相撲に関連する作品(相撲小説「金の玉」「四神会する場所」シリーズは、別途でまとめています)
(続きです)相撲の取組編成について その2 及び平幕優勝に関する考察 平成31年春場所に白鵬-逸ノ城戦が無かったことに関連して
平成最後の大相撲の本場所、優勝を争った白鵬-逸ノ城戦が無かったことに関連して、
取組の編成、平幕優勝、幕内力士の人数などについての作者の意見を書きました。
平成31年春場所番付で三役以上の力士は9人。同じ部屋の力士はいないので、三役以上の力士同士の取組数は36番。
春場所この36番は、欠けることなくすべて実現している。
が、優勝争いを左右し、大きな興味を持たれたであろう、白鵬-逸ノ城の取組は無かった。
この春場所についていえば、白鵬は八日目に、番付の順番で言えば十六番目となる栃煌山と対戦し、もう余裕のない状況になってから、九日目、東小結、御嶽海と対戦し。以降順番に番付が上の力士と対戦した。
これを八日目に御嶽海と対戦させ、一番の余裕をもって番付が上の力士と当てていく。そして、十二日目か十三日目あたりに白鵬-逸ノ城を対戦させれば良かったというのが私の意見である。
が、今場所後、新聞でもネットでも白鵬-逸ノ城戦が無かったことに関して、私の知る限り特に大きな批判の声はあがっていない。
であれば、相撲協会審判部が今の取組方針をあらためることはないであろう。
今後も、平幕優勝を阻止するために場所の最終盤になって、横綱、大関同士の取組を無くして、その平幕力士との取組を作る。
あるいは、横綱、大関とほとんどあたることのない平幕優勝力士(平成24年夏場所の旭天鵬のような)が、生まれることになってしまうであろう。
この種の優勝は、これをプロ野球に例えると二軍で130試合行ったチームが最後の10試合だけ一軍で試合をする。で、シーズン通算の成績が、140試合をフルに一軍で試合したどのチームよりも良かったので、そのチームが優勝とされる、ということに相当するであろう。
プロ野球ファンは、そんな優勝を認めるだろうか。
だが大相撲では、それと同様なことが起こっても幕内最高優勝と認定されるのである。
このことについて、先の投稿でふれた、私の友人、羽黒蛇氏が運営されているブログで、かつて、幕内の人数を、現在の42人から20人程度に削減して、不公平な幕内優勝の実現を防ごうという意見が述べられたことがあった。
が、私は、幕内力士の人数の削減には反対なのである。
以降は、その際、私が上記ブログに投稿した文章を再録させていただく。
幕内最高優勝はどうあるべきか、に端を発して、幕内力士を20人あるいはそれ以下にすべきという管理人さんを含む、3人の方からのご提案を拝読いたしました。いずれもご見識のあるご意見と感じ入りました。
が、私は、そのような大幅な幕内力士数削減には反対の立場をとります。
最も大きな理由は「各種記録の歴史的継続性が途切れるから」です。
幕内最高優勝に対する私の意見をコメントも含め、以下再録します。
(引用はじめ)
幕内最高優勝というのは、力士にとっての大きな夢であるはずなので、番付上、小結以上全員と対戦することが困難な、前頭中下位力士に対し、その夢を最初から取り上げてしまうのは望ましくないと思います。
また見る側にとっても、平幕優勝力士が出るかどうかというのは、そういう可能性がある場所があれば、大きな注目点になります。
最終盤に、ぽんとひとりかふたりの横綱、大関と対戦しただけの平幕優勝力士が出てしまうのは、極力避けなければいけませんが、10、11日目あたり以降で、その時代の実力第一人者と目されている力士を含む、三人、四人の最強クラスの力士との対戦があって、なおかつ成績最上位の平幕力士がいれば、その力士については、私は、幕内最高優勝として良いと思います。
優勝制度、取組編成に関する、私の意見を補足させていただくと、
・取組編成に関する慣習、伝統の尊重
・興業としての面白さ(大きなドラマを提供できる可能性を高めること)
・優勝争いをしている力士の、対戦相手の公平性
上記3点のすべてを十全に満足させることのできる制度は思いつきませんので、
3点の総和をできるだけ大きくすることを考えました。
もっとも私の意見が、その総和が最も大きいはず、というのも、むろん私の主観ですので、
色々なご意見があると思います。
(引用おわり)
昭和33年の年6場所制以降の幕内力士数は、
昭和33年初場所の時点で55人。
以降減っていき、昭和42年春場所時点で40人(十両36人)
ここで大幅な関取数の削減があり
翌夏場所は34人(十両26人)
以降は徐々に増え続け、40年以上かけて
現在の42人(十両28人)となっています。
この期間も時代により、人数の増減はあったわけですが、しかし、一気に半減というような革命的な制度改革はなかったわけです。厳密にいえば、34人と55人は大きな違いですが、しかしこの幕内力士の増減については、ひところよりも力士総数が減ったのに、関取数が減らないので、全体に占める関取数の割合が増え、頭でっかちの番付になったのを是正する、という一種の公平の原理も働いての増減の意味合いもあったかと記憶しています。
それにしても完全に公平とはいえないわけですが、例えば、プロ野球を見ても時代によりシーズンでの試合数の増減はありますし、完全に公平にというのは望めないかと思います。
いささかの不公平はありつつも、
年6場所制は、半世紀以上の歴史をもちました。例えば、相撲史全体での強豪力士を論じるとして、優勝回数を指標とすれば、6場所制以前の力士については、常に注釈が必要です。しかし、6場所制以降の力士についてのみ論じるのであれば、細かな注釈は不要です(この観点から昨年、一場所開催されなかったことにより、何らかの注釈が必要になったことを残念に思っています)。
そして繰り返しますが、年6場所制は半世紀を超える歴史を持ちました。その歴史の中で、基本的には公平な観点から語ることのできる様々な記録もその歴史の中に包含されています。
が、もしここで、仮に平成25年から、幕内力士の総数を20名に削減したとしましょう。
そうすれば、それ以前の幕内力士と、それ以降の幕内力士とは、その価値において大きな差異が生まれます。以降は、幕内出場回数、幕内通算勝ち星、幕内在位場所数といった記録は、もう公平の観点から語ることはできなくなってしまいます。
幕内最高優勝は、相撲を見る上で、主眼となる記録であることは否定できません。しかし、その合理性を追求することにより、他の多くの記録の公平性が失われてしまう、ということについては、半世紀以上の歳月をかけて積み上げたものを、取り壊す行為と考えます。
相撲は本場所の一番、一番の面白さが主であり、記録というものはそれに付随する従の存在であることは認識しています。しかし、記録が、何らかの感動を生むこともまた事実であると考えます。
従って、私は、根本的な制度については、保守主義、伝統重視の立場にたち、制度の運用面での方針改革により、少しでも公平性を保っていただければ、と願っております。
追記
羽黒蛇氏のブログをコピペしたら、以下の記載も貼り付きました。
氏のブログは、最近ほとんど更新されていないのですが、かつてはまめに更新されていましたし、私も多くの文章を投稿しておりました。
投稿した文章の、その一部のタイトルが貼りついていますので、PR も兼ねてそのままにしておきます。
ブログのタイトルは
「羽黒蛇、大相撲について語るブログ」
です。
(私の本名も分かりますね)
中村淳一
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