第一話
主治医の先生に呼び出されたのは、その数日後だ。
療養所の別館にある先生の個室は、壁にスワンベルクの魔術的な絵画だとか、ハンス・ベルメールのエッチングだとかが飾られている異様な空間だった。おんなのひとの、陰部をあからさまにしてるそれらは、生物学的な興味からか、ただ先生が助平なだけなのか、どっちなんだろう。
「やあ、よく来てくれましたね、リーヴェ君」
ノート(カルテ?)とペンをテーブルに置き、イギリス風の小花模様のついた可愛らしいティーカップに紅茶を注ぎ入れながら先生が言う。学者っぽい分厚いレンズの黒縁眼鏡をかけて、突き出た腹には白衣が食い込んで苦しそうだ。ティーカップが載せられた銀色の盆の持ち手には半裸の人魚像が象られている。先生の一風変わった趣味を感じつつ僕は先生の流暢なフランス語に応じる。
「お話と言うのは、なんでしょう、検査結果のことですか?」
「ええまあ、それもありますが…」
「それも?」
「時に、リーヴェ君は音楽をやられているそうですな。とても素晴らしいピアニストでもあると伺っておりますが」
人里離れた山奥の療養所で患者ばかり相手にしている先生は浮世離れしているみたいで、僕の過去のご乱行などは存じ上げてない様子だ。それならそれで、わざわざ宣伝するほど僕もバカじゃあないので、そのことはスルーする。
「ありがとうございます。お望みでしたら退院前に一曲弾いていきましょうか?」
「それはこちらとしても、ありがたいですな。ここには娯楽が少ないですから。世界的なピアニストの御業を拝見できれば、みな喜びましょう」
先生は葉巻に火をつけて、うまそうにふかしながらそう言う。
甘いバニラの香りが部屋に漂い、紅茶カップを傾けながら僕は窓の外に目をやる。一面の雪景色はどこまでいっても果てがない。静かな朝に、風景が固定されているみたいだ。
「ところでリーヴェ君。レヴォネ氏とのご関係をお聞きしてもいいですかな?」
…きた。たぶんこれが本題だ。清潔な療養所内では、男色行為はお控えくださいとか言われるのかな。いや僕だってこんなところでセデュと致すつもりはまったくないんだけども! どこでもかしこでも盛ってると思われてるとしたら、めちゃくちゃ心外なんだけど!
「…それが、今回の治療と何か関係が?」
「まったくないとは言えませんなあ。わたくしは貴方の主治医です。貴方のご事情はすべて把握しておかなくてはなりません」
「…性病の可能性があるとか、そういうことですか?」
「そういったことではございませんのでご心配なく」
「じゃあなんで、」
「むしろ、精神的なものですな」
「せいしん?」
「ええ」
葉巻を指で弄びながら先生は続ける。どこか遠い国でも見るように視線を宙に彷徨わせ、低く響く、バリトンボイスで。
「あなたの身体には異変は見受けられませんでした。ですので、むしろ精神的なものが貴方の不調に影響していると思われます。わたしはその筋の専門家ではないですが…原因究明のお手伝いができれば、と」
「……」
精神、精神ときたか。心の病ってやつ? 身に覚えがないとは思わないけど、なんで今更っていう気持ちの方が大きい。僕はセデュと結ばれて、まあ合法的な夫婦関係とはいかないんだけど、伴侶になって、なんとかかんとか、たぶんむりやり、お義父さんの了承も得た。
仕事は順調で、作曲は楽しい。スランプとももう無縁だ。セデュのほうだって相変わらずの引っ張り凧で、今も映画の撮影中。まったくなんの問題もない。むしろこれで文句を言いだそうものなら神様に叱られちゃってもおかしくないくらいだ。
「…セデュとは円満な関係です。それが僕のストレスになってるとは思えないけど…」
「そうですか。それはなによりですな」
「他になにか、原因があるってこと、なんですかね…」
「ストレスの原因はご自分ではなかなか把握しにくいものです。円満だと仰るレヴォネ氏とのご関係にも、原因の一端はあるかもしれない。それを解き明かすために、貴方のご事情をお話しいただければと思いまして、本日はご足労いただいたわけです」
「…事情といわれても…」
「レヴォネ氏とは性的なご関係にあると考えてよろしいですかな?」
「……」
質問が誘導尋問じみてきた。しかもかなりプライヴェートに踏み込んだ内容だ。やっぱり助平なんだなこの先生。無機物を見るような、カメレオンめいた目でこちらをじっと見てくるさまは、性的興味というよりは知的好奇心とでも言えそうな様子だけど…。
「…答えなきゃだめですか」
「貴方の症状をより深く理解するためです。ご協力いただきたい」
「…じゃあ、はい。そうです」
「ふむ、いつからそういったご関係に?」
「えーと、ちゃんと付き合い始めたのは、去年からで、最後までできるようになったのは、今年の5月から、です…」
「最後まで、ということは、途中まではそれまでにもしていた?」
「うー、まあ、はい…」
「それはいつ頃から?」
「えと、去年の9月頃…だったかな…」
「随分長くかかりましたなあ」
「それは、セデュが奥手で…というか、僕を大切にしてくれてたからで…」
「その間、浮気の心配などは?」
「…ない、です。たぶん」
「多分とは?」
「えーと、めちゃめちゃいろんなことがあったので…」
「色んなこととは?」
「そこまで言わなくちゃダメなんですかね!? というか先生の趣味に走っちゃってませんか!? 黙秘権行使したいんですけど!!」
「まあ、貴方がそこまで嫌がるなら、無理にとは申しません」
「…ありがとう、ございます…?」
いちおう礼を言う僕だけど、いったい何の礼なんだコレ。助平親父の根掘り葉掘りにどこまで付き合う必要があるんだか、わからなくなってきたぞ…。
「レヴォネ氏との性生活にご不満などは?」
「…。…ありません」
「何かないのですか? 回数が多すぎるとか少なすぎるとか、口でするのを強要されたのが嫌だったとか、強引なレイプまがいの行為があったとか」
「ないですないです! セデュは紳士だから僕に強要はしません! むしろ僕の方からいつも誘って――って必要ですかねこの話!?」
「ふむふむ、レヴォネ氏は紳士で、リーヴェ君は淫乱、と…」
「カルテに書かないで! 悪ふざけが過ぎませんか先生!?」
「ちなみに好きな体位などは?」
「ノーコメントで!!!」
揶揄われているのだろうか。あんまりな質問に僕は絶叫するのだった。




