第十四話 警察署からの帰り道、ですわ
警察署を一歩出ると、すっかり日が落ちて真っ暗になっていることに気が付いた。
東京では見たことがないくらいの星が光っていて、思わず空を見上げちゃう。
「ここからだと近い順に蛙ヶ口、伊妻、南、馬淵か……その順で帰るが、いいな?」
枇々木先生がカバンからスマートフォンを取り出して、画面を見ながら言った。下からそっと画面を覗き見ると、地図アプリに四つの目印が見えるわ。多分私たちの住所を表示しているのね。
「先生スマホ持ってたんだー」
「登校と同時に電源を切って職員室のロッカーにしまっているから、学校では使わないがな」
ぴあのさんに枇々木先生が返す。
「さあ、雑談していてさらに遅くなってはまずい。早く帰るぞ」
「女子はともかく、俺は一人でも帰れるし……」
先生が歩き出す。馬淵君はまだぶつくさ言っていたけど、これぐらいは我慢すればいいのに、ね。
それからしばらく、私たちはなんとなく気まずくて無言で歩いていたんだけど、交差点の信号待ちでふと、枇々木先生が口を開いた。
「なあ蛙ヶ口」
「へ?」
ケロちゃんは驚いて顔を上げる。枇々木先生はしばらく悩むそぶりを見せたあと。
「その……私はそんなに信頼がおけないか」
と、訊いた。
「先生、どうしたの急に⁉ らしくないよ⁉」
「ぴあのさん、ちょっと黙ってなさいよ」
枇々木先生は枇々木先生なりにきっと真剣なのよ。茶々入れないの。
「え、えーと」
うろたえるケロちゃんを見て、枇々木先生は一瞬悲しそうな表情を見せた。
「いや、わかっている。幼い頃から誰にも負けないようにと自分を高める努力ばかりしてきたせいで、どうも自分に協調性とやらが欠けていることは自覚している」
「あ、自覚あったんだ」
「ぴあのさん、しーっしーっ!」
今のはさすがに聞かれていたら失礼じゃなくて?
「いえ、あの……私こそすみません。先生が悪い人じゃないってことはわかるんですけど――なんとなく先生を見ていると、ずっと昔の嫌なことを思い出しそうで……うまく言えなくてすみません」
ケロちゃんがぼそぼそもごもごと言った内容は、多分ほかのみんなにはちゃんと聞こえてなかったでしょうけど、私は聞き漏らさなかったわ。
ずっと昔の嫌なことって、前世で勇者ツルギに殺されたことじゃないかしら。きっと先生が勇者ツルギに似てるから引っかかっているのよね。
今まで前世の記憶は完全に覚えているか・全く覚えていないかの二択だと思っていたけれども、ぼんやりと覚えているっていうこともあるみたい。馬淵君とタカヒロ君に関してはどうなのかしら?
