10月(下)ーー初級採取講義
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昨日の夜更かしのせいか、今朝はあくびをしてばっかりだ。外の冷たい空気を吸いがてら、図書室に資料を返しに行こうかな。たしか、古代トライン語の辞典の返却期限が昨日までだったはず。
そう思って調査官室を出ようとしたら、秘書のエレンシアさんが目の前に立っていた。
受付嬢のエレンシアさんと違って、秘書の方のエレンシアさんはいつもちょっと不機嫌そうに見える。今日も大変不機嫌そうだ。
受付嬢のエレンシアさんは、いつもいろんな人と接しているから社交性が磨かれたのだろうか。秘書の方のエレンシアさんは、いつもあの室長と一緒だもんなぁ。
けれども、秘書の方のエレンシアさんも別に嫌いではない。それどころか、たまーにだけど、お姉さんの受付嬢に頬を染めながらデレているところを見かけてから、とてもかわいく思っている。
というわけで、私は穏やかに、そして親しみを込めて秘書のエレンシアさんに声をかけた。
「どうかされましたか?」
「エリーセ・イーゲン調査官。至急、講義室に向かってください。ティフォーナ調査官が病気のため、代って午前の『初級採取講義』を担当するように、とのことです」
秘書のエレンシアさんの方は業務命令感満載だった。
「あれ、ティフォーナさんが?」
さっき見かけたような気がするんだけど?
首をかしげて調査官室を振り返えってベテラン調査官の姿を探そうとすると、秘書のエレンシアさんが「時間がありません。早く向かってください」と袖を引っ張ってきた。結構力が強い。カーディガンの袖が伸びちゃうよ!
「わ、分かりました。分かったので、引っ張らないでください!」
秘書のエレンシアさんから逃れると、私は何の準備をすることもなく、『初級最終講義」が行われる第2講義室に向かった。
『初級採取講義』というのは、アリーセ王国のギルドが無償で提供する講義の一つだ。駆け出しも駆け出し、登録したばかりの冒険者が対象で、採取の基本を学んでもらう場だ。
ギルドとしても、出来るだけ品質の良い素材を納品してもらいたいからね。
昔、レオンが採取依頼を甘く見て、葉っぱをむしり取って持って帰ってきたことがあったことを思い出す。いざ納品しようとしたらポケットから出てきたのが萎びれてぐしゃぐしゃの葉っぱで、レオンはそのまま葉っぱの残骸を握り潰して無かったことにし、新しい葉っぱを取りに戻ったのだが、こういうことが起こらないようにというのがこの講義の趣旨だ。
講義で取り扱うのは、マロウの花、善萌草、ファロン草、ヨルの実、パルマの実の5つ。どれも新人がお世話になる素材ばかり。
対する本日の受講生は、15歳くらいの男の子と女の子が二人ずつ。『初級採取講義』は半月に一回の頻度で開催しているから、1回あたりの参加者数はそれほど多くない。
私が講義室に入ると、4人がめんどくさそうにこちらを見た。ギルドの中なのに、雰囲気は完全に敵陣地だ。
落ち着け、私。講義を担当するのは久しぶりだけど、別に初めてなわけじゃない。オーデン支部では毎月担当していた。あがり症な自分を恨めしく思うけど、お仕事だからね。手にかいた汗をバレないようにスカートで拭っておく。
「はじめまして。アリーセ王国ギルドの調査官のエリーセ・イーゲンです。それではさっそくですが、『初級採取講義』を始めます」
そう言って指示棒代わりに〈付け袖〉から特別製の短杖を取り出すと、本日の生徒4名が面白いくらい興味をもってくれた。
これこれ。この感覚ですよ。短杖にもいろいろあって、日常生活の中でも市販の大量生産された短杖を使うことはいっぱいある。けれども、この短杖は私が持っている中で一番強力な魔法を秘めた短杖だ。第7階位魔法〈運命の書き換え〉の短杖なんて、駆け出しの冒険者が見かける機会はほぼないから、みんな興味深々だ。
