1月(上)ーー雲の通ひ路
1月になった。
辞令が下りた日からせっせと準備をしたけど、やっぱり時間は足りなかった。それでも師匠には手紙を書いたし、お得意さまや市長さんのところに挨拶にも行った。ポーションも薬酒も喜んでもらえたので頑張った甲斐があったというものだ。ギルドのみんなは送迎会を開いてくれて、新しい万年筆を餞にいただいた。とにかく、あっという間の1ヶ月だった。
そして、今日。ついに出発の日が来てしまった。出発するのは朝一番と決めていた。慌ただしくはなるけど、早めの汽車に乗れば昼前にはリーンハルトに着くことができる。
〈世界樹〉の〈駅〉までは、父が馬車で送って行ってくれた。大きなトランクを荷台に積み、父の隣に座ると、2頭の馬がぱっかぽっこと歩き始めた。
母は馬車が見えなくなるまで家の前で見送ってくれた。子供の頃よく遊んだなだらかな丘を越えて、家も母も見えなくなって、やっと私が前を向くと、頭をぽんぽんとされた。もう小さな娘じゃないのにと思ったけど、すぐに引っ込んでしまった手に名残惜しさを感じてしまうあたり、私はまだまだ子供なのだ。
馬車は早足で丘陵地帯を進んでいった。冬至を過ぎたばかりなので、まだ暗い。うっすらと靄がかかっているせいか、瞬くようなやわらかい光に包まれた世界樹はとても幻想的だった。
我が家は街のはずれ、というか外にあるので、30分もすれば世界樹のふもとに着いてしまう。ゆっくりと話せる機会は当分ないと思うのに何を話していいのか分からず、結局最後まで大した会話はしなかった。
でも、馬車を降りるときに、父は目線をあわせて「いっちょ、がんばっといで」と言ってくれた。なので私も「いってきます!」と元気よく返せた。それから、ここまで馬車を引っ張って来てくれた2頭の馬にお礼とお別れの気持ちをこめて順番に撫でると、右側のカイエンはベーと舌を出し、左側のネージュは耳をピンと立てて、つぶらな瞳を向けてくれた。それぞれの性格がよく表れた反応だ。
私が馬車から離れると、父はすぐに出発した。父も仕事があるし、このまま一緒にいるとどんどん別れるのが辛くなってくるからね。
から元気も元気のうち。私は気持ちを切り替えると、〈駅〉のある枝に行くため、昇降機に乗った。〈駅〉は世界樹の中でも大きな枝の上にある。幹のまわりをぐるりと一周できるようにデッキが設置されているけど、〈世界樹〉の大きさはけた違いなので、一周するのに10分くらいかかるらしい。
何度か来たことがあるので、昇降機を出て迷わず北西の方角にある駅舎に向かうと、朝早いのに駅長さんは爽やかにお仕事をしていた。
ところで、〈駅〉の駅員さんの制服はとてもカッコいいことで有名である。黒いサテンで縁取りがされた臙脂色のインバネスケープは、前裾を打ち合わせると正面の部分に黒い菱形が縦に連なった模様があらわれる。運転士さんは紺、車掌さんは深緑の色違いなんだけど、臙脂色が一番好きなんだよね。詰襟というのもポイントが高い。
この大陸の小さい子は、初めて汽車に乗った時に皆駅員さんに憧れるのだが、カッコいい制服も一つの理由だと思う。
財布から取り出した切符を磨き抜かれたマホガニーのカウンター越しに渡すと、魔法陣のスタンプを押して返してくれた。お礼を言って、財布に切符を戻す。
余裕をもって家を出たので、汽車が来るまで30分以上ある。せっかくなので、〈駅〉とその周辺を見て回ることにした。なんといったってここは〈世界樹〉の枝の一つなのだ。錬金術師の端くれとして、〈世界樹〉に興味がないわけがない。
〈世界樹〉の〈枝〉、〈葉〉、〈種〉はどれも希少な素材である。〈枝〉と〈葉〉は大学の研究室や高級素材店で見たことがあるけど、とんでもない値段がついていたのを覚えている。〈種〉に至っては伝説級のアイテムで、師匠でさえ見たことがないんじゃなかったかな。
〈世界樹〉を素材にする魔術や錬金術なんてそうそうあるわけではないし、あっても危険なので、私は〈枝〉も〈葉〉も素材として扱ったことはない。
駅舎を出て、太い幹の傍まで歩いていくと、頭上に輝く深緑色のような鈍い黄金色のような不思議な色合いをした〈葉〉を間近で見ることができた。とても綺麗だ。
