11『湯けむりパニック3』
「おや、流斗君。今ごろにお風呂ですか?」
「先生方こんばんは。先生方も今お風呂ですか?」
「はい。随分と流斗君も入るのが遅かったんですね。君はしっかりしてるので心配はしていませんが、睡眠不足は体に毒ですよ」
「すいません、でもなんだか寝付けなくて。よければ自分が先生方の背中を流しますが?」
「いや……それは」
「いいじゃねぇか宮守。生徒と先生のスキンシップも大事だろう? よし、脱いだらここの目玉の露天風呂へ直行だぁ!」
溝渕は目にも止まらぬスピードで服を脱ぎ捨てると、硝子戸の湯気で曇る先へ行こうとする。
まずい、今はまだ向こうの準備はできていない。時間を稼がなくては!
その為に必要なこと、それは……。
「……溝渕先生! なんですか……なんですかその素晴らしい身体は!」
──ピクッ。
流斗の声に溝渕が動きを止める。
「その美しい張りのある二の腕。引き締まった胴体……逆三角の見事なバランス体型! 全ての男の憧れではないですか、素晴らしい! 流石は溝渕先生!」
「………………ふっ」
その流斗の言葉に溝渕は戸から手を離すと、
──ムキッ!
「……俺のこの鍛え上げた肉体に興味を持つたぁ、さすがは流斗。見所があるじゃねぇか」
筋肉を流斗に見せ付けるようにマッスルポーズ。
「いや素晴らしい! もはや芸術! アートと呼ぶしかないです!」
「ガハハハハハ! そうかそうか! 特訓といい俺の筋肉といい、ヒョロ男に見えてお前はいいところに気がつく!」
「先生! 自分も先生のような身体になりたいです! どうか少し、少しでいいのでこの場で指南をお願いします! この場で!」
「……ふっ、かわいい生徒の頼みとあっちゃあ……この溝渕貴仁! 応えなければ男じゃねぇだろう! よし流斗、まずは腕立て1000回からだ!」
「押ッ忍!」
「じ……じゃあ私はお先に……」
「宮守先生も是非、一緒にやりましょう! ある学会の発表によると、風呂の前に運動をすると新陳代謝が良くなり、温泉自体の効力が約2.7倍になるとの研究結果が出ています!(大嘘)」
「おぉ、そりゃすげぇ! おい宮守、お前もやれ! 逃げるのは許さねぇからな!」
「えぇ~!?」
「(よし……これで5分は硬い。刃……うまくやってくれよ……)」
浴室の方に目配せをしながら、流斗は心から祈るのだった。
そのころ、刃は流斗に任された手前、どうにかして蓮だけでも隠さなければまずい。それはわかっている。
しかし、しかしだ。
「……ない」
この露天風呂は大きな浴槽1つ、そこにそびえる岩の他に端に草が少し生えているくらいで隠れられそうにない。
「……そ、そうだ! 室内なら!」
「えっ……刃?」
急いで屋内に入り辺りを見回す。どこかに蓮が隠れられそうな場所は──
──ガッ!
