新しい家族
少し遠くの方で誰かが喋っている声が聞こえてきた。
……誰が話してるんだ?
俺は確か、映画館で映画を観ていたはずだ。
少しずつ意識が覚醒していく中で、金縛りが解けているか確認するために右手の人差し指に力を入れてみると、今までピクリとも動かなかった指が動いた。
だんだん体中の感覚がどんどん現実のものになっていく。
……やった!さっきの夢は終わったんだ!
随分長い夢を見ていたんだな、と思う頃にはもう頭は覚醒していて、時間を確認するついでに少し水でも飲もうと、ぱちりと目を覚ました。
すると、天井が今まで見たことのない天井だった。
「え?」
いつもの俺の声じゃない、少し高い少年の声が出た。そして、視界に入る自分の意志で動かせる腕が、子供のものだった。
「あれ? なにこれ……俺の部屋じゃない……」
自分から出る声は映像で流れていたあの男の子の声だった。手をぐーぱーしていたら、後頭部にじんじんと痛みを感じ始めた。夢の映画館で感じたあの痛みがまだ続いているようだ。
「ちょっと待って…… あれは夢じゃなかったのか?」
全く現状を飲み込めずにいる俺は、布団とは思えないカサカサと音がなる布団から起き上がり、この部屋を見渡す。
今俺は2つ連なる大きなベッドの窓側の方に寝ていた。カサカサ音は藁かなんかだと思う。なんだかちくちくして痒いし、マットレスの上に布団を引いていないのか、とても固い台だ。
上にかける掛け布団はひと目でわかる安っぽいやつだな、と思ったとき、ふと俺はあることに気づいた。
「あ、このベッド、オリバーが包まってたベッドだ」
……もしかして、あのスクリーンに映っていた世界に来ちゃったとか?
夢とは思えないリアルな感覚に混乱していると、俺が起きたことを察したのか、一人の女の子が出入り口のドアを開けた。どうやら寝ているときに聞こえてきた声の持ち主は、ドアの向こうにいたらしい。
その女の子は若葉のような髪色の、活発そうなショートカットの可愛らしい顔立ちで、頭には獣の耳がついている。
「オリバー、@#$%^*#?」
彼女が言葉を発すると、映画で流れていた言語で話しかけられた。すると、自分の記憶と混ざり合うように、自分のものではない記憶が流れ込んできた。
だけど、なぜか自分の記憶だと認識してしまう。その記憶は、どうやらオリバーのもののようだった。
俺が夢の映画で見た映像とリンクする記憶があったから、そう判断できた。
オリバーの記憶と俺の記憶が混ざり合い、俺はオリバーになったんだと、このとき直感的に感じた。
「オリバー、大丈夫?」
人の記憶が流れ込んでくるという、いまだかつて感じたことのない感覚に気持ち悪くなってしまい、目頭を押さえていると、耳を少し垂らした少女がまた話しかけてきた。
……言葉が聞き取れる!
オリバーの記憶が俺の中に入ってきたおかげて、今まで理解できなかった音が意味のある言葉として聞こえるようになった。
そして、見上げた先にいる俺にとっては見ず知らずのこの女の子はカーリンという名前で、この家でオリバーとともにお世話になっている孤児だということも記憶が教えてくれた。
「大丈夫、だよ、カーリン」
カタコトになってしまったが、こちらの言葉を発することができた。少女は本気で心配してくれていたようで、涙目になっていた。
「あぁ、良かった……でも本当に大丈夫?なにかわたしにできることある?」
「ううん、大丈夫。ちょっとびっくりした、だけだから」
どうやらちゃんと意思疎通ができているようだ。よかった。だが、俺は状況を整理したい。ちょっとどころの驚きではないのだ。
「でも、もうちょっと寝たい」
「うん、わかった。晩ごはん、できたら呼ぶからね」
そう言って部屋から出ていくカーリンを見ていると、尻尾が目に入り、思わず見入ってしまった。どうやら耳と尻尾が生えている人も住んでいる世界らしい。
……ここ、日本じゃない。俺の知ってる世界でもないかもしれない。
右も左もわからないこんな世界で、一人で生きていく自信はない。それに俺がオリバーじゃないとわかったら、気持ち悪がられて俺は捨てられてしまうかもしれない。
再びちくちくする布団に入った俺は、以前のオリバーじゃないとバレないようにするために、オリバーの記憶を理解しようと反芻し始めた。
まず俺は、夢の中の映画館で見ていた主人公、オリバーになってしまったようだ。
そしてオリバーは数年前から両親が帰ってこず、今寝ているこの家に住まわせてもらっている。本当の家は別にあるようだ。
