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7月(下)ーー妹からの手紙

 部屋に入ると、甘く爽やかな薔薇の匂いが私を迎えてくれた。ほんのりと匂うくらいだけど、このくらいがちょうどいい。ただ、今は薔薇の匂いを堪能するより先にすることがある。水分補給だ。だいぶ暑くなってきたので、歩いて帰ってくるだけで喉がカラカラになってしまった。


 冷やしたレモン水に塩と砂糖を少し混ぜて一気に飲み干すと、生きかえった心地がした。


 そうそう、先ほどレダさんから渡された手紙は北方帝国に留学中の妹からだった。妹は獣医さんになるために数年前から留学しているのだが、随分と久しぶりのお便りだ。昨年末に手紙を貰って以来かな。

 筆無精の妹が書いたにしては分厚く、振ってみるとカサカサと音がする。手紙の他にもカードのようなものが入っているみたいだ。


 なんだろう?


 私は首を傾げた。とても気になるけれども、今は晩ご飯の準備をするのが先だ。夏の間は日が落ちるのが遅いからまだ明るいけど、もう6時だ。


 ちょっと夏バテ気味なので、今晩は冷製パスタにしようと思う。晩ご飯にパスタというと違和感があるかもしれないけど、すぐに用意できるので忙しいときとか疲れた時には楽でいいよ。


 用意するものは、トマト、ツナの缶詰、トマトジュース、ドナカ食材店のスープの素だ。オクラがあれば入れてもいいんだけど、生憎ないのでなしで済ませます。


 こんなことをしていたら「オクラを入れるのと入れないのとでは随分味が変わってくるよ」と母親やレダさんの注意する声が聞こえてきそうだけど、ないものはないのだ。なくてもおいしいしね。いや、むしろない方がおいしい。


 えっ? オクラが嫌いなのかって? そんなことはないよ。ただネバネバしたものが嫌いなだけですから。


 蛇口の横の魔法文字を人差し指でなぞると、文字が淡く光って水が流れた。大鍋に水をはってよいしょと火にかけ、続いてトマトジュースとスープの素を小さなお鍋に入れて、こちらも火にかけた。沸騰するのを待つ間にトマトを1cm角に切って塩をふると、急いで〈工房アトリエ〉から〈冷却〉用の短杖を取りに行く。


 戻ってくると、どちらのお鍋も沸騰していた。大きい方のお鍋に塩をたっぷり入れて細めのパスタを投入し、もう一つの小さい方のお鍋は火から下ろすと、短杖を振った。

 雪の結晶を思わせるような白銀の魔法陣がふわりと展開され、お鍋の中に溶けるように消えていった。

 凍らせる必要はないし、一気に冷やす必要もないので、威力はかなり低めだけど、この魔法陣を見ているだけで涼しくなるような気がする。


 あとは湯がいたパスタを冷水にさらし、よく水を切ってから先ほど切ったトマトとツナを盛るだけ。簡単でおいしいので夏のお気に入りメニューだ。




 夕食後、食器を洗い終わってようやく私は妹からの手紙の封を切ることができた。手紙はいつもよりちょっとだけ長かった。



◇◆◇


親愛なるお姉ちゃんへ


 お姉ちゃん、お元気ですか? 私は、10月の学年末試験に向けてそろそろ勉強を始めないといけないなぁと思っています。でも、そういう時に限って、部屋の掃除をしたり、手紙を書きたいって思っちゃうんだよね。ということで、今この手紙を書いています。


 今年は最高に愉快な学生生活を送っています。教養課程が終わっていよいよ実習とかが始まるから忙しくなるよと聞いてはいたのですが、その通りでした。でも、それ以上に面白かったのです。


 そもそもの発端は学年が始まって早々にやってきた転校生でした。名前はメリーさんです。メリーさんは、とてもかわいくて、おもしろくて、ぶっ飛んだ女の子です。

 私は、寮の部屋も同じなんだけど、夜寝るとき、「灯りを消してもいい?」と聞いたら返事がなくて、あれ?と思って振り返ったら、なんと羊を抱えて眠ってたの! 


 お姉ちゃん! 

 羊だよ! ひ・つ・じ!


 翌朝、メリーさんに「どうして羊と一緒に眠っているの?」って尋ねたら、「ふかふかで、温かいから、一緒に眠ったら安眠間違いなしなの!」ですって。

 確かに北方帝国は寒いからね。羊がいれば暖かいです。本当に暖かったです。メリーさんが私にも羊を貸してくれました。もう羊なしでは眠れません。


 羊の貸し借りって北方帝国では一般的なことなのかな?と思って、他のクラスメイトに尋ねたら、「そんなことあるわけないでしょう!?」って突っ込まれました。まぁ、確かにそうだよね?

