第四話 ショートケーキとシフォンケーキ、ですわ
さらにしばらく行くと、崖の高さがだんだん低くなって、代わりに遠くに船が見えてきた。
そして左側も、だんだん民家が減って、お店が増えてくる。
「丘目木は港を中心に発展した街だから、新しいお店は駅前だけど、昔ながらの商店街は港の近くにあるんだよ。面白いでしょ」
ぴあのさんが説明してくれた。私の家があるのは、ぴあのさんが言うところの『駅前』のほうね。
つまり、街の中で発展しているところが、駅前と港町の二か所あって、その間を私たちが歩いてきたバス通りが繋いでいるみたい。
「あ、あそこ! あそこが私のおうち!」
ぴあのさんが遠くにあるお店を指さした。思ったより小ぢんまりしたお店だけど、白い外壁にピンクの屋根でなかなかかわいらしいし、テラス席のテーブルや椅子も白で統一されていて、とってもおしゃれ! 飲食店は食べ物の味だけじゃなくて店構えでも評価されるものだけど、このお店なら有名なのも頷けるわ。
「素敵なお店ね」
お世辞じゃなくて私は言った。
「ありがと。ちょっと待って! 席が空いてるか確認してくる!」
ぴあのさんはダッシュでお店の中に駆け込んでいった。——さっきまで幽霊を怖がってたのに、本当にコロコロテンションが変わるわね。ちょっと面白いかも。
「空いてたー!」
「コラ! ぴあの! 店から大声で叫ぶんじゃありません!」
二つの大声が聞こえたから、私も走って『エリーゼ』に向かった。たぶん後から聞こえた声はぴあのさんのお母様ね。それにしても枇々木先生といいお母様といい、今日のぴあのさんは怒られてばっかり。いつもこんななのかしら……?
「いらっしゃい」
ぴあのさんのお母様は、ぴあのさんと瓜二つの顔で私に優しく微笑んだ。
「六花ちゃん、だったかしら。ぴあののクラスの転入生さんなのよね。ごめんなさいね、転入早々迷惑かけたでしょう」
おしゃべりが好きみたいで、ぺらぺらと矢継ぎ早に話しかけてくるぴあのさんのお母様。
「ええ、いえ、それほどでも……」
ぴあのさんをちょっとおせっかいだと思ったのは事実だけど、まさか本人とお母様を前にしてそれを口にするわけにもいかないので、私は言葉を濁す。
「本当にうちの子はそろいもそろっておせっかいで——」
「ちょっとお母さん!」
ぴあのさんが無理やりお母様の話を中断させた。
「お兄ちゃんは今関係ないでしょ!」
「お兄様がいるのね。私は一人っ子だから、ちょっとうらやましいわ」
話題に上ったお兄様のことが気になって、私は言った。
「えー、そんな羨ましがられるようなお兄ちゃんじゃないよ。変わってるし」
ぴあのさんの周りの人って、枇々木先生もケロちゃんもタカヒロ君も馬淵君も、かなり変わった子ぞろいだと思うのだけれど、その中で特別に変わってるって言われるお兄様って……どんな人なのかしら?
「ちょっと会ってみたいわね」
「会わないでいいよ!」
「ごめんなさいねぇ。お兄ちゃんは今日は実技試験の練習で遅くなるって言ってたから」
どうやら私をお兄様に会わせないようにしたいらしいぴあのさんと、ちょっと会わせたかったらしいお母様。
うーん、これ以上の詮索は野暮よね。私はお兄様の話題を切り上げて、注文するケーキを選ぶことにした。
「おまちどおさま。六花ちゃんは紅茶のシフォンケーキ、ぴあのはショートケーキだよ」
ぴあのさんのお父様が私たちがいる席に、ケーキを運んできた。
やっぱりぴあのさんはお母様似みたいで、お父様はあんまりぴあのさんに似ていない。お父様はふくよかな人で、シェフの格好をしているとなんだか、小さいころ好きだった子供向けアニメに出てきたあのおじさんを連想しちゃう。あのおじさんが作っているのはケーキじゃなくてパンだけどね。
「それから、はい。アップルジュース」
「あの、ドリンクは頼んでませんけど」
ジュースが入ったコップをテーブルの上に置くお父様に、私は言った。
「いいんだよ。ぴあのの新しいお友達だから今日はサービスで」
にこやかに言うお父様を見て、私は納得する。なるほど、ぴあのさんは顔がお母様似で、性格がお父様似ね。
「ありがとうございます」
私はジュースに口をつける。うーん、まずくはないけど、市販品の味だわ。さすがに夫婦二人だけでやっているお店で、ケーキも焼いてドリンクも手作りは難しそうだから、しょうがないのかしら。
お父様が厨房に引っ込むと、ぴあのさんが私に話しかけてきた。
「ねえねえ、六花ちゃんってシフォンケーキが好きなの? メニューでシフォンケーキ見つけるなり、即決だったじゃない」
「好きっていうのもあるけど、なかなか食べられないから」
「えーっ!? お嬢様なのに?」
ぴあのさんが驚く。
「ほかのケーキはお金を出せば買ってきておうちで食べられるけどね。シフォンケーキは時間がたつとしぼんじゃうでしょ。こればっかりはお金だけじゃどうしようもないから。だから、お店で食べるときはいつもシフォンケーキって決めてるのよ」
説明しながら、私は件のシフォンケーキを一口ぱくり。ふんわりとした食感と紅茶の風味、そしてしつこすぎない甘さが口の中に広がる。うん、ガイドブックに載っている店だけのことはあるじゃない。
「もちろん、家に専属のパティシエを雇えるレベルのお金持ちなら家で作ってもらえばいいんだろうけど、うちではさすがに厳しいわ」
「ふーん。あんまり食べられないのが食べたいんだ。私はショートケーキなら毎日食べても飽きないけどなー」
ぴあのさんがケーキの上に乗った大ぶりのイチゴをフォークでつき刺した。スイーツショップの娘だし、比喩じゃなくて本当に毎日食べてるんでしょうね。……それでも太らないなんて、羨ましいわ。
「そう言えば、六花ちゃんってショートケーキに似てるよね」
唐突にぴあのさんが言った。
「それ色だけ見て言ってるでしょ」
確かに髪の色はホイップクリームみたいだし、目の色もイチゴみたいだけれど、ちょっとたとえ方が強引じゃなくて?