特に、一番端の女の子は魔導士らしく、〈魔眼〉を凝らして〈運命の書き換え〉の短杖を視ていた。短杖には〈解析無効〉と〈魔眼無効〉のための〈防御文言〉を刻んでいるから、よっぽどでないと見破れないだろうけど。
4人は、おそらく冒険者として登録した後、『初級採取講義』と『初級護身・救命講義』を受けないと依頼の受注ができないと知って、仕方なくこの講義に来たのだと思われる。9割方の人はめんどくさそうにしているから、きっと彼女、彼らもそうに違いない。
けれども、せっかく講義を受けるなら楽しく受けて欲しいし、その方が講義内容も身につくと思うんだ。興味がないからと言って居眠りしていたりすると、レオンのようになる。というわけで、『初級採取講義』の講義の際は必ず特別製の短杖を指示棒代わりに使うことにしていた。
少しばかり邪道だけど、つかみは上々。
みんなの関心が薄れいないうちに、右手の〈浮遊〉の短杖を一振りして講義に使うレジュメを配り、教壇の下から教材のマロウの花を取り出した。
教材用のマロウの花は、〈保存〉の魔法のおかげで、いま摘んできたばかりのように生き生きとしている。
「それでは一番初めはマロウの花です。深い藍色から鮮やかな赤紫色に変化する様が夜明けの空に似ていることから、『夜明けのハーブティー』と呼ばれるお茶の原材料ですね。富裕層に根強い人気の品ですので、マロウの花の季節には、毎年この花の採取依頼で掲示板が埋め尽くされます」
そこまで一気に説明して、今度は〈幻影〉の短杖をふると、初夏のヘケナ草原のヴィジョンが講義室に浮かび上がった。ひらひらと風に揺れている赤紫色の花がマロウだね。
「とはいっても、マロウの花の季節は、初夏から夏にかけてなので、皆さんが依頼を受けるのは半年以上先ですね。よく陽のあたる水はけのよい場所に生えています。このあたりだと、ヘケナ草原か、北の3本松平原あたりでよく採れます」
このあたりは重要なポイントだからか、4人ともしっかりとメモをとっていた。
「さて、マロウの花について、なにか質問はありますか?」
こういうとき、あまり手をあげる冒険者はいないのだけれども、今日は真ん中の男の子が質問してくれた。
「マロウは根も食べられるって聞きました」
「よくご存じですね。マロウの根に卵白と砂糖を混ぜると、マシュマロができます。根の採取依頼も見かけますよ。ただ、根の堀り方は難しいので、もし受注するときは、誰かに採取の仕方を教えてもらうか、『中級採取講義』を受講してからの方がよいと思います」
答えられる質問でよかったと胸をなでおろしながら答えると、男の子は納得してくれた。
そのあとは特に質問もなく、残りの善萌草、ファロン草、ヨルの実、パルマの実について順番に説明していった。
特に、善萌草は毒草のトリカブトと間違えてしまう人がたまーにいるので、全員間違いなく見分けられるようになるまでテストまでした。トリカブトは有名な毒草だけど、みんな花の方に注意がいって、葉の方は知られていないのだ。
一時間ほどの講義はあっという間におわり、4人とも最初の面倒くさそうな顔が嘘のようになっていた。
しかし、『初級採取講義』で取り扱う草花ってみんな食べ物ばかりだなぁ。善萌草は、ポーションの原材料だけど、お餅に練りこむこともあるし、ファロン草は香草焼きに使う。ヨルの実とパルマの実はアリーセ王国ではリンゴや葡萄と並ぶメジャーな果物で、マルシェに行けばいっぱい並んでいる。
そういえば、この前マルシェでマシュマロを売っているお店があったような気がする。
マシュマロは、そのまま食べてもいいけど、あぶって食べてもおいしい。あと、ヨーグルトの中に浸しておくのもとてもおいしい。
まだお昼前なのに、私の頭は、ふわふわのマシュマロでいっぱいになってしまった。
マーシュ・マロウ(marsh mallow) → マシュマロ!




