表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

36/39

12月(上)ーー大掃除



 12月。年末年始休暇の初日、私は〈工房アトリエ〉の掃除に勤しんでいた。


 年末に大掃除をするという習慣を作ったのが誰かは知らないが、片付けが苦手な私には大変ありがたい習わしである。普段から一応掃除しているものの、こういう機会がないと少しずつ物が溜まっていって、ある日気づいたら取り返しのつかない領域に足を踏み入れていた。なんてことになってしまうのがエリーセさんなのである。


 ちなみに、我がアリーセ国ではとっ散らかった部屋を「魔窟」と呼び、その部屋の主には周囲から「魔窟王」という大変に不名誉な称号が送られる。


 そうならないように、私を含め、掃除や片付けが苦手な人は年に一度のこの機会を逃すものかと大掃除に励むわけだが、綺麗に整頓された部屋はそれだけで気持ちがいいものだ。来年は普段から片付けをもっと頑張ろうと思う。


 


 さて、掃除なんて短杖を使えば一瞬……とはいかない。いや、部屋の中に何もなければ一瞬なのかもしれないけど、〈工房アトリエ〉には色々と詰め込めるだけ詰め込んでいるからね。


 もしも〈浄化〉とか〈洗浄〉の短杖で一気にカタをつけたいのなら、まずは、中にある資料とか素材とかをぜーんぶ取り出さなければならない。さもなければ、大事な素材が跡形もなく消し去られ、せっせと作った資料や〈陣〉が汚物認定されて蒸発してしまうだろう。


 

 それなら〈浮遊〉させて一気に〈工房アトリエ〉から運び出せばいいのでは? と思ったそこのあなた!

 

 確かに、そうすればとても簡単かつアッという間に運び出せるだろう。だが、床や天井、引き出しなどに直接書いた〈陣〉や〈魔法文字〉は、残念ながら運び出せない。

 

 もう一度書けばいいじゃん! なんて言わないでね。私の〈付け袖〉はこの引き出しとつながっていて、念じれば欲しい短杖が〈転送〉されてくる仕組みになっている。この設定はとても面倒だったので、もう二度とやりたくない。


 収納場所を考えて、複雑な計算式と格闘しつつ設計図を書いて、魔導士さんを雇って〈魔法文字〉を確認してもらうなんて、面倒極まりないよ。というか、年末年始の間にでできることじゃない。


 それからね。いくら短杖で物を浮かしたり動かしたりできると言っても、乱暴には扱えないものばかりだから、結局一つ一つ動かしていくことになるのだ。


  つまり何が言いたいかと言うと、〈工房アトリエ〉内の掃除は半分くらい手作業で行うことになるということだ。


 引き出しをあけて、中身を取り出し、リネンの布で磨き上げる。引き出し内の温度と湿度を確認してから中身を戻して、次の引き出しを開ける。ひたすらこれの繰り返しで、ときおり、補充しておいた方がいい素材をメモする。



 私の〈工房アトリエ〉は、そんなに広くない。横の幅が6mで奥行きも6mくらいかな。けれども天井が高くて左右両側の壁一面が引き出しになっているから、この作業だけで半日は潰れてしまう。


 ちなみに〈工房アトリエ〉に入って右側の壁の引き出しには素材と実験器具が、左側の壁には短杖や魔道具がしまってある。作業台は一番奥で、その上に湖畔の風景画がかかっている。

 この風景画を横にスライドさせると、下から制御盤が出てくるのだが、部屋や引き出しの温度や湿度、それから明暗を設定できるようになっているうえ、照明の光源も太陽光、月光、星の光から選べるのだ!


 実用性を重視した〈工房アトリエ〉だけど、この光源のお陰で、ちょっぴりファンタジーな雰囲気を味わうことができる。

 ドーム型の天井一面にステンドグラスが嵌め込まれているお陰で、太陽光を採用した時には蜂蜜色の柔らかな光が、月光を採用した時には銀色の冷たい光が、それぞれ差し込んでくるのだ。けれども、一番好きなのは、星光を採用した時に広がる満点の夜空かな?


 3つの光源が問題なく機能しているかも要確認事項だ。


  

 時折小休憩という名の脱線を挟みつつーー大掃除あるあるだけど、途中でアルバムとか昔の日記とかを見始めてしまったーーなんとか全ての引き出しを綺麗にし終わった時には、もう夕方だった。


 思ったより時間がかかってしまった。それに、体中が凝り固まってしまって、しんどい。


 〈工房アトリエ〉の鍵を閉めて、ソファに崩れるように身を沈める。


 あー…、そういえば掃除をするからって窓を開けて、そのままだった。


 仕方なく起き上がって窓を閉めようと窓際によると、ふと、ネアくんが険しい顔で庭を横切るのが見えた。ネアくんは私が見ているのに気づかず、あっという間に生垣をかき分け、あすこと荘の敷地を抜け出してしまった。


 そのまま進むと《森の魔女》の《領域》しかないのだが、どうしたのだろう?



