石けん作りへの道
石けん作りを目前に、俺は寝込んでいた。
昨日、潮干狩りから帰ってきたら熱が出てしまい、今日はどこにも行かず、寝ているしかなかった。
悪寒が背中を走り、熱で身体がベタつく。夏なのに寒くて、体内は熱い。完璧に風邪だ。
俺が布団で寝ている間に、大型犬サイズになったコパンは、背負籠を持ったカーリンと元気に玄関を出ていった。
コパンが中型犬より大きいサイズなのは、魔力コントロールの次の段階に進んだからだ。昨日早く帰ってきたシュティローおじさんに、コパンが無理して魔力を蓄えていないか確認してもらった結果、合格をもらえた。
熱を出して半分くらいしか話を理解できなかったが、合格だけはっきり聞こえた。よかった。
そして、今日は塩作りの仕事を休んだディータおばさんが家にいる。今はベットに腰掛け、俺にご飯を食べさせてくれているところだ。身のこなしや所作が優しく、本当にこの人から凶暴な姉御肌のあのエイミーが生まれたのかと、疑いたくなった。
……まあ、エイミーもたまに優しいけどね。
「最近は森にもハイス山にも行けるようになったものね。今まで家にいてばかりだったから、身体がついていかなかったのよ、きっと。それで、昨日浜はどうだった? 楽しかった?」
「うん、楽しかった。ケバルトたちとも仲良くなれたよ」
「そう。それはよかったわ。しかも魔物化したアワフキ貝をオリバーがやっつけたんでしょ? 昨日カーリンたちが教えてくれたわよ」
ディータおばさんは微笑みながらそう言うと、俺の頭を優しく撫でてくれた。シュティローおじさんのような力強い撫で方ではなく、思いやりを感じる撫で方に俺はとろけた気持ちになる。
「でもオリバー。今度そんな危ない出来事があったら大人を呼ぶのよ。今回はたまたまうまくいっただけで、本来なら大人に頼るべきことなんだから」
「はあい。次からは気をつけます……」
その後も時たまディータおばさんは様子を見に来て、甲斐甲斐しく世話をしてくれていた。
俺はベタベタの身体を拭いてもらいながら、ディータおばさんの顔を見る。
ずっと俺の面倒を見るだけでは暇じゃないのだろうか。
「ディータおばさんは、今何してるの?」
「わたしは居間で糸を作ってるのよ。来年、オリバーとカーリンが新人式でしょ? カーリンはエイミーのお下がりで良さそうなんだけど、オリバーは男の子だからね」
……新人式? なんじゃそりゃ?
と思ったら、エイミーが麻色のワンピースを着ている場面が浮かび上がった。オリバーの記憶だ。
いつも着ている赤い半袖に髪の色に似たクリーム色の短パンとは違い、シンプルなワンピースという見た目だ。他の子供達も麻色の服を着て、エイミーと一緒に広場に行くところまでしか見えなかった。
……あの服を着て何か儀式をするのかな?
俺がよくわかっていないことに気付いたのか、ディータおばさんは「そういえば新人式のときは家から出てないわね」と苦笑しながら説明してくれた。
新人式は、七歳になった子供を一人の人間として領地に登録する儀式らしい。
その年に七歳になる子供を春、夏生まれの子は春に、秋、冬生まれは秋に一気に集めて登録をする。登録というのが何をする行為なのかがわからないが、とにかくそうすることでこの領地の人間として認められ、見習い仕事に就くことになる。
日本では子供が生まれたら市役所に出生届を出す手続きがあったが、それを七歳のときにやる感じなんだろうか。
ちなみに、新人式だけではなく他にも色んな儀式を一気にやるらしい。
結婚式、成人式などもまとめて一緒にやる。想像するだけでカオスだ。
新人式で着る服は言わば晴れ着のため、白い服を着ないといけないらしい。俺が麻色と思った服は、ここでは白になるようだ。
そして、女の子はワンピースの晴れ着を着ることが一般的なため、エイミーの晴れ着はカーリンに回し、俺の晴れ着を新しく作るために今は糸を作ってくれているということだった。
でも、獣人は髪の毛を衣服に変えられるのだ。そんな大変なことを仕事の合間にやらなくてもいいんじゃない?と、俺はある提案をしてみた。
「そうだったんだ。でも、俺も晴れ着は誰かのお古でいいよ? それか、髪の毛溜めといて作ろうか?」