目の前にあるんだから〈枝〉でも〈葉〉でも、もぎ取ってしまえばいいじゃん!と思う人もいるかもしれないが、力づくでひっぱっても取れないし、暴力に訴えるなんて野蛮な行動は慎むべきだ。
昔、斧とか風刃の魔法で枝を切断しようとした盗人がいたらしいけど、攻撃判定を受けて、もれなく転移させられたとか。人類が生存可能な場所ならいいけど、4000mの海溝の底とか、どこかの火山の燃えたぎる火口とか、宇宙空間に飛ばされたら帰ってこれないよ。
もっとも、〈世界樹〉の〈葉〉や〈枝〉は自然に落ちていることもあるらしい。というか、稀に流通しているものの大半は、自然に落ちているものを拾ったんだと思う。〈世界樹〉と心を通わせて素材を分けてもらったなんていうのは、はるか昔、神話の時代のことである。
上ばかり見ていたら、首が痛くなってきたので、次は幹にも触ってみることにした。幹に近づき左手をそっとあてる。道具がないので魔力の流れとかは分からないけど、とても固くて、どちらかというと金属みたいな質感だ。すべすべしていて、いつまでも触っていたい、そんな感じだ。
そんなに長い時間ではないけど、〈世界樹〉を堪能したので、駅舎に戻ることにした。駅舎の隣に喫茶店があったから、紅茶でも飲んで、汽車の出発まで時間を潰そうかな。
そんなことを考えながら振り返ると、デッキに仰向けになって世界樹を見上げる不審な男がいた。なるほど、仰向けに寝転べば、〈世界樹〉を見上げても首が痛くならないね!とはならないなぁ。不審過ぎる。まとっているのも、服というよりはぼろぼろの布切れと言った方が正しい気がするし。私は見なかったことにして、その場を離れようとした。しかし、残念ながら、そうはいかなかった。
不審者というのは基本的には無害なことが多いというのが私の持論だ。一人で笑ってる不審者なんて、ちょっとばかしギョッとするけど、基本他人に迷惑をかけているわけではない。通り過ぎてしまえば良い。意味不明な叫び声を上げているタイプはちょっとうるさいけど、この世界には〈ノイズキャンセリング〉という便利な魔法や杖があるから、それを自分の耳にかければいい。しかし、だ。行動力のある不審者とコミュニケーション能力が無駄に高い不審者。こいつらはダメだ。
何が言いたいかというと、今、私は不審者に捕まり、世界樹の素晴らしさについて延々と聞かされている。初対面の人相手にこれだけ話すことができるなんて驚きだし、露骨に嫌がっているにもかかわらず喋り続けることができる神経にも驚きだ。爽やかな冬の朝に、何が悲しくて不審者の相手をしなければならないのか。
「いや〜、先ほどあなたが〈世界樹〉に手を当ててうっとりしているのを見て、この人は同類だ! と思いまして声をかけたんですヨ。」
うっとりなんかしてないし!
同類? 断固として抗議したいんだけど!
「このように可愛らしいなお嬢さんと〈世界樹〉について語らうことができるなんて、ワタクシは幸せものですネェ。」
やめて。ウインク似合ってないからね。やめてっ!
「あつ〜い紅茶でも奢らせて頂きたいと思うのですが、喫茶店がないのが、非常に残念です!」
一杯おごる金があるなら、服を買え!
ん? 待って、喫茶店がないってどういうことなんだろう?
「駅舎の隣に喫茶店がありましたよね?」
私が戸惑いながら聞いてみると、不審者はポカンと口をあけて私を見てから、満面の笑みを浮かべた。三日月のように細められた目に、これは本格的に危ない人かもしれないと後悔したがもう遅い。不審者が逃がさないとばかりに私の手首を掴んだのだ。
ひええ。冷たい感触に背筋がぞわぞわする。
しかも、パチパチと何かが弾ける音がしている。多分だけど、私が装備していた〈全自動迎撃装置〉がショートした音だと思う。卒論制作で完成させたこのシステムは、敵意のあるいかなる攻撃をも全自動でピンポイントに迎撃し、可能なら相殺してくれる優れものなのだ。敵意判定のための術式がとても難しかったのだが、今そんなことは関係なかったね。重要なのは、この五年間、改良に改良を重ねた、理論上は古龍のドラゴンブレスであってもなんとか耐えきってくれるはずの〈全自動迎撃装置〉が簡単に壊されたことだ!
