獣人と果実酒
酒場は、今日は少し甘い匂いがしていた。
果物を煮詰めたような、
放っておくと腹が鳴りそうな匂いだ。
「今日は、これが出る」
店主が、棚の奥から瓶を出した。
中身は赤く、少し濁っている。
「果実酒だ」
「……安全なやつですか」
「たぶん」
たぶん、という言葉に
一瞬だけ不安になったが、
色は悪くない。
隣の席に、獣人が座っていた。
耳が少し動いている。
尻尾も、落ち着きなく揺れている。
「いい匂いだな」
先にそう言ったのは、彼女だった。
「甘い酒、好きなんですか」
「嫌いじゃない。
酸っぱいのも、嫌いじゃない」
要するに、だいたい飲むらしい。
店主が、二つのグラスに酒を注ぐ。
俺も一口。
甘い。
だが、後から酸味が来る。
思ったより軽い。
「……これは、飲みやすいですね」
「だろ」
獣人は、もう半分飲んでいた。
「森の実を使ってる。
放っておくと、すぐ発酵するんだ」
「管理、大変そうですね」
「大変だ。
油断すると、勝手に酒になる」
それはそれで、
便利な気もした。
「この酒、酔い方も早いぞ」
店主が言う。
「早い?」
「気づいた時には、回ってる」
嫌な予感が、少しだけした。
二口目。
確かに、頭がふわっとする。
三口目。
さっきまで気になっていたことが、
どうでもよくなってきた。
「……あれ」
「もう来てるな」
獣人が笑った。
「顔、緩んでる」
「元からです」
最近、この返しが増えている気がする。
「果実酒はな、
油断した奴から持っていく」
店主が、面白そうに言った。
「甘いからって、舐めると危ねえ」
その通りだった。
気づけば、
獣人と、どうでもいい話をしていた。
どの実が一番酒に向くとか。
森で一番うるさい鳥の話とか。
内容は、ほとんど覚えていない。
ただ、笑っていたことだけは覚えている。
それと、
獣人が帰り際に言った、
「この酒場、長居すると癖になる」
という言葉だけが、妙に残っていた。
気づいた時には、
グラスは空になっていた。
「今日は、ここまでにしとけ」
店主が、そう言ってグラスを下げた。
「珍しいな」
「果実酒はな、
引き際間違えると、あとが面倒だ」
その言葉を信じて、
俺は素直に席を立った。
外は、もう夜だった。
風が、少し冷たい。
(……明日は、軽めにしておこう)
そう思いながら、
俺は次の宿を考えていた。
気付けば、酒場を渡り歩いている。
雑用を手伝って、
話し相手になって、
酒代と寝床を確保する。
悪くない。
世界は広いらしいし、
同じ街に、長くいる理由もない。
次は、どこに行こうか。
それを考えるのも、
最近は嫌いじゃなかった。