ディータおばさんは目を伏せながらゆるく首を振ると、軽く溜息をついた。
「晴れ着は親が子供に作るものよ。使い道が儀式用しかないから、布の方がいいわ。それに、裁縫が好きだから作れるなら作りたいの。髪の毛は取っておきなさい。これから使うかも知れないでしょう?」
獣人の毛で作った服や靴は頑丈なので、仕事着に使われることが多い。
エイミーもディータおばさんも休みの日は布の服で、仕事の日は自分の毛で作った服を着ている。儀式でしか着ない服なら、確かに布でいいだろう。
それにしても、ディータおばさんが裁縫好きだとは知らなかった。
……ディータおばさんにもメリットがあるならいっか。
俺はお言葉に甘え、晴れ着を作ってもらうことにした。
「わかった。じゃあ楽しみにしてるね」
優しくふんわり笑うディータおばさんに寝るように促され、俺はまた熱との戦いに戻った。
その後さらに二日寝込み、その翌日にやっと熱が下がりベッドから出られたが、朝ご飯中に「今日は念の為一日家にいなさい」とディータおばさんに言われた。
……椅子にただ座っていても暇だ。
念のため家にいてくれるらしいカーリンが、コパンと骨の取り合いっこ遊びをしている横で、俺は石けん作りの工程を思い出す。
やることもないし、必要な道具がすぐに揃えられるか確認しておこう。
俺は苦結晶を重曹に見立て、重曹と焼いた貝殻の粉末で苛性ソーダを作ろうとしている。その苛性ソーダと植物油でけん化反応を起こし、固形石鹸を作るつもりだ。
「苛性ソーダは劇物だから使っちゃダメ」と母さんに言われた小学生の俺は、自由研究で石けん素地を使わざるを得なかったのだ。
でも、作り方は調べたからいけるはず。
……えーと、作り方は……
まず、苦結晶を水に溶かして水溶液を作る。名前は苦結晶水溶液でいいや。鋳鉄の素材かガラス素材の容器に入れて、溶かす作業をした方が良かった覚えがあるけど、オリバーの家にあったかな? この家には鋳鉄の鍋があるから、オリバーの家にもあってほしいな。あとで要確認だ。混ぜるのに木製のお玉を使おう。なければ作る。次。
粉々にした貝殻に水をかけて、水溶液を作ったら沈殿物を取り出す。これは濾せばいいだろう。壺と布があればできそう。この作業も混ぜるお玉か棒が必要だな。次。
苦結晶水溶液と、さっき濾した沈殿物を加熱しながら混ぜる。濾過すれば水溶液ができる。これが苛性ソーダ水になるはず。金属の鍋は腐食するのでこれも鋳鉄の鍋が望ましい。あと混ぜ棒が必要。次。
植物油と苛性ソーダ水を混ぜまくる。確か20分程度混ぜる。混ぜて生地をすくい上げたときにトレースという、生地表面に道具の跡がつく状態になれば完成。
このとき、塩析をするとさらに質の良い石けんができたはずだ。家の塩をもらえないかディータおばさんに聞いてみよう。
別の器に移したら数日保温して、数週間乾燥させれば完成だ。壺に入れたまま乾燥させることも考えたが、取り出す度に壺を壊さなきゃいけなくなりそうだ。使っていないコップがあればそれに入れる。以上。
……作り方はこんなもんか。
俺が今一番怖いのは、アルカリの結晶だと思っているものが、そうではないことだ。もしアルカリ性じゃなければ、全く意味のない液体を作っていることになる。舐めて苦い味がして、指がガサガサになったから、というだけでアルカリ性だと決めつけたが、この世界には魔石があるくらいだ。異世界の特殊な結晶の可能性もある。
……リトマス紙があればなあ。それか、アルミホイルか紫キャベツがあれば酸性かアルカリ性か確かめられたのになあ。
しかも小学生の頃の自由研究でまとめた知識と、漫画やテレビから得た知識のみでチャレンジする。強アルカリ結晶の水溶液なんて、配合の比率がわからない。量りもないので目分量でやるしかない。なかなか無謀だ。
だけど、カーリンとエイミーにシャンプーを作ると啖呵を切ってしまった手前、作らないわけにはいかない。
まずは少ない量を作ることから始めよう。そして、苦結晶がアルカリ性の結晶だと信じて作業しよう。作る量が少なければ何回も挑戦できるはずだ。
明日には俺も回復するだろうから、山菜や木切れを森に取りに行く前にオリバーの家に寄って道具があるか確認しなきゃ。