 ただ、こんなのは、メリーさんにとってみれば序の口です。


 本当に事件が起こったのは、解剖学の授業中でした。解剖学の教授は学生に意地悪なことで有名なのですが、ちょび髭がご自慢らしく、いつもちょび髭を撫でつけています。その日は魚について学ぶとかで、レモラという怪魚を教室に持ってきて、クラス全員に配りました。

 頭部に吸盤が付いているのが不気味で、正直言ってあまり触りたくないなぁって思っていたら、レモラの方でも私たちに触られたくなかったらしく、何匹か脱走しちゃいました。


 教授が「君たちは魚一匹まともに管理できんのかね?」と嫌味を言ってくる中、レモラに逃げられた生徒達は一生懸命魚を捕まえようと格闘しました。けれども、レモラは魔法に対する耐性が高く、うまくいきません。教授は冷笑するばっかりで全然助けてくれませんでした。

 まぁ、みんな最初からあの教授が助けてくれるなんて期待してなかったけどね。


 そうしたら、みかねたメリーさんがポシェットから釣竿を出してきてブンブン振り回し始めました。

 そう、メリーさんは逃げ出したレモラを釣り上げようとしたんです。


 ただ、アイデアは良かったんだけど、狭い教室の中で釣竿を振り回したので、レモラを釣り上げる前に、黒いふわふわした形状のものを釣り上げてしまったのです。


 私たちはそれが始め何なのか分かりませんでした。もちろんメリーさんにも分かりませんでした。


 メリーさんがその黒くてふわふわしたものを手繰り寄せてみると、それはカツラでした。皆がゆっくりと教授を振り返ると、教授の頭が照明の光を受けて燦然と輝いていました。皆はもう一度、カツラを見ました。間違いなく、先程まで教授の頭の上にあったものです。


 教授は始め自分のカツラが無くなったことに気がついていませんでしたが、みなの視線とメリーさんの手元にあるものを見て気がつくと、飛び上がって怒り始めました。


 教授はカツラを取り戻そうと駆け寄ってきましたが、それより先にメリーさんのレモラがカツラに食いついてしまいました。


 教授は泣きそうな顔でレモラにつかみかかりましたが、レモラは意地でもカツラを離しません。カツラの高い耐久性が仇になって、カツラは釣り針にかかったまま。こうしてメリーさんと教授の間でカツラとレモラを介した綱引きが始まりました。


 私? もちろんメリーさんを応援したよ!


 でもね、教授のカツラに対する執着は凄まじいものでした。しかもいつも威張り散らしている教授がハゲ頭でなりふり構わずレモラに掴みかかったものだから、メリーさんは吹き出してしまい、あっけなく釣竿を手放してしまいました。


 メリーさんがあんまり急に釣竿を手放したものだから、カツラとレモラと教授は一緒に倒れ込みました。そして、その拍子にレモラの吸盤が教授の輝くハゲ頭に吸いついたのです。

 

 教授のカツラは無事に教授の頭に戻ってきました。ただし、頭に張り付いたレモラが咥えた状態でだけどね。


 教授はレモラを引き剥がそうと暴れたけど、レモラの吸盤は船一艘を引き止めるくらい強いので、びくともしなかったよ。

 誠に遺憾ながら、教授は授業をほっぽり出し、レモラを頭にくっつけたまま教室を出て行きました。

 今後、レモラを見るたびに、私は今日のことを思い出すでしょう。



 この一年はこんなことばかりでした。授業が何度か潰れたのでーーだいたいメリーさんが絡んでたなぁーーその分補講も多く、大変忙しかったです。


 あと、忘れないうちに、同封したカードについて説明するね。最近、北方帝国で流行り始めた魔道具で、魔法陣とか魔法文字に重ねると、一瞬で〈転写〉してくれる優れものだよ。まぁ、一回しか使えないらしいけどね。

 いつも〈聖印石〉と各種短杖を送ってもらってるお礼です。面白そうですし、お姉ちゃんのお役に立てば嬉しいです。


 それではそろそろ勉強に戻ります。流石に勉強しないとまずいわ。でも、今年は試験が終わったら一度アリーセ王国に戻ろうと思っています。せっかくだから、11月頃にお姉ちゃんのところに寄ってみてもいい?


 また、お姉ちゃんの様子も教えてください。


  かしこ



 追伸:ちょび髭の方は無事でした。


◇◆◇


 妹は何やらとても楽しそうな学生生活を送っているらしい。

 私の大学時代なんて、授業と研究と試験に追われる毎日で、カツラ釣りなんて面白そうなイベントはなかったぞ?


 まぁでも、良い友達もいるみたいだし、妹が学生生活を満喫してくれて、お姉ちゃんは嬉しいです。


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