第十話 恋のもやもや、ですわ
「おはよー。——あれ、どうしたの、六花ちゃん。目の下にクマができてない?」
(半分くらいはあなたのせいよ!)
翌朝、能天気に訪ねてきたぴあのさんに、私は頭の中で逆ギレした。表には出さないわよ。
前世の魔王ルシファーなら利害が一致しない相手は問答無用で叩き潰していたでしょうけど、勇者に負けて気付いたの。我だけを通して、仲間がいなくなることが一番苦しいって。
もちろん、自分に対してむき出しの悪意を向けてくる相手に対してまでヘコヘコするほどお人よしじゃないわよ。けれども、今回はたまたま好きな人が同じだっただけで、ぴあのさんに落ち度はないものね。
ううん、どころかきっと、ぴあのさんはずっとずっと馬淵君のことが好きだったのかもしれないわ。幼馴染だものね。
ぴあのさんの気持ちにも気づかないで、後から来て好きになっちゃった私のほうがきっと悪役だわ。
あーあ。前世も悪役だし、生まれ変わっても結局悪役なのね。因果だわ。
「どうしたの? 難しい顔して。やっぱり寝不足?」
「え、ええ。少しね」
私はお茶を濁す。言えるわけないじゃない、私も馬淵君のことが好きで、あなたに勝手に嫉妬して眠れなかったなんて……。
「そっか。六花ちゃんって引っ越してきたばっかりだもんね。まだ慣れてないから眠れない時もあるよね。それなのにいつも連れまわしてごめん。何かあったらいつでも相談に乗るよ!」
人の気も知らないで無邪気に励ますぴあのさんは、絵に描いたようないい子だわ。ずきり、と、私の胸の奥が痛くなる。
「ありがとう」
私は愛想笑いを浮かべて、そこでいたたまれなくなった。
「ごめん。のどが渇いちゃったから飲み物買ってくるわね」
カバンからお財布だけを握りしめて、逃げるように教室をあとにした。
「これからどうしようかしら……」
私はとぼとぼと購買に向かって歩く。
どうするかって言っても、適当に購買でウインドウショッピングするふりでもしながら時間をつぶして、予鈴が鳴ったら教室に帰るしかないわよね。まさか授業まですっぽかすわけには行かないし。
「あ、あの……」
部室棟と渡り廊下の交差点で、私は呼び止められた。
「あら、ケロちゃん」
昨日もここで会ったんだっけ。今日は走ってなかったからぶつからなかったけど。
「ごきげんよう。どうかしたかしら?」
「こ、これ。すみません……」
ケロちゃんがうつむきながら差し出してきた手には。
「あら、一万円札!」
かなりしわになってるけど……これ、たぶん昨日のよね。返してくれたってことは、盗むつもりじゃなかったのかしら。もしかして、私ってばとんでもない勘違いをしてた……?
「あ、ありがとう。ケロちゃんの荷物に紛れちゃってたのかしら? 私のほうから言えばよかったわね」
そうよね。殺伐してた前世ならいざ知らず、今の私はただの高校生じゃない。そんな盗みとかなんとか、そんな事件がそうそう起きるわけないわよね。
「いえ……あの……こちらこそ、その、先生に言わないでいてくれて……」
あああああ! しかも疑ってたことバレてる!?
「そ、そうね! 言ってたら今頃大変だものね!」
危うくケロちゃんにとんでもない冤罪をかけちゃうところだったわ!
「じゃあ、ケロちゃん! 私急ぐから、これで!」
別に急いでないし、むしろ時間をつぶしたかったけど、このままケロちゃんと話していても気まずい。私は購買に向かって逃げ出した。
明るくて、誰とでも仲良くなれて、いつも笑顔が素敵なぴあのさん。
素直じゃなくて、うじうじ悩み事ばっかりで、人のことをすぐに疑ったりする私。
——やっぱり勝ち目なんかないわよね。
「伊妻!」
購買に向かう廊下を夢中で走っていると、途中で枇々木先生に呼び止められた。
「先生——どうして今日もここに?」
「今日はペンのほうのインク切れだ。それより——」
廊下は走るな、よね。ああ、もう。こんな時に注意されたくないのに。
「泣きそうな顔をしているが、何かあったのか」
……え?
