第三話 不良の黒騎士と菊の花束、ですわ
二年A 組の教室の前に行くと、枇々木先生が廊下で待っていた。
「コラ! 南!」
私たちを見つけると同時に、枇々木先生はぴあのさんに向かって一喝。
「お前が本鈴ギリギリなのはいつものことだが、今日は転入生の伊妻もいるだろう。もっと時間に余裕をもって——」
「ごめんなさーい!」
怒られたぴあのさんはぺろりと舌を出す。朝から二回も怒られてて、ちっとも反省してないわね……。
「とりあえず、高尾は席に戻りなさい。ホームルームで紹介するから、伊妻は廊下で待機だ。ずっと立たせておくのも悪いから、南は空き教室から椅子を持ってくるように」
枇々木先生はきびきびと指示を出す。
「えーっ!」
ぴあのさん……全然納得していないみたい。
「『えーっ』じゃない! 伊妻を振り回した罰だ」
「先生、私別に椅子なんて」
私は断りを入れた。特別扱いが嫌っていうほど人間出来てはいないけれど、誰かに迷惑がかかるとなったら話が別よ。
「伊妻本人がそう言うなら。では、南も席に戻ってよし」
「やったー! 伊妻さん、ありがとう!」
ありがとう、って。特別なことは何もしてないんだけど。
「じゃ、また後でね」
南さんとタカヒロ君が教室に入った。しばらくしてから本鈴が鳴る。ぴったりそのタイミングで今度は枇々木先生がドアを開けた。——もしかして枇々木先生、毎日このタイミングで教室に入るためにドア前で待機してるのかしら? もしそうならとんでもなく真面目よね……。
「全員静かに。——なんだ、馬淵はまた遅刻か」
枇々木先生の声が教室の中から聞こえてくる。
「前から言っていたように、今日は転入生を紹介する。——伊妻」
枇々木先生に呼ばれて、私は教卓の横まで進み出た。どよめきとともに、私の髪に注がれる視線。ううん、やっぱり目立つわよね……。でも、いちいち気にしていられないわ。私はどよめきが収まるのを待たず、少し大きく黒板に名前を書いた。
「——伊妻六花と申しますわ。よろしくお願いします」
私はぺこりと頭を下げる。
「見ての通り伊妻は生まれつき色素が薄い。だがくれぐれも仲間外れなどしないように」
生まれつきという言葉を聞いて、少し声が上がった後で静かになる。これ以上いろいろ言うと先生が言っていた『仲間外れ』をする気だって思われるとでも考えたのかしら。
「すまないな」
枇々木先生はそんな空気を察して、私に小さく耳打ちをした。
「じゃあ、伊妻の席は馬淵の隣——って、その肝心の馬淵が遅刻か。一番後ろの空席が二つ並んでいるところがあるだろう。その向かって左側だ。わからないことがあれば、馬淵が登校するまでは前の高尾に聞くように」
「はい」
私は先生に指示された席に移動する。左隣は遅刻しているらしい馬淵君の席で、そこを挟んで反対側がぴあのさんだ。こっちに向かって手を振るぴあのさんに、私も軽く手を振り返す。前の席のタカヒロ君は、こっちをちょっと振り向いて会釈してくれた。
せっかくだからとケロちゃんの席を探すと、どうやら私と同じ列の一番前みたい。遠いって程じゃないんだけど、ほかの二人がすごく近くの席だったから、やっぱりちょっと離れているように感じるわ。
「——さて、じゃあ転入生の紹介も終わったところで、現代国語の授業を始める。今日は教科書の三十五ページの四字熟語からだったな」
枇々木先生が教卓の引き出しから教科書を取り出す。私も真新しい教科書を開いた。この範囲なら前の学校で習ったところだから、大丈夫そうだ。
「まずは三行目。『百戦錬磨』の意味を、南!」
「ええっ!? 私ですか?」
どうやら南さん、予習してなかったみたい。
「えーと、すみません。わかりません」
顔を真っ赤にする南さんを見て、枇々木先生がクスリと笑うのがちょっと見えた。さっき椅子を運ばせられなかったから、代わりの罰ってことなのかしら。うーん、ちょっと性格悪いとは思うけど、予習してなかった南さんもどうかと思うし、どっちもどっちよね。
「じゃあ、ほかにこの問題がわかるやつは——」
ガラッ。突然教室の後ろのドアが開いた。誰が入ってきたのかだいたい予想はついたけれども、私はそちらを振り向く。
「馬淵、始業時間はとっくに過ぎてるぞ」
枇々木先生がため息交じりに言った。
部屋に入ってきたのは、背が高くて筋肉質な男子。着崩した制服に威圧的な態度、見るからに不良、って感じね……。
「——んあ? なんか見慣れないやつがいるな」
私を睨みつけて威圧してくる、馬淵君とかいう不良。あんまりそういうのに耐性のない女子と思ってのことだろうけど、私だって元魔王。負けなくてよ。
その目の色は光と闇の中間を示すようなグレー。ここまで来ればもう前世の知り合いが数人増えたぐらいで驚きはしない。前世で私を裏切って勇者側についた、黒騎士デュラハン。まさか来世でまで喧嘩売ってこようなんてね。
「ちょっと、トシ君!」
突然ぴあのさんが立ち上がって、私と馬淵君の間に立ちふさがる。
