第三章
朝、いつも通りの朝。今日は悪夢も見なかった。なんとも清々しい。やはり朝はこうでなくては。
「今日の俺は紳士的だ……」
と、某ゲームにでてきた敵役の台詞を真似てみたりする。気分は絶好調のまま、有彦は服を着替えて食事をして、毎朝の定番『スターデイズ』を見るためにテレビへ向かった。電源をつけてリモコンを操作してから、有彦は後悔した。
(なんでこんないい朝に……)
テレビの中では古株アナウンサーが一昨日起こった通り魔事件に二人目の犠牲者がでたと伝えていた。
ちなみに、今日の電車には早苗の姿は見えなかった。
普通に登校してきた有彦は教室が騒がしいことに気づいた。騒がしいのはいつものことだが、何かが違う。みな真剣な顔つきだ。
「おい康成、なにかあったのか?」
教室の隅でひびつね同好会のメンバーを集めて喋っていた康成に声をかける。有彦に気づいた康成は手招きしてきた。
(何だ…………?)
悪ふざけをしていそうな顔じゃない。どうやら真剣に話し合っているようだ。メンバーの中に早苗がいないことを不思議に思いながらも同好会の輪の中に入る。
「いったいどうしたんだよ。何かあったのか」
「あったぞ、とびっきり最悪なのがな」
いつもと同じような康成の目に怒りの炎が宿っているように見えた。どうやら勘違いではないらしく、メンバー全員がそんな目をしている。
「な、何かみんな怖いぞ……?」
「有彦、今朝のニュースは見たか」
「へ? あ、うん見たけど? それが何か……」
「通り魔事件に新しい犠牲者が出たのも知ってるよな?」
「……知ってる」
あまり思い出したくなかったので無意識のうちにふてくされたような声になっていた。
「坂之上さんだ」
「…………え?」
「昨日襲われたのは坂之上さんだ。頭をやられていて意識不明らしい」
康成の言葉は理解できたものの、その現実を受け入れるのに数秒時間を要した。
「そんな……」
「有彦、今日放課後に俺の家にこい。道はこれに書いてある」
そう言って康成は一枚の紙を取り出した。それには康成の家までの道筋が地図と一緒に書かれていた。
「今回の活動は……マジでいくぞ」
康成の低い声に同好会のメンバーは沈黙で答えた。
その日の放課後、有彦は言われたとおり康成の家に到着した。
家の造りはなんと純和風。障子や石畳はもちろん、竹と水でコットンコットンする奴まで置いてある。
「ほかのみんなは来たことあるの?」
後ろを振り返って同好会のメンバーに聞いてみる。ここまで全員でやってきたのだ(康成は『先にやることがある』と言って帰ったから、この家にいるはずだ)。
「あるわよ、だいたい重大な事件が起こるとここで作戦立てるもの」
魔耶が親切に説明してくれた。なるほど、作戦司令室みたいなものらしい。
「ピンポ~ン」
魔耶が口で言いながらインターホンを押す。数秒おいてから康成の声がスピーカーから聞こえてきた。
『全員来ているな? 入ってくれ』
言葉と同時にドアが開いて玄関が丸見えになった(誰がドアを開けたのかは知らない)。
「それじゃ入りましょうか」
魔耶の言葉が終わる前に同好会のメンバーがずかずかと家の中へ入り込んだ。
「ちょっ、ちょっと待って……」
ワンテンポ遅れて有彦も入る。家の中もやはり和風で統一されていた。本当に純和風であり、外国からの干渉をことごとく避けてきた唯一の地帯のようにも思えた。
「有彦くん、こっちよ」
七海に手招きされて一室に入った。当然康成もいるだろうと思っていたが……。
「……康成は?」
その部屋に康成はいなかった。八畳の部屋にいるのは五人のメンバーだけだった。
「康成はこっちだな」
今まで黙っていた英志がおもむろに(勝手に)人様の家の押入れを開けた。
ガラッ。
そのふすまが開け放たれる音とともに有彦は前言撤回を余儀なくされた。
そこにあったのはファ○ナルファ○タジーにでも出てきそうな近未来のエレベーターだった。
「…………」
有彦はただ無言で押入れの中にあったエレベーターを見つめることしかできなかった。意味不明の赤や青の色が時折点滅している。
「何してる有彦、行くぞ」
光一の声で我に返ると、半信半疑ながらもエレベーターに乗りこむ(五人で乗るとそれはもうきつかった)。
ゴウンゴウンゴウンゴウン……。
「ねえ、この家って何階建てなんだ?」
外から見た限りでは二階までしかなかったような気がする。
「二階建てよ、ただし地下があるの」
「ああ、なるほど」
つまりこのエレベーターは上へではなく下へ向かっているらしい。……ってちょっと待て。
(おい! どうした有彦!? 何が『ああ、なるほど』だ!? なぜツッコまない!? 普通の家にエレベーターがあるか? 地下があるのか? ……地下が……地下五十階が!)
