6『空の星』
「(……行ってる場合なのか、俺……)」
元々足手まといの上に今日だって実質はなにもしていない。皆はずっと特訓しているというのに。
「夕飯食いそこねて溺れました……なんて言われても困るからね。それに……」
そこで女将さんは笑みを浮かべて刃の頭に手を置いた。
「……あんた、よくやったよ。お世辞じゃなく、最初にしてはよくやった」
「えっ……」
女将の思いがけない言葉と行動に刃は面食らう。
「よくついてきたって言ったんだ。だからこれは私が作った特別メニュー。ご褒美……とはいかないまでも、その代わりだ。腹が減っては戦はできぬってね」
ポンポンとして手を離してから顎で食べるよう促す女将。刃はしばらく悩んだが、この好意を無下には出来ない。お盆の上の箸を取って手を合わせる。
「いただきます」
その賄いのご飯を口に放り込んで、味わってみる。
「……その…………どうだ、味は? 口に……合うか?」
「…………めちゃめちゃ」
「『めちゃめちゃ』…………なんだ?」
「めちゃめちゃ…………うまいです!」
刃はそう言うと一気にご飯を口に流し込んだ。
美味しい。本当に美味しい。きっと気遣ってくれたのだろう、さっきより味付けも少し濃いめにされているし、出来立てなのもわかる。
心遣いが身に染みて何かが自分から溢れるのを刃は感じた。自身の涙で少ししょっぱい白い粒が喉を通っていく。
働いた後のご飯の旨さ。女将さんの優しさ。どちらも刃が感動するには充分過ぎた。
「そ、そうか! よかった……」
そう言うと女将は畳の上にへなへなと座り込む。
「ど、どうしたんですか!?」
「いや……まずかったらどうしようとずっと思っていてな。私がまかないなんて久しぶりだったから……心配だったんだ。子供の好きそうな味付けも自信はなくてね」
アハハと女将は笑って見せる。だが、今日は常に気丈に振る舞っていた彼女の手が震えていたのが刃には意外すぎた。
「女将さんが……『心配』なんてこと、あるんですね」
「お、お前、私をなんだと思っている!?」
それがあまりにも刃には意外で……しばしその笑顔に見とれてしまった。
「そ、そんな馬鹿なこと思ってないで早く食べて寝な! 明日遊んだらまた特訓なんだろ?」
「特訓……っていっても、俺は『イメージを固めるだけ』なんですけどね」
「バカいうんじゃないよ。それがどれだけ大事で難しいか、アンタはわかっちゃいない」
「……え?」
「今日、アンタは皆より格段に仕事が遅れていた。それはアンタが次にやるべきことを知らない故に『次へのイメージを持ってやっていない』からに他ならない」
言われて思い返してみると、確かに他の人たちは自分の仕事を終えると間を開けずに次に動いていた。
当たり前と言えば当たり前だろうが、それが大きく影響を与えることなのだろう。
「特訓も一緒だよ。アンタが強くなるイメージを持てなくちゃI'temだって自分だって強くなれないだろ。アンタ、強くなりたいんだろ? だったら一段一段上がっていくしかないんだ。時間がかかるようで実は一番近道だったりする時もある。だから根を上げずに頑張ることだ」
「………………はい!」
女将さんの言葉とご飯は、まるで魔法のように刃をポジティブな気持ちに変えてくれたのだった。
*
「そうだよな、女将さんの言うとおり! 遊ぶときに遊ばなきゃ損だよな、損!」
女将さんのお陰で気持ちも切り替えられた。そうだ、何も焦る必要ないじゃないか。まだ自分の道は始まったばかり。1歩1歩上がっていけば良いんだ。
そう思って刃は一回伸びをしながら、自分達の部屋に戻る廊下を歩いていた。
「イッ……タァァァァッ!」
「……!?」
どこからか聞こえた叫び声。刃には覚えのあるその声。
「(……この声……翔矢!?)」
間違いない。この声は翔矢のものだ。
どうやら自分達の部屋から聞こえたらしく、何か苦しんでいるようだった。
刃はドアの前に走り寄りドアノブに手をかけたところで、
「もう、男なら湿布くらいで大騒ぎしないでよ!」
中から聞こえた女の声がして開けるのを止とどまった。この声にも覚えがある。
「(ひ、光? なんで男子が泊まってる部屋に?)」
中の現状を把握するため、刃は開けようとしたドアノブから手を離して耳を当てた。
「し……しょうがあらへんやろ。ワイがこんな筋肉痛になるほどハードな特訓やとは思わへんかった」
「全く……だな……あの特訓は半端じゃないな……さすがに限界──つぅっ!?」
「ご……ごめん水仙君!? 痛かった?」
どうやら中にいるのは2人だけじゃない。
「(この声は……流斗に、亮か?)」
「いや、大丈夫だ。すまない、大袈裟な声を出して」
「いや、大袈裟じゃ……ねぇだろうよ……」
そこで聞こえたのは矢田の声。どうやら特訓に行った組が全員揃っているようだ。
「そいつらは俺の10倍近くの量の練習こなしてんだ。それで平然な顔されてたらこっちが傷つくっての……!」
「そんな大層に言うもんじゃない。第一、先生はピンピンしていた。それだけ俺らがまだまだ未熟なんだ」
「違うって絶対! ありゃあ化け物だ、俺なんか最初の方でも充分キツかったってのに《バンッ》……いギッ!」
「はいはい……わかったからゆっくりしてなさい。後で藤先生が回復しに来てくれるから」
