第二話 図書館の大賢者、ですわ
丘目木高校の校舎は北から順に教室棟、部室棟、特殊教室棟になっていて、それぞれが二階西側の渡り廊下でつながっている。地図で見るとちょうど「E」の字みたいね。教室棟と特殊教室棟は渡り廊下との角、部室棟は廊下の奥に階段があるみたい。
それで、図書室は特殊教室棟の最上階、四階をワンフロアぶち抜きで使っているんだけど。要するに。
「ちょっと! 案内するっていうからついてきたけど、さっきの昇降口から一番遠い教室じゃないの!」
さすがに息切れしながら、私はぴあのさんに苦言を呈した。
「あ、そっかごめん!」
ぴあのさんは口では謝っているけど、反省の色が見えない。
「ごめんじゃなくて! ここからまた教室棟に戻るんでしょう? 始業に間に合わなかったらどうするつもりよ!」
「大丈夫大丈夫。だってまだ」
ガラッ。図書室のドアが開いて、私はびっくりした。こんな時間にまだ図書室にいる人がいたのね。
「あ、タカヒロ君!」
ドアから出てきた男の子にぴあのさんが声をかける。ええと、知り合いみたいだし、上履きのゴムの色からして同学年よね。彼も同じクラスかしら。私は彼のほうを見た。
「おはよう、今日は遅かったね」
男の子としてはちょっと小柄で、真ん丸眼鏡をかけている。目もくりくりして真ん丸だし、髪型もショートとマッシュルームカットの中間ぐらいの丸みを帯びた感じ。とにかくなんというか全体的に丸って感じなの。あ、体系は丸くないわよ。
「ぴあのさんの親戚かしら?」
私はぴあのさんに訊いた。
「ええっ⁉ 違うよぉ。顔とか似てるかな?」
「あら、だって下の名前で呼んでたから」
「下の名前?」
ぴあのさんは一瞬考え込んで。
「ああ! 違う違う。タカヒロ君はタカヒロ君って名前じゃないよ。高尾博くんで、あだ名がタカヒロ君!」
「ふーん」
なるほど。苗字と名前の初めの半分をくっつけてタカヒロ君ね。ずいぶんとオジサンくさいネーミングセンスだわ……。
でも正直ちょっとほっとしたわ。親戚かなんて訊いたけど、別の下の名前で呼び合う関係を想像してたから。そんなんだったら、私だって恋人なんていたことなんてないのに、ちょっと嫉妬しちゃうもの。
「えーと、ところで君は?」
タカヒロ君は私のほうを見て首をかしげた。いけない。自己紹介がまだだったわね。
「はじめまして。転入生の伊妻六花よ。よろしくね」
「よろしく、伊妻さん。その髪の毛、地毛なんでしょ。綺麗だね!」
タカヒロ君にいきなり見抜かれ、私はびっくりした。
「!? どうしてわかったの?」
アルメギドならいざ知らず、いきなり私の銀髪が地毛だって言い当てられたのは、この世界ではこれが初めてだったから。
「六花、って名前。雪の結晶って意味でしょ。きっと雪みたいな髪の毛を持って生まれたからご両親がそう名付けたんだよね」
「……正解よ。よくそんなこと知ってるわね」
すらすらと答えるタカヒロ君に、私は感嘆のため息を漏らした。六花なんて言葉、普通の高校生は知らないと思ってたけど。
「ふふふ、タカヒロ君は丘目木高校が誇る地引網なんだよ!」
「生き字引、ね」
自慢げに言うぴあのさんに、タカヒロ君が訂正のツッコミを入れた。その様子が何かと重なって、また私の前世の記憶が蘇る。
まさか、始まりの町エデンで勇者を保護していた、賢者メルキセデク!?
「ん? どうしたの伊妻さん。急に固まっちゃって」
私を見つめ返してくる瞳は、やっぱり賢者と同じ深緑色。前世ではいちいち殺した相手の顔なんて覚えてられなかったけど、彼との魔法戦は長丁場だったから別。
自分が殺した相手の転生者となると、気まずいわね。向こうは覚えていないみたいだし気にすることもないかしら……?