ガシューーーーン。シューーーーーー……。
蒸気機関的な音とともにエレベーターは地下五十階で停止した。ドアが開くとそこには……。
「何じゃこりゃ―――――――――――――――――――っっっ!」
今度こそ調子を取り戻して有彦は叫んだ。川本宅の地下五十階は司令室になっていた。
すでにこの家の評価は純和風ではなくなった。つーか誰がつけるかそんな評価っ。
康成の家の地下五十階。そこにはアニメにでも出てきそうな光景が広がっていた。見た目はかなり高性能を思わせるデザインのパソコンが最低でも五十台。さらに眼前には巨大なモニター。そこら辺の映画館にあるスクリーンでは比較にならないだろう。そして、エレベーターのすぐ前にある司令官用の机の前に……。
「みんな来たな」
康成が悠然と立っていた(なぜグラサンをしているかは不明)。
「康成……ここはいったい……?」
「見て分からないか? 司令室だ。デザインはNASAのパクリだけどな」
「何のためにこんな馬鹿げたものを家の地下に……」
「そんなの決まってるじゃないか」
そして、有彦を除くメンバーが異口同音に言った。
『雰囲気を出すため』
「……さいですか」
何を言っても無駄だというのが本能的に理解でき、有彦は反論するのをやめた。
気を取りなおして。
「で、こんな雰囲気を作ったんなら当然坂之上さんを襲った犯人を見つけるためなんだよな?」
「? 何言ってるんだ有彦」
康成とメンバーが全員さも驚いた顔をした。そのメンバーの仕草に一番驚いたのは当たり前だが有彦だった。
「ちょ、ちょっと待てよ! 坂之上さんを襲った犯人を捕まえるためじゃなかったらいったい何を……」
そして、メンバーはまた異口同音に言った。
『捕まえた犯人をどう処刑するか』
台詞が終わると有彦を除くメンバーは話し合いをし始めた(有彦はしばらく放心していた)。
「女の子の頭を殴ったんだから両手両足の爪一枚一枚剥がすっていうのは?」
提案者、七海。
「鞭打ちの刑はどうだろう? 鞭で打ちまくって気絶しそうになったら水をぶっかけて起こす。あ、水を塩水にしておくと傷にしみて効果大だな」
提案者、光一。
「……足から順々に撃とう。舌を噛んで自殺しないように猿ぐつわが必要だな……。どうせなら生殖器を切り落とすのもいい……犯人が男ならだが」
提案者、英志。
「やっぱり魔女っ子としては火あぶりかな~。アヘンを注射し続けて最後にはどうなるかを観察するとか」
提案者、魔耶。
「だが、やはり最後は坂之上さんにやらせるべきだろうな」
提案者、康成。
「……では処刑法はこんな感じになるな」
そして康成はするすると、気持ちが良くなるくらいいい声で発表した。
「爪をすべて剥がしてから生殖器を切り落とし、鞭で打ちまくってから銃で撃ちまくる。火であぶってから塩水をぶっかけてアヘンを注射する。坂之上さんが退院してからフィニッシュだ」
おおーーーっ、とメンバーから歓声が上がった。それを見てから康成は右手を高々と揚げて宣言した。
「よしっ! 捕まえた犯人の処刑方法は『爪をすべて剥がしてから生殖器を切り落とし、鞭で打ちまくってから銃で撃ちまくる。火であぶってから塩水をぶっかけてアヘンを注射する。坂之上さんが退院してからフィニッシュだ』に決定した!」
「ちょっと待て―――――――――――――――――っっっ!」
ようやく放心状態から脱した有彦が限界まで声を張り上げた。
「お前たちは何を考えてるんだ!? 犯人を殺すことが目的なのか!? 倫理的に許せることじゃないぞ!?」
「有彦に許してもらおうなんて思っていない」
「社会的な問題だ社会的な!」
今度こそ正論をぶちまけてやろうと康成の目をキッ、と見つめる。その眼光に康成は明らかな動揺を見せた。残念ながら有彦が思っていた動揺とは違ったが。
「すまん有彦……俺はゲイでは……」
「誰がそんなこと言ったか~~~~~~っっ!?」
叫んだ後にハアハア、と肩を上下させながら呼吸する。
「残念だがバイでも……」
「俺の話を聞け~~~~~~っっ!」
そんな口論がひと段落着いたのは数分たった後だった。
「まずは坂之上さんが襲われたときのことが分からないとな」
さっきの『有彦ゲイ・バイ騒動』から打って変わって冷静さを取り戻した(騒動のときも冷静だったのかもしれないが)康成がメンバーを見回して言った。今度はちゃんと早苗を襲った犯人を捕まえるための捜査会議である。
「それについては非日常区に放っている『バグ』がたまたま犯行時刻に現場付近を通っていました」
サッ、と立ち上がった光一が周りにおいてある機器のボタンを押す。すると眼前の巨大モニターに映像が映った。そこはどこかの裏路地を斜め上から映したもののようだった。そこへ早苗が現れる。
「通っちゃ駄目って言ってたのに……」
その呟きはおそらく魔耶のものだろう。モニター上の早苗はしばらく裏路地を歩いてから、不意に振り返った。そこで異変が起こった。画面の右上……早苗の進行方向の路地から合羽をきた人物が現れたのだ。その人物は早苗に気づかれないように近づいていき……、早苗が前に向き直ったのを合図にしてその腕に持っていたもの……木刀を早苗の右側頭部に打ちつけた。道の脇まで飛ばされた早苗にとどめを刺すようにそいつは木刀を振り上げて……。
そこで映像は終わった。
「ここでちょうど『バグ』の移動時間が来てしまったのでここから先は分かりません。ただ……」
「警察が発表した会見では……二人目の被害者は右側頭部と後頭部を殴打されていた……だな?」
確認するように康成は光一を見た。それに答えて光一は小さくうなずく。
「改めて見てみると……今すぐあの刑を実行してみたくなったわ」
魔耶は怒気をはらんだ声で呟いた。そしてメンバー全員、有彦までもがそんな気になっていた。
