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I'tem(アイテム)~最弱のヒーローの物語~  作者: 西野大河
第3章 I-G
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9『湯けむりパニック1』

「じゃ、じゃあさ、これを機会に皆を名前で呼べるようにしないか? 俺も手伝うからさ」


「……手伝う? どうして?」


「どうしてって、せっかくの仲良くなれるチャンスだし……仲良くなればチームプレイだってやりやすいだろ?」


「そ、そうじゃなくて……」


 そう言ったっきり蓮はしばらく悩んだように下を向いていたが、やがて蓮は何か思い付いたように頭を上げた。


「……じゃ、刃はあたしのことを『蓮』って呼んで」


「……は?」


「……それが条件。私を下の名前で呼んでくれるなら……私もやってみる」


「な……なんだ。そんなことか。わかった」


「……じゃ、試しに呼んで」


「はい?」


 あまりにも唐突なことに頭がついていかない。対する彼女は真剣な眼差しで。


「……呼んで」


「いや……だって呼ぶ理由なんか……」


「理由なんかいらない……呼んで」


 なにやら物言わせぬ雰囲気。これは言わないとダメだろうな。


「れ……蓮」


 少し照れながらも呼んでみる。なんだか改まって呼ぶと小っ恥ずかしいものがあった。

 以前、亮を呼び捨てにする機会もあったが、あの時よりも緊張する。やっぱり慣れていないからか?


