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10月(上)ーー夜の散歩

 秋の夜に金木犀の匂いが広がっていた。


 雲一つない明るい夜で、あすこと荘の裏庭にも、そしてその向こうに見える≪森の魔女≫の≪領域≫にも月光が静かに降り注いでいた。

 

 なんだか眠ってしまうのが惜しいくらいの夜で、私はふらりと散歩に出ることにした。


 あすこと荘の屋根の上に降り立つと、黒猫が「ナァ~」と鳴いて出迎えてくれた。艶やかな黒い毛並みに、宝石のようなグリーンの双眸。美人さんだね。


 黒猫はじっと私を見つめていたけど、やがて尻尾をピンと立てるとどこかに行ってしまった。追いかけてみようかとも思ったけど、迷惑がられそうだったのでやめておく。


 代わりにブーツのかかとの〈幻灯石〉を光らせてから、〈跳躍〉の短杖を振って駆け出した。


 屋根から屋根へと秋の澄み切った空気の中を〈跳躍〉するのはとても爽快で、まるで自分が風になったかのような気分だ。


 屋根の続く限り駆け抜け、途切れたところで大きく〈跳躍〉。通りを挟んだ向かいの屋根に飛び移ると、そのままもう一つ隣の屋根に飛び移る。

 

 足下に広がる街の柔らかな灯りと頭上の硬質な輝きを交互に見ながら進んでいると、横からスーっと滑るように白いカラスが飛んできて並んだ。そして、しゃがれた声で呼び掛けた。


「オイ、オマエ。見タコトアル! ワルイ、レンキンジュツシ!」


 声をかけてきたのは≪森の魔女≫様のところの白いカラスだった。数か月前に怪我をしているところを保護したあのカラスだ。白い羽とこの口の悪さ。間違いない。けれども、カラスって夜目が効くのかな?


 速度を落としてふわりと通りにに降りると白いカラスもバサバサと音を立てながら近くのベンチの上にとまった。思いつくまま走ってきたので、ここがどこだかさっぱり分からないけど、それはおいおい考えよう。

 私は白いカラスに向き合って言った。


「随分なご挨拶ね。でもお久しぶりです。あの後は大丈夫だった?」


「オマエ、礼ニイッタノニ、イナカッタ!」


「えっ! お礼に来てくれたの?」


「マジョサマ、トッテモ、コマッタテタ。マジョサマ、コマラセル、ワルイ、レンキンジュツシ、アホ~」


「えええっ!? まさか≪森の魔女≫様がお礼に来てくれたの!?」


 私は青くなった。どうしよう。≪森の魔女≫様に失礼なことしちゃった? でも、わざとじゃないし、今まで知らなかったし!


 あっ、でもあのとき確か男の人が後日お礼に伺うとかなんとかって言っていたような……。


 慌てていると、白いカラスは右目で小馬鹿にしたように私を見て、続いて左目で値踏みするように私を見て、それからわざとらしくため息をつくと、再び口を開いた。


「チャンス、ヤル。バンカイ、セヨ!」


「いや、挽回とかより≪森の魔女≫様に直接謝りたいんですけれども」


 けれども私の意見は無視された。


「オレサマ、サッキ、〈リンゴ〉オトシタ。サガセ、サガセ!」


「〈リンゴ〉?」


「ソウダ。紅ク、輝ク、キンダンノカジツ。マジョサマ、タノンダ。オレサマ、オツカイ!」


「……」


 ≪森の魔女≫様に頼まれて〈リンゴ〉を取りに行ったけど、〈リンゴ〉を持って帰る最中に落としてしまった。だから探せってことなのね。


「挽回とかチャンスとか関係ないじゃない。そういう時は、困ってるから助けて欲しいって素直に言いましょうね〜」


「ナゼ、コマッテル、バレタ?」


 白いカラスがきょとんと首をかしげて尋ねた。


「ハッ! オマエ、ココロ、ヨンダ?」


「いや、全部貴方が自分でしゃべったんだよ。それより、助けて欲しいのでしょう? まずは貴方が通った道を教えてちょうだい」


「オマエ、オレサマ、タスケル?」


「前も助けてあげたでしょう? 今更何を言ってるの。それよりどこをどう飛んできたの?」


 私がもう一度尋ねると、白いカラスは羽を大きく広げて「アッチ、カラ、コッチ」とかなり大雑把な身振りで教えてくれた。


 だが、残念ながら方向音痴のエリーセさんには「あっち」というのが「どっち」なのかわからないのだよ。

 

