第十七話 馬淵君の過去、ですわ
「あー、やっと終わったー」
ぴあのさんが伸びをする。
学活のあとそのまま帰りの会に移行したから、一時間半も同じ姿勢で座りっぱなしだったものね。一日の終わりにこれはきついわ。
「私もさすがに疲れたわ」
軽くストレッチをしたあと、机の中の荷物をカバンにしまう。
「ねえ、今日これから私のうちでケーキ食べない?」
ぴあのさんが私を誘う。そうよね、疲れた時は甘いものが一番だわ。
「いいわよ。ケロちゃんも誘っていいかしら?」
私は答える。ケロちゃんとはあの事件のあと、しばらく一緒に帰ってたの。逆恨みした不良がまた襲ってきたりしたら、一人より二人のほうが安全だからね。
そろそろその心配もなさそうだけど、それでもお互い特に用事がないときは一緒なの。家が近いからね。
……たまにくっつかれちゃって困るんだけどね。
「ケロちゃーん。このあとぴあのさんのうちで一緒にケーキ食べないかしら」
私は教室の前からこっちに歩いてきたケロちゃんに声をかけた。
「お姉さまとケーキですか⁉ もちろん行きますっ」
ぴょんっと飛び跳ねて私に抱き着いてくるケロちゃん。肩にかけた学生かばんが揺れる。
あのあと痛バッグはさすがに枇々木先生に怒られて、『缶バッジ五個とぬいぐるみストラップ二個まで』ってことになった。ケロちゃんはちゃんとそれを守ってるんだけど、ぬいぐるみストラップがどう見ても魔王ルシファーと獣将ケルベロスで、なんだか恥ずかしいわ。
「ぴあのさんも一緒よ? いいの?」
「もちろんです。お姉さまと二人っきりだったらそれはそれで楽しいと思いますけど、お友達と一緒にお食事って、あんまりしたことがなくて。とても楽しみです!」
「よかったー、私邪魔なんじゃないかと思ってた!」
仲良し女の子トリオでケーキ食べに行くなんて、なんだか普通の女の子みたい。
前の学校でも友達と食事しに行ったことはあるけれど、やっぱり内心ドロドロしてたものね。社長令嬢もつらいわ。
だから、ぴあのさんやケロちゃんみたいな、肩書を意識しないで付き合える友達って貴重かも。
「じゃあ、早く帰ろうか。私おなかすいたー」
「そうね。私も早く食べたいわ――あら?」
教室を出たところで、廊下で話し込んでいる枇々木先生と棗先生が見えた。
さっきの授業についての事務的な話かと思ったけれど、それにしてはやたら楽しそう。
「あの二人って仲いいのかしら?」
私は訊いた。
「前に訊いてみたことあるけど、同学年で幼馴染なんだって。二人そろって『腐れ縁』って言ってたよ」
ぴあのさん、あの二人に訊いてみたの……? それは、なんというか、勇気があるわね……。
「って、あの二人同い年⁉」
「びっくりだよね!」
「ええと、枇々木先生が老けてるのかしら、棗先生が若いのかしら……?」
「去年二人とも三十二歳って言ってたから、今年で三十三歳じゃないかな?」
なるほど、二人の外見年齢のちょうど真ん中ぐらいの歳だわ。枇々木先生が老けてるのと、棗先生が若いのと、両方みたいね。
「で、その『腐れ縁』って、付き合ってるとか?」
「それはないですよ、だって棗先生去年結婚して苗字変わりましたから」
今度はケロちゃんが答えた。あの美人先生が去年結婚……何人の男子生徒が泣いたことかしら。ちょっと見たかったわ。
「だからお姉さま、セーフです」
「……何が⁉」
前世からの付き合いなのに、たまにケロちゃんがわからないわ。
でも、幼馴染ってことは、棗先生は枇々木先生の過去をよく知ってるってことよね。先生が勇者ツルギなのかどうかもわかるかも。訊いてみようかしら。
『枇々木先生って昔異世界に行っていたことがありませんか?』――うーん、さすがにこの質問は頭がおかしい子よね。ちゃんと考えないと。
そんなことを考えながらしばらく歩いていくと、昇降口のところで体操服姿の馬淵君を見つけた。
「あ、トシ君」
「ぴあのに六花にケロ。どうしたんだよ、大勢連れ立って」
馬淵君はこっちを見て驚く。ケロちゃんのことをずっと蛙ヶ口って呼んでた馬淵君だけれど、最近は慣れてきたのか、単に私とぴあのさんのがうつったのか、ケロって呼ぶようになった。
「今日は私たち女の子三人で帰るから」
「そうか、よかったな」
なんて話している馬淵君とぴあのさんだけど……馬淵君はなんで体操服なんて着ているのかしら。
「馬淵君、その恰好」
「ぴあのから聞いてなかったか? この後サッカー部の練習の手伝いなんだよ」
「サッカー部の?」
なんで帰宅部の馬淵君がサッカー部の手伝いなんてやってるの?
