第四話 俺はリュシアンナを見つける
ポチャン、ポチャン、と、池に石を投げいれる音がする。
ポチャン、ポチャン。
グズグズ泣いてる音がする。
ポチャン、ポチャン。
見つけた。
「・・・いい加減にしろ、リュシアンナ」
俺はため息をついて、リュシアンナの前に姿を見せた。
いい加減にしないと、池の鯉に石が当たって鯉が死ぬぞ。
と、俺は言いたい。
「・・・っ!? ウラヌス、様!?」
リュシアンナが驚いて立ち上がり、振り返る。
が、立ち上がった時にバランスを崩した。
「キャ!?」
短い悲鳴を上げるのを慌てて手を掴んで引っ張り抱き留めた。
危ない。俺はため息をついた。
そのため息に、リュシアンナは動揺した。
なんでだ。
「っ…! 別れの言葉なんて、嫌です、嫌よ、聞きたくない!」
「……」
俺は思わず黙ってしまった。どこからその発想になった。
リュシアンナはしばしば思いがけない発想をして俺を混乱に陥れる。
前世云々発言もそうだったし。
「ずっと、ずっと好きだったわ、あなたが思うずっと前から好きだったの、あなたに会えた時どれだけ喜んだか! 浮かれたのよ!」
俺の腕の中でリュシアンナは呻くように独白している。
…ん?
なぜ今この展開になっているのだろう。
「捨てられないようにって、あの子が現れても負けないようにって、ずっとずっと、努力したの、全部、全部、そりゃ、私なんて足元に及ばないけど、でも、できる努力は全部してきた! あなたに見合うようにって、捨てられないようにって! 勉強も、ダンスも料理も、全部、全部、あなたに見合うようにって!」
「え?」
と俺は瞬きして、リュシアンナを見つめる。
「こんなのって、無いわ! 何なのよ、酷い、酷い…」
リュシアンナは俺は縋りつくように見上げてきて、俺は驚いた。
「…ウラヌス様…ウラヌス様…!」
マズイ。俺は動揺していた。
「…………知らなかったな…」
俺は茫然と呟いていた。
「…そんなに、想ってくれてたのか…?」
結局、俺はリュシアンナの心さえよく分かってないのか。
信じられない気持ちのまま、俺は呟くように話していた。
「家同士で決めたし…きみも結局割り切ってるんだと思っていた」
俺が、『リュシアンナで楽でいい』と割り切っていたように。
リュシアンナが、俺の胸に当てた手をギュッと握った。
その動きにドキっとする。
ヤバイ。ハンパ無い。
俺は思わずギュっと抱きしめていた。
リュシアンナ。まさか。何だ、この人。
リュシアンナが、幼少時からハンパ無く家庭教師やら何やらなにやら、習い事に力を注いでいるのは知っていた。よくお披露目される機会もあった。
それは、上位貴族として相応しいプライドから来る行いだと思っていた。
他家に比べても、リュシアンナは熱心に物事の習得に励んでいた。
ただし熱心さが習得と習熟に直結するわけではない。リュシアンナが必死の思いで身につけた結果は大体が『中の上』ぐらいの成果ではあった。
けれど、努力していたのを、知っている。
『なぜあれほどやって身に付かない』と不思議に思う程の手間と時間をかけていたことを、知っている。
「家のためにではなく、全部、俺のために、教養を身に着けていたと?」
信じられない思いがするのに、リュシアンナは俺の目を見上げて、それから、悲しそうにコクリと頷いた。
マズイ。なんだこの人は。
こっちがなんか苦しくなるほどに、グッと、俺の何かを持っていく。
「ちょっと待ってくれ…」
動揺して呻くと、リュシアンナが「ウゥ」と肩を震わせる。
だめだ、待て、今はっきりわかった、リュシアンナ、絶対俺の言動を誤解しているだろう。
俺はきちんと話をするべく、リュシアンナの両肩をつかんで、自分の体から引き離した。
リュシアンナはさらに絶望した顔をした。
俺は慌てた。
慌てた俺は、また肩を引き寄せて抱きしめなおしていた。
何やってんだ、俺。
「お願いだ、落ち着いて聞いてくれ」
と俺は言った。
リュシアンナは肩を震わす。あぁまた何か絶対誤解した。
どうすりゃいいんだ、この悪循環。
俺は自分が非常に誤解を与えやすい言動をしているのではと疑惑を持った。
少なくとも、リュシアンナに対しては。
バカみたいだ。
「リュシアンナ。きっとキミは誤解している。別れ話なんてするつもりもない」
ていうか今、キミのしてきた努力が俺のためって聞いてものすごく浮かれてるんだけど。
単細胞生物だったのか俺は。
さっきの発言だけで、俺はかなり浮かれてる。本当にかわいくて仕方ないとか思ってしまってる。一体どうした。
『別れ話なんてするつもりもない』と言う発言を受けて、リュシアンナが俺の腕の中で、俺の顔を見上げた。
やたら可愛く見える。ヤバイ。どうする。
夜会のためにいつもより着飾ってるからだろうか。
