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はじまり

「辞令。調査官・エリーセ・ディートリンデ・イーゲン君。アウリオ暦368年1月7日付けで、アリーセ王国ギルド、オーデン支部での任を解き、リーンハルト本部での任務を命ず。」


 こんな辞令が私に突然降ってきたのは、年の瀬もせまった12月のこと。

 

 ありがたくもギルド長自ら読み上げて下さった辞令に、集まった職員さん達が拍手をしてくださいました。普通、田舎のオーデン支部から首都のリーンハルト本部への異動といったらいわゆる栄転というやつですかね。出世コースですよ〜、奥さん〜、どうしましょう。どうしよう。ぜんっぜん嬉しくないよ!


 恥ずかしい話ではありますが、28歳になった今も親元でまったり快適な生活を満喫する私にとって降って湧いたような辞令はありがたくも何ともない、むしろ非常に迷惑な代物でした。



 ここは、田舎の小国アリーセの5番目くらいに大きな街オーデン市にあるギルド。私、ことエリーセは、この街で育ち、大学に通うため遠くの街で下宿生活を送った6年間を除けば、ずっとこの街で暮らしてきた。

 大学卒業後すぐにオーデン市のギルドに調査官として就職してちょうど5年。


 オーデン支部はこじんまりとしたアットホームなギルドで、ギルド職員は私を含めて5人しかいない。ちょっと頼りないギルド長と受付嬢が2人、冒険者上がりの守衛官1人に、調査官が2人。


 一週間のはじめに職員が全員参加する朝礼で業務連絡やイベントなどの確認を行うのだが、平和なギルドなので、どんなに長くても10分程で終わってしまう。本日一番の重要連絡が私の転勤であることは間違ない。



 朝礼が終わって皆が解散すると、ギルド長が和やかに声をかけてきた。


「転勤、うれしくなさそうだね?」


 ぼんやりとしたギルド長だが、案外見ているところは見ているのかもしれない。ギルド長にも分かるくらい私が動揺しているだけという可能性もあるけどね。


「ギルド長、転勤せずに済む方法って何かないですか?」

 

 せっかくお声がけいただいたので、ギルド長に聞いてみることにした。


「そんな方法僕が知っていると思う?」


「知らないですね。すみませんでした。」


 眉を八の字にして困るギルド長をみて、私は即座に謝った。だって、ギルド長、頼りないんだもん。ギルド長も自分が頼りないことを認識しているのか、ますます眉が下がってしまった。


 おっといけない。これ以上ギルド長をいじめては可哀想である。ギルド長は頼りないけど、理不尽な振る舞いをしたり、仕事を押し付けてどこかに行ってしまうような人ではない。オーデン支部の職員はみな、ギルド長のガラスのハートを労わる心をもっているのである。


 そこに、受付嬢のアメリーさん(年齢不詳。ここ大事!)がお茶を煎れながら会話に加わってきた。アメリーさんはオーデン支部の影のギルド長とも呼ばれる受付嬢のお姉さま。元冒険者で当時は大層なご活躍だったとか。話を変えたかったところだったので、ナイスタイミングなご登場です。


「エリーセちゃんもせっかくお仕事に慣れてきたのに大変ね。リーンハルト王宮の地下に迷宮が見つかったらしいから、独り立ちしている若手の調査官はあらかた招集されるんですって。」


「えっ、そうなんですか!?」


 ちなみに今の発言は、私のものではない。ギルド長である。受付嬢が知っていてギルド長が知らないというのはギルドとして若干まずいのではないかと思う方もいると思うが、そこはオーデン支部。このくらいのことは日常茶飯事なので、気にしないでいただきたい。それよりも聞きたいことがたくさんある。


「ということは、調査に一区切りついたらオーデンに帰って来られるのでしょうか?」


 期待を込めて、アメリーさんに尋ねてみる。


「うーん。予め期間が決まっているのであれば、辞令にいつからいつまでって書いてあるはずだから、誰にも分からないんじゃないかしら? 特に今回は王城の地下迷宮だから、調査官の中でもエリーセちゃんはなかなか帰してもらえないとおもうけど…」


