掃除婦シーラのさらに濃すぎる一日②
シーラ達が管理小屋に着いたのは、それからだいぶ歩いて、日も落ち切った頃であった。
靴ずれしたシーラを背負う背負わないで軽い一悶着はあったが、大きなトラブルもなく無事に2人は小屋に着くことができた。
ジークフリートは背負っていたシーラを下ろすと、それからテキパキと動いてあっという間に火の用意を終えてしまった。
自分も何か手伝うことはないかとシーラが少しでも動こうとすると、きつくこちらを睨んで「じっとしてろ」というので、結局シーラは仕舞ってあった毛布を見つけるぐらいの働きしかできなかった。
やっと一息ついたところで、2人は並んで火の側に座る。パチパチと火がはじける音を聴くと、不思議と気分が落ち着いた。
しばらく沈黙が続いたが、それを破ったのは意外にもジークフリートの方であった。
「……おい」
「は、はい」
「これでも食っとけ」
「え?」
戸惑うシーラの手の平に、ぽすっ……と軽い音ともに小さな袋が乗せられた。
「クッキー?」
「……割れてるけどな。無いよりマシだろ」
「…………」
「……何だよ」
「いえ……ありがとう……」
何だか狐につままれたような表情になりながら、シーラは素直に感謝を述べた。シーラは可愛らしく包装されたクッキーと、こちらを睨みつけて凄んでくる男を交互に見比べた。ジークフリートが、わざわざ自分用に買ったのだろうか……?
シーラがもし店員の立場なら、五度見くらいするかもしれない。
「クッキー、好きなんですか?」
「…………まあ」
「……私も好きなんです。美味しいですよね」
なにやら言い淀むジークフリートには気づかないまま、シーラは目を細めた。前回のタイムスリップでも、挫けそうな時同僚がくれたクッキーに励まされたのを思い出したのだ。
1枚手に取って口に入れると、バターの香りが広がった。ナッツがいくつか入っている。もぐもぐと咀嚼しながら、袋の口を隣のジークフリートに向けた。ガサッという音が部屋に響く。
「貴方も食べてください」
「お前が全部食え」
「好きなんでしょう?貴方が食べないなら、私ももう食べません」
「…………」
しばらくじっと青い瞳を見つめると、観念したのか1枚手に取って口に入れた。ぶすっとした顔でクッキーを食べるその姿を、シーラは何故だか可愛いと思ってしまった。
「……私、貴方のことはもっと怖い人だと思ってました」
「あ?」
「ほら! そうやってすぐ凄むじゃない。それが怖かったんですからね」
「……そーかよ」
「あと、お城で最初に会った頃はいつも睨んで舌打ちしてきましたよね」
「…………」
「洞窟で会った時は首にナイフ当ててきたし」
「……それは……悪かったな」
クッキーをつまみながら、シーラはちらりと横を見る。ジークフリートは相変わらず眉間にシワを寄せて、いつもの怖い顔をしている。ただ、その鋭い視線の先にあるのはあの可愛らしく包装されたクッキーだ。それが可笑しくて、口が思わず緩んだ。
「……でも、今は貴方がいてくれて良かったって思います」
そう言って、青い瞳を覗き込む。見開かれた淡い色彩の中に、にっこりと笑う自分の顔を見た。
「ジークフリートさん、私を助けてくれてありがとう」
「…………」
「……あの?」
ジークフリートは黙ったまま動かない。……いきなり馴れ馴れしく名前を呼んだのがいけなかったのだろうか。沈黙の中でそんなことをシーラは思う。
ふと視線を下げれば、クッキーを持っていない方のシーラの手が、ジークフリートの大きな手の中にすっぽりと収まっていた。いつの間にこうなっていたのだろう。あまりに自然な動作すぎて気がつかなかった。
「……なぁ、シーラ 」
「は、はい」
名を呼ばれて、パッとシーラは顔を上げた。
ジークフリートのカサついた指が、シーラの手をするりと這う。そのまま指と指が絡まって、指の付け根のところを何度も何度も優しく擦られた。
「……前に、お前には、まだ助けてもらった礼をしてないって言ったよな」
「え?あ……」
ジークフリートの青い瞳の中に、シーラはあの輝きを見つけた。薄く淡い綺麗な色彩のはずなのに、獲物を見つけた肉食獣のように強く光るあの目。
あの目で見られてると怖かったはずなのに、今は不思議な高揚感だけがある。
「……今、してもいいか?」
「…………はい」
シーラがそう答えた瞬間、その小さな手がギュッと強く握られた。
そのままジークフリートの顔がゆっくりと近づいてきて……ピタッと止まった。
それから、だんだんと眉間のシワが濃くなっていく。今まで見たことがないくらい深い。
「…………」
「…………」
「……?」
「……クソッ」
きょとんとするシーラの顔を通り過ぎたかと思うと、ジークフリートはそのままその首筋に顔を埋めた。それからゆるく抱きしめられる。
「ひゃっ、く、くすぐった!」
「……クソが……ぶっ殺してやる……」
シーラは何が何だか分からない。ジークフリートは何故か突然物騒な悪態をついている。とりあえず首でボソボソ喋るのはくすぐったいのでやめてほしい。
「な、何?」
「……熊だ。外に熊がいる。近づいてる」
「熊⁉︎」
それは一大事ではないのか。こんな悠長に会話している場合ではない。
「大変! すぐ逃げ……」
「そんなに大きくない。仕留めてくる」
「ええ⁉︎ あ、危な……」
「シーラ、お前は危ないからここにいろ。いいな?」