私はダンジョンやフィールドに降りることがあっても、非戦闘職なのだ。戦うことは期待しないで欲しい!
しかも、この不審者とてつもなく強いよ。私なんて杖すら出せずに終わると思う。明日の新聞の一面は、私の惨殺死体が発見されたというニュースが飾ることになるのかな? さっきのお別れが最後になるとは…
じんわり涙が溢れてくる。
しかし、不審者は慌てて手を離し、両手を上げた。
「すみません! 待って、お願いですから待ってください。ワタクシとしたことが大変失礼しまシタ。あなたを怖がらせるつもりは全くなかったんですよヨ?」
不審者は両手を上げたままひらひらさせる。
「いや〜、わりと有名な迷信だったと思うのですが、〈世界樹〉の〈駅〉で人が消えるって聞いたことナイですカ? 《間》にあるので、誰にでも見えるわけではないのですが、喫茶店があるんです。ワタクシ、是非ともそこに行きたくてですネ、連れて行ってくれるヒトを探していたんですヨ〜」
「はぁ」としか返事ができない。人が消えるって、怪談か何か? 生憎怖い話は苦手なんです。あと、不審者もお断りです。
「喫茶店に行ったら、もうついて来ませんか?」
慎重に尋ねると、不審者は両手を突き上げて喜んだ。
「もちろんですヨ! 供物などなくとも、我が血と我が名にかけて誓約しましょう!」
今の言葉を聞いて、私は本当に勘弁して欲しいと思った。今のは《悪魔》が好んで使う言い回しだ。本物かどうか分からないけど、今のところはなぜか友好的だけど、もしその気になられたら、私の人生はやっぱりここまでだ。厄介ごとは早く片付けよう! そして、汽車に乗っておさらばだ!
「早く行きましょう。」
私は仕方なく不審者を伴って駅舎の方向に歩きはじめた。
喫茶店はちゃんとそこにあった。デッキに面した出窓にはカーテンがかかっているので中の様子は伺えないが、「OPEN」と書かれたカードがドアノブにかかっているから、多分営業中だ。真鍮のプレートには「雲の通ひ路」と書かれているけど、これがお店の名前かな?
お店の前で不審者を振りかえると、不審者は片眉を上げてどうぞと手で私を促してくる。仕方がないので、ドアノブに手をかけ、思い切ってドアを開けた。中から、紅茶の良い香りがほのかに漂ってくるが、暗くて中の様子が分からない。先に入りたくなかったので、ドアを開けたまま、先に入るよう目で示す。不審者は嬉しそうに紅茶の匂いを吸い込むと「では、お先に」と言って中に入っていった。
後に続くかちょっと迷ったが、結局私も中に飛び込んだ。
「いらっしゃいませ」
初老のマスターがカウンターの中から出迎えてくれる。店の中は思ったより普通だった。どこにでもあるような、でも落ち着いた雰囲気の喫茶店だ。壁には絵画と大皿が飾られていて、窓は紫を基調にしたステンドグラスが嵌め込まれている。
私が思わず頭を下げると、マスターはほんの少し口元を緩めてくれた。
不審者を探すが、お客さんは、カウンターに座っている妖艶な美女と店の一番奥でパイプをふかしながら新聞を読んでいる紳士、そして入り口の所に立つシルクハットを被った燕尾服の男だけだった。
「早く座りましょう?」
シルクハットの男にニヤニヤと言われる。さっきの不審者と同じ顔だが、着ているものは高級そうな燕尾服に艶やかな黒いシルクハット。あと、全体的にこざっぱりしていて、ステッキまで持っている。服装を変えても怪しい雰囲気はそのままなので、さっきの不審者だと分かるけど、いったい何がどうなっているのか。でも、不審者が私が驚いたり質問したりするのを待っているような気がしたので、胡散臭いものを見る目で不審者を見ておいた。
カウンターの奥からビスクドールのような綺麗なウェイターさんが現れて、不審者と私を案内してくれた。ウェイターさんは人間に見えるけど、瞳に多重魔法陣が浮かんでいるので、多分とてつもなく高度な〈人形〉だと思う。
仕方なく不審者と同じテーブルにつくと、不審者がメニューを広げてくれた。
「お礼に奢らせてくださいネ? お好きなモノを頼んでください。」
「いえ、結構です。」
速攻でお断りすると、美女が吹き出した。不審者の方は「警戒されてしまいました。」と芝居がかった仕草で悲しげな表情を作るが、美女が半眼になって「あたりまえでしょう。」と突っ込む。この二人は知り合いなのかな?
