プロローグ
最高だ……最高に…………天気がイイッ!
「はぁ、はぁ……」
見慣れない家、見慣れない道、見慣れない景色。その中を俺は駆けていく。
「はぁ、はぁ……」
俺の名前は沖田有彦、青空の下でただいま必死に登校中だ。
(転校初日から遅刻はやばいだろ……)
俺はこの度、父親の仕事の都合というありきたりな理由で転校するはめになった。転校先の高校は『非日常高校』、非日常と書いて『ひびつね』と読むらしい。
そしてただいまその高校にダッシュで向かっている有彦だった。
(間に合う!)
残り五分のところで校門につく。体育の時間や陸上部が使わない端の部分に草が生えているが、それ以外は整えられたグランド、一見すると普通の校舎なのだが、雨と風により浸食されているコンクリートの壁……っと、そんなことに気を取られている場合じゃない。転校生なのでまずは職員室に行く事になる。職員室は管理棟の一階、余裕で間に合う。
ダダダダダ……、とグランドを横切り、下履きを下駄箱に突っ込み(親切なことにもう用意されていた)、職員室までの廊下を爆走する。
(ここだ!)
有彦は『職員室』と書かれたプレートの真下にあるドアの前で急停止した。と同時にドアが開く。有彦の目の前に黒のランニングシャツとジャージという、いかにも体育会系の男が姿を現した。と言ってもあまりゴツくはない、適度に引き締まった体をしている。
「お、ちょうど良かった。お前さんが沖田有彦くんだな。俺の名前は宇都木陽炎、非日常高校2‐Bの担任だ。宜しく」
「あ、宜しくお願いします」
2‐Bといったら有彦が通う事になるクラスだ。ちょうど良かった。
(今日はついてるな)
遅刻をしそうだったにも関わらずどうやら普通の転校初日を迎えられそうだった。
そう、迎えられそうだったのに。
◇
「今日は皆に転校生を紹介しよう。ちなみに男子だ。残念だったな野郎共」
ドアを一枚隔てて宇都木先生の声が聞こえる。宇都木先生が『入って来い』と言ったら入室する算段になっている。
転入当日、かなり緊張していた。新しい学校、新しい教室、新しい友達、ここでは辛い事もあるだろうが同じくらいに楽しい事もあるだろう。ここではそんな平穏な日々がいつも通りに流れていくのだ。
「それでは入って来てくれ」
合図が鳴った。ドアを速やかに開けて教室へ一歩踏み出す。
「へ……?」
ちょっと待て。
いや、待たなくていい、そのまま普通に自己紹介をすませて適当に空いていた席に座り、隣の席の女子が美人で授業になればその人から教科書を見せてもらえばいいのだ。そんな日々が今日から始まるのだから。
しかし、いくらそんなオブラートに包んだ妄想を頭の中で再生しても現実は少しも変わらなかった(当たり前か)。
いや、それは現実と呼べるものなのだろうか?
普通に考えてみよう、普通に考えて魔女のコスプレをした女子が机に箒を立て掛けて座っているはずがない(しかも結構きわどい格好……)。
教室の片隅に髪を腰まで垂らした女子がひっそり座っているはずがない。いや、ただの黒髪長髪美人ならどこにでもいるだろう。だが、前髪も腰まであって顔が隠れているのは普通じゃない。どこかのホラー映画に出てきそうな人だ。
学校にライフルを持ってきて素知らぬ顔で照準の調整をしている迷彩服の男子がいるはずがない。しかも、あろう事か照準を前に座っている女子の後頭部に狙いを定めて調整している。
机の上が作業台と化し、“只今『Pマウス』開発中、話しかけるな!”とでかでかと注意書きされた看板が天井からワイヤーで吊るされているはずがない。しかも、その席の男子は机の上で爆睡していた。
ここで紹介したのはごく一部だがこの他にも非現実的な奴らが教室を侵食していた(学校の制服を着ている者は全体の一割ほどしかいなかった……)。
「どうした? 気分でも悪くなったか?」
ああ、悪くなったよ。っていうかこの惨状を見て先生は何も思わないのか? この高校に校則と秩序はあるのか? 交響曲第九番はベートーベンが作曲したのか?
しかし、この場に立つ以上、転校生は名前を名乗っておそらくないであろう質問に対応しなければならないのだ(それはすでに使命だ)。
トコトコと教卓の隣まで歩く(心なしか足が震える)。
「沖田有彦です。宜しくお願いします」
震える声を押し殺すようにして極めて普通に発音する。自分でも良く出来たと褒めてやりたい。
「席は……川本の隣が空いてるな」
よかった。どうやら質問はないらしい。誰も質問なんてしないだろうと先生も分かりきっているに違いない。
隣の席の川本と呼ばれた男子はごく普通の格好をしていた。つまりは魔女のコスプレもしていないし迷彩服も着ていない、ということだ。
ほっ、と安堵のため息が漏れる。今度は足の震えもなく、自分の席へ向かう。自分の席に座ると隣の男子……川本と呼ばれていた男子だ……が声をかけてきた。
「俺の名前は川本康成。宜しく」
川本康成、と名乗った男子が握手を求めて右手を出してきた。有彦もそれに答えるように右手を出す。
「こちらこそ、宜しく」
ガッチリと手を組んで握手を交わした。背景が夕日ならさぞ絵になっていた事だろう。
(よかった……。この人は普通だ……)
有彦は異常の中の正常に安心しきっていた。
ガッチリ交わした握手の本当の意味を知っているのは康成だけだ。
そして、沖田有彦はこの日、非日常高校に転入したのだった。