……あー、メモを取りたい。
工程が頭から抜けていかないように、ずっと覚えてなきゃいけないのが地味に大変だ。
「はあ。そもそもこの世界に【紙】ってないのかな……」
「カミ? ってなに?」
思ったことが口から出てしまっていたようだ。でも、ちょうどいいから聞いてみよう。
「……こんにちはとか、ありがとうって言葉を書くものなんだけど、わかる?」
【文字】や【数字】という言葉もこの世界でなんと言うのか習得していない俺は、なるべくわかりやすく説明してみたつもりだけど、カーリンは首をかしげた。
「地面に書くのじゃだめなの? そもそも文字書けるの?」
……日本語なら書ける。
「書けないけど、その文字を書き残すためのものがほしいんだ。」
……配合量も手探りでやるしかないから、試した比率やうまくいった比率を記憶しておかないといけないなあ。なんか代案があればいいけど……
スマホやメモ帳といった、現代日本では当たり前のようにあった便利グッズに今になって感謝した。
それらに頼りきりだった俺は、あんまり記憶力に自信がない。
……いざとなったら日本語で木に彫って、メモろう。採集に使う短剣を借りるか。
日本語を木に彫って、それが俺の仕業だとばれても、まだ子供だから許されるだろう。でも、文字があるなら覚えてこの世界に溶け込みたい。
「ふーん? 文字を書きたいならエイミーに言ってみたら? 塩作りの見習い仕事をし始めたとき、簡単な読み書きは教えてもらったって言ってたよ。エイミーは自分の名前が書けるんだって!」
「そうなの?! 帰ってきたら聞いてみる!」
……さすがエイミー! 早く帰ってきて!
「文字と数字を覚えたいの? 塩作りの小屋に行かないとお見本がないわね……」
「エイミーは書けないの?」
「書けるけど、あんなに綺麗に書けないもの」
見習い仕事から帰ってきたエイミーに、文字を教えてほしいとお願いしたところ、恥ずかしがって書いてくれなかった。エイミーの説明を聞いて要約すると、基本となる文字を何文字も覚え、その1つ1つを組み合わせていって意味のある言葉にするらしい。構造は英語に似ていると思った。
「塩作り見習いになれば文字を覚えられるけど、オリバーは冒険者志望でしょ? それに……塩作りの小屋には来ない方がいい」
眉を顰めながらエイミーはそう言うと、困ったような苦笑いで視線をさまよわせる。「どうして?」という俺の問いに噛み噛みになりながら答えてくれた。
「し、塩作り職人には秘密がた、たた、たくさんあるのよ。み、見習いでもないのに、小屋に来たら秘密がばれちゃうでしょ!」
「そうなんだ、じゃあ仕方ないか」
エイミーがしどろもどろになるほど、塩作り職人には秘匿したい何かがあるらしい。
……それもそっか。職人の世界には部外者には言えないこと、たくさんあるよなあ。しょうがないか。ところで、紙はあるのかな?
「そう言えば、文字って何に書いて練習してるの?」
「手習板よ。 このくらいの黒い石の板に、字が書ける石……えーと、石筆だったかな? それで書き込むの。仕事時間中、暇なときは浜に枝で書いてたときもあるわね」
……手習板は小さい黒板? 石筆はチョークみたいなものかな? そういうもので練習するのか。じゃあやっぱり紙はないんだ。
「オリバー、いい? 浜に行くときは絶対あたしに声をかけるのよ。迷子になったら大変なんだから」
エイミーは眉を顰め、真面目な顔つきで俺にそう言った。言い方がきついときがあるけど、なんだかんだ言って面倒見が良いお姉ちゃんだな、と思ったがさすがにこれは過保護すぎると思う。
……浜なんて見晴らしのいいところで迷子になんかならないのに、大げさだなあ。ま、心配してくれてるってことか。
俺はエイミーの気持ちを受け止め、笑顔でうんうんとうなずく。
「わかったよ、エイミー。それよりも、晩御飯の準備始めない?」
夕ご飯作りで使う食材を洗い始めた俺は、エイミーが眉を顰めたままになっていることに気づかなかった。
ついに始まる石けん作り。
量りがないのは大変ですね。
汗でベタベタになったオリバーは石けんを恋焦がれています。




