掃除婦シーラのさらに濃すぎる一日①
本編執筆時から1年以上経ってますが、色々思いついたので後日談を書いてしまいました。
全3話で時系列は本編から1ヶ月後くらいです。
何か、温かいものが自分の身体に巻きついている。
ぼんやりと意識が浮上していく中で、シーラはそんなことを思った。
「ゔ……?」
ぼやけた視界の中、いちばん最初に目にしたのは赤と黄色の落ち葉だった。何だか見覚えがある光景だ。それに空も遠いような……
「っ⁉︎ ……ぐぇっ⁉︎」
ここは一体何処なのか。それを理解した瞬間、シーラは勢いよく飛び起きた……つもりが、出来なかった。
訳が分からず、横たわる自分の身体を見下ろすとお腹に誰かの腕が回っている。どうやらこれのせいで起き上がらなかったようだ。
回された腕はそれはもうガッチリとシーラの腹と腰を固定していてびくともしない。
この腕は誰のものなのか。なんとなく思い当たる人物が1人いた。だが、それを認めたくはない。しばらくうんうん悩んで、顔を青くしたり赤くしたりした。
しかし、いつまでも地面に倒れているわけにもいかないことはシーラも分かっている。深呼吸をして、おそるおそる顔を後ろに向けた。
「ふぉ、ふぉ、フォルムバーグ騎士……おお起きてください……!」
何故か森の中で、シーラは後ろからジークフリートに抱きしめられたまま倒れていた。
◇
話は数時間前に遡る。
——ゴーン、ゴーン、ゴーン
その日のシーラは、昼休みの終わりのを告げる鐘を聞きながら、午後の持ち場に向かっていた。
髪を左右に分け、露わになっている額にはひとつふたつと汗が浮かぶ。同様にじっとりと嫌な汗をかいている手の平を、シーラはギュッと握りしめた。
そして、ある部屋の前の立ち止まるとその扉をしばらくじっと見つめた。忘れもしない、重厚な装飾が施された扉だ。シーラは鈍く光るノブをゆっくりと握ると、大きく深呼吸をした。
「大丈夫、大丈夫……」
目を閉じて、自分にそう言い聞かせる。これは仕事だ。この部屋をただサッと掃除をすればいいだけだ。もう、過去に飛んだりしない。
「大丈夫、だい……」
「おい」
「ぎゃあああ‼︎」
「バカ、俺だ。うるせえ」
驚いて振り返ると、後ろに誰か立っていた。
おそるおそる視線を上にあげると、青い瞳と目が合う。その鋭い目つきと眉間に刻まれた深いシワを見ると、強張っていたシーラの全身の力が抜けた。
「ふぉ、ふぉ、フォルムバーグ騎士……」
「お前、相変わらずこの部屋にビビってんのか」
「そ、それは……」
困ったようにシーラが視線を彷徨わせる。図星だ。
「…………」
そんな答えに窮するシーラをジークフリートは暫くじっと見つめた後、おもむろに彼女が握るノブに上から手を重ねて扉を開けた。そして驚くシーラをそのままに、部屋の中にずんずんと先に入っていく。
パチパチと目を瞬かせたシーラが呆けていると、しばらくしてジークフリートが扉の前に戻ってきた。
「入れ」
「え……?」
「部屋の中は特に異常はない。石も光ってないから安心しろ」
そこまで言われてシーラはようやく彼の意図を理解した。どうやら怯えるシーラのために先に部屋に異常がないか見てくれたようだ。