この家に住むようになった最初の頃の映像が脳内に流れると、少し寂しい気持ちも蘇ってきた。自分の感情ではないのに寂しさを強制されているようで、すごく不思議な気分だ。
気分を紛らわすためにさっき部屋に入ってきた女の子、カーリンのことも記憶から探る。
カーリンは5歳の孤児で両親がいない。オリバーと同い年で、世話を焼いてくる女の子らしい。
カーリンについては、優しくしてくれるが、同い年のくせに弟のように扱ってくるのが嫌、くらいの情報しか出てこなかった。
他にこの家の住人については?と記憶を呼び起こしていく。
茶髪でやや乱れた無造作な髪型のシュティローおじさんで、その奥さんが柔らかな印象を与えるクリーム色の長髪のディータおばさん。
そしてエイミーという少女が、二人の娘だ。両親の髪色がきれいに混ざったようなやや濃いめなクリーム色で、天然パーマなのかゆるいウェーブがかかった髪が肩まであり、気の強そうな顔立ちをしている。
なぜ髪色だけの特徴なのかというと、オリバーが顔立ちがぼんやりとしか覚えていなかったからだ。その代わり、両親の顔ははっきり覚えているのに、名前は曖昧だった。
お父さん、お母さんと呼んでいたから名前はまだ覚えていなかったようだ。
聞いたら思い出せるんだけど、きっかけがないと出てこない感じの覚え方だ。とてもムズムズする。
シュティローは冒険者という職業についている。朝早くに出かけて、オリバーが寝ている間に帰ってくるか、もしくは数日帰ってこない生活をしているようだ。
そんな夫を支えるディータは畑を耕したり、浜の方に行って仕事をしているようだ。
そして、エイミーはオリバーの2つ上のお姉さん。前のオリバーからすると気の強いお姉さんで、たまに怖いが頼りになる、という印象のようだ。
シュティロー家族はオリバーに良くしてくれているらしく、ここの家での思い出と共に良い感情が一緒に流れ込んできた。良好な関係を築けているらしい。
この家の住人はオリバーを除いて4人だ。そして、この4人に共通していることがあった。
……みんな獣みたいな耳生えてるじゃん。
顔立ちは人間と変わらないのだが、共通してみんな頭に犬や猫のような耳がついているのだ。厳密には、シュティロー家族が犬の耳、カーリンが猫の耳に見える。
……俺にもあの猫の耳、生えてるのか?
いまだに見慣れない小さい右手で自分の頭を触ってみる。ごわごわした髪の手触りだけで頭には耳がなく、触り慣れた位置に人間の耳が着いていた。どうやら俺は人間のようだ。
ついでに髪の長さは、肩くらいまであった。前髪がとても長く、顎の下すれすれまであり、センター分けをして前を見ている感じだ。大和時代、いつも短髪にしていた俺にとってはとても邪魔に感じた。
俺の頭にも耳があることを少し楽しみにしていたのでため息を吐きながら腕を布団に入れる。そのとき、何か自分の体の一部が当たった。
……何の感覚?
体から少し離して手を置いたんだけどなあ、と思いながら少し触ってみる。なんか棒状の長いものがついていた。これはもしや……
「俺のアレ、もしかしてめっちゃ長いの?!」
ガバっと布団から飛び起き、上掛けを剥ぐと俺が握っていたのは尻尾だった。目線で出所を追うと、前から生えているものではなく、お尻のやや上辺りから生えていた。
「はあ、良かった……服からはみ出るほどのヤツを持ってるのかと思った……」
安堵していたが、俺は周りとの違いに気がついた。俺は尻尾がついているけど、耳がない。
「俺、人間じゃないのか?周りの皆とも違うのか?あー、よくわかんない」
耳問題から派生して、頭に耳がないことがコンプレックスだった記憶と感情が湧いてきた。
オリバーは耳がないことで他の家の子供達にいじめられていたようだ。
今回押し倒されて頭をぶつけたのも、「獣人じゃない半端者」といじめられていたからのようだ。
どうやら初めてではないようで、毎回エイミーとカーリンにかばわれていた記憶がある。
今回はたまたま頭の打ちどころが悪かったようだ。
なぜ自分に耳がないかは、オリバーは答えを持っていない。考えてもわからないことはあとで誰かに聞いてみよう。そうしよう。
「でもなんでこんな世界に転生?生まれ変わり?したんだ? 俺が風呂に入ってるときに呟いたことが叶ったとか?」
……確かに「自由に生きてみたい」とは言ったけど、ここまで大掛かりじゃなくていいよ!