「どうした、驚いた顔をして」
「廊下走ってること……怒られると思ったから……」
「はぁ……」
枇々木先生はため息をついて、やれやれと頭を横に振る。
「初対面でいきなり怒鳴ってしまったから誤解されるのも仕方ないと思うが、私が生徒の悩みよりそんなちまちました校則を優先させると思うのか」
「思います」
「即答だな⁉」
こんなことをしても意味がないのは分かってるけど、気分も落ち込んでるし、枇々木先生が勇者と同じ顔をしてるから、ちょっと意地悪してみたりして。
「はぁ……生徒に誤解されがちなのは薄々わかっていたが、こうはっきりと言われると傷つくな。とにかく、何か悩んでいるんだったら、私に――とまでは言わないが、誰でもいいから相談しろ。一人では抱え込むな」
枇々木先生は私に言った。落ち込んだりしどろもどろになったり、表情がころころ変わって、面白かったから私はつい吹き出しちゃった。
「な、何がおかしい?」
「ごめんなさい……うふふ」
『勇者顔の真面目ロボ』みたいに思ってたから、意外な一面発見、かも?
「おかげで少し元気が出ました、ありがとうございます」
「そ、そうか。よくわからないが……」
戸惑う枇々木先生を見て、私はちょっと考える。
枇々木先生に恋愛相談……は、ちょっとむずかしいかもしれない。勇者似の相手に相談なんて魔王としてのプライドが、とか以前に、先生とはいえ男の人だし。
でも、こっちにはまだぴあのさん以外に友達がいないのも事実だし、さすがにぴあのさんには相談できないし。
恋愛相談ってわからないように、なら、いいかしら。
「ねえ、先生。絶対に勝てないかもしれない相手とぶつからなきゃいけない時って、どうしたらいいと思う?」
「勝てないかもしれない相手か……」
枇々木先生はふむ、と、一瞬考え込んで答える。
「そうだな。やはり正々堂々と勝負するべきではないだろうか」
「正々堂々……」
誰かしらにいずれそんなアドバイスをされるとは思っていたけど、熱血タイプの先生ならともかく、真面目堅物タイプの枇々木先生からそんな言葉が出るなんて、なんだか意外。
それが顔に出ていたのだろう、枇々木先生は言葉を続ける。
「私らしくないと思ったか。確かに私も昔は正面からぶつかることを避けて、いつも逃げ回ってばかりいた。そのくせ自分は相手より優れていると思い込むことで自尊心を保っていた」
「……先生にもそんな相手が?」
私に対するぴあのさんみたいな、絶対に勝てない相手が先生にもいたなんて。
正直、意外どころかこの世で一番あり得ないこと、ぐらいに思っちゃった。
前世で世界最強の魔王だった私。その私をを倒した勇者ツルギは当然最強なわけで、顔がそっくりな枇々木先生をどうしてもその勇者と重ねて見ちゃうし。
それに、あたりまえだけど枇々木先生って先生でしょ。
小学校に入ったばっかりの子供みたいに先生イコール完璧な存在だとまでは思わないけど、それでもやっぱり高校生から見た先生って自分よりずっと上の存在。
そんな枇々木先生に敵わない相手がいたなんて、世界の広さを思い知っちゃうわ。なんて、前世で世界を統べてた人が言うのもヘンなんだけど。
「ああ。――そういえば、アイツがいなくなった時の私は今の伊妻と同じ年だったな」
先生が私と同い年の頃……何年前なのかしら。なんて、疑問に思ってたら、スピーカーから予鈴が鳴り響いた。
「ん、もうこんな時間か。教室に戻らなくては。買い物は昼休みにまた改めてするとするか」
教室に向かう枇々木先生に、私は続く。
それにしても、勇者そっくりの顔で、四角四面真面目堅物人間で、それでも生徒に対する思いやりもあって、オマケに謎の過去がある。枇々木先生って本当にいろんな面がある人ね。ちょっと面白い。
だから私は教室の前についたタイミングで。
「先生、相談に乗ってくれてありがとうございます。私、恋のライバルに負けません!」
と、さっきの相談が恋愛相談だったことを暴露する。
「は⁉ ちょっと待て、恋⁉ おい、どういうことだ!」
入口の手前でテンパっている枇々木先生を放って、私はさっさと教室に入ってしまう。先生は本鈴が鳴るまで教室に入ってこないことを知っているからネ。
微妙に悩みパートに入りましたが、閲覧、ブクマ数ともに落ち込みがなくて人安心しています。
皆さん今後ともよろしくお願いしますー。