宿屋の仕事見学
翌日。
眠い目をこする俺の肩にかかっているのは、シャンプーと石けんを入れた肩掛けバッグ。このバッグはツァールトからオリンバの実をもらうときに、「そのバッグは俺が子どものときに使ってたお古だから良ければあげるよ」と言われたのだ。即もらった。
シャンプーの容器が壺で重たいので荷車に載せてもらってからいつも通りブロックドロフ村に行き、物々交換を終わらせるとシュティローおじさんもイェンスも村を出ていった。今日は別の人がオリンバ園の警備についているらしい。
俺たちは宿屋に入ると店番の人に挨拶し、執務室への扉を叩くと上機嫌な「どうぞー」という声が聞こえた。
「やあやあオリバー、カーリンちゃん。おはよう!」
「お、おはようございます。どうしたの? そんなに機嫌良いなんて」
ツァールトの髪は前回俺が整えてあげたときより崩れていたが、以前ほどひどい癖毛ではなくなっていた。寝癖風髪型は健在だが、爆発はしていない。
ツァールトがバレリーナのごとく回転しながら俺たちに近づいてきて、カーリンは俺の服の裾を掴み後退りした。顔は見えないが、多分引いてる。だって俺がそうだもん。
「オリバーがくれたシャンプーでミルテの髪を洗ってあげたんだよ。洗い終わった姿を見て、ミルテもすごい喜んでてさ。気持ちよかったって言ってくれたんだ」
それからニヤけ始めたツァールトの語りがさらに続いた。コパンは話を聞き飽きたのか俺の近くで伏せ、「まだ?」と言いたそうな顔でツァールトを見上げている。
「それにいつも寝癖だ寝癖だって笑ってたのに、ミルテが俺の髪型を褒めてくれたんだ。シャンプーで俺の人生が変わった」
なにかのセミナーで啓発されたかのようなテンションでシャンプーの素晴らしさを語ってくれている。夫婦で喜んでもらえて嬉しい限りだ。俺が「そんな大げさな」と苦笑いしていると、もう1人同じセミナーの受講者が話し始めた。
「シャンプーってすごいよね……! わたしも髪の毛跳ねてたんだけど、今は落ち着いてるの。あとね、使い続けるとパサパサ感がなくなるの! もうシャンプーなしでは生きてけなくなっちゃった」
賞品の性能を誇張したCMかというくらい絶賛してもらっている中で、カーリンと盛り上がっているツァールトに向かってシャンプーが入った壺を出す。
「これ、いただいたオリンバの実で作ったシャンプー。ミルテさんと使ってね」
蓋が開かないように布でぐるぐる巻きにしてある壺を渡と、受け取るツァールトは今にも壺に頬ずりしそうなくらい嬉しそうな笑みをこぼしている。
「確かにもらったよ。また欲しくなったらお願いしてもいいかい? 干し肉の塊と交換しよう」
俺はニッと笑い、「もちろん」と答えた。
……よし! またコパンのご飯で困ったらこちらからも話を持ちかけよう!