「えー、かわいいと思うけどなぁ、ショートケーキ」
「ところで」
私は窓の外を見る。道路を挟んで向こう側、海沿いに寿司屋が一軒建っている。このお店とは対照的で、すすけた色の外壁に、昔ながらという漢字ののれんがかかった古風なお店――なのだけれど、お店の名前がズバリ『寿司の馬淵』。
「お向かいさんは馬淵君のおうちでいいのかしら」
「見ての通り……だよね。おやっさんはうちのパパやママと違って厳しいから、小さい頃は私もトシ君と一緒に怒られたりしたよ」
ぴあのさんが苦笑いする。
「おやっさん?」
「『トシ君のお父さん』って呼ぶと怒るんだよ。今時ねじり鉢巻きだしさ! まさに頑固おやじって感じ! 六花ちゃんも怒られないように気を付けてね!」
「ふーん」
今の時代にそんな人がいるのね……東京じゃ見かけたことがないけれど、やっぱり田舎だからかしら。怒られるのは御免だけど、見るだけならちょっと見てみたいわ。お店から出てこないかと、私は『寿司の馬淵』の入り口をじっと観察することにした。
ケーキを食べながらしばらく眺めていたけれども、客の出入りはあっても肝心の『おやっさん』らしき人はなかなか現れない。営業時間中に店長がそうそうお店から出たりしないだろうし、当たり前なんだけど、なんかがっかり。
なんて思っていると、窓の外をカラフルな髪色の不良集団が通り過ぎた。全く、ああいう人たちがいるから私の銀髪がとやかく言われるのよね。迷惑しちゃうわ。
「あれ……?」
その集団に一人だけ混ざる黒髪の子を見て、私は首をかしげた。
「ケロちゃん……?」
まさかね。私の銀髪をあんなに怖がってたケロちゃんが、あんなカラフル集団と一緒にいるわけないわ。
「どうしたの、六花ちゃん?」
「ごめん、疲れてるみたいだわ。これを食べ終わったら、早く帰って寝るわ。ごめんね」
私は少し急ぎ気味に、最後の一口をジュースで流し込んだ。
「転入初日だもんね。ごめんね、連れまわしちゃって」
「いいのよ、勝手に無理したのは私だし。もうちょっと落ち着いたらまた誘ってくれるかしら」
学生かばんを肩から掛け、私は席を立つ。
「ここから出て左にちょっと行ったところに郵便局があって、その前がバス停だよ。そこから乗れば学校の前を通ってるのと同じ路線だから」
「ありがとう。それじゃあ、また明日。——ごちそうさまでした」
私はぴあのさんとお父様に手を振って、『エリーゼ』を後にした。
左に目を向けると、すぐに郵便局のマークと、その前に停まっているバスが目に入った。急げば何とか乗れそう。
そう思って走り出したところで、路地裏から出てきた誰かにぶつかった。
「うわっ」
「きゃっ! ちょっと!」
私は怒って飛び出してきた相手を睨みつける。
「——あれ?」
私は目を丸くした。ぶつかった相手は、なんと馬淵君だったの!
「あっ、お前は転入生の!」
「なんてところから出てくるのよ! 危ないじゃない!」
「うるせーな、俺がどこから出てこようが俺の勝手だろ! チッ」
馬淵君は私を睨み返すと、舌打ちして走り去ってしまう。——なんなのよ! 感じ悪い!
ブロロロロロロ……怒る私の横を低いエンジン音が通り過ぎて行った。
……あ、バス。行っちゃったわ……。
あーあ、ついてない!