誰にも届かないであろうツッコミを心の中でいれておく。
今度は大和だった頃の家族が心配になってきた。
だけど、もう妹は社会人だし、母親もまだまだ元気だ。俺がいなくてもなんとかなるだろうか。
俺と妹を育ててくれた母親に礼も言えず先立ってしまったことに、後悔がこみ上げてきた。
「母さん、ごめん……陽菜もごめん」
あの二人なら俺がいなくても大丈夫という理由探しと、でも陽菜のあんなところが心配、のせめぎあいをしながら、俺はいつの間にか寝てしまっていた。
「オリバー、晩ご飯ができたわよ」
カーリンとは違う声に起こされた。もう部屋が暗くなっている。
声をかけてきたのはディータおばさんだ。おばさんと言っているが、20代後半くらいに見える。磨けばかなり美人になると思うが、少し薄汚れた印象がある。あまり風呂に入っていないのだろうか。そう言えば、カーリンもちょっと汚れていたなと思い出した。
「わかった、食べる。ありがとう」
会話はできているが、まだ知り合いの知り合いぐらいの気持ちで接している。大和時代、人見知りはあまりしなかった方だが、さすがに即座に家族のように接するのは抵抗があったからだ。
寝室から出ると食卓にはカーリンとエイミーが座って待っていた。まだシュティローは帰ってないようだ。
俺は記憶を思い出しながら自分の椅子に座り、ディータもエイミーの隣の席についたところで夕飯を食べ始めた。俺の席はカーリンの隣だ。
メニューはめちゃくちゃ味が薄いスープと硬い黒パンだけ。これだけ?とびっくりしたが、他の3人は平然とした顔で食べ進めている。
食卓に並ぶ品々を見て、気になることがあった。テーブル中心に、深いおわんに入った塩がどんっと陣取っていたのだ。
「ねえ、なんで塩がテーブルの真ん中に置いてあるの?」
「え?スープに入れるためよ? 今までそうしてたでしょ?」
ディータは当然でしょ?という顔で塩をさじですくい、自分のスープにさらさらと入れる。
「あ、ああ、そうだったそうだった。 あははは……」
俺も塩を味が薄すぎるスープに入れ、味を調節していく。パンは硬すぎて俺の顎の力では噛み切れないのでスープに浸しておくことにした。
「オリバー、頭はもう痛くない?大丈夫なの?」
「うん、まだじんじんするけど大丈夫だよ」
「それにしてもびっくりしたわよ。オリバーが倒れてピクリとも動かなかったから……明日わたしがあいつらに、またきつく言っといてあげるわ!」
エイミーは気の強そうな見た目通り、やんちゃ坊主たちを叱りつけることができるお姉さんで、いつもオリバーを守っているようだ。記憶通り、頼りになる女の子である。
「それと、カーリンにあとでお礼を言いなよ?オリバーの傷を一生懸命癒やしてくれたんだから。おかげで魔力を使い切っちゃったんだもんね、カーリン?」
……一生懸命癒やした?? 魔力?? 言われてみると、たしかに外傷とかかさぶたはなかったような……。
俺は自分の後頭部を触ってみる。腫れて熱を持っているが、傷のような感触はなかった。それに、エイミーは『魔力』という単語も出していた。
つまりそれは、大和時代に漫画で読んだような呪文を唱えて氷がパキーン!と出たり、杖を振って炎がゴオーーー!と出るような技があるってこと?それは俺も使えるのだろうか?なにそれおもしろそう!