「康成、質問」
ビッ、と有彦が手を上げる。
「何だ?」
「『バグ』って何?」
「『バグ』はこの非日常区を監視している。言うならば移動する監視カメラだ。光一が発明したものでその形がハエへの擬態を目的として作られたので『バグ』と名づけた」
「何匹ぐらいいるの?」
さっきまでの会話を聞くと、一匹だけでないのは分かる。
「ちょうど百匹放しているはずだ。定期的にシグナルが発信されてきて残数がすぐ分かるようになっている。ときどきハエと間違えられて叩かれることがあるからな」
「その『バグ』自体に命令を出すことはできないのか?」
「無理だ」
これには光一が答えた。
「もともと監視カメラとしての役目でつくったからな、監視をして時間がきたら別の場所へ移動してまた監視……という動作を繰り返すようにしてあるだけだ」
「そう、か……」
区内に百匹もいる『バグ』を思い通りに動かせたらすぐに犯人が見つけられると思ったが、無理のようだ。ちなみにその『バグ』を使って昨日のDVDが作られていたことを有彦は知らない。そのかわりにひとつ思いつく。
「……あの『Pマウス』って奴ならどうだ?」
光一がほ~、と感心した顔になった。
「よく思いついたな、確かにあれなら命令が出せる(俺が女子更衣室に侵入させたときのように……)。しかし、『Pマウス』に命令できるのは地図をインプットして特定の場所に行かせるか、内臓カメラで確認した物体を追い続けるかだけだ」
「やっぱ駄目か……」
犯人の居場所なんて分からないし、犯人をカメラで捉えることも今は無理だ。
「いや、見事だ有彦。『Pマウス』を使えばいい。犯人を捕まえるためには一番手っ取り早い方法だ」
「え? でもどうやって……」
「そんなのおとり作戦に決まってるじゃない」
横から魔耶が割り込んできた。
「おとり? 誰が?」
「襲われたのは今のところ女性だけだ。となると……」
英志が魔耶と七海を見比べて、三秒待たずに答えを出した。
「七海が適任だな」
『どーゆう意味よ?』
女性二人が声を荒げた。
「私は犯人に襲われても平気だって言いたいの!?」
「私じゃ役不足だって言いたいの!?」
二人とも英志の判断に噛みつくが、本人は別に気にしたふうもなく言った。
「七海ならどんな暴漢に何人で襲われてもコンマ二秒で殺れる。それに坂之上が襲われたのなら七海をおとりにするのがギリギリの線だと俺は判断した」
「ど、どういうこと……?」
自信たっぷりに断言する英志にその根拠を七海が尋ねる。そして英志は胸を反り返らせてほざいた。
「七海は胸が小さい」
ドゴォッ、ドスドスドスドス……、ヒュッ、ドウ、ドウ、ガンッ、ズシャァ……。
惨劇は一秒足らずのうちに起きた。有彦たちの目には見えなかったが、まず英志のみぞおちに石臼拳(握りこぶしから中指を突き出させたもの)をヒットさせ、軽ーいジャブ(七海のジャブはプロボクサーのストレートに匹敵したが)の連打。襟を持って高々と放り投げ、上空蹴り二発とかかと落しで締めくくった(最後の音は床に叩きつけられた英志のもの)。
有彦は英志……数秒前まで英志だった物体を見下ろした。小さく痙攣を起こしているところをみると、死んではいないようだ。
「胸が小さいこととおとりに何の関係があるのよっ!」
すでに虫の息になった英志に向かって七海が叫んだ。
「ゴフッ……関係あるのだ……」
なんと、あの連撃を食らったにも関わらず、英志は立ち上がった。よろめきながらも七海を見据える。
「昨日襲われたのは坂之上だ、そして最初に襲われたのは一年生だったらしい。そしてその二人には共通点があった……」
「その後は俺が話そう」
息絶え絶えの英志を見かねたのか康成が後を受け継いだ(その背後で英志が息絶えた。鈴城英志、十六歳にして劇的な死を迎える。~完~)。
「襲われた二人にあったという共通点は……」
司令室全体が緊張で支配された。数秒、そこに静寂が訪れた。そして見事にぶち破られた。
「二人ともAカップだった」
『…………』
皆の衆は沈黙した。
「つまり、犯人は微乳フェチ! もしくは反微乳フェチ連合軍のメンバーだ!」
ピシャ―――――――ン。
宣言した康成の背後に稲妻がとどろいた(幻覚)。
「動機には前者が『かわいさ余って憎さ百倍』的行為だと推測できる。後者は『微乳撃滅作戦』の一部だったと考えれば筋が通る」
「通るか――――――――――――――っっ!」
有彦はその大声を司令塔にこだまさせた。暴論というよりは思い込みだ。
「分かったか? 坂之上さんがやられた今……おとりに向いているのは富士原さんしかいない!」
「おい、俺の大声は無視か?」
有彦が小さな声でツッコむが、康成は完全に無視した。
「わ、私だって胸くらいあるわよ! これでもBカップなんだから!」
「だがな……魔耶ちゃんを見てみろ」
七海は魔耶のほうにふり返る。まあ、女の七海からみても見事なプロモーションであった。
「目算だけでCはあるだろう。この場合、富士原さんが選ばれるのは必然なのだ」
康成の言葉を聞いたとたん、七海は床に膝をつき、苦しそうにうめいた。
「完敗だわ……」
「いや、そんなに悔しがらなくても……」
有彦がフォローに入ろうとするがまったく七海は反応を示さない。
「おい、康成! 微乳フェチだとか反微乳フェチ連合軍だとか(限りなく)関係ないだろ!?」
とりあえず元凶の康成に牙をむいておいた。ところがすぐに切り返してくるだろうと思われた康成は額に脂汗を浮かべて機能停止していた。
「そうだった……」
「な、なんだよ康成……」
康成のただならぬ様子に近づいてみる。康成は右手で顔を隠し、わなわなと震えていた。
「反微乳フェチ連合軍は……微乳を絶滅させるためにあるんじゃない、微乳を巨乳にするためにあるんだ……」