と、突如、硝子戸に手をかける音。間違いなく先生の誰かだ。
「やべぇ!? 蓮、こっちだ!」
「……!?」
刃は咄嗟に蓮の手を引いて露天風呂に出てから、急いで露天風呂の硝子戸を閉じる。
しかし、これで室内に戻るのは危険。いよいよ露天風呂に隠れるしかなくなってしまった。
この広い露天風呂は、浴槽の中にデカい岩が一つ突き出ている以外は見渡しは最高。隠れる場所などない。
更に周りは高い竹の冊で囲われ、I'temでの覗きも考えられているため温泉の周りは常に結界が張られている。つまり、上からの脱出は不可能。
しかも何故かさっきより湯気は減って、視界はある程度、良好。
「くそっ、こんな状態でどうすりゃいい……どうすりゃ……!」
それから数分、刃はありとあらゆるところに蓮を隠そうと試みた。
端にある緑の茂み、桶の積まれたところ、岩の裏など試したがうまくいかない。
「くそっ、このままじゃあ……!」
「刃……クシュン!」
「れ、蓮!」
見ると蓮は寒そうに身体をタオルで巻き、肩を抑えて小さく震えている。
「(くそ、どうする……このままじゃ蓮が風邪を引いて寝込んじまう。修行で蓮の代わりなんてできるやつそうはいないし……)」
そう考えたときだった。刃の脳裏にある可能性が浮かぶ。
「……代わり?」
無謀かもしれないが、今はこれしかない。
「蓮、お前に聞きたいことがある!」
*
──ガラッ。
「イヤー、いい汗かいたなぁ流斗! よくあの俺特製メニューに付いてきたもんだ」
そう言いながら露天風呂に1番に飛び込んできた溝渕が満足そうに湯船に足を踏み入れた。
「え……えぇ。そうですね」
そのお陰で軽い筋肉痛になったが、今はそんなこと構っている場合ではない。
周りを見渡しても2人の姿はないようだ。とりあえずは一安心だが油断もできない。
「(あいつら……しっかり隠れただろうな?)」
「あれ? 先生、それに流斗も! 奇遇ですね!」
その聞き慣れた声に流斗は目を凝らしてよく見ると、湯煙の先に大岩の前で刃が座って手を振っていた。
「おぉ! 刃もいたのか、奇遇だなぁホント奇遇だ!」
「え? お2人は一緒に来たんじゃないんですか?」
「「イエゼンゼン!」」
「(……それにしては息ピッタリなのは気のせいでしょうか?)」
宮守が多少不審に思いながらも、全員が湯船に沿って座り温泉を満喫し始める。
もちろん流斗が陣取るのは刃の隣だ。
「(おい……それで刃。蓮はどこなんだ?)」
向こうの方で先生達が話している隙に流斗がコソコソ声で尋ねるが、さっきから刃はなんだかそわそわして落ち着かない。
「(おい……聞こえてるんだろ)」
そこで流斗は刃の手首を掴んで問い質した、次の瞬間だった。
「キャッ!」
──パシッ!
刃はその手を振り払うと、首を横に振る。
「(お……おい、どうしたんだ、じ──)」
『刃』と呼ぼうとして思い出す。今の声はなんだ? 刃の口から漏れた声はまるで女の子の声で……。
「!?」
そこまでいって流斗は感づく。目の前の者の正体を。
「(お前……まさか…………蓮か!?)」
そう問われ、“刃”はコクッと頷いた。
──それは遡ること5分前。
「蓮、お前に聞きたいことがある!」
「……何?」
「お前……『擬』って使えるか?」
『初紋字・擬』。それはイメージした相手にそっくり同じ姿になる紋字。イメージさえできれば人でも物でも何にでもなることができる。
ただし声や匂い、触感などは変えられず、3秒以上身体の一部に触られると強制的に効力が消えるという欠点もある。
「……使えるけど……それがどうしたの?」
「蓮が俺に化けるんだ!」
「……えっ?」
「声は俺が岩の裏からアドリブでやる。蓮はそれに適当に口パクやら手ぶりやらで合わせてくれ!」
一か八かの作戦なのはわかりきっている。でも、今は悩んでいる時間はない。
「……でも、そんなのうまくいくの……?」
「俺達ならやれる! 蓮も俺を信じてくれ!」
刃は蓮のタオルを抑えていない左手を握って言う。
もはや刃には、この危機的状況を打破することしか頭になかった。
「……っ!?」
だから、蓮の頬が少し紅潮したことに気づかなかった。
「……わ……わかった……やってみる」
*
「(とんでもないことを考えるな、お前は!?)」
流斗はバレないように小声で岩の影に隠れている刃に話し掛けた。
「(しょ、しょうがないだろ! それしか思い付かなかったんだから!)」
「(…………2人とも……ごめんね)」
2人の言い合いの中で“刃の姿の蓮”が謝る。どうやら蓮は責任を感じているようだ。