「「なるほど〜」」


 今度は、私とギルド長が見事なハーモニーを奏でた。


 調査官とはいうのは、ギルドに所属してダンジョンやフィールドなどで調査や安全確認を行ったり、冒険者から持ち込まれた物品の鑑定などを行ったりする職業である。魔導士や聖導士、それから私のような錬金術士がなることが多いが、リーンハルト本部には、薬師や学者など他の職種の人もいる。リーンハルトの調査官を束ねているウォルフガング室長は高名な魔導士で、〈賢者〉の資格をおもちだとか。


 また、調査官と一口にいっても、それぞれ専門分野がある。私は、史書や伝記、伝承の類いの知識を活用しての調査や鑑定を一応専門分野にしているので、王宮の地下迷宮の調査や鑑定となれば、なるほど、私のお仕事だね。


「とりあえず招集に応じてみて、いつまでたっても帰って来られないのなら、そのときはギルドを辞めてオーデンに戻ってきたらいいんじゃないかい?」


 ギルド長が無責任かつ過激な提案をしてきた。無職になるのはちょっとね。年頃の娘が婚期を逃して家にいるというだけでもご近所さんの目がきついのに、無職になったりしたら、間違いなく身の置き場がない。家から追い出されるんじゃないかな。横をみると、アメリーさんも呆れている。

 

「そうそう、移動日が設けられているから、詳しくはこの紙を読んで。」


「地下迷宮発見のことはまだ公表されていないから、内緒ね。」


 二人とも、さらっと重要な注意事項を伝えて、それぞれの仕事場へと去っていった。もう少し話を聞いて見たかったが、そろそろ仕事を始めないと給料泥棒になってしまう。私もため息をつきながら、調査官室に向かった。見知らぬ土地に行くのは億劫だが、古城の地下迷宮となれば心が惹かれないわけではない。


 オーデン市は今でこそ田舎ではあるが歴史ある由緒正しい街で、近くには世界樹と地下迷宮がある。しかし、歴史があるということは、裏返すと地下迷宮は攻略済みで、新しい発見などはないということでもある。私もここ1年間は鑑定やポーション類の作成、冒険者を対象とした講習などの日常業務しかしていない。新たに発見された迷宮となれば、久しぶりに調査官らしい仕事ができることだろう。


 気分が持ち直したわけではないけど、とりあえず、今日のお仕事に取りかかろうか。


 私は作業机の上におかれた「鑑定依頼」という札のついた籠を引き寄せ、測定器に通して魔鉱石の重さと保有魔力を測り始めた。

 昨日古い坑道に落ちた駆け出し冒険者が大量に持ち込んだので、質はいまいちだが量だけはある。こういうモヤモヤした日は単純作業に没頭するにかぎる。次々と計測していくと、いつの間にか没頭してしまい、夕暮れの鐘がなるころには鑑定依頼の籠は空っぽになり、私の気分も少しすっきりした。




◇◆◇




 その日の夕食後、自室に戻った私は紙と万年筆を用意した。ずばり、「リーンハルトに持って行くべきもの」をリストアップするためだ。


 ちなみに、夕食を食べながら、両親に転勤になったことを伝えると「がんばって」というひどくあっさりとした返事が返ってきた。母なんて「やっとあの部屋が空くわね」と嬉しそうだった。

 そこはもう少し「寂しくなるわ」とかなんとか言って欲しかったところなんだけどなぁ。


 あと1か月もしないうちに娘が家を出て行くと言うのに、普段と変わらない雰囲気で夕食は終了した。


 でもまぁ転勤まで時間もないので、感傷にばかり浸っているわけにも行かない。それに独り立ちするには遅いくらいだ。


 と、まぁ、そういう訳で、筆をとったところなのだが、新しく一人暮らしをするのに必要なものを書き出して、それから家から持って行くものと、向こうで新しく買うものに分けて行こう。



・ 寝具(ふとん、ブランケット、まくら、シーツ、ベッド)

・ 調理器具(なべ、フライパン、まないた、包丁、やかん、計量カップ、さじ)