「…………は?」
「つまりだ、彼らはこんな実力行使を行うはずがない。彼らなら微乳の女性にしかるべき金額を譲与して豊胸手術を受けさせるはずだ……」
「……お前な、そんなことでわなわな震えるな」
有彦は呆れて、康成から離れる。ここで『ひびつね同好会』の会議は終わった。
◇
いつの間にやら決定していた事項。
一、七海をおとりにして、犯人を確保する。
二、一が失敗した場合、犯人を『Pマウス』で尾行する。
三、犯人の居場所がつかめ次第、確保する。
四、三の実行途中に犯人が抵抗した場合はあらゆる武力行使を容認する。
五、犯人を捕まえたら拷問、内容は『爪をすべて剥がしてから生殖器を切り落とし、鞭で打ちまくってから銃で撃ちまくる。火であぶってから塩水をぶっかけてアヘンを注射する。坂之上さんが退院してからフィニッシュだ』。
六、拷問終了しだい処刑。
七、犯人の遺体、所持品は冥王星付近に破棄する。
八、おやつは五百円まで。
九、バナナはおやつに入りません。
◇
会議が終わった後、有彦たち『ひびつね同好会』のメンバーは早苗が入院している病院へと向かった。早苗はいまだに意識不明らしい。看護婦さんに聞いた病室までいくと、ベッドに横たわっている早苗がいた。
「早苗ちゃん……」
早苗はいつものとおり長い黒髪で顔が見えなかったが、彼女の受けた傷は包帯に姿を変えて痛々しいほど残っていた。
「魔耶ちゃん、『リザレクション』はできるか?」
「ええ、……これくらいの傷ならすぐに治せるわ」
魔耶は早苗の頭に手を当てて、目を瞑った。
「な、何が起こるんだ……?」
「『リザレクション』だ、傷を瞬く間に治すことができる」
「んな、ファンタジーな……」
「だが現実さ」
有彦の相手をし終わると、康成は魔耶に近づいていった。
「意識は戻りそうか?」
「そこまでは分かんないわね……」
目を閉じたままで魔耶は答えた。そして次の瞬間。
「違うの、お父さん!」
シーツを跳ね除けて、早苗が上半身を起き上がらせた。そしてふらついたかと思うとまたベッドに体をあずける。様子からするとめまいがしたようだ。
「早苗ちゃん!」
早苗の意識が戻ったのを見て、魔耶が歓声をあげた。
「……魔耶ちゃん?」
その声に早苗も気づいて頭を少し動かして同好会のメンバーを見つけた。
「あれ? 私どうして……」
「早苗ちゃんは例の『通り魔』にやられて入院してるの、昨日から今まで意識不明だったのよ」
魔耶の簡単な説明が終わると、早苗は明らかに青ざめた(顔は見えないが)。
「そうだった……。黄色い合羽の男に……」
「覚えているのか、好都合だな」
康成が早苗に詰め寄った。
「犯人の顔を覚えてないか? 特徴でもいいんだが」
「ちょっと! いきなりそれはないんじゃないの!? 『大丈夫か?』とか『怖くなかったか?』ぐらい言いなさいよ! それに早苗ちゃんは目が覚めたばっかりなんだから質問は後にして!」
魔耶が康成と早苗の間に立って猛反論してきた。
「とりあえず前半についてだが……『大丈夫か?』は坂之上さんのこの姿を見れば容易に大丈夫じゃなかったのがわかる。『怖くなかったか?』については夜中裏路地で合羽男に殴られたんだ、怖くなかったわけないだろう?」
「う…………」
見事な正論のカウンターに魔耶は口をつぐんだ。
「それに、今質問に答えるか答えないかは魔耶ちゃんの決めることじゃないだろう?」
「確かにそうね……、はぁ、あんたとは口論したくないわね~」
おずおずと魔耶が退いた。再び康成と早苗が向かい合う。
「で、調子が悪いなら別の機会でもいいんだが」
「いえ、大丈夫です」
早苗の顔(見えないけれど)を見て、ここへ来てはじめて微笑を浮かべた(魔耶は「看護のセオリー!」とか言いながらリンゴの皮をむきはじめた)。
「質問の前にちょっといいですか?」
「ん? なんだ?」
「どうして私が合羽を着た男に襲われたのを知ってるんですか?」
「ああ、『バグ』が撮影していた映像にたまたま映っていたんだ。だから坂之上さんを襲った犯人が黄色い合羽を着ていて、木刀を所持していることも知っている。顔までは判らなかったけどね」
苦笑交じりに康成が説明する。そして不意に真剣な顔つきになった。
「それじゃあ、いきなりだが犯人の顔は覚えているか?」
「……すみません、暗かったし、一瞬だったから……」
早苗はうつむいて(たぶん)自分の手元を見る。
「でも、それを聞くって事は犯人はまだ捕まっていないんですね」
「ああ、警察が血眼になって捜している。家に帰った後に警察署のコンピュータにハックしてみたが目撃者も犯人の所持品も、何も見つかっていない」
どうやらほかのメンバーより早く家に戻ったのにはそういう理由があったらしい。
「そして犯人の顔を目撃した可能性があるのが一番目の被害者の一年の女子と、坂之上さんだけなんだ」
「一番目の子はまだ意識不明なんですね?」
「ああ、第一坂之上さんも魔耶ちゃんのリザレクションがなかったら今でも意識不明だったはずだ」
「そうなんですか……」
改めて自分がまずい状態に置かれていたことに気づいた早苗は手元にあったシーツをギュッ、と握り締めた。と、そのとき。
「そういえばそうだったわ!」
突然リンゴの皮むきを中断して魔耶が早苗に思いっきり抱きつき、早苗の顔を自分の胸に押し付けた。
「もう! 早苗ちゃん、あれほどあそこは通っちゃだめって言ってたのに……」
「うん、ごめん魔耶ちゃん、つい……」
申し訳なさそうに早苗がうつむく。
「んもう、その『つい』で早苗ちゃんは死にかけたのよ?」
「いや、そうとも限らないぞ」
突然、英志が口を開いた。
「ほう、どういうことだ英志」
「坂之上を襲った犯人は木刀を所持していた……。おそらく一人目の時の凶器も同じだろう。木刀、だ。相手を殺すための武器としてはいささか心もとない」