「あー……六花は知らなかったか。俺な、サッカーやってたんだよ。中学一年まででやめちまったけどな」
馬淵君がもとサッカー部⁉
確かに背が高くてがっちりしてて、帰宅部にしては体格がいいなぁとは思っていたから、納得は行くけれど。
でも、それならなんでやめちゃったりしたのかしら……?
「ええっ⁉ じゃあ馬淵君ってあの『丘目木の天才ストライカー』だったんですか⁉」
『エリーゼ』に向かう道すがら、ケロちゃんが驚きの声を上げた。
「ケロちゃん、知ってるの?」
「小学生の頃の友達で、サッカーやってた子がよく言ってました」
と、ケロちゃん。
前に聞いた話だと、ケロちゃんは小学生ぐらいまでは男の子の友達が多かったんですって。
女の子の門下生も受け付けてるとはいえ、空手道場に来る子はやっぱり男の子のほうが多いし、その上当時から腐女子だったケロちゃんの好きな番組は男児向けアニメが多かったから、周りに集まる子は男の子ばっかりだったみたい。
それで、中学生ぐらいになって気恥ずかしさから男の子が女の子と遊ばなくなって、そこから先はぼっち一直線――って、ケロちゃんが言ってたけれど、それってケロちゃんを腐女子にしてしまった魔王ルシファーにも責任の一端があるわよね? なんだか申し訳ないことをしたわ。
「『天才ストライカー』……小学校四年ぐらいの頃のトシ君かなぁ。中学一年の時もすごかったけど」
「小学校五、六年の時はスランプか何かだったのかしら?」
間二年間が抜けてることに気づいて、私は訊いた。
「ううん、そういうわけじゃなくて。うーん、説明するのはちょっと難しいんだけどさ」
そう言って、ぴあのさんは何度か何かを言いかけてやめるのを繰り返す。
直接見たことはなかったけど、この『間』は前にも経験したことがあったな、と私は思い出す。
LINEで私に『馬淵君のことが好き』って私に教えてくれた時の、あの間だわ。
だからきっと、これは馬淵君のことを思って、何をどう言っていいかわからなくなってる時の、そんな間。
私が前世のことを思い出してぼーっとしてる時を、これと一緒だと誤解して『恋してる?』なんて訊いてきたのね。よかった、馬淵君への思いはばれてないみたい。
――なんだかちょっぴり妬けちゃうかも。でも見てなさい、私も負けてないんだから!
なんて、ひそかに闘志を燃やしていると、エリーゼのピンク色の屋根が見えてきた。
「あら? あの人ってバイトさん?」
テラス席の花壇に水をやっている男の人がいたから、私はぴあのさんに訊いた。
『エリーゼ』の制服なのかしら、この間会った時のぴあのさんのお母さまと同じエプロンをつけた彼は金髪で、髪の長さはちょっと長め。背の高さは平均ぐらいだと思うけど、手足が長いから遠目だと外国人にも見える。
そんな彼が初夏の日差しがまばゆい中で、喫茶店のテラスで花壇の水やり。――なんだか高級な絵画みたい。今のこの光景を写真に撮って額縁に入れたら、実家の応接間に置いても遜色ないんじゃないかしら。
「――ぴあのさん?」
返事がないから、私は不審に思ってぴあのさんのほうを見る。
と、ぴあのさんは漫画みたいに頭を抱えていた。
「どうしたの⁉」
「忘れてたぁ……今日は馬淵君が一緒に帰れないって言うから、幽霊ガードレールを一人で通りたくなくて二人を誘っちゃったけど……そうだ、今日はいる日だったぁ……」
「ぴあのさん?」
「どうしました?」
私とケロちゃんは、一緒になってぴあのさんに呼びかけた。
「うん、ごめん。あの人ね……私のお兄ちゃん」
やっぱり新キャラを出すのは楽しいなぁ。