33
たまに見せるようになった悪戯顔のエサイアスが、翌日午後になって現れた。
でも考えてみれば彼はまだ23歳だ。下手をすれば大学生、と思うと、もっと幼くてもいいのかもしれない。
サプライズだよ、と言ったエサイアスの後ろからおずおずと顔を覗かせたのは、アリサとテレッサだった。
「2人とも!無事だったのね!」
リハビリ期間中なのも忘れて思わず扉のほうに駆け寄ると、たどり着く直前で立ちくらみしてしまう。
それをエサイアスが、杖を持っていないほうの腕で抱きとめた。
「焦らなくても逃げないよ」
「す、すいません」
「聴取がだいたい終わって、制限付きだがパーセットの屋敷の出入りを許可したんだ。君もだいぶ体力が戻ったから、そろそろいいかと思ってね」
「ありがとうございます!」
満面の笑みで、肩口を支えてくれているエサイアスの腕をぎゅっと掴む。
こちらから会わせてほしいとは伝えていなかった。何も言わなかったのに、察してくれたのだ。
「喜んでもらえて良かった」
無事だとは聞いていたが、実際に2人の元気そうな顔を見られて本当に安心した。
それに、話したいこともたくさんある。
「じゃあ、私は仕事に戻るから、3人でゆっくり過ごすといい。外泊はまだ許可を出せないが、夕飯後にでも2人は馬車で送らせよう」
エサイアスはわたしをしっかり立たせると、頬に手を添える。
「無理はしないように」
「大丈夫ですよ」
「マナの大丈夫はあまり信用できないからな。君たちも、悪いが気を配ってやってほしい。頼めるかな」
また過保護が発動していると呆れたが、2人が大きく何度も頷いたので、口出すタイミングを逸してしまった。
エサイアスを見送り、パタンと扉が閉じられた途端、アリサが小声で叫ぶという芸当を見せた。
「きゃーーーーーーーー!なになになになに、いつの間にあんな貴公子捕まえたの!?」
「!?」
かつて見たことのない勢いに飲まれて後ずさる。こんなキャラだったのかアリサ。
「甘すぎて目が覚めたわ」
と、すぐにテレッサが追撃する。
「!??」
てゆーか、貴公子って誰!なんか恥ずかしい。
「つつつつ、捕まえてない」
捕まえてない、多分。そういうんじゃない。よくわかんないけど。
と言いつつ、さっきのやり取りを客観的に見たら、砂糖を吐くかもしれないと思ってしまった。こっちではだいぶ高級らしい砂糖は、もったいなくて吐けないけれども。
エサイアスと2人でいる時間がここのところ長すぎて、感覚が麻痺していたかもしれない。
「あの人は命の恩人で、お世話になりまくってるけど、それだけだよ」
多分。
「なに言ってんのぉーーー!?」
叫んだアリサはおもむろに咳払いをすると、わたしの頬に手を添えて、先ほどの彼のセリフを声マネする。
「『無理はしないように』『マナの大丈夫はあまり信用できないからな』って、見る目の甘いこと!優しいのにちょっと強引な感じもいい!」
頬を紅潮させているアリサを見ていて、思い出した。エサイアスがお貴族様であることを。そうか、貴公子か。
彼の所作は、相手の心を掴むものなのだ。見目の良さが手伝って、その威力は絶大。
最初に会った時、こういう反応をするのが正しかったのか。などと、若干引きながら考えた。
エサイアスと出会った時を思い出す。もうずいぶん前のことに思えた。
この国に来て、初めて会った貴族がロキュスで。きぞくぜんぶきえろとか思っていて、そんな中会った。そうだった、ときめく余裕が皆無だったのだ。
そして、最初に貼った貴族というレッテルをはがした後は、エサイアスはエサイアスだった。
「私たちに対しても、最初から丁寧に接してくださって。あんな方もいるのねぇ」
両手で頬を包んで身体を揺らすアリサは、いまだ興奮冷めやらないようだ。