・ 食器(ナイフ、フォーク、スプーン、はし、皿、コップ)

・ 冷蔵庫/冷凍庫

・ 洗濯板・物干、ハンガー、洗濯石鹸、洗濯バサミ

・ 家具(食器棚、机、いす、ソファ、本棚)

・ 仕事用具一式

・ 弁当箱、水筒

・ ランプ

・ ストーブ


 思いつくままに書き連ねたので、まとまりのないメモになってしまった。それに、洋服とかタオルとかの細々としたものも書き忘れているので、慌てて付け足す。


 大きなものはリーンハルトで購入するしかないとして、どの順番で購入するかも検討しておいた方がよさそう。一度に全部買う程のお金はもってないもんなぁ。


 私のお給料は、月に30万ベル。十分に貰っているけど、贅沢していたらすぐに消えてしまう。


 それに、いくら田舎の小国とはいえ、王都はオーデンよりも物価が高い。錬金術士として、ギルドからのお給料とは別に稼ぐことはできるけど、素材や器具などの経費も高い上、水商売なのであてにはできない。特に転勤したばかりだとお客さんもいないだろうし。


 貯金は、もちろんあるけど、できることなら手を付けたくないよね。


 寝具や冷蔵庫、それに家具などの大きなものに星印をつけ、リーンハルトで購入とメモする。こういった品は運送屋さんや冒険者に家具のお届けを頼むこともできるけど、とても高い。持って行くよりも買った方が安くすむのは間違いない。

 せっかくの機会だから、気に入った家具をちょっとずつ、揃えていこう。何しろ、今私がいる自室は、それこそ物ごころつく前から寝起きしているので、私の歴代の趣味と母の趣味と妥協の産物から成り立っている。


 自分の部屋を壁紙から家具から小物まで、自分の好みで揃えられるなんて機会はなかなかないものね。胸が躍るね!



 ところで、私は非常に便利な道具を持っている。錬金術士には必須の道具で、その名も〈工房アトリエ〉。どんな場所でも、〈扉〉を設置すれば、〈鍵〉で空間を開くことができる。私たち錬金術士や魔導士は、この空間に素材や資料、製作物を溜め込み、実験や作業を行う。


 私も、師匠や兄弟子の〈工房〉ほどは大きくないけれど、学生時代から貯めにためた貯金をはたいて、昨年念願の〈工房〉を手に入れた。


 それまではこの自室に素材を色々と溜め込んでいたので、異臭がする、埃がでる、気持ち悪いと母からは文句の嵐だった。ゴミだと思って捨てられた素材を救い出したことも数回ある。


 話がそれてしまったが、この〈工房〉に詰め込むことさえできれば、リーンハルトにいくらでも持っていくことができるのである。すでに素材や実験台、本棚で空間がいっぱいといえばいっぱいなので、大した量は収納できないが、これがあるのとないのとでは引越しの難易度が全く違う。

 錬金術師として必要なものを全て持っていけると言うのは大きいし、他にもある程度のものまでなら持って行ける。



 続いてクローゼットを開ける。私の背は16歳のころからほとんど変わっていない。なので、クローゼットは結構ぎゅうぎゅうだったりする。

 持っていくべき服の選定はきちんとしておいた方がよさそうだ。1月に転勤ということは冬服と春服は必須だよね。問題は夏服やフォーマルなドレスなど普段着ない服をどうするかだ。服については来週以降母と相談しながら考えよう。最終的には〈工房アトリエ〉の空き次第という気もしなくはない。


 他に出立までにすべきこととしては、師匠と兄弟子に手紙を書くことと、挨拶周りだろうか。手紙は今週末にでも送ってしまおう。転勤と聞いたら、師匠は驚くかな。いや、師匠は私以上に古い遺跡や迷宮の調査のスペシャリストだから、今度の地下迷宮の発見もすでに知っていて、私が呼ばれることも見越しているかもしれない。


 そんなことを考えていると、軽いノックの音とともに、洗濯物を持った母が入ってきた。ちょうどいいので、挨拶周りの相談してみようかなと思っていたら、母も同じことを考えていた。


