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クレヨンの翼  作者: jun
1/1

クレヨンの翼(1)

眩しいくらいに真っ白な画用紙が広げられている。

私は渡された色とりどりのクレヨンを手に、何を描こうか迷っていた。

『画用紙には好きなものを描いていい』というのがテーマだった。

右上から描こうか、中央から描き始めようか、手に持ったクレヨンをウロウロさせながら、私は決めかねていた。

手の中でクレヨンを弄んでみても、やはり、これといったイメージは浮かんでこない。

自由というのは、とても不自由だった。


諦めて視線を画用紙から上げると、私の周りには多くの人が同じように座っていて、同じように画用紙に向かっている。

とても広い教室のような場所ではあるが、座っている人たちの年齢は様々で、絵を描くために持っている道具も様々だった。

えんぴつしか持っていない人もいれば、油絵の具を持っている人、よく分からない何か特殊な道具を持っている人もいた。

私のように手の止まっている人もいるようだが、多くの人は一心不乱に何事かペンを走らせている。

私はクレヨンをそっとケースに戻すと、音を立てないように立ち上がり、他の人の集中を妨げないように注意しながら机の間を歩き始めた。

どの人も自分の画用紙に視線を落とし、私には見向きもしない。

覗き込むように何人かの絵を見て回ると、上手な人もそうでない人も、特にこれといった特徴はなく、与えられた道具を上手に使って絵を描いている、そんな印象を受けた。

私は「なるほど、こうすればいいのか」と納得し、自分の席へ帰ろうときびすを返した。


すると、どこかでシュッシュッ、と鉛筆を走らせる音が耳についた。

とてもリズミカルで、絵を描くというより、音楽を奏でているといったほうがしっくりとくるかもしれない。

その音は私の場所から少し離れた、窓際の席から聞こえてくるようだった。

窓際の席に座っている人を順番に目で追っていくと、カーテン越しの柔らかくなった陽射しを横顔に浴びながら、一人の老人が無心に鉛筆を走らせていた。

顔に刻み込まれた無数の皺が影となり、過ごしてきた時間の重みを表現しているようだった。

身に纏った純白のゆったりとした衣が、陽の光を受けてキラキラと輝いている。

私は老人の側まで足を進めると、まだ描きかけの画用紙に目を落とした。

画用紙には、薔薇の絵が描かれていた。

鉛筆だけで描いたとは思えないほど、薔薇のもつ質感まもが見事に再現され、鉛筆の濃淡だけで表現されているにも関わらず、艶やかな赤までが確かに感じとることができた。

私はしばし言葉を失い、老人の手元の動きを目で追っていた。


「そんなにじっと見られていては、描きづらいですな」

ふいに老人は顔を上げると、私に向かってにっこりと微笑んだ。

重々しい顔の皺とは対照的な、人懐っこい笑顔だ。

「私の絵がどうかしましたかな」

老人は手を止めて私に問いかけた。

「すみません、邪魔をするつもりはなかったのですが、あまりにも見事な薔薇だったものですから。

えんぴつだけで、ここまで描くのは大変でしょう。

別な画材を選んだら、もっと楽に描くことができるんじゃないでしょうか」

老人は一瞬、何を言われているか分からないといった顔をすると、声を上げて笑いだした。

「私はただ薔薇が描きたかった、だから描いている、それだけなのです。

手がかかるかどうかは、あまり考えておりませんでしたな」

まだ可笑しそうにしている老人を見ながら、私は気恥ずかしい思いで目を伏せた。

「ところで、あなたは何を描こうと思っておいでかな」

老人は挨拶のような気軽さで私に問いかけた。

「それが、実はまだ決まっていないのです。

何かを描かなければと思い、他の方の絵をあれこれ見て回って、こんな感じかな、というのは掴めたと思ったのですが、あなたの絵を見ていたらまた分からなくなってしまいました」

老人は目を細めると、親しい人を撫でるような優しい声で、私に語りかけてきた。

「描きたいものがないのなら、無理に描かなくてもいいのだと思いますよ。

私たちに与えられたテーマは、『好きなものを描く』であって、『描かなければいけない』ではないのですから。

描く物を探すために、あれこれ見て回るのはいいでしょう。

しかし、そこから直接的に何かを得ようとしてはいけません。

描きたい物というのは、自分の意識を覆っている膜を一枚一枚丁寧に剥いでいって、最後に残った芯のようなものだと私は思うのです。

私にとっては、それが薔薇だったというだけの話です。

あなたにとっての芯が何なのかは、あなた自身が焦らず、惑わされずにゆっくりと見つければいい。

時間が問題ではないはずですよ」

そう言うと、最後に僅かに微笑んで、老人は再び視線を画用紙へと落とした。

画用紙の上で踊る老人の手は、私のことなど忘れてしまったように、鉛筆を引く艶やかな音を奏で始めた。


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