どうしよう。このスイッチの止め方がわからない。と思っていたら、
「同じ貴族でも、あいつとは大違いね」
というテレッサの一言で、アリサのテンションが通常値まで降りてきた。
「ええ、ホントにね。ホントに」
あの男の名前も、あの屋敷での時間も、できる限り口には出したくない。それはわたしたち共通の思いだろう。
傷を庇いあって、慰めあった。わたしたちの接点は、実はそこにしかない。けれど、きっとこれから新しい関係になっていけるはずだ。
はぁぁぁぁぁと、3人で特大のため息を吐いたところで、ソファに案内する。ちょうど紅茶の準備がととのい、ローテーブルに3人分の茶器が並んだ。
そして今、ソファの両隣を陣取られ、2人に勢い良く抱きつかれている。向かいにも席はあるのに、この部屋に来る人はそれをあまり使ってくれない。
「あのね、マナ!『無事だった』は、こっちのセリフだから!」
わたしの初めのセリフを、アリサは繰り返した。今日の彼女は本当に別人みたいだ。それとも、これが本来の姿なのだろうか。
だとしたら、あの屋敷にいた頃は3人でいた時でさえ、自分を出せていなかったということかもしれない。彼女たちは、わたしより長い間、あの屋敷で生きていたのだ。
「本当に、思ったより元気そうで良かった」
「屋敷にいないし、聞いたら意識がないっていうし、ホントにホントに心配したんだから」
畳み掛けるように2人が言った。わたしが考えていた以上に、心配をかけていたようだ。
「ごめんね、ありがとう」
ひとしきり再会を喜ぶと、3人でお茶を楽しんだ。
ほう、と息を吐き、午後の日差しの中、不安も恐怖もない場所に3人でいる。
「マナ。あなたの言った通りになったわね」
しみじみとテレッサが呟いた。
「あの屋敷を、3人で出ることができた」
アリサが滲んだ涙を指で拭う。
「これからどうなるか、不安がないわけじゃないけど、あなたがくれたチャンスだもの。がんばろうって思ってるわ」
「ええ。ヴァルト様が、紹介状も書いてくださるって。マナが頼んでくれたって聞いたわ」
「うん。いい仕事したでしょ!」
3人で歯を見せて笑った。先に希望があることが、嬉しくて仕方ない。
「嫌疑が晴れた使用人に対しては、これまでもらうはずだった賃金も、パーセット家から没収した財産の一部で補填してくださるそうよ」
本当に素晴らしい方だわ、とアリサの中でエサイアス株が右肩上がりだ。
賃金。そういえばもらったことがなかった。わたしが思い至らなかったことまで、いろいろと考えて動いてくれているんだ。
契約書とか交わしていないけど、わたしももらえるのかな。
「読み書きと簡単な計算もできるって言ったら、紹介できる職の幅も広がるだろうって」
「良かったね!じゃあわたしは読み書きをもっとがんばらないと」
多分、計算能力に関しては、今のレベルでも十分通用するはずだ。
と思って決意を新たにしていると、2人が変な顔をしてこちらを見る視線とぶつかった。
「え、なに?」
「なにって、え、マナには必要ないんじゃ」
「なんで?アリサも知ってるでしょ。この国の言葉は、まだちゃんと読み書きできないよ、わたし」
日本で言うところの小学校低学年レベル、だと思う。
「働くの?」
「何言ってるの。働かないと生きていけないでしょ。一緒にがんばろうって話したじゃない」
当たり前のことを言われて訝しんでいると、2人が目を見合わせる。
「なによ、何か変なこと言った?」
「あなたはここに残るのかと」
「なんで!?」
「なんでって」
3人で不可解そうな、同じ表情を突き合わせるが、どうやらわたしだけ理由が違うらしい。
「エサイアス・ヴァルト様と、その、そういう関係なんでしょう?」
そ。
「そういう、というのは」