「転勤するなら皆さんにご挨拶に行かないとだめよ? ポーションとか護符とか、そういったものを贈ったらどうかと思うの」


 なるほど、手みやげの代わりにお手製のポーションと護符っていうのはいいかも。自分で作るなら原材料費だけですむし、オーデンは小さな街なので、オーデンで手みやげを用意するとなるとどうしても似たり寄ったりの品しか準備できない。


「それいいね! お世話になってる人にはポーションで、職場のみんなには〈護符〉でいいかな?」


「ええ、いいと思うわ。市長さんのところはどうするつもり?」


 市長さんか。悪い人ではないのだが苦手なんだよね。教訓とか偉大な人の名言を使う機会を常に待っているタイプの話の長いおじさんなので、私以外にも苦手な人は多いと思う。


「市長さんは何がいいか正直いって思いつかないの。何かよさそうなものある?」


 私が正直に申告すると、母も首をひねって考えてくれた。


「じゃぁ、そうね。薬酒と二日酔いの水薬のセットなんてどうかしら。」


「ありがとう。そうするよ。薬酒とかを包む布に軽量化の〈陣〉を描いたのを使おうかな。」


「それはいいわね。」


 市長さんは苦手だけどお世話にもなっているから、できるだけのことはしたい。布に軽量化の〈陣〉を描いておくと、これに包んだものは実際の重さよりも軽くなって持ち運びやすい。私が持っていくときも便利だし、そのあと何か重いものを持ち運ぶときにも使ってもらえる。何枚あっても良いのでストックもばっちりだ。

 他方、賞味期限のあるポーション類は依頼の都度作るのでストックがほとんどない。こちらは今から作る必要がある。


「ポーションはどのくらい用意すればいいかな? お得意様って言っても今オーデンにいるのは3人くらいなんだよね。」


「それならポーションは1ダースもあれば足りると思うわ。それから、私も〈虫よけ〉と〈聖印石〉を3ダースずつ欲しいからお願いね。」


 母よ、〈虫よけ〉はいいとして、さらっと〈聖印石〉なんて高価で手間暇のかかるものを要求しないでくれ。しかも3ダースって……。


〈聖印石〉というのは、白く艶やかな聖力が宿った石に金色の緻密な文様が刻まれたとても綺麗で非常に強い力を秘めたアイテムである。


 〈聖印石〉を使えば、誰でも聖力を思うがままに使うことができる。聖晶石に聖金で〈印〉を刻んで制作するのだが、聖晶石も聖金もそこそこのお値段がする。3ダースも作るとなると材料費だけで私の給料3か月分くらいする代物だ。


 ちなみに〈聖印石〉で一番高いのは技術料である。小さな石にとんでもなく複雑な〈印〉を時間をかけて刻むので決してぼったくりではない。値崩れしないように品質ごとに最低市場価格が一応決まっている。ミドルクラスなら、1個で10万ベルはする。それを36個ということは360万ベル。


 そんなに作ってられるか!と叫びたいが、家を出る身としては少しでも多く用意してあげたいという気持ちはある。

 この世界では誰もが魔力か聖力のどちらかを持っているものなのだが、うちの家族は魔力も聖力もない世界から転移して来たので、どちらも使えない。世の中は魔力か聖力少どちらかの力があることを前提に動いているので、なんの力もないうちの家族はなにかと大変なのだ。


 とはいえ他にすべきこともたくさんあるので保証はできないから「時間とお金があったらね。」とだけ言っておいた。


「それにしても、小さかったエリーセがついに独り立ちするのね。寂しくはなるわね。」


 母よ、突然しんみりするようなことを言わないで欲しい。決まったことだから仕方がないと思うようにしているのに。でも、折角だから、少し甘えてみようかな?


「行きたくないなぁって思うよ。」


「さぁ、はりきって引越しの準備をするわよ!」


 母の切り替えは早かった。


「ひどい! お母さんがひどい!」


 その夜、私は辞令を貰った時以上にもやもやした気持ちで眠りにつくことになったのだった。

よろしくお願いします。

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