第五話 ケルベロスの記憶、ですわ
その夜、私は夢を見た。
勇者ツルギの一行が魔王四天王のうち三人を倒し、じっとりと魔王城への距離を詰めてきた。
毎日魔王城へと届く伝令は、魔族の仲間がどこで何人戦死したとか、そんな話ばかりで。
最初は勇者を見くびっていた魔王ルシファーも、少しずつ焦りを感じ始めていた。
もちろん、だからと言って負ける気はなかったが、慎重に体制を立て直さなくてはならない。しかし、その立て直しを行うための時間稼ぎすら難しい。魔王ルシファーは焦燥に駆られていた。
そんなある日。目覚めると魔王城内に側近の獣将ケルベロスが見えない。
嫌な予感に青ざめる魔王を見つけ、伝令の兵士が一人駆け寄ってくる。
「魔王様! ケルベロス様が『魔王様のために勇者を足止めする』と、単身ビフレスト峠へ——!」
「なんだと⁉」
叫び声で私は夢から覚めた。
思わず辺りを見回すけれども、もちろんそこはいつもと変わらない私のマンション。高層階(って言っても、丘目木にそんな高い建物はないから、階数は二桁にもいかないわよ)が一階まるまる私の家なんて、きっとぴあのさんなら『お城みたい』って言うだろうけど、それでもやっぱり本物のお城——夢の中の魔王城じゃないわ。
あーあ。疲れてたからだろうけど、なんだか嫌な夢見ちゃった。
——獣将ケルベロス。魔王ルシファーいちの側近にして、魔王軍立ち上げの時から一緒にいた魔王の親友。
ケルベロスは結局あの後、戻ってくることはなかった。
なんて考えていたら、目覚まし時計のアラームがモーツァルトを奏で始めた。
もう! せっかく起きたのに夢についていろいろ考えてたら二度寝しそうになっちゃったわ! やめやめ!
だいたい昨日生まれ変わりのケロちゃんと再会したっていうのに、前世の最期なんて思い出したら縁起でもないわよね。
いやな記憶を洗い流すように私は顔を洗う。——よし。暗いことを考えるのはおしまい!
ネグリジェから制服のセーラー服に着替えて、軽くメイクをしたら、髪型をセットしないと。
高い位置でツインテールにしたら、ヘアアイロンでゆるく縦ロールさせる。——ちょっと派手すぎるとは思うんだけど、銀髪に似合う髪型ってあんまりないのよね。うん、こんなものかしら。
モノトーンの冷蔵庫から昨日の夜に切っておいたサラダを取り出すと、ドレッシングはかけないで、粗挽き胡椒を軽く振りかける。野菜の味がよくわかるから、最近マイブームなのよね。
テーブルの上のバスケットからバターロールを一つ取って、朝ごはんの準備オッケー。
「いただきまーす」
と、食べようとしたところで、携帯に着信。前の学校にはうわべだけの友達ばっかりで、転校後も連絡くれるような子は一人もいなかったから、誰からの着信かはだいたいわかる。
画面を見たら案の定パパからのメールで、新しい学校でうまく行っているか、みたいな内容。
パパ、きっと仕事だって大変なのに、私のことを心配してくれてるんだ。
小さい頃からママがいないことを悩んだこともあったけど、こうやって思ってくれるパパがいてよかった。なんて、ちょっとほっこりしちゃう。
とりあえず何も問題は起きていないこと、仲良くなれそうな友達ができたことを短く文面にまとめて送信。そして朝ご飯を食べると、学生かばんをつかんで家を出た。オートロックだから戸締りは確認しなくていい。田舎のバスは乗り遅れちゃうとなかなか次が来ないことは昨日思い知らされたから、遅れないように急いでバス停に向かわなくちゃ。
バス停に着くと、知っている背中が見えた。
「タカヒロ君じゃない」
私はその背中に声をかける。
「伊妻さん!」
「今日は図書室じゃないのね」
「図書室の当番は学年ごとに持ち回りだよ」
タカヒロ君はにっこりと笑った。確かに毎日朝早くの通学は大変よね。って、三日に一回でも十分大変だとは思うけど。
「タカヒロ君もこの辺りに住んでるの?」
「うん。うちのクラスは南側に住んでる人が多いから、伊妻さんも北側でうれしいよ」
タカヒロ君の話を聞いて、私は昨日のぴあのさんとの会話を思い出す。私の家や駅がある側が学校から見たら北側、ぴあのさんの家がある港町が学校から見て南側よね。
「たしか北側の街は再開発されたんだったかしら」
「再開発って言っても僕が生まれたころだからずっと昔なんだけどね」
「ふーん、じゃあタカヒロ君はそれより後にこっちに越してきたの」
再開発前の何もないところに住んでたという可能性よりは、引っ越してきた可能性のほうが高いわよね。
「うん、ちょうど僕が生まれたころにね」
そう言ってタカヒロ君はなぜか悲しそうに目を伏せる。
何かあったのか聞こうと思ったけど、ちょうどバスが来てしまった。
空いている席は前のほうと後ろのほうに一つずつで、片方がわざわざ立っているのも不自然だから、私たちは話をやめなきゃいけなくなった。気になったけど、しょうがないわよね。
私は前のほうの空席、知らないおばさんの隣の通路側の席に腰かけた。その横を後ろのほうの空席に向かうタカヒロ君が通り過ぎる。
「——僕たちって似たもの同士かもね」
「えっ」
タカヒロ君がすれ違いざまに、何か言ったように聞こえて、私はそっちを振り返った。でも、タカヒロ君はもう座席に座って、カバンから文庫本を取り出していた。
——空耳かしら。
「まもなく発車します」
アナウンスと同時に、バスのドアが閉まる。
今日はどんな一日になるのかしら。そんなことを考えながら、私は隣のおばさん越しに、窓の外に目をやった。
現代モノの悪役令嬢の暮らしは絢爛豪華よりはクール&スタイリッシュが素敵だと思うのです……!