「なるほど、確かに犯人は坂之上さんを殺すつもりでやったのでは無いのかもしれないな……」
英志がうなずいた。
「そうだ。殺す気ならば真剣か、もしくはナイフでも良かっただろうに」
「確かに、木刀なんかよりもナイフの方が人目につかないな」
光一も相づちをうった。心なしかその場の雰囲気が重くなる。
「そんな殺伐とした話は後でもできるでしょ? それに早苗ちゃんに報告することもあるでしょうに」
今まで黙っていた七海が重くなりかけていた雰囲気を吹き飛ばした。そして、七海に促されて康成が喋る。
「坂之上さん、明日夜十時から『ひびつね同好会』の活動を行う。内容は現在非日常区を徘徊している通り魔の捕縛。さらにはその拷問だ」
「拷問……ですか?」
早苗の声は少し不安を含んでいるように有彦には聞こえた。
「ああ、しいては同好会メンバー全員から拷問方法を考えてもらったんだが、その結果フィニッシュを坂之上さんに任すことになったんだ。なにかいい案はないか?」
「おい、ちょっと待てよ。『メンバー全員』って俺には聞いてなかったじゃないか?」
有彦のその問いに答えるものは……一人だけいた。
「ちょっとお兄さん、うるさいよ、テレビの音が聞こえないじゃないか」
声の聞こえたほうを見ると、そこには早苗と同室に入院しているお爺さんがカーテンから顔をだし、有彦を睨みつけていた。
「あ、すいません、すいません……」
有彦が平謝りするとお爺さんは『まったく、近頃の若いもんは……』とブツブツ言いながらカーテンの中に顔を引っ込めた。
ふぅ、と息を吐いてから早苗のベッドの方へ顔を向けると、魔耶と康成以外の全員が有彦を見て怪訝な表情を浮かべていた。
「え……? どうしたんだ?」
「いや、お前の方がどうかしたんじゃないのか? 誰もいないベッドの方に平謝りなんかして……ボケてきたのか?」
「え!?」
光一に言われて、改めて自分の背後にあるベッドを見る。そこにはベッドはあったがお爺さんはいない。それどころかお爺さんが顔を出していたカーテンもなかったのだ。
「うそ……」
驚愕している有彦に魔耶の陽気な声が飛び込んできた。
「すごいじゃない有彦くん、きっとあなたは幽霊を見たのよ。病院に幽霊なんてざらだもの」
「ああ、そうだろうな、少なくともお前はまだボケてはいないだろうからその可能性が一番大きいな」
「おいおい! 加成さんも康成も……そんなことあるわけないだろ!?」
「いえ、きっとそうよ」
必死に否定する有彦に魔耶が詰め寄ってきた。
「時々あるのよ、幽霊の波長と合っちゃう時。特にここは幾千の人間が生まれ、死んでいった場所だもの、幽霊自体の波長も強いし人間も波長を合わせやすくなるのよ」
魔耶は腰を折って、下から有彦を見上げるようにたった。そして、にっこり笑った。とたんに有彦は気恥ずかしくなって目を逸らす。そして、それと同時におかしな感覚に襲われた。
昔、どこかでこんなブロンドでウェーブがかった女性に詰め寄られた気がする……もちろん、有彦自身にそんな体験はない。おそらくこれがデジャヴと呼ばれるものなのだろう。
「あ」
突然、何かを思い出したかのように早苗が声を上げた。
「カモさんなら分かるかもしれない……」
その言葉にメンバー一同(有彦以外)はおお、という顔をした。
「そういえばそうだな、このごろ会っていないから忘れていた。坂之上さんカモさんを呼び出せるかい」
「やってみます」
そう言うと、早苗は自分の頭髪を一本抜いて宙に放った。
ボワンッ!
するとどうだろう。まるで魔法のランプの如く。その髪が煙になり、次の瞬間には人型になっていた。そしてだんだんぼんやりとしていた輪郭もしっかりしていき、とうとう二十代前半ぐらいの男の姿になった。しかし、その姿はやや時代はずれで渋染めの甚平を着こなしている。
そしてカモさんは恐ろしく不機嫌な顔で現れた。
「……あの、カモさん怒ってますか?」
早苗が少しためらい気味に声をかけた。
「ええ……、ほかの誰でもない自分自身に対しての怒りでいっぱいです」
答えたカモさんの瞳には確かに怒りの色が表れている。
「あれほど近くにいながら早苗様を守ることができなかったとはっ! 何が、守護霊だ……これではただの憑き物に過ぎないではないか! 例えこの世が消え去ろうとも早苗様だけは守ると決めていたのに……私は今までこれほど幽霊という姿を呪ったことはありません!」
一気にまくし立てたカモさんの腕とこめかみの辺りには今にも張り裂けそうな血管が浮き出ていた。自分で幽霊と宣言していたが、ここまで生気に満ちた幽霊も珍しいと思う(別に幽霊の知り合いがいる訳でもないが)。
「そのことはもういいんです、それより聞きたいことがあるんですけど……」
「分かっています。先ほどの皆さんの会話は聞いておりましたから。犯人の顔を見ていないか……ということですね?」
「分かっているのなら話が早い」
早苗と変わって今度は康成が話し始めた。
「犯人の顔を見ていたら特長を教えてくれ。その他役に立ちそうな情報も、な」
「ええ、すべては犯人を懲らしめるためです協力は惜しみませんよ」
康成とカモさんが事件の話をしている間に、有彦は早苗にカモさんのことを聞いてみた。
「あのさ、坂之上さん、カモさんっていったい何者?」
「カモさんは……そうですね、私の守護霊です。正確に言えば私の家系の守護霊だったんですけど」
そういうと早苗は昔を思い出すように目を閉じた(かどうかは分からないが、少なくとも有彦はそう感じた)。
「子供のころは自分の家にそんな守護霊がいるなんて分からなくて……家庭も普通だったし、過去にそんな仕事をしていたことのある先祖もいないはずだったから……こっちにきて始めてカモさんの存在を知ったんですよ」