前世で二人を殺したのは私だから、あんまり覚えていてほしくはないけれど……。
「――とにかく、だ。もうこんなことはないと思いたいが、もし万が一また何か困ったことがあったら、大事になる前に私に相談してくれ」
枇々木先生が言う。
「私は完全無欠のヒーローではないから、全て何事もなかったかのように解決はできないかもしれない。だが、子供だけでなんとかするよりは幾分ましだろう」
私は枇々木先生の言う『完全無欠のヒーロー』が、なんだか勇者ツルギのことを言っているように感じた。
でも、ただ似てるだけの枇々木先生が勇者ツルギのことなんか知るわけないわよね? きっと私の勘違いだわ。
信号が青に変わって、私たちは道路を渡り始める。
「ねえ、ケロちゃん。枇々木先生に限らず、ケロちゃんはもっと周りに自分を見せてもいいんじゃないかしら」
横断歩道の中頃で、私はケロちゃんに話しかける。
「え? ……自分を、ですか?」
「ケロちゃんの秘密っていうのがなんだか知らないけど、悪いことをしてるわけじゃないのよね? だったら秘密になんてしないで堂々としてればいいんじゃないかしら。かえってそうしたほうがゆすられたりとかの心配はなくなると思うわよ」
「でもそれでもし何か言われたら……」
「そういう人には、正面から正々堂々とぶつかればいいのよ! 逃げ回ってばっかりいないでさ。ね、そうでしょ、枇々木先生!」
「おい伊妻⁉」
ケロちゃんの反応まで計算に入れて、ちょっと枇々木先生に意地悪しちゃった。
「なになに何の話? 六花ちゃん私も混ぜて」
なんてぴあのさんは食いついてくるけど。
「ぴあのさんには秘密」
ことの発端が馬淵君についての恋愛相談だから、やっぱり言えないわよね。
「ずるーい! 六花ちゃんが秘密なんてダメって言ったばっかりなのにー」
「ダメとまでは言ってないわよ……」
「女子同士で盛り上がってるところ悪いけど、蛙ヶ口の家、あそこじゃねーか?」
馬淵君が指さした先に、いかにも道場って感じの大きな和風家屋が見えた。
大通りからは少し入ったところにあって、前を通ったことはなかったけれど、けっこう私のマンションから近かったのね。
「では、私は失礼しますね。みなさん、今日は本当にありがとうございました!」
ケロちゃんが私たちに手を振る。次の目的地は私の家ね。やれやれ、やっと帰れるわ。
――ふと背後から視線を感じて振り返ると、ケロちゃんが道場の入り口からやたら熱い視線を私に注いでいた……気がした。
ケロちゃんの家から私の家まではすぐ近くで、歩いて五分もかからない。ぴあのさんとたわいもないことをしゃべっている間に、あっという間についちゃった。
「伊妻は一人暮らしだったな。念のため部屋の入り口まで送っていこう」
「ありがとうございます」
かなりセキュリティが厳重だから、誰かが待ち伏せしているなんてことは絶対にないでしょうけど、頑固な枇々木先生相手に断るのもめんどくさそうだし、お言葉に甘えておいた。
――そう、私はこの時、疲れで大事なことを忘れていたのよ。
エレベーターが止まって、突き当りに私の部屋があるだけの廊下を進む。そしてドアを開けると。
「きゅー!」
私の顔面めがけて、勢いよくポチがタックルしてきた。
「なにこの子かわいい! 六花ちゃんのペット?」
ぴあのさんがポチを撫で始める。ちょっと、せめて私の顔から引きはがしてからにしてくれないかしら。窒息しそうなのだけれど?
それからしばらく、ポチは馬淵君の周りを喜んで飛び回ってたり、ぴあのさんからポチについて質問攻めにあったり大変だった。
枇々木先生がもう遅いからと引き離してくれなかったらいつまで続いたかしら。
「あーあ……」
みんなが帰ったあと、私はベッドにゴロンと横になる。
今からお夕飯を作る気力はないわね。こういう時に気軽に出前を取れるお金があるから、社長令嬢に生まれてよかったわ。いつまでもパパの財力に甘えてちゃダメとはわかってるんだけど、今日だけは特別よ、特別。
「ケロちゃんが無事だったのはよかったけれど、最後の最後でうっかりしてたなぁ……」
私は出前のチラシを引っ張り出してつぶやく。ポチも食べることを考えたらピザは体に悪いわよね。お寿司はさび抜きならいいかしら。
――それにしても、せっかくポチのことは馬淵君と二人だけの秘密だったのに、よりによってライバルのぴあのさんにばらしちゃうなんて。
せっかくケロちゃんを助けたのに、馬淵君との距離が遠のいてしまった気がして。
もちろん馬淵君と仲良くなるために助けたんじゃないんだけれど。
そんな考えが堂々巡りして、私はお寿司が届くまでの間、しばらくベッドでじたばたしていた。
がんばっても、いいこと言っても、微妙に報われない。それが悪役令嬢クオリティ。頑張れ六花。