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落ち着け、落ち着け。
早くに気がついたおかげで幸いにもオークらはこちらに気がついてはいない。
奴らは対岸。水を汲みに来たのだろうことを考えると、このまま隠れていれば何事もなくやり過ごせるはず。
大丈夫、問題ない。
オークの数は2体。木で作られた桶を持っているあたり、やはりここに水を汲みに来たのは間違いないだろう。
それと…鎖で繋がれた犬(らしき生き物。もとの世界のよりも大きく、狂暴そうだ)を2匹連れている。ペットか?あるいは……。
あるいは……?
と、別の、しかし考えうる最悪の可能性が頭をよぎった、瞬間。
犬が、こちらを、私が隠れている岩を見据えて、
吠えた。
「――ッ!!!」
私は、逆方向に全速力で駆け出した。
後ろで、響くような低い声と、犬の駆け出す音が、聞こえた。
△▼△▼△
速い。
この身体、事態が事態だっただけにろくに調べもしなかったが、どうやら身体能力がとても高いようだ。自分でも驚くような速度で走れている。火事場の馬鹿力か何かは分からないが、今はこの身体に感謝するほかない。
この速さなら、奴らにだって――
――しかし後ろから聞こえる犬の鳴き声が止むことはない。
しかも、だんだんとその鳴き声が近くなってきている。
まずい。追い付かれる。
追い付かれたら――
――最善でも、死ぬ。
――どうする。やばい。死ぬ。追い付かれる。このままじゃダメだ、どうにかしなければ。でもどうすれば。このままじゃダメ。じゃあ戦う?無理だ。でも――
――やるしかない。
致命傷でなくとも一発貰ったら終わり。
よしんば勝てても、応急措置の仕方なんて知らない。そのまま行動不能でヴァルハラへとまっ逆さまだ。
絶望的、どころの話じゃない。
ただ、このまま死ぬのなら。この身体ならあるいは、という一類の望みにかけて。
すがりついて。
せいぜい足掻くほか、ない。
――私は地面に落ちていた太い枝を掴むと、犬共に向き合った。
△▼△▼△
――気づけば、私は、犬の頭に石を打ち付けていた。
何度も。何度も。何度も。
もうすでに死んでいることはわかりきっているはずなのに、振り上がる腕を止められない。
顔は涙と鼻水と返り血でぐしゃぐしゃになっていた。身体じゅうにも返り血がこびりついているが、身体に痛む場所はない。近くにもう1匹、犬の死体が、口から枝を生やして転がっている。奇跡的にも、無傷で返り討ちにしてやれたようだ。
「――は、ははは、ははははは」
渇いた、しかし子どもらしい高い笑い声が、口から漏れた。
「ははははははは、ははははははははあははは」
その笑い声は、暫くのあいだ、響き続けていた。