「…………フフっ」


 見ると、蓮は刃に背を向けて背中で笑っている。


「……『呼べ』って言っておいてその反応は無くないか……?」


「……だって」


 一頻り笑い終えると、蓮は再び刃に控え目な笑顔で応える。


「……じゃ、私も頑張ってみる」


「……やっぱ、東は笑ってた方がいい顔だ」


「呼ぶときは……『蓮』」


「おっ、そうだった」


 これは苦労するかもしれないと、刃と蓮は2人して顔を合わせてクスクスと笑いあったのだった。




           *




「……名前……呼べなかった」


「あ……あぁ。なんか機嫌が悪そうだったからしょうがないな」


「さっきから2人して何の相談してるんだ?」


「いや、それがさ……」


 刃が説明しようとして、妙案を思い付く。


「そうだ! 蓮、流斗にも協力してもらおう! 流斗ならきっと良い案も出してくれるって!」


「……でも」


「大丈夫だって。流斗は信用できるやつだから!」


「だから……お前らはさっきから一体なんの話をしてるんだ」


 こうして協力を仰ぐため、刃と蓮は特訓以外のことの顛末てんまつを流斗に話した。




          *




「……なるほどな。それでここに2人でいたわけか」


「あぁ。俺が皆に言ってきっかけを作ってやろうかって言ったんだけど……」


「……私が断ったの。私1人で最初から言わなきゃ……意味がないから……」


「……ふむ。なら早く呼んでやらないと、あの2人にとっても酷だな」


「「何故?」」


 ここで声が被るとは、この2人には似た何かがあるかもしれない。流斗は軽く頭を抱えた。

 それにしても、こうなるとどこまでもあの2人が哀れだ。


「いや、こっちの話だ。じゃあ手始めに、俺を名前で呼んでみてくれ」


「う……うん」


 蓮は流斗の前に立ち、顔を見合わせたのだが。


「……ど、どうした?」


 流斗が呼び掛けても、蓮は一向に名前を呼ぶ気配がない。


「ど……どうした、蓮」


 刃が聞くと蓮は困った顔をして、刃の顔を見つめた。


「……恥ずかしいのか?」


 プルプル。


「……言いにくいのか?」


 プルプル。


 首を横に振られる。それが原因ではないらしい。では何が……そう思ったとき、さっきの名前の一件を思い出した。

 さっき蓮は自分の名前を必要に覚えようとしていた。つまり、名前に問題があるかの知れない。

 まさかとは思ったが、ものの試しに言ってみる。


「………『水仙流斗』……だぞ?」


 教えてみると、蓮は「水仙流斗」とすんなり言って見せた。これは、つまり。


「…………蓮。お前、人の顔と名前覚えるの、苦手なのか?」


 コクッ、と肯定。だろうな刃はガックリ肩を落とす。そもそも名前を覚えていないのなら人の名前など呼べるはずもない。


「こりゃ……名前を呼ぶ以前の問題だな」


「そうだな……」


 こりゃ想定以上に厄介な案件を引き受けてしまったかもしれない、そう気づいた2人は大きい嘆息と共に肩を落としたのだった。




          *




「……よし次。じゃーこれは?」


「かざましょーや」


「じゃこれ」


「だいもんじひかり」


「次、これは?」


「………………………………………………」


「矢田堅二だ」


「そう。ヤだ」


 矢田だけ発音のニュアンスが違うのは何故だろう。

 とにかく2人はまず名前を覚えさせるところから始めた。合宿に来たメンバーの写真を使って名前と顔を一致させる。しかしこれがまたこれがまた前途多難。


 なんと蓮は男子はおろか女子の名前も覚えておらず、覚えていたのは家族の名と先生の上の名前と『火野刃』だけという恐るべき状況だった。


 自身にとってほぼ必要最低限の名前しか覚えてはいない。


「(『先が思いやられる』なんてレベルじゃねぇぞ……これ)」




「ふぅ……やっとまともになったな」


 あれからみっちり1時間。蓮にみんなの漢字まで教え、『ヤだ』のイントネーション以外はしっかり覚えた。

 比較的には特訓なんかよりよっぽど簡単なことだったはずなのに、まさかこんなに時間をとられるとは。


「ありがとう、2人とも」


「いや、俺らは別に……おっと、もうこんな時間か」


 時計を見ると、その針は11時を指そうとしていた。思ったより時間が経っていて、さすがに寝なければみんな明日がきつい。


「じゃあ俺たちも風呂に入って寝るとするか、刃」


「そうだな。蓮も早く入って寝ろよ。おやすみ、明日もよろしく!」


 そう言うと刃と流斗は2人は急いで自分の部屋に戻って準備をする。

 あまり遅くなってはまずい。夜は先生達に早めに寝るよう言われているし、鉢合わせると面倒だ。それ故に2人とも先を急ぐ。




「……『明日』?」




 だからこそ、2人とも気づけなかった。この時の蓮が大きな勘違いをしたことに。




          *




──ザッパァーーン!


「ハァーーッ、生き返るゥゥ~ッ!」


「あぁ。これは最高の湯だな」


 真新しい旅館はその和な雰囲気と若女将もそうだが、1番の目玉はこの露天風呂。

 様々な効能が近くの看板に書いてあるようだが、そんなものなくてもこれは良いものだとわかる。


「この快適な温度だけでも充分だよなぁ~」


「……だな」


 まったりと肩まで漬かって空の星たちを望みながら疲れを癒す。色々とやってもうギリギリ時計の針はてっぺんを越えてしまったが、急いで出れば問題はないはずだ。


「……よし刃、さっさと洗って出るぞ。先生達に見つかると厄介だからな」


「おうよ」


 流斗に同意して刃が立ち上がった、その時だった。




──ガラッ。




「「!?」」


 男子風呂の硝子戸が開く音。急いで刃と流斗は岩の影に隠れる。


「(お、おい流斗! もう来ちゃったじゃないか! どうする!?)」


「(落ち着け。こんなときのために着替えは隅に隠してあるし、先生が温泉に入った後でこっそりと出ればバレはしない!)」


 そこはかとなく不安だが、ここは流斗の意見に従うしかない。その煙にまみれたシルエットはゆっくりとこちらに近づいてきて、温泉に足を踏み入れる。

 よし、これで逆側から回り込んで出ればバレない。刃と流斗は目線で会話を交わし、1回の首肯で同意。静かに動き出したところで。




「……刃、流斗?」




 その声に思わず足を止める。自分達の名前を呼ぶ声でバレたかと思ったが、すぐ後には別の違和感が襲ってきた。

 今の声、どう聞いても先生達ではない。というか、男ではない。明らかに女の声。しかも、どこかで聞いた覚えがある。


「……なぁ、流斗」


「……なんだ」


「……い、今の声、どっかで聞いた覚えないか? 主に、ついさっきまで」


「……奇遇だな、俺もそんな気がしていたところだ。もっと言えば……男って普通、胸の辺りからタオル巻くか?」


「…………巻きませんねぇ」


 2人してチラッと振り返ってみると、その影は明らかに小柄だった。そしてその小柄な胸元にはそれに似合わない程度の膨らみ。そこからタオルがしっかり巻かれている。

 湯煙のスクリーンに写し出されたそれは、まさにここには存在してはいけないもので。


「そ、そんなまさか……なぁ?」


「そ……そうだな。俺たちは少し疲れて幻を見ているんだ。うん、きっとそうだ。そうに決まってる!」


「だ、だよなー」


 アハハと空笑いを交わした、次の瞬間。




「……刃、流斗?」


「「…………………………」」




 2人して顔を合わせる。


「そ……空耳だよな、何も聞こえてないよな、流斗」


「あ……あぁ、全く蓮の声なんか聞こえてない! 全くだ!」


「だ、だよな~!」


「「アハハハハ!」」


「……何が可笑しいの? 刃、流斗?」


「「…………………」」


 聞き間違いかと疑うが、ここまで来ると大体の現状がわかってしまう。

 そうか……これは、夢だ! 夢ならばなにも怖くはない!


「やぁ蓮、ご機嫌麗しゅう! いい湯だね、湯加減だね! なんだい今日はあっつい夜かーい? い・ろ・ん・な・い・み・で♪ 」


「戻ってこい!」


「ハッ!?」


 ゴンッと1発脳天に食らったお陰で刃は正気を取り戻す。


「俺は……今何を……」


「気にするな、ただの現実逃避だ。それより……」


 そうとも、今はそんなことより確認するべき最重要案件がある。

 2人はほぼ同時にその最重要案件に向けて背を向けて言い放った。


「なんでお前がこっちにいる、蓮!」


 そう、その人は間違いなく東蓮であった。

 一瞬見てしまったその艶やかな肌。そしてその声で判断ができてしまった。


「なんでって……どうして?」


「いや、それはこっちの台詞だって! なんで蓮が男湯にいるんだよ!?」

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