「でも、ここのサンドイッチは絶品よ? せっかくだから奢ってもらいなさいな。汽車の時間なら、気にすることはないわ。向かい風が強くて到着が遅れるから。」
美女が悪戯っぽく笑って勧めてくる。急に話しかけられてびっくりしたが、思わずマスターを見ると、マスターが静かに頷く。
これは注文しないといけない雰囲気かな?
もう一度不審者を見ると、不審者はニヤニヤしているだけだった。
「それじゃあお言葉に甘えて、サンドイッチをいただきます。」
私が注文をすると、美女はカウンターから不審者の隣の椅子に移って来た。薄い紫のショールが彼女の後を追ってたなびき、さらに遅れて香水の匂いが漂う。
「それにしても、アンタよく帰って来られたわね? 運の良さだけは昔から随一だったけど、今回ばかりはもうダメかと思ってたわ。」
美女が頬杖をついて呆れた顔で問いかけると、不審者が身をクネクネさせながら答えた。
「ワタクシも自分の強運が怖いくらいです! 大抵のヒトは私のことを見ただけで逃げていきますし、喫茶店が見えないわけですから。」
二人は仲良くおしゃべりを始めたが、私には知らない人達の会話に加わる勇気はない。
そこで、あっという間に運ばれて来たサンドイッチを頬張ることにした。ハムとキュウリのホットサンドは、シンプルだけどとても美味しい。さっき朝ご飯を食べたばかりなのにいくらでも食べれちゃいそう。家でも作れないかな?
そんなことを考えながらサンドイッチを楽しんでいると、美女がちょっと呆れたように私を見つめていた。
「サンドイッチ、いりますか?」
「ううん、そうじゃない。そうじゃないの! あなた、私達のことが全然気にならないの!?」
ちょっとぼけ過ぎたかな? でも、食べながらも一応話は聞いていたんだよ?
「そちらの不審者がとある高位の《魔女》を怒らせてしまい、魔力を限界まで削られた後、人間界にポイ捨てされたということは把握しました。」
「ちゃんと聞いていたのね。全然興味がないわけじゃなくてちょっと安心したわ。」
美女は本当にホッとしたみたいだった。
「私は《占の魔女》メーデイア。微睡の中に兆しを読み取るのが私の領分。挨拶が遅れちゃったけど、あなた本当に面白いわね。全然魔力を持っていないのに、私たちの言葉が分かるなんて。いったい何者なのか教えてくれない?」
なんと、こちらの美女は《魔女》だった!
《魔女》は個々によって持っている力の大きさも種類も全然違うと言われているけど、《占の魔女》ということは、占いに関する力を持っているのだろう。そういえば、さっき汽車が遅れると言っていたけど、あれも《占》なのかもしれない。
《魔女》はアリーセ国にもお一人住んでいらっしゃるが、気軽にお会いできるような方でもない。御伽噺でしか聞いたことのない《魔女》に会えて、気分は王都で人気の歌姫に会った気分だ!
「私の方こそご挨拶が遅れてしまいすみません。アリーセ王国ギルド職員、錬金術士のエリーセと申します。魔力がないのは、私が異世界の生まれだからで、言葉についてはよく分からないです。」
私が答えると、不審者は合点がいったというふうにてをポンと叩いた。
「なるほど。魔力も聖力も分からないから、私達や奥の御人に怯えることもないんですネ!」
「もし、〈測定器〉の類を持っていたとしても、使わない方がいいわよ? 壊れるから。」
メーデイアさんが助言をくれた。測るなと言われたら気になるけど、〈全自動迎撃装置〉が壊れている今、さらに魔道具を壊すのは絶対に避けたい。
「さて、名残惜しいし、もうちょっとお話してみたかったけど、エリーセちゃんはそろそろここを出た方がいいわね。汽車が来るわ。あなたの旅が幸多からんことを。」
その言葉に私はハッとする。緊張していたはずなのに、いつのまにかくつろいでしまっていた。まるで、魔法にかけられたみたいに汽車の時間のことを忘れていた。
「ごちそうさまです。とても美味しかったです。」
荷物を両手に立ち上がると、メーデイアさんは笑顔で、不審者は左手を上げて見送ってくれた。
「またのお越しをお待ちしております。」というマスターの言葉に送られて、私は店を出た。