「あっちっていうと王宮? それともマルシェとか港の方?」


 ちなみに王宮は王都の南東にあって、マルシェは真ん中、港は北西にある。つまり、どこのことを指していても大丈夫なように、選択肢を提示したのだ。我ながらひどい聞き方だと思うけど、仕方がない。白いカラスは気にせず答えてくれた。


「セイカイ、セイカイ。オウキュウ、ダイセイカイ。ミナオシタゾ」


 方向音痴はバレなかったけど、なぜか上から目線で褒められた。よし、続いての質問行ってみよう!


「王宮のどこか分かる?」


「ワルイ、レンキンジュツシ、アホ~ 〈リンゴ〉は〈リンゴ〉ノ木ノトコロ。アタリマエ!」


 今度は馬鹿にされてしまった。でも、木に生ってる〈リンゴ〉を採って来たとは限らないじゃない? 


「で、その〈リンゴ〉の木はどこにあるの? 私は王宮で〈リンゴ〉の木なんて見たことないよ」


「ウーン……、〈リンゴ〉ノ木ハ、〈リンゴ〉ノ木ノトコロ、アル」


「つまり、正確な位置が分からないということね」


「イケバ、ワカル!」


 白いカラスが自信たっぷりに言った。一瞬こいつも方向音痴仲間かと同情して損した。


「それならいっそのこと、もう一度採ってきたらどう?」


「ハッ! ソノ手ガアッタカ!」


 白いカラスが羽を打ち鳴らして舞い上がった。嬉しそうでなによりだけど、そんなことをしてるから大事な〈リンゴ〉を落っことしちゃうんじゃないのかなと思わずにはいられない。



 白いカラスは「カンシャ! カンシャ!」とお礼をいうと、「オマエ、イッショ、イク?」と尋ねて来た。少し不安気で、ついて来て欲しそうだ。


 うー。ん。私もこの白いカラスを一羽で送り出すのは不安だけど、カラスならともかく私が用もないのに王宮に近づけば不審者として拘束されかねない。それに今宵王宮では舞踏会が開かれているようで、いつもより警備の人がたくさん配置されていた。私が一緒に行くのはちょっと無理そうかな。


 やむなくそう告げると、白いカラスは「ヤムナシ!」と叫んで宙返りしてから王宮の方に飛んで行った。

 なんというか、元気だね。


 さて、まさかのハプニングがあったけど、そろそろ帰ろうかな。

 夜の散歩を満喫した私は、もう一度屋根に上がろうとしたところで、ふと思いついた。


 手にとった短杖を地面に垂直に立てて、〈リンゴ〉の在りかを占ってみたらどうだろう。


 初めからこうすればよかったかもと思いながら〈道しるべのおまじない〉に従って進んでいくと、〈リンゴ〉は案外近くに落ちていた。


 そこは不自然なほど静かで、街中にあって、深い森の奥にいるかのような錯覚に陥る。


 誰もいない銀杏いちょうの並木道。私が見たのは、月光を織りなしたようなドレスをまとった女性が、ちょうど紅く透き通った〈リンゴ〉を拾い上げたところだった。



 なんだか見てはいけないものを覗き見てしまったような気がして、慌てて木の陰に隠れたけど、絵画のような光景は極めて印象的で、網膜に焼き付いていた。


 陽光の如く輝く柔らかな金髪には薄紫色の小花が散らされ、深いみどりの瞳は森の奥に湧く泉のようだった。移ろいゆく森の美しさを体現したようなその女性ヒトは、〈リンゴ〉を拾い上げた時、優しく微笑んでいた。


 あの女性ヒトは《森の魔女》なのだと思う。誰に教えてもらったわけでもないけど、分かるのだ。


 不思議と怖いとは思わなかった。けれども、迂闊に声をかけてはいけないとも思った。



 次の瞬間、ふと、月明かりが翳った気がした。


 気になってもう一度銀杏の並木道を覗いてみると、《森の魔女》はもうそこにはいなかった。ふらふらと誘われるように《森の魔女》が佇んでいたあたりまで行ってみると、近くの銀杏の木の根本に封筒が立てかけてあった。


 手にとってみると、封筒の表には古語で《招待状》と書かれていた。


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