ある秋の日 2
「……面目次第もございません」
「まぁいいさ。じゃ、そろそろ行くか?」
「そうね。ほら、ナマクラ!」
「はいはい」
「ハイは1回!」
「……はい」
「アーーイ!」
刃達が今から向かう場所は、ここから徒歩数十分の場所。
そもそも今日、皆でそこへ行くことになったのは、
「ほーら藍、遊びに行くわよ!」
「アイ!」
刃の隣で光のおさがりの昔着ていたピンクのシャツに紺のスカートを着込み、寒いだろうと思って刃が巻いてやった彼のお気に入りの赤と黒のストライプ柄のマフラーを容赦なくガジガジと噛んで喜んでいる、この同居人のためなのだ。
あれは、予選が終わって少し経った日。光が言った言葉が始まりだった。
あれはその日の学校が終わって、刃と光が藍を藤先生から受け取った帰宅途中。
「アーイ、アーイ!」
「だから藍、はしゃぐなって。誰かに見られたらどうすんだ……」
「大丈夫よ。こっちの学区って私たちしかいないから、誰かにバレたり見られたりすることはないわ」
「だといいんだがな」
「アーーイ!」
火野藍は相変わらずの様子で刃と手を繋ぎ、嬉しそうにスキップしている。
「ほんと、あんたといる時の藍は楽しそうよね」
「お前といるときの藍も楽しそうじゃねぇか?」
「アイ!」
そう言って藍は空いていた左手を光へと伸ばす。「握って」と言っているようだ。
「……うん」
それに対して光は「わかった」と応えるように藍の差し出した手を握る。
「アーーイ!」
「!?」
「お、おい藍! 危ないって!」
その時点で藍のご機嫌はMAX。2人に支えられて宙ぶらりん。
かと思えば、次は2人の手を解いて前方にダッシュ。何かを見つけて座り込む。
「どうしたんだ、藍?」
刃と光が藍の座り込んで見ている地面を覗き込むと、
「……蟻?」
「アイ!」
藍が指さす先には小さな蟻が1匹、うろうろ。
「へぇ、もう10月なのにまだ蟻って外にいるのね」
「……アイ?」
「蟻よ、あ、り」
「アイ?」
ダメだ。やはり「アイ」以外の言葉が覚えられないようだ。
やがて藍は両足を抱えこみ、ジィーッと無垢な瞳はその小さな個体を写し続ける。
「どうした、藍。そんなに蟻が珍しいか?」
「アイ!」
藍は刃に向き直り、右手を挙手してその問いに答える。
「……ねぇ」
「ん?」
「もしかして藍って……蟻を知らないんじゃない?」
「……知らない?」
「そうよ。確かあんたが言ってたわよね、藍は最初はスプーンすらまともに使えなかったって」
藍は最初の頃、刃のところへ来る前は一体どんな生活を送っていたのかと2人を悩ませるくらいに全てでたらめな使い方をした。
スプーンは投げる、皿は投げる、ゲームは叩きつける、ペンは真っ二つ、紙はとにかく手当たり次第に破る。
ただ、本だけはしっかり開いて見るという当たり前の動作をしてくれたが、そんなことがずっと続くと敵わない。だから、何から何まで一から教えたのだ。
「あっ、あぁ。そういや確かに。スプーンを最初はダーツか何かと思ったのか、俺目掛けて投げつけてきたっけ」
「だからそれって、何も知らなかったからじゃないかって」
「……でもさ、蟻すら知らないなんて有り得るのか?」
「……藍は色んな意味で普通じゃないから。可能性はあるんじゃない?」
そう考えたら、自分達は本当に藍のことを何も知らないと思い知る。藍の過去も、何が好きなのかも、何が出来るのかも。
「……だったら、教えてあげなくちゃ! 私たちがいろんなことを!」
「……は?」
「だって何も知らないなんてかわいそすぎでしょ!? 楽しいことも何かわからないってことじゃない! そうね……じゃあ今度の週末にあそこに連れて行きましょ! あそこは綺麗だから、藍もきっと気に入るわ!」
「あそこって……まさか」
「そうよ、もちろん──」
「桜ヶ峰公園の名物、『万年桜並木』よ!」
これが原因で、今に至るのだ。




