番外・カシュカ2
世はまさに、パーセット・ショックとも言うべき、激震に見舞われていた。
公金横領というと、それほど大騒ぎするほどのことではないように聞こえるが、それが10年以上に渡り、しかも軍事費を、ということになれば話は別だ。
配備されるべき所にされなかった武器、人員、食料。
国が想定していたよりも切迫した状況で戦ったことによる被害の拡大などが判明するにつれ、パーセット伯爵の行いは、今や利敵、つまり売国行為とまで言われている。
戦勝後の一報だったことにより、民衆の反乱など大きな人心の乱れこそないものの、根深い怒りを買うことになった。
貴族全体に対する信頼の失墜はもちろん、国の怠慢を責める声なども、大衆食堂や街中で毎日のように聞かれる。
貴族界で言うならば、政界の二大派閥のバランス崩壊が懸念されていた。
まだ公表はされていないが、あの夜ついでに見つかってしまったような違法薬物と、それを使用していたパーセット一派とでも言うべき3家の令息たちが決定打になってしまいそうなのだ。
悪事はもちろん暴かれるべきではあるが、それに関しては王太子は頭を抱えていた。
「さすがに有能すぎるだろう、エサイアス。初手で国の形を変える気か」
と皮肉が漏れるほど。あまり一つの派閥が力を持つのも、王家としてはいただけない、ということらしい。
今、『偶発的に』発覚した有力伯爵家の不正の噂で、社交界はもちきりだ。『社交シーズンでないだけ、多少助かった』とは、副局長であるエサイアス・ヴァルトの言である。
敵対派閥の失墜など、盛り上がらないわけがない。下手に内情を知っているだけに、それを悟られないように振る舞うのも煩わしいのだろう。
しかしここ数日の特務調査局においては、パーセットの中でもロキュス。ロキュス・ショックに震撼していた。
ロキュスの屋敷はまるで伏魔殿だと言ったのはエサイアスだったか。カシュカは、うまく言ったものだと感心せざるを得ない。
「やはり情報が得られません。念のため、マナさんにも聞くべきかと思います」
「マナがいたのは半年程度だと聞いている。しかも最初は言葉もわからなかったんだ。それより長く働いている者たちに心当たりがないのに、彼女が知っているとは思えない」
「ですが」
使用人の内何人かは明らかに、あえて口を噤んでいる。自分にも後ろ暗いことがあるのか、未だにロキュスを恐れるのか、何を聞くにしても協力的な者はごく少数だ。
今回見つかったことに関しては、その少数さえいなかった。マナの友人だという2人は、いつも積極的に証言してくれているが、この件については何も知らないという。
2人より後に屋敷に入ったというマナが、何かを知っている可能性は確かに低い。
けれど彼女は様々な雑用をしていたため、屋敷の広範囲を動いていた。しかも、周囲が話を理解していないと思い込んでいる状況は、途轍もないアドバンテージになり得た。
それに、会議で関係者全員にすると決まった聴取を、彼女だけ免除してしまうことは、後々この事件解決の瑕疵になりかねない。
ただエサイアスなら立場的に、押し切ることだって問題なくできてしまう。
「そうだな。わかっている。聞く必要は、あるな」
おそらくマナのために、この事件の調査本部を自宅一室に設置までしてしまった上司は、なんだかんだぎりぎりで公私の区別をつけているようだ。
「同席しても、構わないだろうか」
ぎりぎり。
最近のエサイアス・ヴァルトについても、各方面で密かに激震が走っている。
ヴァルト家は元々文官の家系で、気性の乱高下は少ないイメージがあった。エサイアスは次男で騎士の道を選んだが、その例に漏れず基本的には穏やかだ。
体格も、背は高いが武官としては細め。その見た目で侮った人間が、痛い目に遭うところまでが様式美である。
けれど、戦争で大怪我を負い、王都に戻って来てからは、穏やかというのとは違う、冷徹さのようなものが加わった。
片足を引きずり、動きは制限されているはずなのに、圧倒的に凄みが増した。
そしてもともとの、自分に厳しく完璧を求める性質が、それまで以上に周囲の人間の背筋を伸ばす。
それ以前を知らないここの部下たちは、沈着冷静で時に徹底して敵を追い詰めるような彼しか知らなかった。
