辺境の狒々爺、連行される。[改訂版]
部分的に改稿し、前作の雰囲気をできる限り残したつもりです。まぁ、別エンド版だと思って頂ければ。
「グスタフ卿。貴方を連行させて頂きます」
穏やかな昼下がり、修道院に頼まれて引き取ったフィリアさんと、のんびりお茶でもしようと準備していたら……衛兵が大勢やって来ました。
何やら穏やかな雰囲気ではありませんね。
「はて、連行とは……?罪状をお教え願えますか?」
「ご自分の胸にお聞きください。私からは通告致しかねます故」
ふむ。まぁ、衛兵が容疑者に罪状を告げなくてはならないという規則はありませんので、そう言われては何も言えませんね。
……特に貴族関係者を捕らえる際には情報保護や政治上の都合から罪状を教えずに逮捕させる事はよくありますから、彼も知らないのかもしれません。
「分かりました。御同行致しましょう」
何にせよ、心当たりの無い事は事実。冤罪であったならば対処せねばなりませんし、気付かぬ間に罪を犯していたのならば償わなくてはなりません。
「ま、待って下さい!その方は決して罪を犯されるような方ではありません!何かの間違いです!!」
おや、フィリアさんが出てきてしまいましたか。お茶のためにクッキーを焼くとキッチンに篭っていた筈なのに……今出て来て大丈夫なのでしょうか。
何にせよ、先ずは留守番を頼まなくては。
「……それを判断するのは私たちの仕事ではありませんので」
「そんな……」
「フィリアさん、暫く家を空けます。何か困った事があれば、私の部屋にある魔道具で近隣の村にご連絡を。火急の際には躊躇なく逃げなさい、貴女の命が最優先です。―――明日にはナタリアさんという商人の方がいらっしゃる予定だった筈なので、事情を話し、彼女に暫く身を預かって貰うといいでしょう。それまでは留守番をお願いします」
「そんな!ご主人様!!」
私を庇って下さるのは嬉しいのですが……衛兵が彼女の訴えを聞かないのは当たり前ですし、このまま連行を妨害してしまうと彼女も罪に問われてしまうかもしれません。何とか留守番を引き受けて頂かなくては……。
「私の留守をお願いします。しばらく一人にしてしまいますが、こちらの事は気にせず、どうかお気をつけて。……フィリアさんのクッキー、楽しみにしていますね?」
辺境の片隅に少女を一人で残して行くのは正直、かなり不安なのですが……一晩、留守を守っていて下されば、ナタリアさんが保護して下さるでしょう。あの子は、他人を思いやれる優しい心根の持ち主ですからね。
「……はい………分かりました………。―――どうかお気をつけて、ご主人様………」
「貴女も、どうかお気をつけて。フィリアさん」
◇
行ってしまった。
あの人が。私の大切なご主人様が。
世間では色々と悪い噂が流れているそうだが、あの人はとてもいい人だ。
私みたいな人間であっても受け入れて、大切に扱ってくれる。ありのままに……受け入れてくれる。
それが、どれ程に素晴らしい事か。
特別な言葉なんていらない。
ありのままに受け入れて、ただそこに居てくれるだけでいい。たったそれだけで、人は救われるのだ。
私は愛されたかった。
誰かに、愛して欲しかった。
私を殴る平民の母も、一度しか会わなかった父を名乗る貴族も、私を引き受けた見知らぬ家の使用人たちも………私を愛してはくれなかったから。
愛してもらえないと………私は幸せになれないから。
学園に入って、沢山の男の人に好きだと言ってもらえた。愛していると、言ってもらえた。
有頂天になった。初めて、愛してもらえたのだと思った。幸せに、なれたのだと思った。
もっと愛されたいと、幸せになるためならと……悪い事だろうと何でもした。
―――そして、全てを失った。
沢山の人に憎まれていた。愛していると言ってくれた人達も離れていった。
私は毒婦と呼ばれて、色んな人に蔑まれて……修道院に入れられた。
今なら分かる。
私は、愛されていなかった。誰も、本当に私を愛してはいなかった。ただ、肉欲を向けていただけだったのだ。
幸せだと思ったけれど……それは多分、偽物の幸せだったのだ。
愛というものはもっと……優しくて、温かいものなのだから。
それを教えてくれた人は……連れて行かれてしまって、もういない。
やっと居場所を見つけたと思ったのに。
私は、また失うの?
