エピローグ
「今夜は、酷くしてくれない?」
退院したその日の晩にルーはそう言って、裸にバスタオルを羽織っただけの姿で、寝室に現れた。
「…まだ、身体が本調子ではないだろう。そういうことは、しばらくは…」
「どうして。もう大丈夫だよ。お医者様からも折り紙つきさ。…ちゃんと薬も飲んでるし、不安定になったりしない」
訥々と語るルーは感情を失ったような虚ろな目をしている。それだけで、彼の心がまだ癒えていないことが分かる。
…当然だ。ずっと一人で抱え込んでいたのだ。家族との離別も、決して、ルーのせいではないというのに。
すべては未成年の少年に、守られるべき子供に、――その実情を無視して、背負わせすぎたためだ、誰一人、お前を労わり、手を差し伸べる大人がいなかったためだというのに。
――私も含めて。
「それでもだ。…私はお前を大切にしたい、」
ルーは首を振る。大人へと戻ったルーは体から血を流し続けているかのように、苦し気に眉を顰める。泣き出しそうなその瞳には暗闇が淀んでいる。
ぱたぱたと瞬く金の睫毛は朝露に濡れたように湿っている。
ルーはそして、嗚咽するかのように、言葉を重ねる。――
「ぼくはそれじゃ足りないんだよ。いつもみたいに優しくされるだけじゃあ、足りないんだ。痛めつけて、嬲って、ぼくに、罰を与えてほしいんだ…」
「ルー、」
「それでやっとぼくは満足できるんだ。じぶんを許せるかもしれない…」
「…」
「きみがやさしくしてくれるのは、うれしいけど、つらいよ。幸せになるのは、やっぱりこわい…」
涙をこらえて唇を噛む。5歳の子供のルーはまだ彼の裡にいる。
すべて彼自身なのだ。純粋で傷つきやすい、子供のままの心が、彼の本質なのだ。
卑小な人間にすぎない私が、この美しい魂に、捧げられるもののことを考える。
――すべてを彼に捧げたい。思いも、命も、何もかもを。
「…お前が、」
「うん?」
「まだ、どうしても、辛くて仕方がないのなら、お前にとってこの世界が、耐えられないというのなら、私も、お前と共に逝こう」
ルーは目を見開き、濡れた瞳はフィルムのように瞬いて、初めてのように私を映す。
「離さないと言っただろう」
「…それは、だめだよ。絶対にダメだ」
「どうして」
「…ぼくのわがままで、きみを地獄に連れてくことなんてできない」
「お前を喪った世界など、私にとっては地獄とおなじだよ」
「…きみは、」
溺れながら水面から顔を出す人のように、ルーは呼吸する。その微かな音が静謐のなかで響き、私は彼の手を握りしめ、その瞳を覗き込む。
「…ずるいなあ、いつもいつも。ぼくの欲しい言葉をくれるんだもの…」
ルーの泉のように澄んだ瞳から、透明な雫がいくつもいくつもあふれ出す。
声も上げずに滴る涙が綺麗で、まるでルーの魂がむき出しにされているようで、
私はこの子を抱き寄せて、滴る雫に口づける。
ルーの欠片を一片も、取りこぼすことのないように。
ぽたぽたと涙を零したまま、ルーは私にしがみ付き、冷え切った唇を上向け目を閉じる。
ふた月ぶりの唇は、やわらかく深い、海のような味がした。




