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部屋の外がざわついた。

そしてわたしにとっての災厄が現れた。


それは、あの後もう1人が出ていって、部屋に常駐している様子の兵士2人と、わたしだけになってしばらく後。

ジェスチャーで書く物を希望したが残念ながら通じず、逆に「待て」というような仕草をされて、それに従うしかない状況をある意味打破したのだった。



煉瓦の箱のような簡素な部屋に入ってきたのは、明らかにこの場にそぐわない身なりのいい男。

金髪碧眼、ザ・外国人!だった。

装飾品も服装も豪奢で、ああ、これぞまさに貴族コスプレ、というような風貌だ。年齢はおそらく、20代だろう。

顔立ちもアジア圏ではないので貴族服も様になっているのだが、こちらを見る目が無遠慮で、相応の品は感じられなかった。

下に見られているのが、言葉がなくてももの凄く伝わってくる。


わたしの黒髪黒目が珍しかったのかもしれない。

男は部屋を見渡しわたしを見止めたかと思うと、周囲の声掛けを無視してあっという間に近づき、顎を指で無造作に持ち上げた。


「っ!!」


その匂いまでわかりそうな距離と感触で、鳥肌が立った。

柄にもなく、身動ぎすらできない。


その瞬間、この世界の人間に触れられて初めて、わたしの中でここは『現実』になった。なってしまった。



男にとっては、都合が良かったのだ。言葉も通じず怯えるだけの、身寄りもなさそうな女が。

失態を演じて戦場から戻り、日常に飽いていたこの男、ロキュス・パーセットにとって、それは絶好のタイミングだったに違いない。


そうして、憂さ晴らしの玩具として、わたしは目をつけられてしまったのだった。




部屋にいた兵士然とした2人には、少なからず制止の気配があった。

けれど一瞥と一言で、上がった腕は下げられる。

服の質に違わず、立場に差があるのだ。


きっとわたしは不安そうな顔をしていたのだろう。彼らが苦しそうな目を向ける。

その間にも男はわたしの腕を引きずって、建物の外に待機していた馬車に押し込んだ。


わたしは、結局ただ流されるより他なく。


怖いと思った。

不安しかない。


けれどあの場所に残れる雰囲気ではなかったし、残る理由も思いつかなかった。

強いて言えば、この男が嫌だという、自分の感情だけ。

結果から見れば、わたしは自分のその曖昧な感覚をもっと信じれば良かった。


とは言っても、人を物のように扱う人間についていくことは怖いが、人を物のように扱う人間に逆らうことはもっと怖い。

実質、選択肢などなかったのだと思う。



いずこかへドナドナされている間、男は馬車の中で一番距離が取れる対角線上の席に座り、一言も発しなかった。

まるで、自分との間に隔絶したものがあることを見せつけるように。

そのくせ視線は感じる。

確かにわたしの身なりと言えば、下はジャージに上はスウェットの部屋着ではあったが。

これでも部屋着にしては奮発して買ったお気に入りなのに。


そもそもここは一体どこなのか、判断材料を増やしたくても、馬車の窓には木戸が落とされていた。

木戸は開けても、特に咎められなかったのかもしれない。

けれど、今この瞬間の不安や恐怖を宥めることに精一杯で、わたしは結局何もできないまま、わからないまま、馬車に揺られた。



腕をまた強く引かれ、気づけばその男のものと思われる、大きな屋敷の一室に放り込まれていた。

馬車の中で、不躾な視線を全身に感じて、少し気分が悪くなっていたから、男が目の前からいなくなって心からほっとする。

男は、使用人と思われる数人に何事かを指示すると、わたしにはまったく好感の持てない笑みを浮かべて、部屋を後にしていた。


言葉は相変わらずわからなかったが、少なくとも使用人たちは終始伏し目がちで、わたしに最低限しか視線を向けなかった。

対応は丁寧とは言えなかったが、一定の距離は保たれたので、わたしはようやく少し冷静になることができた。


とは言っても、できることは見えているものを観察する程度だ。

日本語や英語で質問もしてみたが、わずかに首を傾けられ、すぐに視線を逸らされた。


華美な装飾品に溢れた屋敷は、豪奢だった男の姿を想起させる。見目だけは整っていると言える、貴族コスプレ男。

おそらく彼か、彼の家族の趣味なのだろう。


そう、おそらくここは、貴族の屋敷だ。

観光スポットや文化財などではなく、何人もの人が実際に生活をしている。

執事や侍女や侍従らしき人たちが維持しているのだろう、紛れもない生活空間だった。

きっと裕福に違いないのに、セキュリティシステムが入っている様子もない。


それ以前に移動が馬車とか。

ウケる。

全然ウケてないのに『ウケる』っていう女子嫌いなんだけど、その信念を曲げたことにも気づかないレベルでずっとわたしは混乱していた。


ディズニーランドみたいに、徹底的なコンセプトを元に作られたテーマパークでもなければありえないレトロワールド。

けれど、誰一人、客を楽しませるための教育なんか受けていないのは確実だ。

侍女や侍従の様相はパッとしない。

彼らは表情も乏しく、着古されている制服で、屋敷の煌びやかさにそぐわないように見えた。


誰もわたしに声をかけない。

だからこちらからも会話のきっかけが掴めない。

言葉を発しても無表情のまま目を逸らされれば、心も折れるというものだ。