部屋の片隅で震えながら夜を過ごす。
夜がこんなに長いなんて、
一人が、こんなに恐ろしいなんて、
私は知らなかった。
ドアをノックする音が聞こえたのは、それから、どれくらい時間が経った頃だったのだろうか。
膝を抱えたまま微睡んでいた意識がゆっくりと目覚め、来客がある事を教えてくれる。
フラフラと歩きドアを開けると、赤髪の美女がいた。
「こんにちは、先生はいらっしゃる……って、どうしたの!?貴女酷い顔色してるわよ!?」
「ご、ご主人様が……ご主人様がぁ!!」
「ちょ、落ち着いて、何があったの!まさか、先生に何かあったの!?―――毛布と飲み物を持ってきて!!……取り敢えずこれで落ち着きなさい!」
震えている体に毛布を被せられ、温かい紅茶が喉を流れていく。冷たくなっていた体が少し温まり、必死に介抱してくれる女性の姿を見て心が落ち着いた。
「落ち着いた?私は商人のナタリア。今日は先生に頼まれていたものを届けに来たわ。……それで、何があったの?家の中には誰も居ないようだけど……」
「ご、ご主人様は……連れて行かれました…‥…」
「連れて行かれた!?誰に?」
ナタリアさんと名乗る女性に、昨日起こった事を伝える。私の辿々しい説明でもこの人は、私の震える手を握りながら辛抱強く聞いてくれた。
「………なるほど、状況は分かったわ。―――取り敢えずフィリアさん、貴女は私と一緒に来なさい。先生もおっしゃっていたようだけど、こんな辺境の一軒家に女性が一人でいるのは危ないわ。私の方で面倒を見るから、すぐに準備して。急いで出発するわよ」
「出発……?」
何処に、だろうか………?
「あら、決まっているでしょう?さっさと取り返しに行くわよ。あの人を」
◇
何日も馬車に揺られ、連れてこられたのは王都でした。昔住んでいた街とはいえ、流石に数十年経っているだけあって随分と変わっているように感じます。
そういえば坊っちゃんは、元気にやっているでしょうか……?
「目的地に到着しました。グスタフ卿、貴方の裁判は明後日の午後に行われる予定です。―――今回の裁判は、一部の貴族達が無断で起こしたもののようです。逮捕状が出ている以上、我々衛兵には何も出来ません………本当に申し訳ありません」
「いえいえ。貴方達は己の職分を全うしていらっしゃる。素晴らしい事です。それで、裁判まで私は何処に居ればいいでしょうか?」
衛兵の方々が申し訳なさそうにしていらっしゃいますが、彼らは職分を全うしていらっしゃるだけ。私が責める謂れはありません。
それにしても……貴族ですか。私が関わる事は恐らく、もう二度と無いだろうと思っておりましたが……これも時代の変化ですかね。
「衛兵隊長が、お部屋を用意してあるそうです。ご案内します」
「お願いします」
独房で寝ずに済むのは老骨にはありがたいですね……。古い友人達の気遣いでしょうか。今度、お礼の手紙を出さなくては……。
いえ、お互い老い先短い身ですし、直接会いに行くのも一興でしょうか?