「じゃあ計算を勉強しようか。さあ、席についてー」
先生のように手をパンパン叩くツァールトの後ろをついていくと、カーリンが小さい声で俺に話しかける。
「石けんはミルテさんに渡すんだよね? お昼ご飯のお礼に……」
「そうそう。ミルテさんにあげよう。お昼を運んできてくれたときに渡そうね」
「わたしが渡していいんだよね?」
これから料理屋の仕事を見せてもらうため、そしてミルテとカーリンの仲を深めるために、カーリンから手渡してもらった方が良い。俺はカーリンから頷き返されたのを見届け、計算の勉強を開始した。
今日は100までの数を数える練習と、計算問題の出し合いっこだ。
計算問題では、「野菜が2つのとき、魚は何匹?」というように野菜の数を書いてもらう方法にしてもらった。するとカーリンの目にスイッチが入り、昨日よりも真剣に数えている。見てて気持ちがいいくらいの真剣さだ。ツァールトが店番でいなくなったときには俺が先生役を引き受け、カーリンに足し算問題を出す。
そのおかげか、「野菜がいくつのとき、魚は何匹?」という問題をスムーズに解けるようになり、「物々交換もこれから間違わずにできる気がする!」と頬を緩ませていた。
集中しているとあっという間に昼食の時間になり、ミルテがご飯を運んできた。並べ終えてミルテが仕事に戻るため、「またねー」とひらひら手を振るのをカーリンが呼び止める。
「ミルテさん! 渡したいものがあるの!」
ドアノブに手をかけていたミルテは振り返り、ツァールトは興味津々という表情で執務机から身を乗り出しカーリンを見る。
カーリンは俺のバッグから石けんを取り出すと目をパチクリしているミルテに駆け寄り、両手で手渡す。
「いつもお昼ご飯をごちそうになっているお礼です。美味しいご飯をありがとう。これはわたしとオリバーが作った石けんなんだけど、身体を洗うときに使ってね」
「これが……石けん?」
さっきまでの穏やかな表情から急に鋭い目つきになり、まるで検分するかのように石けんを色んな角度から見つめている。
「こんな固いものが石けんなの? 全然洗えてる気がしないんだけど……」
石けんを触った指同士をこすり合わせ、疑うような目でカーリンを見つめている。
「それは水に濡らさないと使えないの。全然臭くないし体の汚れも取れるんだよ!」
ニコニコしながらカーリンが答えると、ミルテは驚きに目を見張っていた。
喜んでもらえていないと思ったのか、カーリンが悲しげに首を傾げて見つめていると、ハッとしたミルテが口を開く。
「……カーリンちゃん、今日の午後はあたしのところに来ない? これの使い方を教えてほしいの」
「うん、いいよ! ご飯を食べたら行くね!」
「ありがとう。じゃ、またあとで!」
いつも通りのテンションに戻ったミルテを見送ると、丸テーブルに着席したツァールトが俺とカーリンに質問をぶつけ始めた。
「あんな四角い石けん、どこで作ったんだ? 君たちが作ったって本当か?」
何が不思議なのかわからない俺は当たり前に「そうです」と答える。
森と海の素材を集めて作っただけと知っているカーリンもうんうん頷いている。
「あれは俺の家で作ったんだよ。材料は秘密だけど、体力があれば作れる」
この世界での石けん作りは体力勝負だ。素材を取りに行くのにマラソンしないといけないし、かき混ぜるのには身体強化を使うのだ。だけど、体力さえあれば誰でも作れてしまうので、材料は秘密にしておきたい。
その後もツァールとから石けんに関する質問が続いた。まさかこんな質問攻めになるとは思っていなかったので面食らったが、質問の内容が作り方に偏っている気がする。なるべく俺が矢面に立つようにしてカーリンには質問に答えないでいてもらった。
……俺よりも財力のあるこの人に作り方を教えたら、石けんがこの村での物々交換に使えなくなりそう。それだけは嫌だ!
石けんの話ばかりしていると、カーリンが何か思いついたように、元気に話しだした。
「わかった! ツァールトさんも石けん使いたいんでしょ! ミルテさんと洗いっ子すると楽しいよ! わたし、オリバーと洗いっ子して楽しかったもん。背中とか洗いにくいもんね、オリバー」
その言葉でカーリンと洗いっ子した映像が脳内に流れ思わずスープを吹き出しそうになったが、カーリンに一切悪気はない。
……無邪気って怖い!
「そ、そうだね。背中は洗いにくいから最初は2人で洗った方がいいね。慣れたら1人でいいと思うけど……」
「ほうほう、慣れるまでは2人の方がいいのか。そうか……」
……ニヤけてるの隠せよ! ツァールトさん!