「六花ちゃんをいじめないでよ!」
「バカ、いじめてねーだろうが! っつかいい加減トシ君って呼ぶのやめろって!」
「六花ちゃんごめんね。こいつは私の幼馴染で、馬淵俊樹。昔は女の子みたいだったのに最近グレちゃってさ!」
「おい、ぴあの! 何余計なこと……!」
「南! 馬淵!」
授業そっちのけでけんかを始める二人に、枇々木先生の雷が落ちる。
「ちゃんと授業を聞けー!!」
……あーあ。
そんなこんなで、馬淵君にイライラしたり、ぴあのさんと雑談したりしてたら、あっという間に放課後。
「ねえ、六花ちゃんはこの後すぐ帰るの?」
ぴあのさんが私に訊いてきた。
「うーん、せっかくだからこの辺りを少し歩いてから帰ろうかしら」
私は答える。家の周りは引っ越しが住んですぐにだいぶ見て回ったけど、まだ学校の周りは知らないところばっかりなのよ。何があるのかちょっと歩いてみたいわ。
「それなら私のうちでお茶していかない?」
「ぴあのさんのおうち?」
「私のうち、『エリーゼ』っていうスイーツショップなんだ!」
「『エリーゼ』……」
引っ越してくる前にちらっと読んだこの町の観光案内に、そんな名前の洋菓子店が書いてあったのを思い出す。観光案内に載ってるということは、結構有名なお店のはずだ。
「パパもママも新しいお友達が来たら喜んでくれると思うんだ。ね、いいでしょ?」
こんな風に言われちゃうと、断りづらいわね。
「いいわ、行きましょう」
どちらにせよ行先も決まっていなかったし、案内してくれる人がいるんだったら心強いわ。お言葉に甘えましょう。
「やったぁ! 最近トシ君が一緒に帰ってくれないから、一人で帰るのちょっと怖かったんだよねー」
「一人で帰るのが怖いって、子供じゃないんだから……」
なんて、私は顔をひきつらせた。
校門を出て、私の家と逆方向にしばらく大通りを進む。
左手に民家や小さなお店、右手に雑木林を見ながら、ゆるくカーブした道をガードレールに沿ってしばらく歩いていると、急に雑木林が途切れて、目の前に大きな青色が広がった。
「——海!」
雑木林の代わりに始まったフェンス、それを挟んで反対側が海になっていた。フェンスの向こう側は崖になっていて、その分砂浜や岩場の色が目に入らなくて、青一色が目にまぶしい。地図で学校から海が違いことは知ってたけど、歩いて行ける距離だったのね!
「すごい……キレイ……」
もちろん海外とかでもっとキレイな海を見たことはあったけれど、毎日だって見にこれる距離に海があるなんて、ちょっと感動しちゃう。私が住んでいたのは東京でも山手線の左側で、さすがに毎日海には行けなかったもの。
「キレイだよね。私も海の景色って大好き!」
まるで自分が褒められたみたいにぴあのさんが喜ぶ。
「夏になったら海水浴とかもできるのかしら」
私はぴあのさんに訊いた。
「うーん、この辺りは見ての通り崖だし、そこからしばらく行くと漁港だから、隣町までバスに乗らなきゃ無理かなぁ」
「そう……でも、バスで隣町ならそんなに遠くもないか」
なんて話していると、突然、無残に引きちぎられたガードレールが目に飛び込んできた。綺麗な海の風景とあまりにもアンバランスで、私は息をのんだ。
よく見るとフェンスにも大きな穴が開いていて、針金でぐちゃぐちゃに修復してある。そして足元にぽつんと置かれた菊の花束。ここで何があったか一目でわかる。
「——ぴあのさん、これ」
「私が生まれるより前の事故らしいんだけどさ。この町ってあんまりお金がないからまだ直してないんだよね」
「そう……」
どこの誰だか知らないけれど、ここで亡くなった人のことを思って、私はちょっぴり切なくなっちゃった。
でも、ぴあのさんが感じたのはどうやら違った気持ちらしくて。
「ねえ、早く行こうよ」
って、青ざめた顔で私の背中を押した。
「ちょっと、どうしたの、ぴあのさん」
「だってさ、ここ、死んだ子の幽霊が出るんだよ!」
「幽霊……って」
思わず私は苦笑いした。幽霊の話を信じるなんて、子供じゃないんだから。
「ホントだよ! パパもママも若いころに見たって言ってたもん!」
真剣な顔でぴあのさんが言う。からかわれてるんじゃないの、と、思ったけども。考えてみれば私みたいな転生者がいるんだから、幽霊だっていても不思議じゃないのかしら……? あれ、私に前世の生きてた頃の記憶はあるけど、幽霊だった記憶はないから、むしろ逆に幽霊はいない……? うーん、わからないわ。
「はいはい、わかったわ。だから押さないで」
私はあいまいに流した。なるほど、一人で帰りたくなかった理由は幽霊が出るところを一人で通りたくなかったのね。
それにしても。ぴあのさんって誰に対しても愛想ふりまくしおせっかいだし、勉強面はともかく『いい子ちゃん』の見本みたいだと思ってたけど。幽霊が怖いなんて意外と抜けてるところもあるのね。
わかる人にはわかるステマ。