「お久しぶりですね!グスタフ卿!!」
衛兵隊の方々に案内して頂いた先の部屋には、古い友人が待っていました。
こうして会うのは何十年ぶりでしょうか?久しぶりに友に会うというのは、いくつになっても嬉しいものです。
「お久しぶりですね、シュタイン卿。―――今は、衛兵隊長をされているのですね。ご立派になったものです」
「ははは……。グスタフ卿にそう言って頂けると恐縮してしまいますね。ありがとうございます。―――ですが、先ずは謝罪をさせて頂きたい。今回の件、私では止める事が出来ませんでした、本当に申し訳ありません」
悔しそうな顔をしながら古い友人が頭を下げます。プルプルと震える握りしめた両手は、まるで怒りに燃えているかのようです。
しかし、今回の件について彼を責めるのは筋違いでしょう。衛兵隊長では複数の貴族を止めるのは立場的に難しいでしょうから。
「謝罪は必要ありません。―――あの時代を生きた友たちも随分と減りました。これも時代の変化なのですかね……少し寂しいものです」
「そうですね。私も後、何年現役でいられる事やら。……貴方の事を知る者も、随分と減ってしまった。―――今回の裁判も、貴方の事を知らない貴族たちが起こしたもののようです。全く、情けない話ですね……」
「………あるいは、その方が良いのかもしれませんね。何にせよ、私は見守ると決めたのです。今更、老骨が出しゃばる気はありません。………時にシュタイン卿、まだエールは喉を通りますか?」
「ええ。やはりこの歳になっても、血と泥に塗れながら飲んだ酒の味は忘れられないようだ。………良い店があります。裁判が終わってから、飲みに行きますか?」
「そうですね。とても楽しそうだ」
随分とシワの増えた友と語らいながら、遠い日の記憶を呼び覚まします。
友よ、随分と時代は変わったようですが………
―――貴方のその、苦笑するような笑顔だけは、あの頃と少しも変わりませんね。
◇
結局の所、裁判は行われませんでした。どうやら、坊っちゃん……いえ、国王陛下や隠居していた旧友たちの介入があったらしく、私の嫌疑自体が取り消しになったそうです。
シュタイン卿が用意してくれた部屋も2日ほどで出払う事になり、迎えに来てくださったナタリアさん達と一緒に帰る事になりました。
シュタイン卿から私が王都にいると聞いた旧友たちが集まり、下町で飲み明かした夜は当時に帰ったようでとても素晴らしいものでした。
………ナタリアさんやフィリアさんには年甲斐もなくはしゃぐなと怒られてしまいましたが。
そして今………
「先生、私本気で心配したんですよ!?何で楽しそうに酔っ払ってるんですか!?」
「そうです!なんで私も連れて行ってくれないんですか!この耄碌爺!!」
二人に説教されております。
ナタリアさんのおっしゃる事は正論なので何も言えません。ごめんなさい。
どうやらフィリアさんは誰かに置いていかれるのがトラウマだったらしく……。出会ってすぐの頃に逆戻りしてしまった感がありますね。最近は打ち解けてくれたのですが……。
―――後、耄碌爺はやめて欲しいのですが………まだボケてはいないつもりなんですが。いや、まさか………無いですよね?
「それで、フィリアさん」
「はい。どうしましたご主人様?」
「クッキーはどうなりました?楽しみにしていたのですが……」
「あ」
確認してくると慌てて走って行かれましたが………あの反応からすると既にアウトな気がします。
暫くして、泣きそうな顔で何かよくわからない黒炭を持ってこられましたね。……やはり手遅れでしたか。
「ごめんなさいご主人様………」
「いえいえ、元はと言えば私が突然連行されたせいですし………。私が連行されたのも私の噂が原因らしいので……悪いのは私ですね。すいません」
「今度こそきちんと焼いてみせます!ここで待っていて下さい!」
そう言うなり、フィリアさんはキッチンに駆けて行かれました。
まだ昼前ですし、時間的には間に合うでしょう。今日のティータイムが楽しみです。
微笑ましそうにフィリアさんを見ていたナタリアさんが、揶揄うように口を開きます。
「相変わらず甘いものがお好きなんですね、先生?」
「ええ。紅茶によく合いますからね。―――それでナタリアさん、頼んでいたものは、持ってきて頂けましたか?」