きっと風呂の時間を想像してニヤけているのであろうツァールトから質問は止まり、俺とカーリンはその隙に昼ご飯をかきこんだ。
カーリンには「ミルテさんから同じような質問をされたら、俺に詳しく聞いてって言って」と言っておいた。カーリンには以前にも作り方は教えないでと伝えてあるので大丈夫だろう。
「そうだね。作り方が知られたら森のパルメの実がなくなっちゃうもんね。わたしは使い方だけ教えてくる! またあとでー!」
昼ご飯の後は単語の勉強だ。コパンに干し肉を食べさせ、ツァールトが昼ご飯を食べ終えるのを待っている間、昨日まで学んだ単語を復習する。オリバーの基本スペックが高いおかげでするする単語を覚えられるのだ。
「オリバー、今日はカウンターで単語の勉強しないかい? 人が少なくて店番に立つことが増えそうなんだ」
確かに、何度も出入りしていたらツァールトの負担が大きいだろう。断る理由もないので申し訳無さそうな顔のツァールトに笑顔で了承の返事をする。
「じゃあ、早速カウンターに出よう。いつも静かにしてるから大丈夫だと思うけど、お客さんが来たらシーだぞ」
ツァールトが人差し指を口の前に立てると、俺は背もたれなしの椅子に座らされた。机が高いので、向こうから見たらマントに付いている獣人の耳だけが見えてるような状態だと思う。机に手習い板を置いて勉強することはできなさそうなので膝の上に置いて勉強だ。
ツァールトはカウンターにある単語を片っ端から教えてくれた。おかげで宿屋に関する言葉を習得している。できれば日常でよく使う言葉を教えてほしいな、と思っているとお客さんが来店した。冒険者のようで、二人とも大柄だ。剣を腰に挿していて皮の鎧を身に着けている。俺は静かにツァールトと冒険者の会話を聞いていた。
「こんにちは。お2人様ですね。お部屋の希望はありますか?」
「特にないが、馬を厩舎に入れてほしい。今外の木につないでいるんだ」
「承知いたしました。では、こちらの二人部屋でいかがでしょうか。この部屋ですと料金は大銅貨7枚と銅貨5枚です。厩舎は馬1頭につき、銅貨6枚です」
……え?! お金存在すんの?!
厩舎があったことにも驚いたが、お金の存在にはもっと驚いた。俺は思わず顔を上げると冒険者は平然と頷き、その後もやり取りが続く。ツァールトがお客様台帳とさっき呼んでいた木札に名前を書いてもらい、クレジットカードのような銀のカードとお客様台帳を何やら見比べている。
その確認が終わると、お金のやり取りが行われた。大きさの異なる銅貨が2種類、受付台に載せられ俺はツァールトが回収するまで食い入るように見つめていた。
「部屋の番号は、205です。オリバー、205の鍵取って」
壁際側に座る俺の方が鍵置き場に近い。お金に見入っていた俺は我に返り205の鍵を取ると、ツァールトに手渡す。
「今従業員を呼びますので、馬はその者に預けてください。それと、お客様の左手側に料理屋もございますので、よろしければご利用ください」
「ちょうど腹が減ってたからな。あとで行かせてもらうよ」
踵を返した冒険者が外に出ると、ツァールトはカウンター横にの扉を開け、従業員に声をかけている。
どうやら厩舎担当の従業員もいるようだ。
「店番って意外と大変なんですね。座ってればいいだけだと思っていました」
壁際に立て掛けてある俺の手習い板の3倍はありそうな黒板に、何やら書き込んでいるツァールトに向かって話しかけると、なんてことなさそうに答えた。
「やることが結構あるんだよ。夕方前が一番忙しいかな。この村から街の方へ進むと、他の村や街に進む道と分かれてるんだ。獣人でもない限り街から一気に行けないから、ここに泊まる冒険者が多いんだよ。おかげで大きな宿屋になったけどね」
その後も泊まりに来るお客さんが増え、この宿の1泊の金額を把握した。1人部屋だと大銅貨5枚だが、2人部屋以降は大銅貨2枚と銅貨5枚ずつ増えていっている。大銅貨が10枚になると、銀貨という単位に変わるらしい。ちなみに3人部屋はなく、4人部屋が最大のようだ。
そして壁際の黒板には客室図面と番号が書いてあり、お客さんが入ったらそれに印をつけているようだった。俺は仕事の邪魔にならないよう、気になる単語を聞いては手習い板に書いてもらい、それを覚えるということを繰り返していた。
とりあえず出来上がったところまでアップします。