やんわりの拒絶も伝わらず、わたしはサウナのような場所で全身を清められた。

抵抗しようにも穏便に断わる言葉がわからない。

侍女2人がかりで、結局されるがまま身体を洗われ、化粧までほどこされた。化粧道具まで機能性を無視したようなゴテゴテなもので古めかしい。

エプロンのないお仕着せのような、シンプルなのに生地の厚めなワンピースを着せられながら、まさか時代まで違うのかと、背中にじわじわ寒さを感じていた。


一言だけ、執事らしき白髪の男性から告げられた言葉。


「アイナ。アイナ、クルーム」


わたしを指さして、数度繰り返す。

何を意味するのか、その時にはまるでわからなかったが、わたしのために噛み砕かれた発音は、妙に耳に残った。


もともと着ていた服を持っていかれてしまい、とても心細かったことを覚えている。

これで自分の知るものは、外側には何一つなくなってしまった。

まさしく身一つにされ、また広くも狭くもない部屋に入れられると、お茶と軽食が与えられた。

食べ物を見て、初めて空腹を思い出した。

火は通っていそうだったのでおそるおそる口にしたが、味はあまり覚えていない。




その日の夜から地獄が始まった。

わたしはなにも情報がないまま、昼に会った装飾過多の男の部屋に通されていた。

夜だというのに、カンテラの間接照明が金糸で眩しいガウンを照らしている。


彼はこんな大きな家の主にしては若いように思われたが、年齢に反して態度は尊大で、たった1日の関わりで、わたしは十分この男が嫌いだった。

だから当然のようにベッドに押し倒されて胸を鷲掴みされた時、手を振り払ってしまった。


眉を顰めるように驚いた顔をされた意味がわからない。

知らない男に襲われそうになって、抵抗しない女がいるのだろうか。

最初はニヤついていた男だが、わたしの抵抗が本気だと悟ると、鼻白む様子を見せ、平手で思い切り頬を張った。

そして服を乱暴に破き、髪を掴んだ。

口内に血の味が広がり、目がチカチカする。

昼とは比べ物にならないほどの恐怖がせり上がって、喉が焼けついた。

痛みで流れた涙が、呼吸をますます難しくさせる。


(本当に、なんなんだこれは)


それでも、わたしは多分、現代日本人の感覚に救われていたのだと思う。

身分の高い者に従わなければならない強迫観念もなく、恐怖は理不尽に対する怒りが一時的に抑えつけた。


女は男に従うべき。貴族に平民は逆らえない。

この世界で染みついた常識に、幸運にも縛られてはいなかった。


理想であっても人の権利は平等であるべきで、そこに身分も性差も関係ない。

男の力に女は敵わない。だから、中途半端な抵抗では意味がない。


(そして客はもてなせよ!)


わたしが咄嗟に動けた理由はそれが自分にとっての『普通』だったからだ。

とにかく必死で暴れたら、偶然急所にでも当たったのだろう。拘束が緩んだ拍子にわたしは部屋を飛び出した。



破れた服を両手で抑えて、闇雲に走った。

叫ぶこともできない。誰かに見つかれば連れ戻されるだろう。

夜のせいか、しんと静まる廊下を、わずかな間接照明の中彷徨った。

サイズの合わない靴は不格好な音を絨毯に吸われ、聞こえるのは自分の呼吸音だけだ。

けれど外に繋がりそうな場所は施錠されて開かず、人の気配を避けて辿り着いたのは物置のような小部屋。


内側から鍵がかけられるその場所で一晩明かすしかなかった。

たとえ屋敷の外に出られたとして、わたしには右も左も、敵も味方もわからない。

服も、おそらく顔も腫れてボロボロで、深夜に見知らぬ場所へ出ていく勇気はなかった。


(どうしよう、どうすればいい)


壁の上方にある小窓から月明かりが差している。

震える身体を白く冷たく縁どって、わたしの存在を、この世界に浮き上がらせている。

歯の根が合わず、奥歯がガチガチ鳴るのも抑えられないわたしは、せめて明かりが届かない部屋の隅を探して、必死に呼吸を整えることだけを考えて朝を待った。


男の怒声や足音が近づくことに怯えていたが、幸いそれを聞くことなく空が白んできた。

屋敷の中に、人を探す気配は感じなかったから、あのまま諦めてくれたのか。

けれど、今日見つかったらその先はわからない。


朝になったら、外に逃げればいいのか。

けれどこの街を守る立場だろう兵士たちも、あいつを止められなかったじゃないか。

むしろ、まるでわたしを探しに来たような、あの男の初対面時の様子を見れば、手駒になっているやつだっているのかもしれない。


馬車に乗るわずかな間に見た景色を思い出す。

ここは、煉瓦の壁でぐるりを囲まれている大きな街のようだった。

つまり街の外の治安は保証されない。

そして街中にはあいつの支配下かもしれない。


こうして放っておかれるのは、わたしの昼の様子から、助けを求める相手がいないとタカを括っているんじゃないのか。

そういう女だからこそ、連れてきたのでは?

そして悔しいことに、それはその通りで、実際こうして朝になっても、わたしには状況を好転させるカードなどありはしなかった。


空が明るくなってきて、恐慌状態を抜けてから、わたしは考えることに集中した。

このままだと不安で頭がおかしくなりそうだったから。

せめて今ある情報をまとめて、できることを整理しなければ。



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