「はい、勿論。………それにしても、先生がこんなものを欲しがるのは意外でしたね。―――やっぱり、あの子の為ですか?」
「ええ。どうやらあの子は、『愛』というものに飢えているようだ。まるで万能薬を求めるように。『愛』さえあれば幸せなのだと、そう思い込んでいる。―――きっと幼少の頃に当たり前に与えられるそれを、彼女は受け取れなかったのでしょう」
修道院で、虚ろな目で泣いていた彼女を見た時から、その事だけはよく分かっていました。………だからこそ聖女様も、私に彼女を引き取って欲しいと頼んだのでしょう。―――まるで、昔の彼女を見ているようでしたから。
こんな老人でも、震えながら泣いている少女を救って欲しいと頼まれたなら、奮い立たない訳にはいけません。
―――泣くのはいい。悲しむのもいい。絶望だって、みんな乗り越えて強くなる。いくらだって手を貸しますし、何度だって立ち向かってみせましょう。
―――けれど、孤独だけはいけない。人は、一人で生きられるようには出来ていないのだから。
孤独なくして、人は強くなれない。孤独なくして、真の幸福はあり得ない。それもまた、一つの真理なのでしょう。
―――けれど、それでも……孤独に泣く少女一人救えずに、大人を気取れるものですか。
もし、孤独に泣く人がいるのなら、それを正義と呼ぶのなら、私は悪で構わない。
「『愛』、ですか………。嫉妬に狂い犯罪者になった私には、少し苦い言葉ですわね。―――ですが、その苦味すらも、彼女は知らないのですわね……」
「愛される為には、先ずは愛さなくてはなりません。―――愛された事のない彼女が、それを実行するのは酷く難しい事でしょう。何度も傷つけられた彼女は、愛する事にも、愛される事にも臆病です」
「―――だから、この子なのですね?」
「ええ。彼女に、この事を口で説明しても意味はありません。―――言葉なくして、何かを伝える事は出来ません。けれど………言葉では、決して伝えられないものもあります。そして本当に大切なものは大抵、言葉で伝える事は難しいのですから。―――全く、不自由なものですね」
だからこそ、本当に大切なものというのは尊く、そして優しいものたりえるのですが。
あるいは言葉とは、本当に大切なものを伝える為に、あえて不完全で不自由なものになっているのかもしれません。
「先生が、何度かおっしゃっていた事ですわね」
「―――私は口下手ですからね、その言い訳でもありますが……。―――それよりナタリアさん。貴女も、彼女の手伝いをしてあげてくれませんか。……お客様を働かせるのはどうかと思いますが、フィリアさんにはきっと必要な事でしょう」
「あら?先生は行かれないの?お菓子作りはお得意でしょう?」
「ははは。彼女に、『此処で待っていて下さい』と言われてしまいましたから。勝手に何処かへ行ってしまうと、また怒られてしまいます」
「………全く、都合の良い方なんだから。―――私も腕を上げたのですよ?驚かせてみせますからね、先生?」
「ええ。楽しみにしています」
◇
「これは素晴らしいですね」
私の大切な人が、私のご主人様が、幸せそうにクッキーを食べている。
「ちょっと、私が作ったものも食べて下さいよ、先生」
一緒にお菓子作りをしてくれたナタリアさんも、何処か幸せそうにご主人様を突っついている。
そんな二人の姿を見ているだけで、何故か心が温かくなる。生きていることが、とても楽しくなってくる。
―――そっか、私……幸せなんだ。
―――もう、幸せだったんだ。
もっと幸せになりたい。だから……もっと食べて欲しい。
「それならば、貴女も食べなさい。貴女が幸せになれば、私も幸せになれますからね」
ご主人様に言われるままに、自分が焼いたクッキーを齧る。
―――甘い。甘いものは、とっても幸せ。
「これで、幸せになれましたか?」
「ええ、私もとても幸せです。―――フィリアさん、貴女に贈りものがあります。ナタリアさんが連れてきてくれました」
「子犬………ですか?」
「ええ。―――この子を、いっぱい愛して……幸せにしてあげて下さい。……きっと、貴女も幸せになれますからね」
小さな子犬は、私の手を舐めながらキャンと鳴いてみせた。可愛い。
「分かりました。幸せにします」
いつか、皆が幸せになれますように。
※誤字報告、ありがとうございます。