早苗の言う『こっち』とはおそらく非日常高校のことだろう。とすると……。
「坂之上さんって……どこかから引っ越してきたの?」
「……そうですね、そんな感じです」
有彦は早苗の周りの空気が少し重くなるのを感じた。どうやら触れてはいけない話題だったらしい。あわてて話題を変える。
「じゃあ、さっきの髪からカモさんが出てきたのはいったい何だったの?」
「そのことは…………いつか話しますね」
早苗がその長い前髪の奥でにっこり笑った気がした。そして有彦は気づく。世の中には『すぐ顔に出る』人間がいるが、彼女は『すぐ雰囲気に出る』人間なのだ。実際、彼女の顔が前髪で隠れていていることなどは、それほどコミュニケーションに支障をきたす事実ではないようだ。
「皆の衆、注目してくれ」
康成の掛け声を聞いて、同好会のメンバーがそちらを向いた。
「今からカモさんから聞き出した犯人の特徴を話す。しっかり頭に入れてくれ」
病室がシンッ……、と静まり返った。ドアの向こうの音さえ聞こえない。
「犯人は三十代後半の男で身長170前後、顔の特徴は口髭、右目に泣きボクロ、以上だ」
犯人の数少ない特徴を話した後、康成は早苗に顔を向けた。
「で、さっきの話の続きだ。何かやってほしい拷問はないか?」
「え、私は別に……」
「いえ! 早苗様の頭を殴った男ですよ!? ここは一つ、奴の体を十五分割してから石臼ですり潰してやりましょう。もう元が何だったのか分からないほど奇怪でグロテスクな物体へと変貌した奴の塊にはハエの大群がたかるでしょう。そしていずれは大量発生した蛆に食われて奴の体はこの世から綺麗に消え去るのです!」
イッちゃった内容の話をイッちゃった目でしているカモさんに誰もが一歩引きそうな勢いだったかが……。
「……蛆か……」
ボソッ、と呟いたのは康成だった。
「ちょ、ちょっとやめてよ!? 第一それはカモさんの意見であって早苗ちゃんのじゃないじゃない!」
康成の不気味な呟きに七海が猛抗議を始めた(鬼ごっこ中の英志との会話といい、どうやら七海は気持ち悪い系が嫌いらしい)。
「いや、面白いかもしれない」
七海の抗議を無視して康成は凶悪な笑みを浮かべた。
「よしっ! 拷問のフィニッシュには蛆虫たちに犯人の体をご賞味いただこうではないか。自分の体の壊死した部分から蛆が発生して肉を食う……。生きたまま蛆にじわじわと食われていくんだ。それはそれは発狂するほど怖いだろうな」
だんだん康成の目もイッてきた。
「そうだな……まず足の指から食わせてみよう。ゆっくりと……だが確実に壊疽していく自分の足……そこへ群がるように発生する蛆の大群、蛆は壊疽した足の上を、下を、中をウゾウゾと生理的嫌悪を誘う動きで食っていくだろうな。犯人はその恐怖で眠ることができないだろう。目の下のくまも大きくなりやつれた頃には足首まで蛆が浸食しているはずだ。だが、それは単なる外見上でしかない。本当は体の内部を食い進んで蛆は膝関節の付近まで来て絶好の餌食に舌鼓を打っていることだろう。しかし……さすがにここまでくるとショック死かなにかで死んでいるかもしれないな。ここはこめかみの辺りから蛆を発生させて食い進めてみるか、自分の目で感知できない部分から次第に食われていく恐怖……目に見える恐怖とはまた違ったものがあるな。そして頭部を食い荒らす蛆にはちょうど最高級のご馳走が待っている。眼球という、な」
病室の上にある蛍光灯を見ながら、康成はさらにまくし立てる。
「やはり蛆にとって眼球なんてものは食べたことがないご馳走だろうな。我々人間のご馳走が魚類の卵であったり恒温動物の舌であったりするのだから特に驚くべきことではないだろう。まあ、眼球を食わずとも頭の内部に侵入するとすれば間違いなく脳に行き当たることになるだろう。サルの脳でも珍味なんだ、人間の脳はさぞや美味だろうな。目から進入して脳を食うことになれば……まず厚い前頭葉を食い破って大脳辺縁系へと進むだろう。ちょうど近いところに視床下部と扁桃体があるな、そこは人間の怒りと恐れを作り出す場所だ。そこを食い尽くしてしまえば犯人はもう怒りも恐れもなくただ静かに脳が食われるのを待つだけだろう。扁桃体の近くには記憶をつかさどる海馬もある。だんだんと……幼かったときの記憶や大切な思い出なども消えていくだろうな……」
康成は一度目を閉じて感慨にふけるようにした後。
「これで決まりだな!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――――――――っ!」
七海の場所を無視した大絶叫は病室の中にぐわんぐわんと反響した。
「…………そんなに絶叫するほど嫌か?」
絶叫の反響が収まるのを待って、康成が口を開いた。
「あっっったり前じゃない!」
叫ぶ七海の目は少し涙目になっていた。
「そんなグロテスクなもの見せられたら犯人が死ぬ前にこっちが精神科に入院しちゃうでしょ!」
「と、言いながら他の拷問はちゃんとするだろ?」
「うぐっ……ものにも限度ってものがあるでしょうが、さっきの蛆発言はその限度を超えてたのよ!」
少し押されぎみになりながらも、七海は断固として食い下がる。
「ふぅ…………」
七海の強いまなざしと熱意に負けて、康成はため息を漏らす。
「仕方ないな、それじゃあ蛆は…………」
有彦はもちろん、この案が取り消されて七海の意見が通るものだと思っていた。
「七海が見ていないところで行うか」
「それならばよし!」
妥協を見せた康成に向けて、七海は握りこぶしから親指を上に突き出してグッドのジェスチャーをしていた(そして有彦はズッこけていた)。
(そ、その程度の譲歩で納得してしまうのか!? 自分が見なければどうでもいいのかっ!?)
