吟遊詩人と葡萄の涙
次の街の酒場は、少し静かだった。
騒がしくないわけではないが、
声を張り上げる客はいない。
話すにしても、どこか抑えた調子だ。
カウンターに腰を下ろすと、
店主が無言でグラスを置いた。
赤い酒。
光に透かすと、わずかに揺れる。
「葡萄の涙だ」
そう言って、肩をすくめる。
「名前負けしないやつですか」
「どうだろうな。
泣くのは、飲んだあとかもしれん」
嫌な言い方だ。
一口飲む。
酸味が先に来て、
すぐに渋みが追いかけてくる。
甘さは、ほとんどない。
「……軽くはないですね」
「葡萄は、正直だからな」
隣の席から、声がした。
楽器を背負った男が、
こちらを見ていた。
派手な服装だが、
どこかくたびれている。
「それは、聞く人のせいでもある」
「吟遊詩人ですか」
「そう呼ばれている」
否定はしなかった。
彼は、自分のグラスを軽く揺らす。
「この酒はな、
飲むと昔の話が出やすい」
「便利な酒ですね」
「仕事柄、重宝する」
なるほど、と思った。
「何を歌ってるんですか」
「街の話。
戦の噂。
消えた村の話」
ずいぶん物騒だ。
「本当の話ですか」
「半分くらい」
正直だ。
「残りは?」
「聞きたい形に、整える」
吟遊詩人は、笑った。
俺は、もう一口飲む。
確かに、
頭の奥で何かが引っかかる。
「勇者とか、魔王とか?」
「歌には出る」
即答だった。
「だがな」
彼は、グラスを置く。
「酒場で飲んでる連中は、
そんな話より、
明日の天気と、
今日の酒の方が大事だ」
それは、よく分かる。
「この街も、色々あったんですか」
「さあな」
吟遊詩人は肩をすくめた。
「歌になるほどのことは、
だいたい誰かにとっては迷惑だ」
俺は、黙って頷く。
葡萄の涙は、
飲むほどに、重さが増す気がした。
「長く、いるつもりですか」
彼が聞く。
「分かりません」
「それがいい」
「理由は?」
「街に慣れると、
歌が増える」
意味は、あまり考えなかった。
グラスを空ける。
嫌いじゃない。
だが、何杯も飲みたい酒ではない。
「……泣くほどではなかったですね」
そう言うと、
吟遊詩人は声を出して笑った。
「それは、いい夜だ」
彼は楽器を背負い直し、
席を立った。
「また、どこかで」
「ああ」
残ったのは、
空のグラスと、
名前の通りの酒だった。
葡萄の涙は、
最後に、少しだけ苦かった。




