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そういう相手として、考えたことがなかった。
そういうことが、頭からすっぽり抜けていた。
この世界で、そういうこともあり得るのだという可能性が。
(そういうって、なんだ)
汗かいてたなー臭くなかったかなーなんてことは気になっていない。
やっぱり手つき慣れてたなーなんてことも考えていない、まったく。
「今日の報告によれば、ロキュスは『君を介抱している家』に、ご丁寧に手紙を寄越したらしい。内容が聞きたいか?」
(仕事帰りの制服着崩しとか色気駄々洩れか!やめろ!!)
きっと手紙の中身は碌でもないものなのだろう。エサイアスの表情が物語っている。
「ぅ、そうですね、せっかくですから」
心の中は大嵐だったが、何とか取り繕えている気がする。気がしたい。
「看病に対する感謝はそこそこ、君は『知能も低く、珍しい見た目以外に取り柄はないが、家族からの虐待を見かねて引き取ってやった可哀想な少女』だということだ。
要するに、心配ではなく言い訳だな。業腹ではあるが、ロキュス本人が嬲っている事実を知られたところで、マナが指摘したように特に罪に問われることはない。
しかしもちろん、外聞は悪いからな。中立派の貴族相手に、体面は保ちたいというところだろう」
「そうですか。黒髪黒目が珍しいということですか?」
「気にするところはそこじゃない」
エサイアスは突っ込みながらも、確かに珍しいが、と質問の答えもくれる。
見た感じ、いつも通りだ。
「それから、いつ戻れるのか回答も要求している。これにはまだしばらくかかりそうだと返しておいた。期日が決まり次第連絡するので、安心して欲しいと」
「ありがとうございます」
「礼には及ばない。君は被害者だ」
そこまで話して、沈黙が流れた。
エサイアスが口を湿らすようにお茶を飲む。やはり少し動きが硬いだろうか。
それとも自分が緊張しているから、そう見えるだけか。
「あの、今の、見た目の話なんですが」
何か話題。
「見た目?」
「わたしの見た目が珍しいという」
「ああ、そのことか。この国にはもともとあまり無い色ではあるな」
「ヴァルト様はわたしの他に、会ったことはありますか?」
「まったく同じというのは無いな。黒目黒髪が揃うのもなかなか珍しいが、それよりもマナのその、生成りのように優しい肌色というのは、かなり稀少だと思う。
大陸の東南部に多い砂漠の民は、黒髪が多いが瞳は色々だし、肌ももっと浅黒いんだ」
「そうなんですね」
街の中でも、アジア人ぽい色味の人は見なかった。肌の色で言えば、ほとんどが白色人種だったと思う。
「ニホンと、ジャパンだったか。君の国の名前は、やはり見つからなかったよ。念の為、過去の文献もあたってみたが」
「そうですか。調べていただいて、ありがとうございます」
「落胆しないのか?」
「していますよ、それなりに」
申し訳なさそうなエサイアスには悪いが、自分でも驚くほど淡々と受け止めていた。
事実を事実として呑み込む以外に、今できることはないのだ。
「外国人って、やっぱり就職に不利だったりしますか?」
「就職?」
「そうです。街で働くためには、身分証明のようなものが必要なのでしょうか」
まぁすべてが上手くいけばの話ではあるが。
「そうだな、出身地首長か、前の勤め先からの紹介状があるのが一般的では」
ある、と続きそうなエサイアスの声はそこで途切れた。そしてテーブル越しに身を乗り出す。鎖骨が見えた。
「それは、この国で暮らす気があるということか?」
「国に帰れない以上、それが一番生きられる可能性が高いかなぁと。言葉もせっかく覚えたので」
「だ、だったら!紹介状なんかいくらでも書く!いや、それより」
「本当ですか!?」
今度はわたしが乗り出す番だった。
「あの、本当に書いてもらえるなら、あと2枚、書いてもらうことはできませんか?2人の人柄なら保証します。就職後に迷惑はかけません。お願いできないでしょうか!」
こんなチャンスはきっともう二度と来ない。咄嗟にそう思って、勢いのまま飛びついてしまった。
(でもこんなのは本当に、図々しいことこの上ない)
情報提供の協力は持ち掛けられた。でもまだ返事をしたわけじゃない。
断るつもりはもちろんないけど、その交渉も挟まずに、エサイアスは紹介状を書くと申し出てくれたのだ。それだけで十分じゃないか。
エサイアスは一度頷きかけ、けれどそのままわたしを凝視した。
(ほら見ろ)
きっと呆れられた。嫌われた、かもしれない。
そう思っただけで、身体が震えた。
この人に。
(嫌われたくない)
「マナ、1つ聞きたいんだが」
「な、んでしょうか」
「その2人というのは、どちらか男か?」
「へ?」
「街に出て、その男と暮らすつもりなのか?」
「え!?いや、2人とも女の子ですけど。そうですね、一緒に暮らすかも、しれません、ね?」
思考が回らず、何を聞かれているかわからない。馬鹿正直に答えると、エサイアスは途端、満足そうに笑った。
「書こう」
「え!?」
「紹介状だ。まったく問題ない。後2人分、喜んで書くよ」
なんだったんだ、今の変な間は。心臓に悪い。
「あ、ありがとうございます」
全力疾走後のような動悸がする。なんなの、意地悪なの?それともホントはちょっと怒ったの?
でも言質は取った。
(やった)
アリサとテレッサに、早く報告したい。やった、やったよ!
これで逃げられる。あの屋敷に縛られずに生きられる。
今日は素晴らしい日だ。未来に繋がる1日だ。
頑張ろう。
(頑張ろう)
これで、心は決まった。
2021/4/13改稿UP