「(い、いや、あそこで甘んじて要求を受けてしまった俺らにも非はある。気にするな)」
「(そ、そうそう! それでさ、流斗はこのまま俺に化けた蓮を連れて出てくれ。それなら無事に連れ出すことが──)」
「(アホか。体調不良を装うなら支えなきゃいけないが蓮に触れたら紋字が解ける上に、蓮がこの岩の前にいないと先生方が話し掛けてきたら刃が合わせることができない。おかげでこの前から動けないぞ!)」
「(うっ……!)」
言われてみれば流斗の言う通りだ。現状では岩の前に陣取っているから良いものの、少し違うところから声がすれば先生方にばれてしまう。それだけは避けねばならない。
「2人とも~……そんな隅っこで話していないで、こっちに来たらどうです?」
「お前らちょうどいいじゃねぇか。2人で俺らの背中流してくれや」
「「((な……なっにぃいぃぃ!?))」」
まずい、非常にまずい。この『擬』は3秒以上他の生き物に『触れられても自身が触っても』効力が切れてしまう。
「(まずい……背中なんて流したら……確実に3秒なんて経ってしまう!)」
「(そうなったら、確実に……!)」
ゴクリ、と唾をのみ、刃と流斗は視線だけで会話する。急いで蓮をこの場から脱出させる、それしかない。
「い……いやー……俺なんだか上せてしまったみたいで……!」
その刃の台詞に直ぐさま蓮は身体をクラッとさせて合わせる。素晴らしい女優並の演技を披露。
「そ……そうなんです、だから俺が部屋へ連れて戻ります! 先生方はしばらく待ってて下さい!」
刃に化けた蓮は流斗に支えられるように立ち上がり、露天風呂入口のガラス戸へ向かって歩き出す。
先生達に怪しまれないよう、流斗は蓮の体に触らないよう注意しながら肩を支えるふりをしてなるだけ自分の身体で隠すように移動する。
「(くそっ……こんなに遠いのか!?)」
『こんなに』と言っても実際は5mほどの距離。
しかし、今の流斗にとってそれはかなり遠く……果てしなく感じる。
「(よし! あと少し!)」
なんとか目の前まで来た。あとはこのガラス戸の奥に蓮を送り込むだけ──
──ガシッ!
「「!!?」」
あと1歩というところ、ガラス戸の手前で溝渕が刃の手首を掴む。
「おい大丈夫か? 体調悪いなら藤を呼んでくるぞ」
そんな風に気が利いたことを提案してくれているが、もうそんな声は流斗達に聞こえていない。
「(やばい……このままでは……!)」
「(紋字が……解けちゃう!)」
「2人とも大丈夫ですか? 私も手を貸しますよ」
宮守まで此方に来る始末。逃げ道がない。
「(やばいやばいやばい……どうする!?)」
流斗の天才的な頭脳がフル回転で答えを出そうとするが、それでも時間が足らない。万事休すか……!?
「……ん? 刃、お前なんだかいい匂いがしないか? まるで女もののシャンプーみたいな──」
「うおぉぉぉりゃぁぁぁぁあぁぁ!!!!」
──ドバァーーーン!!!!
その時、突然岩の裏から現れた“何か”が叫び声を上げ露天風呂に飛び込む。
「「!!!?」」
バッと先生2人の視線と意識がそちらに移動。この好機を逃す流斗ではない。
──ドゴッ!
「イッテェ!?」
腕を掴んでいた溝渕の手を手刀で落とすと、急いで“刃”を室内へ押しやりガラス戸を閉めた。
「痛って! なんだ!?」
「すいません、蚊がいたもので!(嘘)」
「今のは……一体……」
全員の視線の先、チャプ、と何かが飛び込んだ場所から、その音と声を出した主が姿を表す。
「い、いや~、驚いていただけました?」
「「じ……刃!?」」
もちろんそれは岩の後ろに隠れていた刃であった。全員の視線をそらすための咄嗟の行動だったが、この場では最善の判断だったと言えよう。
「き……君は今まで、こちらにいましたよね?」
「俺と刃とで考えついた奇術なんですよ!(嘘)」
「す、すごいですね! 私には何がなんだかわかりませんでしたよ!」
「「((わかったら困ります))」」
「しかし……なんでこんなときにこんなことやってるんだよ」
「近くにあるという一発芸のための練習です!(嘘)」
2人は顔色と口裏を合わせながら、なんとかその現象を正当化させたのだった。
*
──刃と流斗がそんなことをしている頃、
「…………」
室内に押しやられた蓮は真っ裸で座り込んでいた。
そして自身の手を見つめる。
『蓮、こっちだ!』
あの時、初めて男の子から手を引かれた。触られた場所が熱い。
でも、さっき先生に触られた場所はそうでもない。なんでなのだろう。行為は一緒なのに。
「…………………………?」
その意味を東蓮が自覚するのは、もう少し先の話である。




