第五話
「それで連れてきちゃったの…セデュイールあなた、シングルファザーみたいになってるわよ…」
事務所に打ち合わせに来ていたダイアナがため息交じりに言う。私は苦笑し隣で足を揺らしているルーの髪を撫でる。猫のように目を細めるルーが可愛い。…。
「きれいなおねーさんはじめまして! ぼくはルー、ピアニストなんだ! きみにもなにかひいてあげるよ、ここにピアノはある?」
「ありません。結構よ。…ああもう、そんな悲しい顔しないで。調子狂うわねーもう…」
私とルーの事務所の人間には一通り、ルーの症状のことは話してある。マチウはルーの仕事の調整のために駆けずり回ってくれているようだ。
ダイアナは憂鬱そうに頬杖をついてルーを眺め、それから私に目線を向ける。
「どうするの、これから。仕事のたびにどこにでも連れまわすってわけにもいかないでしょう? 今のこの子の状態じゃあ…」
「…それはそうなのだが…」
「もう、あなたって、この子のことになると周りが見えなくなるんだから。…信頼できる人間にしばらくこの子を見ていてもらったら? あなたのところの使用人でもいいし、バロッㇳでもいいいし…あいつ、あなたのマネージャとして復帰したんでしょう?」
「……」
「呼んだっすか姐さん。ああルーシュミネさんも、こんちは」
「はじめまして、ぼくはルーだよ、ピアニストなんだ。…おじさんでっかいねえ」
「そすか。ども。バロットって言います。ハジメマシテ」
「………」
屈みこんだバロットに肩車され、ルーはきゃっきゃと歓声をあげる。…初対面の相手にしては、ずいぶん馴染んでいるようだ。バロットがルーに懸想していることを知っている私としては、とても、複雑な思いがあるのだが、…。
「仕事の間は俺が相手しますんで、ご心配なく」
「…ルーを、頼む。万が一にでも手を出したらお前を殺す…」
「出しゃしませんよ、今のこのひとには…」
「手ってなあに? ピアノひくの?」
「俺はルーシュミネさんをいじめねえってことっすよ」
「そっか! よかったあ! ぼく、おとなのおともだちははじめてかも!」
「………」
「…セデュイールは、あなたのお友達じゃあないの? ルーシュミネ」
「おにいちゃん? おにいちゃんはおともだちだけど、おとなじゃないよ?」
「そうじゃなくって、…ああもう、ややこしいわね」
「おじさまはぼくのパパ代わりだから、おともだちじゃないよ!」
「そすか。あんたもこれじゃあ手は出せないっすね」
「…出していない。今のルーには…」
「もういいから、バロット、少しこの辺案内して来てあげたら? 物珍しいものがいっぱいあるでしょうから」
「そすね、行きましょうルーシュミネさん」
「うん! じゃあね、おじさま、ばいばい!」
「…ああ、また。………」
「…セデュイールあなた、幼稚園に子供を置いてく親みたいな顔してるわよ…」
「…言わないでくれ、わかっているから…」
名残惜し気にいつまでもルーの去っていく姿を見送る私に、ダイアナは呆れたようなため息を吐いた。
「おじさまはここではたらいてるんだあ。なんのおしごとなの?」
「んー、カメラの前で他人になりかわって、役を演じて、お芝居をやるんすよ」
「おしばい?」
「映画とか、観たことないっすか?」
「ないかも。…そのエイガっていうのを、おじさまはやってるの?」
「そすね。映写室とかあるんで、おじさまの映画も観られますよ。せっかくなんで観て行きます?」
「みたい!」
わくわくと跳ね回るルーシュミネさんを連れて、映写室に入る。セデュイールの出演した映画のフィルムはすべて網羅してある。今のルーシュミネさんは5歳の子供とおんなじだって話だから、5歳にも理解できるような映画を探す。…碌なモンがねえな。女たらしの芸術家の役だの、不倫青年の役だの、周囲を狂わせてく美青年の役だの、そんなんばっかだ。まあこいつはセデュイール自身の性質というより、監督だのファンだのプロデューサーだのがあいつに見てる夢のせいなんだから、セデュイールを責めるのもお門違いだが。
「あ、これなんてどうっすかね、ギリシャ神話、わかります?」
「わかるかなあ、なんのおはなし?」
「オルフェウスって、竪琴の名手の話っす。音楽家ですよ、あんたとおんなじ」
「おんがくか! それみたい!」
「了解っす」
フランスの詩人がメガホンを撮ったいわゆる芸術映画を掛ける。モノクロの陰鬱な画面にセデュイールが映るたび、ルーシュミネさんは「ワア」とか「ふへえ」とか言っていた。
1時間半の上映時間中、ルーシュミネさんが飽きて席を立つことはなかった。
「…どうでした、わかりました?」
「おもしろかったよ。おじさまが若かった!」
「あーそうすね、何年か前のヤツなんで…」
「おじさまやっぱり、おにいちゃんに似てるな。しんせき、なのかな」
「あーどうっすかねえ」
「おじさまがおにいちゃんのことかくすのは、おにいちゃんがもう戻ってこれないから、なのかなあ」
「……だとしたら、どうします? ルーシュミネさんは」
「…そうだったら、ほんとにそうだったら、ぼくは、…おじさましか、ほんとに、いなくなっちゃうな。…」
寂しそうに呟くルーシュミネさんは、5歳の子供というよりは、――男に捨てられた、少女みたいな顔をしていた。