「あ、そうだ、南さん。はい、予約していた本」
タカヒロ君がぴあのさんに本を手渡す。なるほど。タカヒロ君は図書委員なのね。
「わあ、ありがとう!」
「それより二人とも、そろそろ教室に戻らないと遅刻するよ」
「あ、はーい」
ぴあのさんはくるっとUターンして、教室に向かって歩き始める。
なるほどね。図書委員のタカヒロ君はいつぐらいに教室に戻ればいいか知ってるから、タカヒロ君とすれ違わないうちはまだ間に合う、ってことだったのね。ぴあのさんはいつもそうやってるのかしら。
「ところでその本、何の本?」
教室への道すがら、私はぴあのさんに訊いた。失礼だけど読書が趣味には見えないから、きっと本を読むこと自体より、内容のほうに興味があるんだと思って。
「宝石図鑑だよー」
ぴあのさんは軽く返すけれども、その手に握られた本はずいぶん分厚くて、なんとなくとっかかりとして借りるような本には思えない。きっと、宝石のことをすごくいろいろ調べているんじゃないかしら。
「ずいぶんと宝石が好きなのね」
「そういうわけじゃないんだけど……」
ぴあのさんはあいまいに言葉を濁す。無意味に隠し事をするタイプには見えないけれど、なにか特殊な事情があるみたいね。まあ、深くは詮索しないわ。
「宝石に興味があるんだったら、私のコレクションでよければいつでも見せてあげるわよ」
私は提案する。
「コレクション!? 高校生なのに宝石のコレクション持ってるの⁉」
ぴあのさんは驚いて聞き返した。何よ、そんなに驚くことかしら……?
「自分で集めてるわけじゃないんだけど、中学生ぐらいになるとパパの会社の人とかからたくさんプレゼントされるから、溜まっちゃって」
「パパの会社?」
「私のパパ、伊妻金融って会社の社長なのよ。知らなかった?」
枇々木先生が知ってたからてっきりもう知れ渡ってるんだと思ってたけど。
「ええっ!? 六花ちゃん、社長令嬢なの!?」
ぴあのさんがあまりに驚くから、こっちまでびっくりしてしまった。
今までの知り合いってだいたいパパのことを知ってて寄ってきた人ばっかりだったから、こういう反応って本当に新鮮ね。前世だったら驚かれると同時に逃げられてるし。
「あれ?」
タカヒロ君が首をかしげる。どうやら私たちの話を聞いていて何かに気付いたみたいね。
「伊妻金融って確か本社は東京だったと思うけど、どうして伊妻さんはこの高校に? それにうちは公立だし……」
——ああ、やっぱりその話、かぁ。勘のいいタカヒロ君なら気づいてしまうわよね。
「ご、ごめん。何か聞いちゃいけないことだった?」
黙りこくる私を見て、タカヒロ君が謝る。
「いいのよ。パパの会社が最近うまく行ってないことぐらい、家に帰ってくるパパの顔を見ればわかるもの。急に私だけ引っ越すことになったのも、きっと私をごたごたに巻き込みたくなかったんでしょうね」
私は小さくため息をついた。
こんな時、本当に前世の記憶があってよかったと思うわ。ただの高校生だったら、そんなこと知らないで社長令嬢の立場を笠に着て偉ぶっていて、いざ事業が大失敗なんてことになって大慌てしてたでしょうね。
でも私は大丈夫。前世で勇者に倒されて、慢心の恐ろしさを知ったから。高校生の身でパパの事業に対して出来ることはほとんどないけれど。でも、せめてパパの会社がなくても生きていけるくらいにはならなくちゃ。
「なんか、しんみりしちゃった……ね」
と、ぴあのさんが言ったと同時に、予鈴が響いた。
「しんみりしてる場合じゃないか!」
ちょうど渡り廊下についたので、私たちはダッシュした。
没落フラグが立ちました(笑)