月明かりと池のほとりとかいうシチュエーションに俺が酔ってるのか。バカか。俺はちょっと今日おかしいのか。
「俺は、きみと別れる事なんて考えた事がない。リュシアンナ」
と、改めて俺は言った。
「……本当に…?」
と、呟くように、リュシアンナが尋ねてくる。声が震えていて、それがまたグっと来た。
俺はどうして、この人をこんな風にさせている。
リュシアンナは、強気で、時に俺に高笑いさえしてみせる性格だ。素直に笑う時も多いけれど。悪口を言い合うケンカだってするぐらいの人で。それでも明るく笑っている。
それが、こんな風に、すがるなんて。弱らせたのか、俺が。
悔しくなった。
「本当に」
と、俺が囁いた。
恐ろしいシチュエーションだと思いつつも、誰も見ていないから良い、今は、と、思っている自分がいる。
「大切にしてる。今更、俺から離れないでくれ」
他に誰も聞いていない事を良い事に、俺は言った。
すまない、という言葉は、また誤解を与えそうな気がして、口に出さない。
***
ものすごく泣かれた。尋常じゃなく泣かれた。
その上、どれほど好きなのかを繰り返し泣きながら言われた。
泣きわめかれた。
また、すまない、と言いそうになるが誤解を与えるのが嫌でただずっと聞いていた。
詳細が釈然としないが、随分不安だったのだと分かった。
俺は別にリュシアンナを嫌って冷たい態度を取ったわけでは無い。
例えば、あんな悲壮感漂わせて睨んでこられて、俺たちの関係で嫌味も言わずYESと答えると思うのか? ストレス発散でケンカで罵りあうなんて何度もやってきている俺たちが。
せめて普通に来いよ。そうでなくとも、言われなくても、いつも俺がパートナーだっただろう。約束などしなくとも。
ピューリさんには優しいし、とグズグズ腕の中で言うリュシアンナ。
弁明しても余計泣かせるだろうかと思ってただ聞いている。
とはいえな、顔見知りに偶然会って話しかけられたら返答だってするだろう。なぜピューリ嬢についてだけそんなに目くじらを立てるんだ?
すまない、と、また思うけど、やはり口に出さない。
それに、俺は正直、リュシアンナがこれほど思っていてくれたとして今まで気づいていなかったし、今まで俺は、リュシアンナに今抱くような感情を持ってはいなかった。
幼いころからの馴染み。絶対にいる安心感。腹を疑うことなく話の出来る信頼感。
俺がリュシアンナに対して抱いていたのは、そんな感情。
それは俺の中で、やはり特別な感情でリュシアンナは許嫁として特別な人だったけれど。
リュシアンナが俺に抱いているような感情は、俺には、無かったのだ。
失う可能性があるとは、思いつきもしなかった。
こんなに泣かせた事を、こんな風な姿を見せさせてしまった事を、申し訳なく、思う。
それでいて、いま、きみにこんなに動揺して、恋しいと思う自分を、きみは受け入れてくれるのだろうか。
言わずにいようと思っていたのに、詫びを口にしてしまう俺は、相当混乱している。
「リュシアンナ。こんなに泣かせて、本当に、すまない」
反応を伺うように、告げる。
「俺は、でも、本当に、大切に思っている」
それは変わらず本当の事だ。
「調子が良すぎ、ウラヌス様、ひどい、このバカ、頭ばっかり優秀、バカ」
バカだバカだ、とグズグズ言いながら、リュシアンナは俺の腕の中から腕をのばして、俺の首に抱き付くようにした。
でも本当に好きなんです、と、囁かれる。
俺は苦笑する。
どうしてそんなに俺の事を好きになったんだ。俺はこんななのに。
手のひらを広げて背中を柔らかく抱きしめる。
「俺をバカと連呼するのはキミぐらいのものだ。リュシアンナ」
俺は苦笑しつつ言った。
同時に、こんな時にどう言っていいのか分からない自分が恨めしい。
リュシアンナは小さく笑った。
「私の方が、馬鹿ですのにね」
その笑顔が可愛くて、まるで花のように思う。
きみは俺を待っていてくれたのだろうか、と、ふと、思った。
俺は優しい気持ちになってリュシアンナに向けて笑った。
「泣きすぎだ」
「ウラヌス様のせいですわ」
俺はそれにまた笑みをつくる。
本当だ。本当にその通りだ。
心を急にゴッソリ、きみに持っていかれそうだ。
どうしてこんな風にいきなり可愛いさを増す。
「浮気しないでくださいね」
そもそもしてないだろう、と、俺は思うのだが。
誰かにこんな気持ちを持つのは初めてだ。
***
落ち着いた後、俺はリュシアンナと共に夜会に向かおうと思った。
しかし、リュシアンナは激しく泣いたからと人前に出るのを嫌がった。
ふと、
「可愛い姿を他のヤツに見せなくていいから構わない」
などと言った自分をどうかと思う。
リュシアンナが嬉しそうに頬を染め動揺したのを見ることができたから、そんなセリフを言う自分に後悔はない。