カシュカは一時期、戦場で彼の隊に属していた。
そしてエサイアスが大怪我を負った例の作戦にも参加していた。仲間が何人か死んだ。
あれからエサイアスは、どこか変わったのだと思う。
そして今、また変わった。
まず表情豊かになった。溜め息をつくようになった。理由の分からない周囲は自分が原因かと内心どきどきハラハラしているらしい。たまに何故か数人頬を染めている。
仕事をたまに、定時で切り上げるようになった。女性が好みそうな花や菓子を、自分の足で買いに行くためだ。
ただ冷静に、淡々と仕事をこなす、感情がまるでないかのような彼を見るより、よほどいい。
カシュカは彼の変化を尊重する。歓迎している。そのきっかけが、自分ではなくても。
だってどうしようもないほど、それは圧倒的な差だった。
エサイアスがマナに向ける瞳、感情。月日など、距離の近さなど、いかに無意味なものか。あっという間に、ふと気づけば、エサイアスは虜になっていた。
支えようと思っていた。できることなら、少しでも救えたらいいのにと。マナはそれを、たった数週間でやった。
彼が悩みながらも幸せなのは、ずっと見てきたカシュカにはわかる。
たまに暴走しているきらいはあるが、仕事にも概ねプラスに働いていた。
(マナさんは、本当にすごい)
そしてやはり不思議だと思う。
直接見知っているからか、エサイアスはたまにカシュカに彼女の話をすることがある。
エサイアスもよく驚いているが、平民であるカシュカから見ても、マナは少し『違う』のだ。
マナは、なんというか、所帯臭くない。
平民である以上、働かずに衣食住が揃うことはまず無いはずだ。子どもであっても、物心ついた頃から家計を助けるために何かしらする。
一般的な19歳と言えば、すでに結婚して子どもがいてもおかしくない年齢だった。カシュカのように20歳を過ぎて独身というのは割りと少数派。
それくらいの歳になれば、たとえ結婚はしていなくても生活感が出てくるのが普通だ。
マナにはそれがない。『良いところのお嬢さんなのでは』というようなことをエサイアスが言っていたが、そんな印象をカシュカも受ける。
だからといって、豪商の娘かというと、そんな気もしない。
甘やかされて育った感じもしない。人を下に見ることもない。彼女の目は、性別で分けることも、人種で分けることもしないのだ。強いて言うなら、その行ないで分けている。
そして何より、貴族の前で卑屈になりがちな、平民根性のようなものが一切ない。身分の差が生活の中であまり意味を持たない国の住人、というのは嘘ではないのだろう。
ロキュス・パーセットはそれを人々に求めていた。自分に対して遜る、媚びる、羨望する、そんな視線を。
マナからはおそらくそれが得られなかった。いつまでも思う通りにならなかった。だから、あの男はある意味マナに固執したのだ。執拗に暴力を振るって。
そしてまた、マナのそんな存在感は、エサイアスの琴線にも触れることになった。
妬む気持ちがないと言えば嘘になる。けれど、彼女に悪感情など持ちようもない。
助けようと思っていたのに、逆に救われてしまった。
彼女は、自分の無力を認めながら、それでも足掻いて結果を残した。見事な女性だ。
(敵わない)
そう素直に思える相手で、心から良かったと思う。
しかもマナは平民だ。身分で選ばれなかったわけでもないと、知らしめられる。いっそ清々しいほどにカシュカには可能性がなかったのだ。
そんなエサイアスの変化に対して周囲の反応は、『ご乱心!』派と『人間だったんですね、安心しました』派にだいたい分かれている。
理由は薄々察せるものの、『いやまさか』と『確かめるのが怖い』で、踏み込まないまま牽制しあっているような状態だ。
「カシュカさんなら、知ってるんでしょう?」
その質問に、何度無言の薄ら笑いを返したことか。
本人には変わった自覚がないのが厄介で、指摘できない部下たちが、たまに対応に苦慮しているのを他人事のように眺めている。が、それが今日は、自分の役回りになりそうだ。
実際、エサイアスは変わっていないのかもしれない。彼の世界に『マナ』が増えた。きっとそれだけなのだろう。