 レダさんから聞いた話なのだが、ネアくんは、お父さんのお仕事の都合で、旧大陸に引っ越すことになった。出発は2日後。早朝の列車でアリーセ王国を離れるらしい。ネアくんのお父さんはもともと旧大陸の出身だそうだから、故郷に帰るという方が正しいのかもしれない。


 けれども、ネアくんは、物心ついた時からずっとこのアリーセ王国に住んでいたから、彼にとってみれば、いくらお父さんの祖国とは言っても、見知らぬ土地に行くのと同じことなのだ。最近は友達もできて、すっかり子供らしい表情をするようになっていたのに、再びぼんやりしていることが増えたとレダさんがこぼしていた。


 この前見かけた時に泣いていたのも、そのせいなのだろうか?


 私は心配になって、こっそり、ネアくんの行き先を探ってみることにした。この半年間に長期休暇の反省をたっぷりしたので、今の私は隠密行動のプロと言っても過言ではない。たとえネアくんが相手であっても、今の私は気づかれない自信がある。


 私は掃き出し窓から裏庭にでると、まずは生垣の向こうを〈透視〉してみた。ネアくんの足取りに迷いはなかったけど、すぐに《森の魔女》の《領域》の前で立ち止まった。このまま《領域》内に入るには《道》を見つける必要がある。でもネアくんがどんなに良い眼を持っていたとしても、まず入れないだろう。そのくらい、《魔女》というのは特別なのだ。


 ネアくんはしばらく《領域》の外をうろうろしていた。だから、そのうち諦めて帰ってくるだろうと思っていたら、突然ネアくんの姿が消えて、私は大いに慌てた。


 これはまずい。


 〈透視〉の短杖では、《領域》内を見通すことができない。姿が消えたということは、《領域》を侵したということだ。昔から度胸試しに《領域》に挑む子供がいると聞いたことがあるし、《森の魔女》様はそのくらいのことでは怒ったりしない。

 けれども、侵入に成功した場合はどうか? ただでは済まないと思うんだよね。そもそも、《領域》に立ち入ることに成功した子供なんて、これまでいたのだろうか? 


 私は仕方なく一度〈工房アトリエ〉に戻ると、《招待状》と花瓶に生けていた青い薔薇を一本持って、《森の魔女》の《領域》へと向かった。



 幸い、ネアくんは《領域》のごく浅瀬にいたため、簡単に見つかった。


 大学時代、図書館でこっそり読んだ本には《領域》内を進むには常に正しい《道》を選ぶ必要があると書いてあった。《道》からそれてしまうと、一歩進むごとに《領域》の外へ外へと、弾かれてしまうらしい。


 追いついたとき、ネアくんは目を凝らしてもう一度《道》を見つけようとしているところだった。



「こんばんは、ネアくん」



 こんなところで声をかけられると思っていなかったのだろう。ネアくんは飛び上がって驚いたが、声をかけたのが私だと分かると、すぐにほっとしたようだった。だが、私が後をつけてきたと思ったのか、ちょっとだけ怒ったような声音で尋ねた。


「エリーセお姉さん? どうしてここに?」


「んー。ちょっと用事がってね。そういうネアくんはどうしたの? ここは《領域》内でしょう? 勝手に入るのはよくないよ?」


「それは、エリーセお姉さんも一緒でしょう。『ふほうしんにゅう』したら、魔女様に怒られるよ」


「ふっふっふ。私は大丈夫。ほらっ! 《招待》されてるんだから」


 そう言って、《招待状》を振って見せると、ネアくんは目を真ん丸にして「本物? 本物?」としきりに尋ねてきた。


「もちろん、本物だよ」



 胸を張って答える。随分とほったらかしにしていたから、賞味期限が切れているかもしれないけど、そんなことまで言わなくていいよね?



 さて、問題はネアくんをどうやって連れ帰るかだ。正直なところノープランなので、出たとこ勝負で説得するしかないかな?



 と思ったその時。




「確かに、紛う方なき本物の《招待状》ですが、裏口から入ってこられた方はエリーセ様が初めてです」


 頭上から、呆れた声が降ってきた。


 驚いて見上げると、暗い空からツバメが滑るように私たちの目の前に降り立ち、ヒトの形をとった。



「それに、こんなに遅れてきたお客様も久しぶりです。さぁ、主人がお待ちしております。ご案内しましょう」



 黒い燕尾服の男は、それはそれは優雅な仕草で私に向かって一礼した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