「え、ちょ……」
「明け方までには帰ってくる」
危ないのは自分の方ではないのか。シーラの制止も聞かずに、ジークフリートは禍々しいほどの殺気を漂わせながら出て行ってしまった。
「な、何なの……」
1人残されたシーラは、あまりにも急すぎる展開に扉の方をしばらく呆けたまま見つめていた。
◇
それから本当に、ジークフリートは明け方には帰って来た。よく見ると、黒い騎士服に血が所々ついていたのでシーラは慌てた。
「だ、大丈夫なの⁉︎」
「あ?全部返り血だ」
「えぇ…?」
本当に熊も仕留めて来たらしい。とりあえず持っていたハンカチで血と土で汚れた顔を拭こうとすると、それを見るなり手を掴んで止められた。
「やめろ、汚れる」
「別にいいですよ。お気に入りじゃないから」
「それでもやめろ」
何度拭おうとしても避けられるので、仕方なく手の平で拭ってやった。ハンカチは嫌な癖に、手の平で拭くのは良いらしい。変な男だ。
「それより、外に面倒くせぇもんがある」
「面倒くさいもの?」
「こっちだ」
外に出ると、しばらく歩いたところに大きな黒い塊があった。……あれはもしかしなくとも、熊ではないのか。
「そっちじゃねぇ、見るな」
「わっ!」
手を引かれ、そのまま反対方向に向かされた。少し歩くとまた黒い塊が見える。……今度は人だ。
急いで近づいてよく見ると、ジークフリートと似た服を着た15歳くらいの男の子が倒れていた。どうやら気絶しているようで、右腕からは血が流れている。
「大変! この子怪我してるわ」
止血しなくては、そう思ったシーラは迷わずエプロンを破ろうとした。が、その手をジークフリートが止める。
「待て」
「な、何ですか?」
「これを使え」
ジークフリートが差し出したのは上質そうなハンカチだった。よく見ると、家紋らしきものも刺繍されている。
「ダメよ、小さすぎるわ」
「なっ……」
「大丈夫、エプロンなら替えもありますから」
「待て。百歩譲ってエプロンは許すが、スカートは絶対にもう破るな」
「布が足りなかったらスカートも破ります」
「おい!」
「怪我人なのよ!足が見えるくらい何よ!貴方、この男の子が死んでも良いの⁉︎」
「そいつはそんな怪我で死ぬほどヤワじゃねぇ!」
「はぁ⁉︎」
「そいつは7年前の俺だ‼︎」
「えっ……?」
動かしていた手も止めて、思わずシーラは固まった。そして、ぎこちない動きで、地面に横たわる少年と鬼の形相でこちらを睨む男を何度も見比べた。
確かに……言われてみれば似ているかもしれない。さっきは怪我の方に目がいって、顔なんて見ていなかった。
「そいつは、7年前の15歳の俺だ。野外訓練の最中に熊と戦った後のな」
「え、えっと……ちょっと待って……理解が……」
ということは、先程の熊は、今のジークフリートではなくこの少年が倒したのだろうか?
「とどめ刺したのは今の俺だ。こいつは中途半端に戦って、何かの弾みで気絶してるだけだ。腕の傷も、爪に引っ掻かれただけだな。大したことねぇ」
淡々と他人事のように話しているのが逆に怖い。
その時、何故だかシーラはいつかの同僚との食堂での会話を思い出していた。確か、ジークフリートの噂についての話だったはずだ。
『うん。なんでも彼、貴族出身らしいんだけどね、12かそれくらいの歳の時誘拐されたらしいよ』
『ゆ、誘拐⁉︎』
『驚くのはまだ早いよ。その犯人をたった1人で倒して、無事生還したらしいんだから。相手は元山賊の大男2人組だったってのに』
『た、たった1人で……!?』
『そう。他にもあるよ、騎士団に入った頃には熊を1人で……』
そうだ、熊だ。その後すぐに鐘の音が鳴ったので聞かずじまいだったが、彼女は確かに熊の話もしていた。
そして、今回のタイムスリップでもシーラはジークフリートが持つ逸話の1つが誕生する瞬間に遭遇してしまったようである。
長い長いため息を吐くと、シーラはゆっくりと頷いた。
「うん、大丈夫。大体……理解した。たぶん」
「……まぁ、混乱するのも無理ねぇな」
「けど、この男の子がジークフリートさんだからって、手当てを止める理由にはならないわ」
「あ?」
「むしろ手当てしなきゃダメよ。だってこの子、将来今のジークフリートさんになるんでしょう? 貴方に変な傷跡が残ったら、私嫌だもの」
「…………」
「ほら、ジークフリートさん、ここ押さえて」
押し黙ってしまったジークフリートにも手伝わせて、テキパキとシーラは手当てを行い、無事に終えた。結局、エプロンで布はほとんど足りて、スカートも足首が見えるくらいまでしか破らなかった。
手当てを終えた7年前のジークフリートを近くにあった大きな木にもたれさせるようにして、シーラはゆっくりと離れる。
ジークフリートの話ではこの後すぐに仲間が見つけてくれるらしい。
「これでよし、と」
「…………」
「ジークフリートさん?」
「……やっぱり、これもお前の仕業だったんだよなぁ」
「?」
「おかしいと思ったんだ。周りには人は居なかったし、ましてや女なんて誰も見てない。なのに、前と同じような手当がしてある……」
「どういうことですか?」
「……こいつは色々余計に拗らせるってことだよ」
「拗らせる? 何を?」
「……あと7年は耐えろよ、俺」
「⁇」
ジークフリートの謎の言葉に、シーラは首を傾げるばかりであった。