なのか?
その様子を見ていると、ディオの名前が淡い光を放った。なんかとてもファンタジーな感じがする。
「この契約書には、自分の血液を使う。俺と同じようにこのペンで名前を書いたら、自分の血液を名前につけてくれ」
カーリンは初めての羽ペンに苦戦しながら自分の名前を書く。インクが付きすぎてポタポタと名前の周りに液溜まりができてしまったが、読めなくはない。短剣で親指を切り、血液を押し付けたらカーリンの名前も光った。
最後は俺の番だ。
初めての羽ペンにちょっぴり興奮しながら、インクを付け紙に自分の名前を書いていく。少しインクが多くて軽く滲んだ。手習い板に石筆で書き込むのとは異なる、久々の書き心地を少しだけ長めに味わったら短剣で親指を切る。血液を押し付け、俺の名前も光ったことを確認すると、ディオは何やら契約書に印を書き込んだ。
ディオが書き込んだ瞬間、契約書は一際眩しい光をカッと放つ。
「うわあ!」
突然の光に驚いた俺とカーリンはお互い抱き合い、契約書の行く末を見守る。だが、見守るほどもないくらいあっけなく、ただのインクで書かれた契約書に戻った。
「これで契約完了だ。早速買取と製造方法の説明をしてもらうぞ」
「はい……」
呆気にとられていた俺たちは淡々と話を進めるディオに促され、再び席に戻った。
ガルファムはディオの右腕です。秘書みたいな感じ。
安息日ですがサービス業は休みでも開店しているところが多いようです。