有彦の心の呟きに答えるものは……もちろん誰もいなかった。
「それじゃあ、話がまとまったところで……有彦のコードネームを決めなければならないな」
「へ?」
突然話を振られた有彦は間抜けな声を上げてしまった。
「さあみんな、有彦に合うコードネームの意見はないか?」
そして、有彦が何か言う間もなく勝手にコードネーム論争の火蓋は切って落とされていた。
「はいっ、G&Sがいいと思います」
「ふむ、魔耶ちゃん、してその意味は?」
「ゲイ・アンド・サディストの頭文字」
「何じゃぁそりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――――っ!」
「え~駄目なのぉ?」
無駄に可愛い子ぶっておねだりしてきた魔耶、しかし、あんなコードネームを言われた後でそんな顔されても無意味っ(つまり他の状況だったらコロリといっちゃう可能性あり)!
「第一! 俺はゲイでもサディストでもな~~~~~~~~~~いっ!」
「え、そうだったの?」
心底びっくりしたような顔で俺を見る魔耶、そしてその場の誰もが聞き取れないくらいの声でこう呟いた。
「ホント、どっちかって言うとマゾの顔ね☆」
この魔耶の呟きと同時に有彦の背中を冷たいものが走り抜けたのは偶然というわけではないようだった。
「ううむ、G&Sは駄目か……他の意見は!?」
どうやら好き嫌いを言えばその通りにしてくれるらしい。今まで強制的な扱いばかりだった有彦にとってはありがたいことだった。
「う~ん、韋駄天?」
「意味は?」
「逃げるの速かったから」
「それはなんか嫌だなぁ…………」
富士原さんには申し訳ないが、あまり自分には似合わない気がした。
「ラース」
「フム、意味は?」
「この前光一の家で見たテレビでこういう名前の奴がいた。たしか『鋼の……』」
「ごめん、やめとく」
とりあえず、人の名前を取るのは良くないと思うぞ英志。
「それじゃあディオンバリスで決まりだな」
「意味は?」
「この前『ネバー・ヘブンの畔』をプレイしていたらそう言う名前の精霊王を仲間にして、召喚できるようになったんだ」
「…………やめとくよ」
光一らしいと言えば光一らしい意見だが、自分の肌には似合わなかった。
「ふぅ、あれも駄目、これも駄目……まったくお前は子供か有彦?」
「康成……お前逆の立場だったら同じこと言えるか?」
「そんなお前に俺からすばらしいコードネームを授けてやろう!」
有彦の話を見事に無視して、康成は大見得を切った。
「まず俺がお前の特徴をつらつらと朗読してやろう!」
そして康成は目を閉じ、黙想のような状態でべらべらと喋り始めた。
「家庭はどこにでもあるような核家族……兄弟は姉が一人、仲は別段悪くもなく良くもなく……なるほど、姉とは離れて暮らしてるんだな……これといって変わったと特技もお前は持っていないし、身体的特徴も……他人より下の毛が生えるのが早かったこと意外は皆無。成績平凡、顔もノーマル、彼女イナイ歴十七年……まあ、その元凶も小学校のとき初恋の相手に渡そうと机の中に置いておいたラブレターをいじめっ子にみんなの前で朗読されたことで……」
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
すでに過去の汚点として頭の隅に追いやられていた記憶をほじくり返されて、有彦は絶叫していた。そうだ、確かにそんなことがあった。しかもあいつらよりにもよってラブレターを送ろうとしていた相手の目の前で朗読しやがったんだ! 目元がかわいい子だったのに……その事件以来俺を避けるようになったんだ! 机が隣になっても露骨なほどに邪険にされてた……。
「なぁんでお前がそんなこと知ってるんだよっ!? しかも家族構成やら俺の……俺の身体的特徴やら!」
あまりの的中振りに寒気を覚えた有彦は少し康成との間合いをあけた。
「ふん、『情報通』を甘く見るなよ? これしきの情報など基本情報の試験を受けながらでも集められる!」
基本情報……正式名称『基本情報技術者試験』。国家資格であり、この資格を持っていれば情報系の就職口で、資格手当がもらえたりする。試験日は四月と十月の第三日曜日で年二回。難しい試験だが、中学生でも受かる奴は受かる。ここでは明かされていないが明後日十八日日曜日にその試験があるのだ。
「有彦、お前には特徴がないな……しかし、その特徴なしにぴったりのコードネームを俺は思いついたのだ! その少し腐れかかった耳をかっぽじってよく聞くがいい!」
「いちいち引っかかる奴だな……」
「お前には個性がない、知識がない、特別な身の上も……ない(と、言っておこう)、さらには名誉も、金も、顔も、愛さえもない!」
「…………俺ってそんなに何にもないのか……?」
「世の中の人々は変わりばえのしない人間のことをなんと言う?」
「え~と、マスオ?」
魔耶が答えたが、康成は大きく首を横に振った。
「確かにそれもある、だが、有彦にもっともぴったりなのは『凡人』だ! もう一回言ってやろう! お前には個性も、知識も、特別な身の上も、名誉も、金も、顔も、愛も何もない! よってお前は……」
その瞬間、有彦は康成の体からすさまじいオーラが立ち昇るの見た。そのオーラは全世界を飲み込み、太陽系を飲み込み、銀河系を飲み込み、さらにはこの宇宙を飲み込み、それだけでは飽き足らず次元を超えてすべての世界に浸食し、支配をするかのようだった。結論から言えば、この場所にとてつもなく不釣合いな真剣な雰囲気をかもし出していたのだ。
「よってお前は、『凡人』だ!」
沖田有彦、コードネーム『凡人』に就任、このとき、有彦は齢十七、彼はまだ自分が全宇宙を巻き込む大戦で重要な役割を果たすことを、知る由も……。
「なにデタラメ喋ってんだお前はっ!」
有彦は姿も見えない謎のナレーターに吼えた。無論、全宇宙を掌握し、絶対の安全を手に入れているナレーターはまったく意に介さない。
「それとなんだよ『凡人』って? どこが俺にピッタリなんだ!?」