「ありがとう……」
「……フン。どーいたしまして」
シーラの素直な感謝に、ジークフリートは鼻を鳴らしてそう答えた。そのまま展示室にあるいつかの長椅子に向かったかと思うと、どっかりと足を組んで座る。
一方のシーラは少しだけ辺りを見渡した後、いつものように物置の扉を開けて掃除道具を取り出した。
箒に雑巾、そして新品のハタキを見ると、嫌でも1ヶ月前のことを思い出す。——時の石の力で10年前にタイムスリップしたあの時のことを。
部屋の中央に視線を移すと、台座の上のガラスケースが目に入る。中にある少し大きめの白い石は、あの時と違って光ってなどいない。
「なぁ、シーラ 」
「は、はい」
声の方を見ると、ジークフリートはこちらを見ていた。少し慣れたものの、今でもあの青い瞳と目が合うと肩が少し跳ねる時がある。淡く薄い綺麗な色彩のはずなのに、あの瞳が何故か時々獲物を見つけた肉食獣のようにギラついて見えることがシーラにはあるのだ。
今回は特にギラギラしていなかったので、シーラは比較的落ち着いて答えた。
「お前、この部屋の当番やめたいって仲間に言わねぇのか」
「それは……」
「まだ怖いんだろ」
「…………」
シーラの箒を持つ手に力が籠る。
そうなのだ。シーラはこの部屋——時の石の部屋に入ることが怖かった。また何かの弾みで過去に飛ばされたりしたらどうしよう。今度こそ戻って来れないのではないか。飛ばされた先で死んでしまうのではないか。そんな不吉なことがこの部屋に来るたび頭をよぎる。
しかし、仕事は仕事だ。部屋の掃除当番は容赦なく回ってくる。自分の担当区域を組み替えてもらう場合には、正当な理由が必要だった。また過去に飛ばされるかもしれないから担当区域を変えて欲しい?そんなこと言えるわけがない。
第一、時の石が本当に時間を行き来できるものだと知っているのはシーラとジークフリートの2人だけである。仮に言っても周囲には到底信じてもらえはしないだろうことは分かっていた。
「……私は、フォルムバーグ騎士に、申し訳ないです」
「あ?」
「あの後から、いつも私がこの部屋を掃除する担当の時、来てくれますよね?」
「…………」
「私がまた時の石で過去に飛ばされるかもしれないから、見張ってくれてるん……です、よね?」
言っている途中で、だんだんとシーラは自分がだいぶ自惚れた発言をしているのではないかと思えてきて、言葉が尻すぼみになった。
一方のジークフリートも、まさか時の石に飛ばされる前からシーラの担当の時はいつも隣の部屋にスタンバイしていたとは言えず押し黙る。
「……あの? フォルムバーグ騎士?」
「……俺は——」
その時だった。
カッ!と突然の眩い光が部屋を包んだ。
壁も天井も何もかもが真っ白で、影という影が消える。
「⁉︎ なっ……」
あまりに見覚えがありすぎる光景に、シーラが背筋をゾッとさせた瞬間、ものすごい勢いで誰かに抱きしめられた。
混乱する中、その肩越しから部屋の中央を咄嗟に見る。そこにはやっぱり、ガラスケースの中から白く強い光を発する時の石があった。
◇
(お、思い出した……! 私、また過去に飛ばされたんだ……!)