「ねえ、魔力ってなに?!俺も何か技が使えるの?!」
昂った気持ちのまま質問したら3人ともポカーンとした顔になってしまった。俺も魔法が使えるのかも!と思ったら熱が入って、テンションがうざかったのかもしれない。
「……頭を打ったときにおかしくなったのかしら?」
エイミーに真顔で言われ、俺が見当違いな質問をしていたのだと理解した。オリバーの記憶を探ってみるが、「魔力は魔力」という何の足しにもならない情報しか得られなかった。
もう、ここは頭を打って忘れちゃったことにして聞いてみよう。
「あはは、はは、頭を打ったときに色々忘れちゃったのかもなー。あははは……」
「……体には魔力が流れていて、それを使って私だったら水を出したり、傷を癒やしたりできるんだよ。オリバー覚えてないの?」
カーリンにそう言われると、オリバーの記憶が蘇ってくる。
「お、思い出したよ。えーと、エイミーは火が出せて、ディータおばさんも火が出せる……で合ってる?」
3人は眉毛をハの字にしながらうんうんうなずいてくれた。とても心配されているのがわかる。
「そうよ、私とエイミーはトゥルフ族で火属性があるから火が出せるの。カーリンはカルツェ族で水属性を持ってるから水が出せて、癒やしが使えるのよ。この辺りは大丈夫?」
ディータおばさんが追加で説明してくれたが、『トゥルフ族』と『カルツェ族』という単語がよくわからなかった。オリバーの記憶を探るより、ディータおばさんに説明してもらった方がわかりやすそうだと判断し、首をかしげてわからないとアピールする。
「ディータおばさん、トゥルフ族とカルツェ族ってなに?」
「私達獣人のことなんてあんまり詳しく話したことがなかったからわからなくても不思議じゃなかったわね。
トゥルフ族は、狼の魔物を祖先に持つと言われている種族のことで私とエイミー、それからシュティローがトゥルフ族よ。カーリンがカルツェ族で、虎の魔物を祖先に持つと言われている種族。こういう獣の特徴を持っている人のことを獣人って言うの。
そして、種族によって使える属性が決まっていてトゥルフ族は火、カルツェ族は水の属性を持ってるの」
俺は食事中のカーリンとエイミーを交互に見て、耳と尻尾の形の違いに気づいた。カーリンの方は耳が猫っぽくて、エイミーは狼っぽい耳をしている。尻尾はどちらもふさふさだが、虎を祖先に持つというカーリンの方が少し毛が短めでかつ、しなやかな動きをしそうな形状だ。
俺は自分の尻尾を見つめる。俺の尻尾はエイミーの方に似ていて犬のような尻尾だ。
……俺の父親はトゥルフ族なのかもな。
他にも話に出てきた単語で気になるものがあった。
「属性って水と火だけなの?」
「属性はね、火、水、風、土、光、闇があるの。獣人が持てるのは1つの属性だけだけどね」
「へえー、じゃあ俺の属性は……」
「オリバーの属性の話はまた今度にしましょう。さ、冷めないうちに食べて食べてー」
ディータおばさんがにこやかに話を強制的に終わらせると、夕飯の続きを食べ始めた。カーリンとエイミーもこちらを向こうとせずに食べ続けているが、なんだかさっきよりとぎこちない。
……あれ?俺の属性知りたかったのに。聞いちゃいけなかったのか?
みんなを見ても誰も視線を合わせてくれない。俺は諦めてスープに漬け込んでひたひたになったパンを食べた。
……あ、カーリンにお礼言ってなかったや。ちょっとタイミング悪いけど言っておこう。
「カーリン、傷を治してくれてありがとね。魔力もたくさん使ってくれてありがとう」
「ううん、オリバーの傷が治ってよかったよ」
少し気まずそうだけど、笑いながらカーリンは応えてくれる。どうやら俺の属性の話じゃなきゃ話してくれるみたいだ。
「でもこのたんこぶ、本当に治るのかな?」
カーリンの少し汚れた手が伸びてくる。たんこぶにこの手が触れると、何か菌が入りそうで怖くなった俺は、カーリンの腕を掴んだ。
「まだ痛いから、触らないで」
「あ、そっか。ごめんごめん」
……命の恩人に申し訳ないが、その汚い手では触られたくないんだ!
そう思った後、自分の手を見下ろすと、自分の手も薄汚れていることに気づく。
まあこの後お風呂に入るんだろう、と思ったらオリバーの記憶が教えてくれた。お風呂は三日に一回程度、盥で水浴びをして、清潔なタオルとは思えない布で体を拭うだけ、だと。
……囚人かよ?!
俺はため息を吐き、日本での生活を思い出す。あんなに何でも揃ってて、タオルもきれいで、美味しい料理が出てたのって恵まれてたんだな、と。
俺はこの先、やっていけるのか? と心配になりながら、塩の味しかしないスープを啜った。
オリバーの髪型は今、鬼○郎のセンター分けバージョンが一番イメージに近いです。