「どこもかしこもピッタリだ。お前の周りには凡人オーラが漂っている。それに凡人だってそう捨てたもんじゃないぞ、世の中にはこんなものよりも嫌なあだ名をつけられて暗くなってしまう奴だっているんだからな」
「!」
康成の何気なく言ったであろう言葉を聞いて、有彦は少し考えたあげく。
「……まぁ、それしかないならそれにしようかな……」
そう、小さく呟いた。フッ、と康成が笑う。
「よし! 今ここに『ひびつね同好会』七人目のメンバーが決定した。沖田有彦、我々は君の入会を歓迎しよう!」
「これで正式に有彦くんも『ひびつね同好会』の仲間入りね、おめでとう」
「おめでとうございます、これからもよろしくお願いします」
「共に戦う同志として敬意を表そう」
「これで沖田くんも一ヶ月で一億以上の報酬がもらえるぞ!」
「ま、いまさらだけどよろしくね」
同好会のメンバーが次々に自分を歓迎しているのを見て、有彦には一つの言葉しか頭に浮かばなかった。
「あ……、ありがとうございます……」
顔を赤らめながら深々とメンバー全員にお辞儀をして、再び有彦が顔を上げたときには宴会騒ぎになっていた。
「さあ! 見事メンバーとなった有彦を祝って……魔耶の剥いたリンゴでも食べようか!」
「ああっ!? いつの間に取ったの!?」
いつの間にやら康成の手のひらに乗っていた皿には魔耶が剥いたと思われるリンゴがあった。しかし、言っては悪いが不格好である。形も大きさもばらばらだし、ところどころに皮が残っている。リンゴというよりはジャガイモに近い状態になっていた。
「あ~~んっと」
康成が皿の中のリンゴを一つ掴んで口に運ぶ。リンゴは康成の口の中でシャリシャリと新鮮な音を奏でた。
「うん、形は不格好でもうまいじゃないか」
「まだ練習中なのよっ!」
顔を真っ赤にして顔を背ける魔耶。何はともあれ、そのリンゴは同好会メンバー全員にかかって完食された。
「有彦さん、ちょっといいですか?」
お見舞い(そう言えるものじゃなかったけど)も終わって帰ろうとするときに、有彦はカモさんに呼び止められた。
「何ですかカモさん?」
「……ここでは何ですのでトイレで話しましょう」
カモさんは同好会メンバーの目を気にしているのか移動しようとする。
「おい有彦、俺たちは先に帰ってるぞ」
「あ、うん」
康成に適当に返事を返してから有彦はカモさんの後を追ってトイレへと足を踏み入れた。
「カモさん……?」
トイレの中でカモさんが一人立っていた。すこし、体が薄くなっている気がする。
「どうやら早苗様の術が薄れてきているようですね。時間がありません、本題から言いますよ」
カモさんが、犯人の処刑の方法を喋っているときとは打って変わって真剣な表情を見せる。
「川本康成と加成魔耶……あの二人には気を付けてください」
「……え?」
あまりに唐突で頭がついていかなかった。
「有彦さん、あなたはあの病室で幽霊を見ましたね?」
「あ、はい……ってあれマジで幽霊だったんですか……」
「はい、でも、あれくらいのことは誰でもあったりするものですから気にすることはないでしょう。それよりも……あの幽霊、川本康成と加成魔耶にも見えていました」
「えっ、それじゃあ……」
「はい、あの二人は見えているのに見えていない振りをしていました。理由は分かりませんが、だからこそ注意してほしいのです。」
そこでカモさんはいったん言葉を切り、目を閉じて再び喋り始めた。
「加成魔耶の方はまだいいでしょう、彼女は早苗様を大事に思ってくれています。確かに人並み外れた能力を持っているようですが……」
有彦は非日常高校に転入してきたときのことを思い出した。あの日の鬼ごっこのとき、魔耶はまるで瞬間移動したかのような現れかたをしていた……。
「問題は川本康成のほうです。彼は……何者なのか分からない。世界に普通に溶け込んでいるようで、その本質は未知の存在……。彼は危険だ。いつか早苗様に害を及ぼすかもしれない。あなたも注意してください」
有彦は言葉が出なかった。さっきまで普通に喋っていた康成はそれほど危険な存在だったのだろうか? いや、そうは思わない。あいつは普通だ、少し変なところもあるが個性として割り切れる程度のものだ。しかし、今目の前にいるカモさんは康成を『危険だ』と言う。もしかすると、それが本当かもしれない。俺に人を見る目がないだけで……あいつは本当は危険な男なのかもしれない。でも、疑いたくはない。こっちに来て始めての友達なんだ……いや、始めての友達なんだ…………。
『もしもお前に友達ができるときが来たら。そいつを信じろ。例え崖の上から落とされようがそいつを信じ続けるんだ』
『どうして? おとーさん』
『それはな、そいつがお前の友達だからだ!』
何を迷ってるんだ。俺は。
「……カモさん、ありがとう。でも、あいつはそんなに危険な奴じゃないよ。理由はないけど……そう思うんだ」
幼い日に覚えたことは大人になっても忘れないと言うけれど、これもそうなのだろうか? 父が俺に言った言葉。もうとっくの昔に忘れたと思ってたのに。
「……そうですか」
カモさんは眉間にしわをよせて、目を開けた。その顔は険しい。と、とたんにその顔が微笑んだ。
「さて、私は早苗様の所に戻るとしましょう」
「え、えっと、あの?」
「有彦さん、さっき私が言ったことは冗談です。確かに川本康成は未知の存在です……だけれど、彼は早苗様に危害を加えようなどと思わない。きっと、根が優しいんでしょう」
それだけ言うと、カモさんは有彦の脇を通り抜けてトイレから出て行った。
「な……なんだったんだ?」
一人残された有彦は困惑するばかりだった。
(さて、友達を信用できないような輩だったら一発ぶん殴ってやろうと思っていましたが、なるほど、早苗様が気に入っているだけのことはありますね)
カモさんは一人、薄くなった体を引きずって病院の廊下を歩いていた。
(…………私も大人気ないなぁ…………)
カモさんのしんみりとした寂しさの余韻は、誰もいない廊下に吸い込まれていった。