「ご……ごめんね。私ももう燈気が切れちゃって……残ってれば『回復』で回復してあげられたんだけど……」
「亮ちゃんが謝ることあらへんって。結果を言えばワイらの力不足以外にないんやから……」
「全く翔矢の言う通りだ。だから、気にするな」
「でも……」
「2人がそう言ってんだから気にしない気にしない。亮のいいところなんだけどねー、そういう優しいとこは」
「そ……そんなことないよっ! 私なんか光ちゃんの足元にも──」
「それは言、い、過、ぎ」
「…………ごめんなさい」
「「…………プッ!」」
謝るなと言った傍からこれだ。吹き出すのも当然であろう。
「「あはははははっ……!」」
「「「あははははは……!」」」
光と亮が笑い始めると、それに釣られて他の皆も笑い出す。
刃はそっとドアから耳を離し、その明るい笑い声を背に今来た薄暗い通路を戻った。
旅館の薄暗く光る蛍光灯を頼りに階段を降りると、何となく玄関前で外が気になって戸を開ける。
──ガラッ。
一度、戸を開けると外は一寸先も見えない闇が広がっていた。
外には街灯1つない。ただ夏の虫の静かな鳴き声と、サワサワと流れる風しかない世界。
そんな何もなくつまらないとしか思えない世界を、刃は心から気に入った。
刃は戸からもう少し出てみる。少し湿った砂利が音を立てて、その音を吸い込んだ真っ暗な空を仰ぐ。
「(…………すげぇ)」
そこには空からはちきれんばかりの星達が「俺を見ろ!」と競いあっているかのように輝いていた。
その中でも刃はなるべく輝きの弱い星を探す。
やがて右の上空にある、あまりに微弱、しかしはっきり見える星を見つけると、その星だけを見失わないように身体をその星に向けた。
「(あの星も……つらいとか、感じるのかな)」
刃はその星に向かって手を伸ばしてみる。
だがその手は何も掴めるわけもなく、ただ虚空を空振るだけ。
「(……そりゃそう、か)」
「…………おや、そんなところで何をしているのですか、刃君」
その声にビクッとして振り返ると、風呂上がりなのかホカホカと体中から湯気を出した浴衣姿の宮守が立っていた。
「ま……まさちゃんせ──」
言いかけて空に向かって手を伸ばしていた右手に気付き、それを身体の後ろに隠す。
「……雅ちゃん先生は風呂上がりですか?」
「えぇ。いや~ここの湯は最高ですね! 疲れなんかどこかへ飛んでいってしまいましたよ」
「……そ、そうですか」
「ところで、刃君はこんなところで何を?」
「……なぁ、先生。今、俺にできることは『イメージを固めること』だけなのかな?」
「……何故、そんなことを?」
その真剣に自身を見る刃の目に何かを感じたのか、宮守も細目を半眼ほどに開き、真剣な眼差しで返す。
「先生は言いましたよね。『いつかの時のために今できることをしましょう』……って」
「はい、言いましたね」
「……ダメなんだ、それじゃあ」
思わず握った拳に力が入った。そう、ダメなんだ。今のままじゃあ、全然ダメだった。
「ダメなんだ、『いつか』じゃ! 皆は今にもドンドン、力をつけてる! でも俺は結局それを見てるだけじゃないですか!」
自分が今日していたことは旅館の手伝いと座ってイメージをしていただけ。他の皆は傷つきながら苦しみながら強くなろうと努力している。
こんな状態で、自分がここにいる価値があるのだろうか。一緒に笑えるのだろうか。いや、
「こんなんじゃ、一緒にいれるわけない! 一緒に……笑えるわけないじゃないか! 結局、俺は皆のお荷物にしかなっちゃいない! 俺は……俺は──」
「……刃君、君の言いたいことはわかりました」
そこで宮守は人差し指をひとつ立てて刃の言葉を断ち切った。
「……だったら、ちょうどよかったかもしれません」
そう一言言うと、宮守はいつもの優しい、しかしどこか怪しげな笑みを見せる。
「ちょ……ちょうどいい?」
「えぇ。実はちょうど刃君に1つ、提案があったのです。刃君の特訓について」
「……え?」
「……刃君、君は恐らく次のステップへ踏み出して良い段階まで来ています。急げば、もしかするとIーGに間に合うかもしれません」
その言葉に刃は動揺を隠せない。その言葉の意味を考えるに、つまり。
「……先生、それってもしかして」
「そうです。その特訓は刃君の力を強化するためのものじゃない。君のI'temを出す為の特訓です」
「!!?」
それって、つまり、
「……俺にも、I'temが出るかも知れない、ってことですか?」
「はい。確証はありませんが」
確証なんかなくて良い。可能性が少しでもあるなら、絶対に掴んでみせる。刃は震える拳を握りしめ、大きく体を倒した。
「その特訓、受けます。いや、受けさせてください、お願いします!」
「……きっと君ならそういうと思ってました。では明日は海ですので、明後日からしっかりと──」
「いや、明日からお願いします」
「……え?」
今は時間が惜しい。少しでも近づける可能性があるなら休んでいる暇はない。
「で、ですが……」
「お願いします、雅ちゃん先生!」
「……そこまで言われたら、仕方がありませんね」
困り顔をしながらも、宮守はどこか嬉しそうに頷いた。
次回は1月11日予定になります