朧げだった記憶がだんだん晴れてきて、シーラはようやく自分の置かれた状況を理解した。
どうやらシーラはジークフリートと共にまた時の石の力で過去にタイムスリップしてしまったようである。
そして、後ろからジークフリートに抱きしめられたまま倒れているというこの謎すぎた体勢から、飛ばされる直前にシーラの身体を抱きしめたのは彼であることも理解した。恐らくシーラ1人でタイムスリップするのを防ぐため、咄嗟にしたことであろう。
兎にも角にも、まずは立ち上がらなければ。シーラは自分の腰と腹に回ってる腕を退かそうと力を込めた。
「ふっ……‼︎ ぐっ……‼︎ 固っ‼︎」
びくともしやがらない。どんな馬鹿力だ。
本当は起きているのでは?と何度も後ろを見たが、青い瞳は目蓋に隠れて見えない。人がこんなに頑張っているのに、普段の様子からは想像もできないほど安らかに眠っている。腹立つ。
腕が解けないのであれば、その腕の持ち主を起こすしかない。こんな密着状態で起こすのは恥ずかしいのでできれば避けたかったが、どうしようもない。
腕と身体の間に何とか隙間を作って身体の前面をジークフリートの方に反転させると、広い肩を揺さぶった。
「ふぉ、フォルムバーグ騎士、起きてください……!」
シーラの必死の呼びかけに、ピクリと目蓋が揺れる。
そして、ゆっくりと現れた青い瞳と目があった。まだ焦点が定まっていないようにも見える。
「フォルムバーグ騎士!」
「…………ぁ?」
意識がまだハッキリしていないのか、ジークフリートはぼんやりと近くにあるシーラの顔を見つめたまま固まっている。いつのまにか眉間のシワも復活していた。
「起きましたか? 大変なんです!」
「……夢か」
「ぎゃあああああ‼︎ 夢じゃない! 夢じゃないです! 胸に顔をうずめないで‼︎」
「…………」
必死のシーラの叫びに漸く目が覚めたのか、ジークフリートがむくりと起き上がった。必然的に身体に腕を回されていたシーラも一緒に起き上がる。
腕の中にいる彼女を見下ろすジークフリートの目が、若干ギラギラしていたことには気づかないフリをした。
「……どういう状況だ?」
「分からないんです。気がついたらここに居て……多分、時の石のせいだと思います」
「やたら眩しかったアレか」
「はい……うわっ!」
ひとつ頷いたジークフリートは、シーラを抱いたまま立ち上がる。驚いたシーラは咄嗟に目の前の彼のシャツを掴んだ。
それを特に気にした様子もなく、ジークフリートは今度は目の前の乱れた長い茶髪に優しく触れると、ひとつふたつと引っかかった落ち葉を取ってゆく。
「あ、あの……」
「怪我は?」
「えっ、あ、な、無いです」
「歩けるか?」
「あ、はい。歩けます」
あまりにも淡々と当たり前のように世話を焼かれるので、最初は戸惑っていたシーラも、これは気にするほどでもないただの親切なのか?と謎の錯覚に陥りはじめる。
「この場所は……私が前に飛ばされた森でしょうか?」
「いや、違う。ここは俺の故郷の森じゃねぇ」
前回シーラが飛ばされた場所は北にあるジークフリートの故郷に近い森であった。そこにある洞窟の中で10年前の彼と出会ったのだ。
「ここは……恐らく西の森だ。」
「西の森?」
「騎士団に入ったばかりの頃、野外訓練で来たことがある。俺の故郷よりは城に近いが、歩いていける距離じゃねえな。と、なると……」
そう言ったきり、ジークフリートは何やら考え込んでしまった。
自分も何か力になれないかとシーラも辺りを見渡すが、前の森と同じように鬱蒼とした木々が生い茂っていることしか分からない。石の光に驚いた際、持っていた箒も手放してしまったので、今回はハタキなどの道具の類も無い。
では何か食糧はないかとポケットを探るが、出てきたのは最近買ったお気に入りの白いハンカチだけであった。
前回よりさらに少ない持ち物に打ちひしがれていると、ようやく考えがまとまったのかジークフリートがこちらを向いた。
「よし、ここから南に行く。今はもう使われてない管理小屋がある。ここが何年前なのか知らねぇが、50年も経ってなけりゃまだあるはずだ。だいぶ歩くが、良いか」
「はい」
方針が決まったところで、シーラたちは南に向かって歩き始めた。前を行くジークフリートの大きな背中を見ながら、シーラは1人で森で彷徨った前回のことを思い出す。
あの時は本当に怖くて、心細かった。ただもう必死で、こんなところで野垂れ死ぬわけにはいかないという気持ちだけで歩いていた。
けれど、今回は違う。シーラは1人じゃない。飛ばされる直前に、ジークフリートが一緒に来てくれたから。
今この場に彼が一緒にいて、こうしてシーラを助けてくれることは、どんなにありがたいことなのだろう。そう思うと、シーラの胸はいっぱいになって思わず涙が出そうになるのであった。