プロローグ
バタンと扉の閉じる音がして、僕は立ち上がる。ぱたぱたと窓辺に駆け寄り、外を見下ろす。窓辺には彼が届けてくれた花がある。白い冬咲きのクレマチスだ。
タクシーから降りた彼がこちらを見上げて手を振る。きゃああ、って歓声がどこかでしている。きっと下の階の、女の子たちだ。毎日のようにお見舞いに来る彼の出入りを待ち侘びて、窓辺で待機してるんだろう。
呼びかけたいけど、じっと我慢だ。ここにはたくさんの人の目があるから。
彼が僕を特別室に入れたのも、そうした好奇の目線から、僕を守ろうとしたからだって、理解してるから。
僕は今スイスの療養所にいる。べつに結核になったってわけじゃない。ただちょっと、身体の不調がつづいていたから、心配したセデュが僕を入院させたのだ。
セデュはふもとの街で映画の撮影中だ。わざわざパリを離れてスイスで入院したのは、セデュと片時も離れたくなかったから。まあそこまで重篤な症状ってわけでもないし、やりすぎだなあとは、思うんだけど。セデュは僕がちょっと眩暈を起こしたり貧血気味になったりするだけで青くなって心配するので、このさい、どこにも異常はないんだって、検査するために、入院したってわけだ。
スイスの療養所なんて、『魔の山』みたいで、ぞっとするけど。僕がそう言うと、
「縁起でもないことを言わないでくれ」って、セデュは顔を顰めていたっけ。
でもまあ、特別室は広くて、家具も豪奢で清潔で居心地はいいし、料理もおいしい。普通はみんな食堂で一堂に会すらしいんだけど、セデュの特別な計らいで、僕は部屋で食べさせてもらってる。あんまり、他の患者さんと交流するのを、セデュは好まないみたいだ。応接室にはピアノとか蓄音機とか、バーにはおいしいお酒とか、あるらしいんだけど。
でもひとまず僕は、毎日仕事終わりにセデュがお見舞いに来てくれるだけで、満足してる。気晴らしに作曲したりもして、悠々自適の生活だ。なんの問題もない。
「ルー、具合はどうだ。気分が悪くはないか?」
一段飛ばして階段を駆け上がってきたみたいに、息を切らせたセデュが言う。僕は彼のチェスターコートについた雪を払い落としてやってから、いつもみたいに笑ってやる。
「だいじょうぶ、異常なし、だよ。ここは空気が澄んでいて、肺の中まで洗われるみたいだから…」
「主治医は何と言っていた? 検査の結果はもう出たのか?」
「それはまだだけど。たぶん大丈夫だと思う! 僕って意外としぶといんだぜ。心臓に毛が生えてるって言われたこともあるし!」
「…それはお前の本質ではないだろう」
「もー、心配しなくていいってば。君は仕事に集中すること! 撮影のほうはどう? 順調?」
「…ああ、間もなく撮り終わる。短い映画だから…」
「そうなんだ! じゃあ、終わったら、君もここに来る? この部屋、広いだろ? 一人だと寒いんだよなあ…」
「…そうしよう、検査の結果も共に聞きたい」
「君の映画が終わるころには出てるさ、きっと…」
まるで大切な宝物みたいに、セデュが優しく抱きしめてくれる。僕は彼の温もりに目を閉じて、彼の鼓動を聴いていた。




